幾万の触手の網を抜け、俺はナイアセラムの眼前に到達する。
ナイアセラムの本体には白炎龍砲による焦げ跡がまだ残っていた。
触手の増殖による攻撃にリソースを割いた分、自己治癒能力が落ちたんだろう。
ここから再生したとしても聖属性の治癒は普通の傷より時間がかかるはず。
龍魔断概で削り切れる。
「いいよ、殺し合ってあげる」
ナイアセラムの身体から無数の触手が追加で伸びてくる。
それがさらに分裂を繰り返し、圧倒的な数が一瞬で俺の周囲を取り囲んだ。
「傷治せよ」
「君が死んでから治すよ」
俺の新たな術式【
脳機能そのものを加速させ、約三百倍の思考速度を得る。
魔力感知と五感によって知覚できる全情報が刹那的かつ統括的に処理される。
ヤミと同じように悪魔の魔術領域を利用することで処理速度を強化した。
ヤミと違うのは『術式』ではなく『情報』そのものの処理能力を向上させているという点だ。
もはや蒼爆を使う必要すらない。
空立と燃身による身体能力だけで回避できる。
こっちの回避の可能性を完全に潰すような面攻撃には……
「蒼炎球」
適度に魔術を宛がってやればいい。
回避した触手を断ち斬りながら、俺は一歩ずつ進んで行く。
右手で剣を振るい触手を断ち斬る。
左手の指先に灯した炎を操って触手を燃やす。
「行くか」
空を走る。
術式の使用感には慣れた。
もう触手がどれだけ増えようが俺に届くことはない。
俺を阻む触手を壊し、あるいは避けて、俺はナイアセラムの本体へ。
「……君は、私を殺せるの?」
「あぁ、俺の勝ちだ」
「そっか、この感情を恐怖って言うのかな?」
「さぁな、俺はそれを憶えてねぇ」
神剣を振り上げる――
「
詠唱によって増幅された魔力は刀身に宿る聖光の輝きを増していく。
「私と君は今、対等なのかな?」
「馬鹿言うな。俺の方が上だ」
「ハハッ、君って本当にクソ野郎だ……」
振り下ろされた最大火力の神剣は、ヘドロのようなナイアセラムの肉体を大きく引き裂いていく。
左右に別れたナイアセラムの肉体の中央に、人の顔くらいの大きさの白い石が浮遊していた。
直観的に理解できた。
あれが女神の最重要パーツ【
こいつの不死性は十中八九【
これがなくなればこいつの再生能力は効力を失う。
つまり、ナイアセラムは死ぬ。
「お前さ、もしかして死にたかったのか?」
「……」
「だっておかしいだろ。アマツが聖剣を手に入れたのはお前に一度負けた後だ。つまりお前はアマツが女神と関係ない時からアマツを監視してたことになる」
こいつらの目的はおそらく女神の捜索。
アマツの監視はその目的に沿ったものじゃない。
「最後だぜ、ちゃんと本心を言って逝った方がいいんじゃねぇか?」
「私は……対等な相手が欲しかった。笑い合ったり、喧嘩をしたり、一緒に悲しんだり……本当の意味で互いを思いやれる、そんな相手が欲しかったんだ」
「…………」
「けどそれには絶対的な条件がある。それは互いが相手を無力化する方法を持っているということ。殺そうと思えば相手を殺せる。その基盤の上に生物社会は成り立っている。それが一方的にしかない関係は、結局支配でしかない」
まぁ、そうなんだろうな。
超越者たるお前が誰を愛そうが、誰と争おうが、それは所詮『ごっこ』でしかない。
他人の感情を操れるこいつにとっては尚更だ。
「アマツと俺はもう一つになってる。だから知ってる。アマツは冒険者ギルドに頻繁に顔を出していた。剣聖の御前試合にお前を呼んでも他の剣聖から不自然に思われないくらい」
「それは何か用事があったんじゃないの?」
「お前と喋るためだ」
「え?」
「嘘じゃない。お前の正体を理解した上で、アマツはお前に何度も会いに行った。いつか必ずお前の願いを叶えるという誓いを忘れないように。お前に会うことでアマツの信念は鋭く強固になっていった」
「……」
「これは対等な関係じゃないのか?」
若い時は女遊びも好きだったみたいだけどな。
けど、ナイアセラムに負けてからは女も酒も絶って、ただ剣に没頭した。
「それでもアマツは私を超えられなかった」
「話聞いてなかったのか?
ヒオリの顔を見るたびに、アマツの執念は復活し、強くなる。
お前の寂しそうな顔を見るたびに……アマツは自分の昔の姿と重ねていた。
「けど、これじゃ対等じゃねぇよな?
