一瞬喜んだ私だが、すぐに現実に戻る。
たかがヤクザの一組織が、DAを潰せるはずがない。
ぬか喜びさせやがって。
現実の辛さにため息をついた私は、サル顔ヤクザとの会話を中断し、立ち上がる。壁にもたれかかり、だらしなく床に足を投げ出した格好で拘束されている二人のそばから離れると、ストームフラップ裏の隠しポケットからスマートフォンを取り出し、店内の状況を撮影する。
現場周辺の被害状況を何点か画像撮影すること。これは先ほどDAに連絡した際に下された指示だ。本当はヤクザを追い出してから撮影する予定だったが、そうなると脱出する上階の観光客や、救援に入って来る人達の出入りで騒がしくなるだろうから、静かな今のうちに用事を済ませておこうと思ったのだ。おそらくDA本部はこの画像を見て、この事件の隠蔽レベルを判断するのだろう。私は適当に、荒らされた棚や土産物が散乱している床、投げられた植木鉢によって割れたガラス窓などを写真に撮る。念のため、拘束された親子ヤクザと、離れた場所でのびている黒服ヤクザの顔も写真に収める。
店内の破損個所をあらかた撮り終えると、私は少し離れた床に落ちているナイフを取り上げる。
サル顔ヤクザが握りしめていた、ダブルエッジのナイフだ。
スポットライトを浴びせるかのように、私目がけて降りそそぐ電波塔の明かりにブレードをかざし、検刃する。
ビリーメースアイメルのダガーか。貧相な顔のヤクザのくせに、珍しい品を持っているな。分不相応にすぎる。
価値も知らずに、これまで雑に扱ってきたのだろう、エッジのメンテナンスは最悪だ。白く曇る刃線、散見されるチッピング。こんな状態では、切れ味は期待できない。高級品が泣くぞ。
とはいえ、この場でタッチアップをしてやる気はない。切れ味は悪い方が、これからやることには都合がいいのだ。鋭い刃物だと、一瞬で終わるから。
そのようなことを考えながら、私はサル顔ヤクザの前に立ち、鋭角に伸びている刃先を突きつける。
一本の輪ゴムで後ろ手に縛られ、両足を投げ出し壁にもたれかかる男。そのサルのような顔面が、迫るナイフの先を見て怯えている。
「右耳、左耳、鼻、右目、左目」
ニードルポイントを指示棒のように動かしながら、唱えるように言う。
「右耳、左耳、鼻、右目、左目」
同じ言葉を、繰り返す。順番をよく覚えてもらうように、繰り返す。
「……なに言ってやがる」
困惑の顔で尋ねるサル顔ヤクザ。私はその問いには答えず、男の身体を跨ぐ。スカートを軽くたくし上げ、男の腰の上に尻を降ろす。
足腰が立たなくなる景穴を突いているので、そう暴れることはないだろうが、それでも重しは必要だ。しゃがむような姿勢で腰を下ろしているので、太腿とかスカートの奥が見えてしまうのは恥ずかしいが、少しの間の辛抱だ。じきにこの男は、私の姿など気にもしなくなる、気にする余裕すらなくなる。
「私、筑詩スギナ。あなたの名前は?」
淡々と、問いかける。
「へっ! 何言ってやがる! お名前だぁ? ザケんなっ!」
腰を下ろした私の体重の軽さと、目の前で見る私の身体の小ささから、この男は私を見くびっている。問われた内容が、大したことがなかった安堵感から、この男は私を軽んじている。
想定の内だ。私は片手で男の右耳をつまみ、付け根部分の上に刃を当てる。
まて、なにしやがる! やめろ! 若猿ヤクザの叫び声。近くで叫ばれているので、とてもうるさい。
しゅっ、と私は刃を滑らせる。
つぷり、と赤い血の玉が刃の横に浮かぶ。
