『説明は以上です。さて、任務前ですが筑詩スギナ。あなたに二つ質問があります』
副司令を名乗る女性の、冷たい声。私の身体はその言葉の裏にある意図を察して、少しだけ強張った。
やばい。疑われている。
心臓が、高鳴った。
DAは、リコリスの行動を全て把握している、把握していると自負している。
そのDAが、質問してきた。
それが意味することは、ただ一つ。
今までの私の行動に、不自然な点があったということだ。
何時だ、何時から疑われていた。
どこだ、どこが疑問に思われた。
推測はできる。おそらくDAは、私があまりに適切に動いていたことを、不可解に感じているのだろう。本部のコンピューターが結論を出す前に行動していた、巡回中でもないのに制服姿で現場にいた。それは確かに不可解だ、質問もしたくなる奇妙な事態だ。
数秒後に語られるであろう質問に、私は適切な回答をしなければならない。DAが納得するような、完璧な回答をしなければならない。
適切に答える、完璧に答える、しかし本当のことを答えてはいけない。
諸咲のリコリスと、諸咲の町との間の、裏の友好関係。互いに関わらず、互いに助け合う、裏の協力体制。これらはすべて、DAには秘密にしている。
広い田舎支部の平和を、たった数名のリコリスで守らなければならないが故の裏技。おそらくどの田舎支部でも、大なり小なりこのような関係は構築されているだろうと、風待先輩は言っていた。しかし、どの支部のどのリコリスも、決してこのことを口外しないだろう。秘密組織内で管理されているはずの殺人者が、一般人に対し勝手に胸襟を開き、勝手に腕を組んで歩くことなどあってはならないし、許されざる行為であるということを知っているからだ。
だから、知られてはいけない。歴代の諸咲リコリスが築き上げた、地域との関係を知られてはならない。
だから、知られてはいけない。私が今、DAの掲げる平和のためではなく、市民の平和のために働き、DAの意志ではなく自分の意志で行動しているということを、副司令に知られてはならない。
私はこれから、上手なウソをつかなければならない。DAが納得するような、完璧なウソをつかなければならない。
適切なウソ、完璧なウソ。言えるのか、話下手なこの私が。
しかし、言わなければならない。
言うのだ、一緒に動いてくれた町役場や警察、商工会の方々のために。
言うのだ、これまでの、そしてこれからの諸咲支部リコリスのために。
「わかりました。手短にお願いします」
内心の緊張を、ありったけの意志で隠し、私は冷静なふりをして答える。
『一つ目の質問は、移動方法についてです。筑詩さんはさきほど、十与浜から諸咲観光ビルまでの間を、高速度で移動しています。公共バスを使用した形跡はありませんが、どのような手段で移動したのですか?』
やはり、そこを突かれたか。試験問題の設問に、勉強不足の部分が出題された時のようなため息を思わずつきそうになるのを、私は必死に堪える。
この質問はされるだろうな、この質問をされたらいやだな、そう頭の片隅で思っていた事柄を、DAはクリティカルに突いてきた。やはり怖い組織だ、やはりイヤな組織だ。
私の住んでいる十与浜からここまでは、諸咲役場の車で移動している。すぐに現場に向かわなくてはならなかったため、町役場職員の伊川津さんと立馬崎さんが乗って来た車に便乗させてもらったのだ。
リコリスの正式装備には、数多くの位置発信機が付いている。制服だけでも、左側の第7ボタンと右側の第1ボタン、そして左袖裏地。その他にもサッシェルバッグと右の靴に各一つ。それにスマートフォンを合わせると、合計6つの発信機が常に位置情報を送信し続けているのだ。これらの発信機により、DAは各リコリスの移動情報を完全管理しているのだろう。
バスやタクシーを使った形跡はなし。なのになぜ、時速50キロ以上のスピードで、諸咲観光ビルまで移動できたのか。確かに疑問にも思うはずだ。
一般人の車に乗って来たのです、とは絶対に言えない。リコリスが制服姿で一般人の車両に同席することなどない。それゆえに話したが最後、DAはその人と私との関係を、裏で徹底的に洗うだろう。そして私を乗せた人物が町役場職員だとわかれば、DAは更に背後関係を調べるだろう。そうなったら終わりだ、すべてバレる、すぐにバレる。