「なにそれ、じゃあ君はそんなプライド一つでこんなダラダラと……〝私の再生が終わるまで〟話してたってこと?」
「テメェは
これがアマツの望んだお前を憂いから解放する方法だ。
「はは……君は本当に意味が分からない」
ナイアセラムの肉体が再生していく。
天を衝く塔のような泥の身体と、そこから這い出る大量の触手。
「アハハハハハハハハハ!」
ナイアセラムの再生は完全な形を取り戻す。
しかし、その変化はそこで終わらない。
「間違いなく、今この瞬間、私と君は対等な関係だ。だからこそ本気で笑える。だからこそ、本気で怒れる!」
「対等じゃねぇっつってんだろ。もう一回ボコって分からせてやるよ」
巨大なヘドロが渦を巻き、小さく凝縮されていく。
それはこいつを最初に見た時と同じ、人型を作る。
水色の髪、溌剌とした表情、黒い冒険者ギルドの制服。
好奇心旺盛なその瞳は、きっと人間と対等になりたいという思いの表れだったのだろう。
「ヒオリ、なんでその姿に戻った?」
「私は気になるからだよ。君がこれを受けても死なないのか」
ヒオリが右腕を伸ばし、親指を立て、人差し指を俺に向ける。
拳銃を模したような手の形、その人差し指の先端にはビー玉のような黒い宝玉が浮かんでいた。
「これは私の触手全てを凝縮させた物質」
「わざわざ人間の姿に戻ったのは、触手やヘドロをその球体に纏めるためか」
「正解。今まで私は肉体性能だけで戦っていた。つまり魔術は一つも使っていなかったってこと」
あの感情を操る術理ですら、龍のブレスと同じような元から肉体に備わった魔力操作だったってわけだ。
つくづく、生命体としての規格が違う。
「今から私は
それは小さい物を回転させる操作系統の基礎魔術だ。
黒い球体が縦回転を始める。
本来、その魔術で行える物理操作はどれだけ膨大な魔力を持った魔術師にも独楽くらいの回転数しか付与できないはずだ。
けど、やっぱりこいつは規格が違う。
周囲の風を吸い込むような超回転、まるでそこに台風があるみたいだ。
ただの基礎魔術が、こいつが使うと天変地異かよ……
「これを今から君に射出する。速度は神速、防御は不可能。君の反応速度や計算能力には驚かされたけど、この一撃にそんな力が介在する余地はない。君の脳の命令が身体に届くより早く、この弾丸は着弾する」
「懇切丁寧な説明をありがとよ」
「分かってたクセに」
冥奥【
しかしこの技の真骨頂は『魔力の読解』だ。
その魔力が何にどんな作用を及ぼすのか、発動する前に理解することができる。
その上で、あいつの魔術を評価すれば……
回避不可能。
防御不可能。
その言葉に、嘘はない。
可能性があったとしたら、回転数が上がる前に仕留めることだった。
けど今となってはそれも無理。
というかそれを防ぐ目的で、自分の技の内容をぺらぺらと喋ったんだろう。
「遺言はあるかな?」
「遺言か……たしかに、ちょっとタンマ」
「え? ほんとにあるんだ」
ナイアセラムに背中を向けて、俺は大きく息を吸い込んだ。
「お前らクソ弱ぇから、こいつと戦ってる方が全然マシだったわ!!!!!!」
あぁー、スッキリ。
俺をハブって勝手に楽しみ始めたリアとリンカとヨスナに仕返しとかねぇとな。
「今の何?」
「こっちの話だ。もういいぜ」
「そ、それじゃあ行くよ」
「あぁ、来い」
胸を拳で叩き、俺はそう宣言した。
神剣召喚【龍魔断概】。
それでは結局、あいつを殺すことはできなかった。
核を露出させるのが関の山だった。
龍魔断概じゃダメだ。
それ以上の力が要る。
けどそんなモン持ってねぇから、今造るしかねぇ。
俺の最強と爺さんの最強を――合わせる。
「じゃあね、バン――」
引き金を引くようなアクションと共に、高速回転する球体が――俺の心臓を貫いた。
やっぱ無理だな。回避とか防御とか、そういう次元じゃない。
あいつが口を「バ」と動かした時には、俺の心臓にその弾丸は捻じ込まれていた。
「
それは龍魔断概と空太刀、二つを合わせた〝無数の龍魔断概〟だ。
複製された斬撃は、ナイアセラムの周囲に数十個展開され、一斉にナイアセラムの身体を切り刻む。
皮を剥き、肉を削ぎ、骨を折って、内臓を破裂させる。
その刀身の全てには聖属性が付与されていて、ナイアセラムの肉体を滅却していく。
「なるほどね、それで胸を叩いたんだ」
あいつの狙いが脳ミソだったら俺にこの技を撃つ暇はなかった。
けど、あいつを倒すのに心臓は要らねぇ。
この数秒の時間さえあれば、それでよかった。
「私は君の期待に応えられたのかな?」
「あぁ、儂と其方はようやく〝対等〟となれた」
俺がそう言うと、ナイアセラムが優しく微笑んだような気がした。
ナイアセラムの身体に残ったのは白い宝玉が一つだけ。
それ以外の部分はすべてが消滅した。
再生は、始まらない。
同時に俺の身体が活動の限界を迎える。
心臓は完全に破裂し、心肺停止状態だ。
加速した意識の中故に、ゆっくりと俺の身体は活動を止めていく。
空立の術式が解除され、落下が始まった。
治癒術式……心臓が止まってる状態でそんな術式使えるわけねぇか。
それに、使えたとしても死ぬ前に治せる傷じゃねぇ。
「まだまだ……だな」
最強になれたと思った。
これ以上の力は目覚めないだろうとすら思った。
情報属性の二つ目の術式【
けど、どうやら俺はまだ最強じゃないらしい。まだナイアセラムと同格の存在は女神の数だけいるはずだ。
なのに俺の十一度目の人生はここで終わる。
「あぁクソ……悔しいなぁ……」
目を閉じて、落下の衝撃を待つ。けれどその衝撃が俺を襲うことはなく、何か柔らかいものが俺の身体を包んだ。
しかし、俺にはもう目を開く力すら残っていなかった。
「ヨスナさん、早くあの治癒術式を!」
「……無理です。安寧縫合【逆理】は同じ対象に一日一度までしか使えません」
そんな言葉と共に頬に零れた水滴の冷たさが、この生涯の最後の感覚となった。
「またこうなるのね……また私はお前に守られるのね……あぁホント、サイアク……」