きこきこ、と私は小刻みに刃を前後に滑らせる。
きゅっきゅ、と刃が耳の付け根に埋もれていく。
ぞりぞり、ぞりぞり。
ぞりぞり、ぞりぞり。
切れ味が悪い刃物は、こういうとき不便だ。耳を切り落とすまで、時間がかかる。
もっとも、私はわざと時間をかけて、刃を動かしている。耳が切られる痛みが長引くよう、耳を取られる恐怖が骨身に染みるよう、耳を絶たれる音がよく頭骨に響くよう、ゆっくりと刃を押し、ゆっくりと刃を引いている。
なかなか切れない刃を何度も動かし、少しずつ耳を削ぐ。
切れ味が悪い刃物は、こういうとき便利だ。耳を切り落とすまで、時間がかかる。
男の耳元で、鋼の刃が食い込む音が響く。私の耳元で、男の甲高い悲鳴が響く。どちらも、楽しくない音だ。お互い、楽しくない音を無理に聞かされ続けている。
刃筋を気にせず、何回も往復させて切っているため、切断面は荒れている。ピンク色の断面の数カ所から、血が滲み出て小さな玉になっている。赤くきれいな玉は、やがて傷を覆うように集まり、一筋の赤い線となって首筋へと流れる。首元に彫られた汚らしい刺青の上を走る、きれいな血の赤。その細い線は、私がナイフを動かすたびに太くなり、室内の明かりを艶めかしく反射する。
男の身体が、激痛で跳ねる。暴れるその体を、私は尻で押さえつける。
飛び出そうなほどに大きく開いた目が、白目をむいている。顎が外れそうなほど大きく開いた口から、途切れ途切れの絶叫が迸る。
耳を切られる激痛、耳を切り取られる恐怖。それを与えているのは、私だ。
電波塔の美しい光が、醜い私を照らす。ナイフの刃が、流れる血が、奇麗な光を纏い美しく輝く。
電波塔は今、問いかけているのかもしれない。お前は何をしているのだと、糾弾しているのかもしれない。
人々の楽しみの場であるお土産売り場で、人を傷つける。かつて電波塔を襲ったテロリストたちと同じようなことを、今私はしている。糾弾して当然だ。
しかし私は、電波塔からの問いをあえて無視する。11年前、まだ家族も幸せもあった頃に見た、美しい姿の電波塔から浴びせられる光に目を背け、男の耳を切る。
今の私は、あの頃の私ではない。あの頃の私は、あの日の爆発とともに消えた。父親も母親も兄も未来も希望も絵本も幸せも名前も人権も、瓦礫の下に消えたのだ。
今の私は、リコリスだ。多くの人を殺したリコリスだ。だから私は、人の耳を切り落とすことに躊躇はない、罪悪感はない。そう自分に言い聞かせながら、ナイフを動かす。
ナイフの刃が、耳の付け根の真下近くまで到達した。あと刃を数往復させるだけで、耳は頭部から切り離される。私は刃の動きを止め、ナイフを頭から離す。耳を握る手に力を込め、勢いをつけて横に引っ張る。
男の悲鳴より大きな音を立てて、耳が引き千切られた。涙を流す男の眼前で、千切れた右耳を見せつけるように振る。
泣き叫び、泣き喚く若猿ヤクザ。私は彼が落ち着くまで、しばらく待つ。やがて静かになった男に、もう一度話しかける。
「左耳、鼻、右目、左目」
「ヒッ!」
「私、筑詩スギナ。あなたの名前は?」
「や、やめ……やめて」
まだこの尋問のルールがわかっていないようだ。私はナイフを反対の手に持ち替えると、男の左耳をつまみ、同じように付け根部分に上から刃を当てる。
まって、話す!話すからやめて!と慌てて騒ぐ若猿ヤクザ。何でも話すからもうやめてくれと泣きながら懇願するその顔を、私は冷たく見下ろす。
