モブリコ辺境暦   作:杖雪

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4月 モブリコ寿司にようこそ ①

 東海道線を名古屋駅で降り、私鉄に乗り換え約一時間で車窓の風景は紺碧の海色に彩られる。

 電車の窓から見える海原は、春の淡い昼陽の光粒を湾一面に蓄え、微かに波を立てながら音もなく輝く。

 最初は数多く乗っていた客たちも、駅を越すごとにまばらになり、終点に着くころには、乗客は少女ただ一人となっていた。

 潮風の香りがする駅のホームに降り立った少女は、一度大きく伸びをすると早い足取りで改札を出て、周囲を見渡す。

 駅外に広がる町の風景。伊勢湾に面した、静かで小さな港町。

 本部から離れ、初めて赴任する町。これから自分が暮らす町、これから自分が護る町。

 がんばろう、少女はひとり呟いた。

 

 

 

 この町で暮らしている同じ組織の先輩が、駅まで迎えに来てくれているらしい。

 待ち合わせ場所は、駅裏の駐輪場。連絡メールには、それだけが書かれていた。

 

 駐輪場に向かう前に、大きく深呼吸する少女。

 電車に乗った時から湧き上がっている緊張感は、時間を経るにつれ高まってくる。

 

 昨夜は全然寝られなかった。

 

 初出勤前夜の緊張ももちろんあるが、それよりも現地で落ち合う組織の先輩、その人がどのような人物なのか。それが気がかりで、今も胃が締め付けられるように痛い。

 

 少女が所属している組織の名はダイレクトアタック。通称DAと呼ばれる、国が運営する秘密の治安維持組織。

 その実行役は、リコリスと呼ばれる十代の少女たちである。

 社会の平和を害する人物を人知れず消去するため、幼少時より鍛え上げられた少女たち。

 

 社会の目に触れることのない、山奥の施設で育てられた彼女たちは、監視と暗殺を生業とすることから、気が強いタイプが多い。

 そういうタイプは苦手なので、どうか優しい人が先輩になりますように。と、少女は心の中で手を合わせる。

 

 少女が配属された支部は、自分を含めて二人だけの田舎支部だと出発前に説明された。 

 田舎に配属されることには、特に文句はない。むしろ当然だとすら思っている。

 訓練生時代の成績は下の中。実技も座学も苦手科目ばかりだった。

 かといって、落ちこぼれるほどでもなかったので、何とかサードリコリスになれた身だ。出来の良いリコリスが配属される都市の大支部に行けるとは最初から考えていない。

 

 サードリコリス。これが少女の階級である。

 リコリスの階級は、三つに分かれている。サードリコリスは、その中でも最底ランクのリコリス。

 地味な薄黄色の生地で作られた制服を身にまとい、地味な任務や地味な仕事をこなし、派手な任務の時には使い捨てのコマとなる。

 数だけは多い、代わりのきく消耗品。

 あまり事件のなさそうな、地方の田舎支部に配置しても惜しくはない階級。

 

 まあ自分がそういう人材であることは納得している。問題はその支部が二人だけで構成されているという点だ。

 

 少女は幼いころから、長い間山奥のDA本部で多くの訓練生と一緒に過ごしてきた。

 長年にわたる本部棟での集団生活。その生活スタイルが今日からいきなり変わるのだ。

 

 二人暮らし。

 二人だけの生活。

 二人だけでお仕事。

 今から出会う人と、これからずっと一緒に暮らすということ。

 

 その光景が全く想像できないことが、少女の不安を一層煽り立てる。

 ゆっくりと待ち合わせ場所の駐輪場に向かう少女の足元が、緊張でぎこちなくなる。

 内心の不安が動作にまで出ているのは問題だ。少女は駐輪場の前に植えられている桜の木の背後に身を隠すと、小さくため息をつく。

 

 緊張で強張っている顔面を両手で軽く叩くと、ショートボブにカットされた髪を手櫛で整える。

 

 後は桜の木の裏から出て、待っている先輩リコリスとあいさつするだけ、それだけのこと。

 それだけのことだが、なかなかその勇気が出てこない。

 

 なんとなく、少女は上を見上げる。

 少女の頭上に枝葉を伸ばす桜の木。少し前まで春の青空を彩っていた桜の花は既に盛りを過ぎ、今は散り遅れたわずかな桜花が新緑の葉の間から顔を出している。

 

 DA本部にも、桜はあった。

 

 本部正門前に植えられていた数本の桜の木。今朝自分たちが出発した時の桜も、この木と同じような葉桜だった。

 