真実を話すな。ウソをつけ。
しかし、どう言えばいい、なんと言えばいい。
どうしよう、思考がまとまらない。
思わず私は、空を見上げる。今にも雨の降りそうな、黒雲重なる空を見る。
今にも雨が、雨が、雨の日……
ウソ、雨の日、ウソをつく……
曇天を切り裂き舞い降りる、天国へと続く一筋の光の階段。そのような閃光めいた衝撃が、私の脳裏に走った。
私は思い出した。こういう時、どうすればいいのかを思い出した。
そうだ、あの雨の日、教えてくれていたのだ。私の風待先輩が、このような時はどのようにウソをつけばいいのかを、身をもって教えてくれていたのだ。
『諸咲支部には、移動用の備品は自転車しかないはずです。あなたの周囲に、自動車か自動二輪を持つ協力者が……』
「カニです!」
『はい?』
沈黙するな。間髪入れずに話せ。
ためらうな、間をあけずに語れ。
冠典ゼリィ先輩のように、頭を働かせろ。
臥観手ルミナ先輩のように、毅然としろ。
そして……
「ダブルファックサインを天空に掲げて、浜辺に棲息するスナガニのような格好で小刻みに左右に動きながら前進すると、人は時速50キロ以上の高速で走れるんです!」
そして、風待先輩のように、適当にウソをつけ!
『そんなこと、ありえな……』
「やってみたこと、ありますか?」
『えっ?』
「やってみたこと、ありますかと聞いているんです!」
『いや……ありません』
質問という名の尋問を、これから始めよう。そのような意思を存分に含んだ、副司令の冷たい口調。その声色が、崩れた。
勝った!
6月の雨の日。風待先輩は、私の失態を隠すため、名古屋支部にウソの報告をした。でたらめな内容を、堂々と話していた。
堂々と、延々と、朗々と、累々と話した。
そうしたら、相手は信じた。あっさり信じた。
こういう時のウソに必要なのは、つじつまではない、堂々と話す気迫だ。
どうせここは辺境支部だ、どれだけウソを並べようと、わざわざ確かめには来ないだろう。DAはそこまで暇な組織ではない。
ならば、堂々とウソをつけ、中身は適当でいい。今、電話先の話し相手は私が何か隠していそうな気配がないかを確かめている。それならば、自然体で堂々とさえしていれば、話の内容自体はどれほど突拍子が無くても問題はないはずだ。任務前のハイテンションからなのか、変なことを言っていたが、話している感じからすると、どうやら隠し事だけはなさそうだ。そう思わせさえすればいいのだ。
「カニの姿を真似れば、人はどこまでも早く走れるんです。これは最新のスポーツ科学の見地から見ても明らかなんです! 人体の神秘なんです!」
『はあ……』
諸咲にある大学のスポーツ教学部でも、この走り方は推奨されています。諸咲でスポーツ教学について学んでいる大学生たちは、学年や部活を問わず、皆がこのような走り方をしているんですよ、と私は畳みかける。
「まあ、やったことないなら、わからなくても仕方ありません。副司令の周りの皆さんも、カニも真似をして走ったご経験がある方なんていないでしょうしね」
よし、これで押し通せる。話下手な私だが、ここまでは上手くいっている。
副司令の周囲に集まっているだろう、DAの電話番の皆さん。かなり多くの人がいるようだ、多くの声、多くのざわめき、多くの驚きが、エポレットのボタンから発せられ私の耳元で響く。
電話番の詰め所にしては、やけに人が多いな、まるで司令本部みたいだと、ふと思う。
副司令は、私との会話を一時中断して、周囲の人たちに、何か問いかけている。
『えーと、いまここにいる全員に聞いてみたんだけど、カニの真似をして走ったことがある人は、三人いたわ』
えっ?
『問いただしてみたんだけど、そこまで早く走れなかったって三人とも言っているわよ』
ちょっと待て!
三人もいたのか! こんなバカなことをする大人が!
意外だった。誤算だった。
DAを、甘く見ていた。
大人を、甘く見ていた。
どうする。
『だから、筑詩さんも実は……』
「カニになりきっていましたか?」
『え……』
「その方たちは、身も心も、カニになりきっていましたか?」
負けるな。堂々としろ!