やっぱりこの男、裏社会の人間であるにもかかわらず、ルールを理解していない。この手の尋問は、即答以外はすべてアウトだということを知らない。抵抗もアウト、反抗もアウト、言いよどむこともアウト、聞き返すこともアウト、哀願も懇願もアウト。要するに、聞かれたこと以外を答えたらすべてペナルティ。そんなことも知らなかったのか、社会の常識だぞ、親はいったい、この子に何を教えてきたのか。
まあ知らなかったのならしょうがない。無知の代償として、頑張って痛みに耐えてほしい。痛い思いをしなければ学べないことは、この世に中には多々あるのだから。
私は前以上に時間をかけて、男のもう片耳を削ぐ。込み上げる良心の呵責を無視して、無心で耳を切る。
電波塔が四方から見ているからなのか、黒い頭たちが背後から見ているからなのか、なかなか上手に削ぎ落せない。切断面が荒れている、手際が悪い証拠だ。もしこれが人間ではなくお刺身なら、お客さんに出すことができないほどの失敗作だ。モブリコ寿司でこんな包丁さばきをしていたら、間違いなく風待先輩に怒られるところだ。
雑な断面を見せる耳、縫合には時間がかかるだろう。傷痕は残るだろう。恨むなら私を恨め。怒りは私だけに向けろ。
ようやく左耳を切り落としたとき、店内は静かだった。絶叫のし過ぎで、男の声が枯れたのだ。
室内のエアコンの音、室外の波の音、それよりもはるかに小さい、男のうめき声。精も根も奪い取られ、死人のように青ざめたサル顔ヤクザに、私は再度話しかける。
「鼻、右目、左目」
私の言葉に、男の両目が見開かれる。顔面が恐怖で震え、大量の脂汗が滴り落ちる。顔から首筋に流れた苦悶と恐怖の汗は、両耳の跡から太い一本筋となって流れる血と混ざり、派手な柄のシャツを赤い色で染め上げる。
「私、筑詩スギナ。あなたの名前は?」
「還城楽長楽! 還城楽長楽だ!」
やっと素直になってくれた。尋問技術を教えられていないリコリスが、ターゲットの耳を削いで、相手の抵抗を削ぐことに成功した。もしここにDA情報部の職員が同席していたら、私を褒めてくれたかもしれない。
いや、時間をかけ過ぎだと叱られる確率の方が高い。情報部の人間ならば、もっと手際よく、もっと効率的に、もっと陰湿に相手を追い詰めつつ、もっと短時間で心を折るだろう。捕縛した脱走リコリス程度なら、たった一本のマチ針でどのような内容をも聞き出すことができるというDA情報部職員。ヤクザ如き相手ならば、これほど手間をかけることはないだろう。
「私、筑詩スギナ。隣のお爺さんの名前は?」
「り……麟鳳! 還城楽麟鳳! オレのオヤジだっ!」
すでに知っている情報だが、あえて尋ねる。
「麟鳳って、どんな人?」
「還城楽グループ総組長! 名古屋で8つの
「さっき黒服が持っていた拳銃、あれは還城楽グループのもの?」
「そうだ! 護衛が手ぶらだと心もとないからって、オヤジが手持ちの一丁を霞ヶ関に持たせたんだ!」
「他に何丁持っているの?」
「拳銃だけなら、その銃を含めて、全部で30丁だ! 去年オヤジが一括で購入して、全部自分で保管しているんだ!」
組の重要な情報を、泣きながら話す若猿ヤクザ。本来ならば極秘な話なのだろうが、欠損の恐怖には勝てないらしい。なにしろ次は鼻なのだ、切り落とされたら縫合が大変な場所なのだ。
「お父さんが、全部持っているの?」
「ああ、銃を持ったままグループを抜ける
「どこから購入したの?」
「知らねえ……」
若猿ヤクザの鼻の下にナイフの刃を当て、軽く滑らせる。思ったより多くの血が滲み、男の上唇を濡らす。