 新任リコリスの出立式は、一斉に異動させると目立ちすぎるため、ファーストリコリスから順に日を置いて執り行われる。

 一日ごとに少人数が異動する、辞令式もない小さな出立式。

 

 初日に出発する数名のファーストリコリスたちは、後日出発するセカンドリコリスやサードリコリスたちに見送られ本部の正門を出る。

 赤色の制服を身にまとった実力トップのファーストリコリス。彼女たちの出立式の時には桜は満開だった。

 

 その次の日に出立するのは十数名のセカンドリコリス。紺色の制服を着た彼女たちを、出発を次に控えるサードリコリスたちが見送った。

 

 最後は薄黄色の制服のサードリコリス。数だけは多い彼女たちは、教育課程時の成績が良かった者から順に、数グループに分けて出立する。

 一日ごとの出発のため、最後に残ったサードリコリスが出立したのは4月の半ば、もう桜の花もほとんど散っていた。

 

 もう見送るリコリスは誰もいない。ただ後輩の嘲るような視線だけを背中に感じながら正門を出る最後のグループ。少女はその中の一人だった。

 

 そのことについては、少女は特に気にしてはいない。

 自分の能力を鑑みると、サードとはいえリコリスになれたこと自体僥倖なのだ。

 教育課程を無事に終え、生きて外の世界に出ることができた。少女にとってはそれだけで充分だった。

 

 そんな自分の実力は、DA本部も完全に把握しているはずだ。

 そのうえで、この地に赴任させられた。

 ということは、これから一緒に生活する自分の先輩も、きっと同じようなレベルなのだろう。

 何年間勤務しているのかはわからないが、このたいした事件も起こらないような田舎町に住むリコリスだ。言い方は悪いがたいしたことはないのだろう。

 たぶん、本部から期待されていない、自分とよく似たサードリコリスなのだろう。

 

 それならば、似た者同士上手くやっていけるはずだ。上手く暮らしていけるはずだ。

 

 頭の上の葉桜を眺めながら、そんなことを考えていると、少女の心を固く縛っていた緊張感が、少しずつほぐれていくのを感じた。

 

 よし、行こう!

 先輩ガチャ、当たりますように!

 

 少女は大きく深呼吸すると、桜の木の陰から、一歩足を踏み出した。

 

 駐車場へ顔を向け、それらしき人を探す。

 小さな自転車駐車場、その中にいるのは一人だけだった。

 DAの制服を身にまとった、自分より少し年上そうな長い黒髪の少女。彼女が先輩に違いない。

 

 さあ行くぞ。と踏み出す二歩目がふと止まる。

 自分の頭が彼女の違和感に気が付いたのと、自分の体が再び桜の木の陰に隠れたのはほぼ同時だった。

 

 違和感の正体はすぐにわかった。

 

 自転車駐車場の奥に佇む長い髪の女性。自分と同じ制服を着ている彼女が、リコリスであることは間違いない。

 問題は、彼女が身に着けている制服の色。

 彼女は自分と同じ薄黄色ではなく、濃紺色の制服を着ているのだ。

 

 濃紺色の制服はセカンドリコリス。DAのエリートだ。

 暗殺技能や直接戦闘能力だけではなく、作戦立案や部隊指揮、そして知力学力まで、すべてにおいてサードリコリスを凌駕している存在。

 普通なら中心戦力として大都市圏の支部や本部直下に配属されているはずのリコリスが、なぜこんな場所にいるのだろうか。

 見間違いではないのだろうが、木の陰から半分だけ顔を出し、念のため服の色をもう一度確認する。

 

 濃紺だ。

 

 少女は再び木の裏に隠れ、混乱し始めた頭を必死に整理する。

 

 セカンドリコリスは数が少ない。

 もう一つ階級が上のファーストリコリスほどではないが、それでも数は少ない。

 このような辺鄙な場所に配置していい人材ではない。

 

 ということは、ここは一見田舎のように見えて、実は重要拠点なのだろうか。

 

 いや、そういうことはないだろう。

 ここが重要拠点なら、自分のような半端者が赴任するようなことはない。

 

 少女はもう一度木の陰から顔を出し、自転車置き場に立つ彼女の服を見る。

 

 濃紺だ。

 

 先ほどまで消えていた緊張感が、再び足裏から心臓に上がってくるのを感じる。

 

 また木の陰に隠れる少女。

 気持ちが落ち着かないまま、もう一度顔を出して確認する。

 

 さすがに三度目のチラ見になると、服の色以外にも目が行くようになる。

 

 きれいな人だ。

 古い悲劇映画の女優のような、端正な顔。

 長く伸びたストレートの黒髪は、春の陽を浴びて艶やかに輝いている。

 身長は、目測だが自分より頭半分ほど高いようだ。

 スタイルの良い身体に纏われたセカンドリコリスの制服が、彼女の美貌を一層際立たせている。

 