「身も心もカニにならないと、カニの素早さは手に入りません。私は6月の新近城作戦の後、カニに擬態しながら自発的に名古屋市内全域を警戒し続けていました。その時の私は一晩中カニになりきるため、制服も装備も靴も全部投げ捨てました、身一つの姿でカニになりきっていました。そこまでの覚悟を持って初めて、カニになれるのです、カニの早さが手に入るのです! この夜の件については、後で名古屋支部に尋ねてください。私がどれだけカニだったか、その姿がどれほど恐れられていたか、詳細に語ってくれるはずです!」
名古屋支部を中心にして広まっている、私が主役の都市伝説。DA本部にまで伝わってしまうのは少し辛いが、こうして名古屋支部に質問を丸投げしてしまえば、これ以上追及はされない。もともと穴だらけの回答しかできない問答を、強制的に打ち切るには、まずまずの手段だろう。
『……わかりました、後日名古屋支部に確認してみます。それでは二つ目の質問です』
「急いでください!」
ビルの外にまで響いていた、若いヤクザの叫び声。その声が、一段と大きくなった。知性も威厳もない、甲高い声が聞こえてくる。
頭の頂点から出しているかのような、上ずった大声。おそらく頭に血が上っているのだろう。危険な兆候だ。
人が出す声とは思えない、殺意を込めた獣の咆哮のような罵声。私はこのような大声を、ここ最近二度聞いた。波音が響く夜の浜辺で聞いた、ヤクザの怒声。セミの声が響く昼の住宅街で聞いた、チンピラの怒声。それらと同じ声だ、奴らと同じ声だ。
『は、はい。では二つ目ですが、今回筑詩さんは、ヤクザたちが諸咲観光ビルに車を停めてから15分後に現場に急行し、私たちが状況確認を終えるまえに、すでに現場に到着しています。それはなぜ……』
ヤクザの声より甲高い音を立て、私の目の前のガラスが割れた。
正面玄関横の窓ガラス。飛散防止用の鋼線が入っていたため、大きな破片こそ飛び散らなかったが、波飛沫のように細かいガラス片が、空中で踊った。
窓が割れる音に、陶器の割れる音が重なる。一拍おいて、土が散乱する音、木が折れる音。
音だけでわかった。暴力に酔ったヤクザが、室内に飾られた鉢植えを投げたのだ。観葉植物が植えられた植木鉢を、窓目がけて投げつけたのだ。
ヤクザにとっては、暴力衝動に任せた悪戯のようなものだろう。しかし、室内にいる売場係員たちにとっては、恐ろしい光景だっただろう。鉢植えに毎日水やりをしていた方にとっては、痛ましい光景だっただろう。
私がこれから突入する場所は、おそらくかなり荒らされていることだろう。ヤクザたちが暴れている一階は、お土産コーナーだったと聞く。多くのお土産が、踏みにじられ散乱していることだろう。
散乱した、お土産、荒らされた、土産物屋、散乱した……
私の心の奥で、何かが灯った。暗闇の奥にしまわれた、思い出したくない何かを暴く、光が灯った。
世界が暗くなる。時間が止まる。何かが迫る。
『……なぜなのですか。筑詩さん、答えてください、筑詩さん、筑詩さん』
肩のボタンから、声がする。
私はその声が、心底くだらないものに聞こえた。
こんなことに真面目に付き合ったため、出足が遅れた、突入が遅れた。
DAへの言い訳のためだけに、私は立ち止まっていた。
おかげで、窓ガラスが割れた。植木鉢が割れ、観葉植物が折れた。
割れた植木鉢は、捨てられるだろう。折れた観葉植物は、ゴミになるだろう。
職場の彩りとして、お土産屋の飾りとして、大事に育てられた観葉植物を、ゴミにした。明日捨てられる、ゴミにした。
ゴミにしたのは、私だ、DAだ。
壁一枚隔てられた向こう側で暴力を振るうヤクザたちへの熱い怒り、電話の向こう側でつまらない事を聞いてくるDAへの冷たい怒り。二つの怒りが、心の中で同時に湧き上がる。熱さと冷たさ、心の中ならばこのふたつが混ざり合っても熱平衡状態にならないのは、サーモダイナミクスの盲点だろう。