「や、やめてくれぇ! オヤジが直接取り引きしたから、本当に知らねえんだ! ……そ、そうだ! オヤジだ! オヤジに聞いてくれ! 銃のこと知りたいんだろ? あいつなら、全部知っている! だからあいつに聞いてくれぇ!」
恐れのあまり、ついに親分に話を振ってしまった若猿ヤクザ。痛いのはもうイヤだから、今後の欠損は全て親分に任せますと言ったも同然のこのセリフに、隣で横たわる還城楽麟鳳総組長の身体が怒りに震える。目の前で組長を売った若猿ヤクザ、たとえ血縁とはいえ、もはや組には居られないだろう、良くて破門、軽くて制裁、運が悪ければそれ以上の目にあうだろう。
組長を即座に売るような小物だ。これ以上情報はないだろう。私は手に持った両耳を男の口に咥えさせると、ゆっくり立ちあがる。
「ま、待て。近づくな……来るな……」
私が話しかける前から、すでに怯えている老ヤクザ。まだ三半規管に揺れが残っているのだろう。酩酊したかのような動きで、私から離れようともがいている情けない姿。御大層な名前が泣くぞ還城楽麟鳳。
来るな寄るな触るなと騒ぐ総組長の腰の上にまたがった私は、血に濡れたダガーの刃を、老いた男の鼻の下に当てる。
「鼻、右目、左目」
「銃はすべて去年手に入れた! 真島だ! 真島から直接電話が来て、取引を持ちかけられたんだ! 密輸した武器を関東にだけバラ撒いたじゃバランスが悪い、名古屋の大親分さんにも格安で分けてやるよって言われたんだ!」
購入しなければ、あんたのシマにバラ撒く。組に恨みを持っている一般人が銃を手にしたら、一体どうなるんだろうな。と、そのような脅し文句も混ぜつつ、真島は取引を迫って来たと、早口で喋る大親分。まだ私が質問もしていないのにこの饒舌さ、さぞかし目の前の刃物が怖いのだろう。情けないヤツだ。
「格安って、いくらだったの?」
安いという言葉に、少し興味が出た私は、単なる好奇心で質問する。
「10丁入った拳銃1箱で、2億円だ! それを3箱買えばサブマシンガンが1丁おまけでついてくるし、機関銃が1丁1億円のお手頃価格で購入できる権利も貰えるという、期間限定のお買い得品だ!」
「いや高いよそれ!」
思わず素の声でツッコミをいれてしまった。
北米市場では200ドル程度で美品が買えるCz52。それを1丁2千万円で購入するなど、だまされているにもほどがある。
呆れる私の前で、組長は購入の経緯を長々と説明する。
購入は箱単位。1箱には拳銃10丁。3箱買えばサブマシンガンが1丁手に入るというおまけと、機関銃の購入権も貰えるという真島の言葉に、組長は3箱、合計30丁の拳銃の購入を決断する。
弾薬は別売りで3億円。拳銃1丁につき千発分ということなので、3万発程度だろう。こちらもかなり暴利だし、別売りというのもなんかイヤらしい。
そして機関銃も1丁買ったそうだ。1億円だそうだ。海外の在庫が届き次第、すぐに送ると言われたそうだ。
拳銃だけで6億円、弾丸だけで3億円。機関銃だけで1億円。合計すれば10億円。これだけの金額を、総組長は男らしく即座に支払ったという。一括払いだったという。
頭が痛い。
いくら今の日本が空前の好景気とはいえ、この金遣いの荒さはなんなのだ。いくら今の日本が安全で平和な国とはいえ、この銃器への無知さはなんなのだ。
こいつらは金の価値を知らない。こいつらは銃の価格をしらない。