 こんなにきれいな人が、こんな場所にいていいのだろうか。

 こんなにきれいな人が、こんな私の先輩でいいのだろうか。 

 いや、それはうれしいが、問題が一つある。

 

 彼女の表情だ。

 

 下を向いているので少し見えにくいが、険しい顔をしている。

 

 新しく赴任してくる後輩に会いたくない。

 そんな心の内が、表情に滲み出ている。

 

 なぜ彼女はそんな顔をしているのだろうか。

 これでは、木の陰から出ようにも出られない。

 困ったな、と少女はため息をつく。

 

 しばらくしたのち、少女はまた桜の木の陰から顔を出す。

 こんなことを続けても問題解決にはならないとはわかってはいるのだが、他に案は浮かばない。

 何か解決策はないかと、静かにたたずむセカンドリコリスを観察する。

 

「あっ…」

 

 視線が合ってしまった。

 しかたなく、桜の木の陰から身を出す少女。

 

 気を付けているはずなのに、再び歩行がぎこちなくなる。

 先輩の顔を見ることができず、下を向いたまま駐輪場に進み、相手の前に立つ。

 緊張で声が出ない。頭もあげられない。自分の指先が震えているのを感じる。

 どうしようかと焦る少女の頭の上から、声が響いた。

 

「諸咲支部にようこそ、スギナさん」

 

 優しい声だった。

 思わず頭を上げ、彼女の顔を見る少女。

 目の前にいるセカンドリコリス、その顔はかすかに微笑んでいた。

 今聞こえた声と同じく、優しい表情だった。

 

 木の陰から見えた彼女の険しかった顔は、何かの見間違いだったのだろうか。

 思わず、少女は彼女の顔をじっと見る。

 

 これから自分の先輩になる目の前の女性。紺色の制服を着た彼女は、自分と一歳か二歳程度しか違わないはずなのに、自分より大人びた雰囲気を漂わせているように見えた。

 そしてその雰囲気に相応しい美貌。遠くから見てもわかるそのきれいな顔は、近くで見るとなお一層の破壊力がある。

 

 一度見てしまうと、なかなか視線が外せない。

 しかし、初対面で顔ばかり見つめるのも失礼だと思い直し、少女は先輩から目線を外す。

 目線を下げると、先ほどまで観察していた濃紺色の制服が再び視界に入る。

 

 セカンドリコリスの制服。

 幼少時から発露される類いまれなる実力、あるいは血煙渦巻く修羅場をくぐった実績を持つ者にしか与えられない、輝かしい名称と制服。

 どれだけ鍛錬しても着ることができなかった、そしてこれからも袖を通すことはないであろうその制服。

 田舎町の風景の中でも輝いて見えるその制服が、少女の劣等感をわずかに刺激し、心を委縮させる。

 

「…どうしたの?スギナさん?」

「あっ、いえ、失礼しました!」

 

 微妙な間を打ち消すように、少女は靴の両踵を合わせ、一礼する。

 

「本日、本部より赴任しました、サードリコリスの筑詩スギナです!よろしくお願いいたします!」

「諸咲支部長、セカンドリコリスの風待よ。よろしく、スギナさん」

 

 笑顔と共に差し伸べられた先輩の右手を、少女は両手でしっかりと握りしめる。

 春とはいえ、まだ晩冬の余韻を残す海風に吹かれながら待っていたのであろう風待の手は少し冷たかったが、その笑顔は春の日向に相応しい温かさがあった。

 

「まあ支部長といっても、この支部は私一人だけなんだけどね」

 

 だから全然緊張する必要はないわよ、と風待は笑顔で話す。

 

「ずっと木の陰に隠れて、まったく出てくる気配無かったから、どうしようか悩んだわ。こちらから呼びかけるには遠いし、近づいたら逃げていきそうだったし」

「…それは…その…すいません」

 

 これまでの逡巡を、すべて見られていた恥ずかしさに、少女の顔が赤くなる。

 しかし、見た目と違い結構くだけた感じの話し方と、笑うと年相応の可愛らしさを見せる風待の表情は、少女を安心させるには十分だった。

 

 最初に感じた陰のある雰囲気、青色の制服から感じた圧力感が見せたのかもしれない第一印象は、すでにどこかに消えていた。

 自分の心に浮かんだ劣等感や不安感が溶けてなくなるかのような、風待先輩の温かい笑顔。

 

 先輩ガチャ大当たり、なのかな?

 と、少女-スギナはそう思った。

 

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