無視しようか、こんな電話、無視しようか。緊急事態にもかかわらず、長々と説明を求めるような電話など、無視しようか。
そうもいくまい、相手はDAだ。私はリコリスだ。
ならば仕方ない。話してやろう。
私は、呼びかけ続ける副司令に向け、小さな声で話す。感情は抑え込んでいたつもりだったが、それでも冷たい感情が漏れている声で、手短にウソをつく。
「わたしには、わかるんです。この諸咲支部内で発生したすべての暴力の匂いと死の匂いを、私は感じることができるのです」
自分でも信じられないほど、冷静にウソがつけた。隠し通せないほどの冷たい怒りが、逆に心を落ち着かせた。落ち着きすぎた私の声は、相手はよほど冷たく響いたのだろう。副司令と名乗った電話番の女性は、何も言えずに、私の話を聞いている。
「人の死が見られるのなら、私はどこにでも現れます。外道どもに死を与えられるのならば、私はどこにでも向かいます。一人慟哭しながら、赤いリンゴを片手に、どこへでも行くのです。私はこの地で、一日に玄米四合と、味噌と少しの野菜を食べ、東で善良な人が殺されたら、血の涙を流しながら赤いリンゴを供え、西にヤクザが現れれば、行って必殺の
くだらない電話をかけたのは自分なのだが、それを思いっきり棚に上げ、私は叫びながら電話を切った。
目の前で窓ガラスが割れたのを見た焦りから、思わず声を荒げてしまった、勝手に電話を切ってしまった。傍目からだと、私が一方的に興奮した末、一方的に電話を切ったようにしか見えないが、火急の時だ、仕方ない。副司令とかいう御大層な肩書の電話番には悪いことをしたが、次に電話連絡した時に、しっかりと謝っておこう。お互い下っ端同士だ、いずれまた話す機会もあるだろう。
しかし、話下手な私が、よくもまあこれだけ流暢にウソがつけたものだ。内容はともかく、活舌はしっかりしていた。会話の主導権を相手に握られることなく、最後まで強引にウソを押し通した。出鱈目具合は酷かったけど、これならばまあ、任務前でテンパっていたんだなと思われる範疇だろう、たぶん。
これだけ強気で話せたのは、DAに対する怒りだった。
目の前で事件が起こっているのに、リコリスへの疑念を追及するのを優先させる、DAの体質。リコリスを信用していない、DAの本性。
そのDAへの怒りが、私の舌を動かしたのだ。
今にして思えば、6月の私の失敗を誤魔化すため、風待先輩が適当なウソを並べ立てたのは、DAへの怒りが内心にあったのかもしれない。
任務中に侵入症状によってパニックになり、土中で朽ち果てた枯葉のようにボロボロになった私。そんな私を目の前にして、部下の状況報告をしなければいけなかった先輩。当時新人で力不足だった私を、このような深夜の大作戦に投入したDAへの憤りが、先輩の舌を滑らかにしていたのかもしれない。
まあ、DAへの不満については、今は後回しだ。私は気持ちを切り替えるため、一度深呼吸をして、心を落ち着ける。はやり立つ心を、押さえつける。
脳内時計に、心の目を向ける。電話中はかなり時間が経った気がしたが、終わってみるとそれほどでもない。周囲の駐車場で動き回っている、町役場や商工会の職員さんたちからも、不審な目は向けられていない。突入のタイミングを見計らっているのだろう、そのように思ってくれているようだ。
ビルの中から新たな叫び声は聞こえない、今は小康状態のようだ。おそらくだが、窓に植木鉢を投げた音が予想外に大きかったため、ヤクザたちの気勢が一時的に削がれたのだろう。
どのような騒がしい現場でもまれに訪れる、凪の時間。隠密裏に潜入する場合は、避けなくてはならない状況だが、逆にヤクザたちの注目を集め、暴力の矛先をこちらに向けるように仕向けるには、ちょうど良いタイミングだ。
あとは、ビルに入るだけだ。正面玄関の自動ドアから、ゆっくり入っていけばいいだけだ。これほど簡単な正面突入は、訓練でもなかったほどだ。