とはいえ、あまり目の前の老人ヤクザを責めるのも酷なのかもしれない。何しろ相手は真島なのだ。唯一人で裏社会を扇動し、熱狂させた男なのだ。小金持ちの中規模暴力団の親分程度なら、舌先三寸会話三分で簡単に丸め込み、社会の均整を破壊する尖兵に仕立て上げることなど、彼にとっては造作もないタスクだったことだろう。
「で、機関銃は手に入ったの?」
「まだだ! しかし来年あたりには送ってくれると言っていた! 電話での口約束だが、男同士の約束だ! あいつは、あいつは信頼できる男だ! 貴様のような小娘にはわからんだろうが、男同士の約束というのは、この世で最も重いものなんじゃあ!」
ほら、洗脳されている。今も真島に、だまされ続けている。
真島はもうこの世にはいないはずだし、残党どもにはかつての力はないはずだ。それなのに単なる口約束を信じ、今も機関銃が来るのを待ちわびている大親分。彼が言う約束の重さとは、一体何グラム程度なのだろうか。
自分以上の大物に洗脳され、旧式火器と引き換えに大金を失った大親分。しかし、真島は荒稼ぎをしつつも、名古屋の秩序をかき乱す最低限の爪と牙を彼に与えたようだ。旧式の安物だが、拳銃が30丁にサブマシンガン1丁。これが現在、還城楽グループの持つ総火力、侮ることはできない。
彼ら還城楽グループが持つ武器については、DAでも把握していないはずだ。真島が直接関わった武器取引の情報は、彼直属の優秀なハッカーによって完璧に隠蔽されていたため、延空木占拠事件から半年たった今でも、DAは断片的にしか武器の流通先を掴めていないのだ。
得たい情報はこれで聞き終えた。真島の残した足跡の一部を得たDAも、これで満足するだろう。私は老ヤクザのそばを離れ、横たわる二人に立ちあがるように命令する。打ちひしがれている若猿ヤクザと老猿ヤクザは、私の言葉に唯々諾々と従う。
背後に回り、二人の腕を拘束している輪ゴムを刃先で切る。両腕が自由になった親子ヤクザに、ここから出て行けと短く伝える。
重心が定まらない感じで、よろよろと歩く二人。最後の仕上げとばかり、私は二人の尻を、思いっきり蹴り上げる。
突然背後から蹴られ、思わず前のめりになるヤクザたち。泳ぐように前に進みながら、倒れまいと足を踏ん張るが、二人は床に落ちていた別々の物に足を取られ、無様に横転してしまう。
若猿ヤクザの足を取ったのは、ナイフで破かれた一枚の油絵。かつて若猿ヤクザが暴れて破いた油絵だ。画家の想いを破られ、床に打ち捨てられた油絵は、ヤクザの足に絡みつき、顔から床に転倒させる。
老猿ヤクザの足を取ったのは、お人形の首。かつて若猿ヤクザに身体を砕かれたお人形は、老猿ヤクザの口に飛び込んで窒息させただけでは満足できなかったようだ。逃げる老ヤクザの足下に潜り込んだその首は、見事に彼の足首をくじき、背中から床に転倒させる。
必死になってこの場を離れようとしていたのに、壊された油絵と人形の復讐によって再び倒れ込んだ二人のヤクザ。だが諸咲の復讐は、これだけでは終わらない。
顔から倒れ込んだ若猿を待っていたのは、ヤクザによって砕かれた貝殻の破片。細かいが鋭利な断片たちは、倒れたヤクザの顔や手に、恨みを込めて突き刺さる。
背中から倒れ込んだ老猿を待っていたのは、ヤクザによって踏みつぶされた、紙と竹ひごでできた郷土玩具の鯛。破れた紙の間から覗く竹ひごは、倒れたヤクザの背を目がけ、仇とばかりに突き刺さる。
恥も外聞もない、情けない悲鳴をあげて床を転がる二人のヤクザ。その周りでは、土産たちや飾りたちが喝采の声をあげている。自らの手で恨みを晴らし、自らの手で仇をとった、歓呼の声だ。