簡単な突入。簡単な制圧。何も問題はない、問題はないはずだ。
しかし、一つだけ、気になることがある。
先ほど、私の心に灯った光。私の心の奥底にしまった何かが、淡くわずかな光に照らされた。
一瞬だけ見えたのは、過去の光景。忘れたくても忘れられない、だから心の奥底に、明かり届かぬ奥底に、投げ捨て逃げたあの記憶。
そんな記憶に、光が当たってしまった。意識の表層に、浮かんでしまった。
これから私が突入する場所、これから私が対峙する場所に、この記憶は関係があるのだろう。だから、こんな面倒な時にもかかわらず、もう少しで思い出しそうになっているのだ。
面倒だ。こんな時に、なんて面倒だ。
思い出すな、私は自分の心に言い聞かせる。命令ではなく、懇願するかのように、自分に言い聞かせる。
自分の心をコントロールする術を、私は知らない。DAの自己暗示術は一応習っていたが、効いたためしはなかった。私の心に巣食うそれは、かなり根深いのだろう。侵入症状として、幻覚として現れるそれは、かなり強力なのだろう。面倒だ、私の心は、本当に面倒だ。
しかし、悩んでいるヒマはない。私は意を決し、正面入り口の自動ドアの前に立つ。
半透明のガラス扉が開く、中に入る。手に武器を持たず、警戒の素振りも見せず、緩い日常の一場面のように、ゆっくりと歩いてビルに入る。
まずはターゲットの位置確認、3人のヤクザの各位置と装備状況、そして逃げることなくヤクザと立ち会っている売り場係員の被害状況を確認。ビル内に侵入したら、それらの情報を即座に収集して即座に対策を考え、即座に行動に移らなくてはならない。今回の任務は、自衛行動ではなく排除任務であると、DAに正式に認められている。だからすぐに敵を見つけ、すぐに動かなくてはならない。私たち本部リコリスならば、誰でも簡単にできる排除任務、考えずとも勝手に身体が動くレベルになるまで訓練してきた、屋内掃討。DA本部の敷地内に建てられたシュートハウスやキリングハウスで学んだ技能技術は、たとえ室内がどのような状況であろうと、すぐに対応できるのだ、即座に身体が動くのだ。
動く、はずだった。
動けなかった、体が動かなかった。
動かなかったのは、体だけではない。
ビルに入り、すぐに周囲を見渡さなければならなかった目も、動かなかった。
私は、足を止めていた。
私は、目を止めていた。
目は、下を向いていた。
諸咲観光ビルの一階は、お土産コーナー。南智多の観光土産、数々の美味しい銘菓や手軽に持ち帰れる地元の食材、可愛らしい玩具、味わい深い郷土の小物、奇麗な風景写真に地元画家が描いた風景絵葉書。自分のために買っても嬉しい、相手のために買っても嬉しい、買わずとも、見て回るだけでも楽しいお土産たちが集う場所。
整然と陳列されているその一つ一つが、旅の喜びとともに輝いている観光土産。年齢性別関係なく、皆が目を輝かせて選び、思い出とともに持ち帰る観光土産。それらは今、三人のヤクザの手によって、投げ捨てられ、踏みにじられ、床に散乱していた。
陳列台ごと蹴り飛ばしたのだろう。台の上に積まれていた諸咲銘菓の入った箱が、床に散乱している。その上を歩き、踏みにじったのだろう。潰れた箱の中からは、丁寧に小分けされた菓子が、車に轢かれた小動物の腹ワタのように露出している。楽しい団らんとともに、各家庭の食卓に美味しく供されるはずだった菓子たちは、包装用紙ごと潰れ砕かれ、床のゴミと化している。
壁の陳列棚の小物や玩具、絵葉書たちも、みな地面に落ちている。棚上に飾ってあった貝殻や郷土の風景を描いた油絵も落下している。おそらくヤクザは、室内にあったのぼり旗か導線用のガイドポールを振り回したのだろう。
子どもが喜ぶ楽しい玩具や、大人が触っても面白い郷土の小物、これらもまた、ヤクザは一つ一つ踏みつぶしている。まるでそれが仕事であるかのように、丁寧に踏みつぶしている。
踏みにじられたプラスチック製の人形は、四肢と首が砕け折れている。踏まれちぎられてもまだ、人形の首は笑っている。ここで泣いたら負けだと言って、笑っている。
紙と竹ひごでできた郷土玩具の赤鯛は、踏みつぶされて胴体が裂けている。まだきれいなままの頭部、そこに描かれた黒目が、私を見ている。諸咲に住む者よ、かたきをとってくれと、訴えている。
棚の上に置かれていた、伊勢湾や三河湾でとれた大きな貝殻たちも、踏まれ砕かれている。地元の海の記憶を蓄えたまま、光沢輝くほどに磨かれた貝殻たちは、いまはただの欠片となって床に転がっている。ただの欠片となり果てながら、最後の力を振り絞り、海の歌を唄っている。
これは足ではなく刃物を使ったのだろうか、棚上を飾っていた油絵も、破られている。諸咲の風景をこよなく愛した地元画家が描いた、晴れた伊勢湾の絵。静かな筆で描かれた海は、切り裂かれ、踏みにじられている。裂かれたキャンバスの断面からは、人の想いが漏れている。この絵を描いた画家が込めた想い、この絵を見た客が感じた想い、それらの想いが、物悲しい海の音となり、かすかに鳴り響いている。
観光ビル一階の床は、昔ながらのタイル模様だ。細かなタイル片が、規則的な花柄となって床一面に埋め込まれている。
その上に舞い散った、絵葉書たち、包み紙たち、チラシたち。色とりどりの、紙片たち。踏みにじられて、紙のゴミとなった、カラフルな紙片たち。
暴力と破壊によって荒れ果てた場所にもかかわらず、これらの紙片の色彩は、現状に不釣り合いなほどの華やかしさを床面に与えている。人々の目を楽しませること無く、ただのゴミクズとなった紙たちの、断末魔の色彩。華やかで哀しい、最期の悲鳴、カラフルな絶叫。
あの時も、散乱していた。多くの土産物が、床に散乱していた。スプリンクラーの雨に濡れた、綺麗な紙片が、床にへばりついていた。紙片には、華やかな光景が印刷されていた、かわいいイラストが描かれていた。
あの時も、土産物コーナーだった。今も、土産物コーナーだ。
同じだ、同じ土産物売り場だ。お土産が散らばって紙が散らばって、そして人が散らばって
同じだ、同じ土産物売り場だ。過去も今も同じ、同じ場所の同じお土産売り場だ、あの高い塔の真下の
過去が、背後から迫って来る。黒くて暗くて怖くて酷くて
またか! 私は心の中で叫ぶ。いや、実際に声に出ていたかもしれない。
これで何回目だ! 何回目だと思っている!
任務中にこれが出てくるのは、これで4回目だぞ!
6月の新近城作戦のときも8月の諸咲の海岸のときも弐豊町の住宅街のときも!
もういい加減にしろよ! 私は心の中で叫ぶ。いや、実際に声に出していた、実際に叫んでいた。
私は焦っていた。
あまりにワンパターンな自分の反応に、焦っていた。
いつも任務中に陥ってしまう、この症状、侵入症状。あまりの芸の無さに、自分でも笑ってしまう。自動的に過去に囚われ、勝手に危機に陥ってしまう自分に、呆れてしまう。
しかし、今は笑っている場合でも呆れてしまう場合でもない。もうビルに乗り込んでしまったのだ。どうにかして、態勢を立て直さなくてはならない。
幸い、今回は症状が発生するのが遅い。ワンパターンだなとツッコミを入れるだけの余裕があるのが、その証拠だ。
過去に囚われる前に、過去から抜け出せ。今の室内が過去のあの現場に似た風景である以上、完全に逃げるのは難しいかもしれない。しかし、心が半分捕らわれたままでも任務は遂行できる。弐豊町の事件では、あの塔の巨大な幻影に覆われながらも、冷静にターゲットを始末できたのだ。
大丈夫、なんとかなる。いや、なんとかする。
焦る心を必死に押さえ、覚悟を決める私。
しかし、迫って来る。
過去が、背後から迫って来る。黒くて暗くて怖くて酷くて辛くて怖くて悼くて暗くて脆くて厭くて酷くて黒くて怖くて