「私、筑詩スギナ」
倒れた二人に、私は話しかける。
「ねえ、今の気持ちを教えて。悔しい? 恥ずかしい?」
床に這いつくばったまま、二人のヤクザが私を見上げる。恨みのこもった眼だ。復讐を誓う眼だ。
「私はこの近所に住んでいる。仲間と二人で暮らしている。もし悔しかったら、いつでも遊びに来ていいよ。お友達いっぱい連れてきてもいいよ」
若猿ヤクザの眼が、怒りに燃える。両耳を口に咥えたまま、血に染まった顔で私を凝視する。
老猿ヤクザも、怒りを露わにして私を見つめている。しかし彼の眼差しは、若猿とは異なっている。私の心の内を探るような、陰湿な眼だ。
しかし、怒りを持続させるだけの気力は、もはや尽きていたようだ。やがて肩を落とすと、裏口へとゆっくり歩いていく二人のヤクザ。その落ち込んだ背中と力の無い歩き方は、年の差にも関わらず、妙に似ていた。やはりこの二人、本当の親子なのだろう。
その後ろを、彼ら以上に弱々しい格好でついて行く黒服ヤクザ。親分と若頭が逃げていくのを見て、気絶しそうなほどの激痛を堪えながら、慌てて二人の後を追いかけるその姿には、かつて組長のボディーガードを自負していた威厳と威圧感は全く残っていない。折れた両肘と砕けた手首を揺らしながら、泥酔したかのような足取りで追いかけている。皮一枚残して粉砕された手首は、内出血により厚手の手袋をしたかのように膨らんでいる。あまりの腫れ具合に腕の重量バランスが崩れているため、まともに歩けないのだ。
とりあえず、これでいい。私は表情を変えないまま、内心で愁眉を開く。
彼らの面子を潰し、追い打ちで屈辱まで与えたのだ。これで彼らの恨みは、私一人に来るだろう。組の武力の矛先は、私一人に使われるだろう。
修羅場が終わったからだろうか、電波塔の灯火も薄くなっている。おそらく私の背後にいる黒い頭たちも、消えかけているだろう。
電波塔の幻に黒い頭。一体こいつらは何なのか、全くわからない。
ただ、今回こいつらは、私の侵入症状を追い払ってくれた。なぜそんなことをしてくれたのかは全くわからないが、おかげで助かった、おかげで人質状態になっていた売り場係員さんたちを救うことができた。
自分の心から出ている幻影なのに、全くわからない事ばかりだ。まあ、おいおい考えていけばいいか。
一仕事終えた安堵感から、そのようなことをぼんやりと考えていた私の耳に、上から響く足音が聞こえた。
上階から降りてくる観光客の方々の足音だ。一階が静かになったので、騒動が終わったと思ったのだろう。
ヤクザたちはまだ館内から出ていない。まだ早い!
「顔を出さないで! まだ危険です! 二階の皆さん、お願いですから、もう少し待機してください!」
私は上階に続く階段に顔を向けて叫ぶ。思わず出てしまった必死な大声、感情がこもった大声に、降りてくる人たちの足音が止まる。
慌てて上階へと戻る足音。それを聞いた私は、ほっと胸をなでおろす。
視線を感じた。
顔を向ける。視線の主は、親分ヤクザ。還城楽グループ総組長、還城楽麟鳳の、どす黒い眼。
折れた手首の痛みに耐え、じっと私を見ていた。苦痛の脂汗が浮かぶその老顔は、歪んでいた。笑みの形に、歪んでいた。
「そうか……わかったぞ」
その眼は、嘲笑っていた。
「なぜお前が何度も自分の名前を連呼し、ここまでワシらを愚弄したのか。やっとわかったぞ」
ヤクザは、狡猾だ。獲物の弱点は、決して見逃さない。どのような人間でも必ずある弱みを握り、そこだけを執拗に狙い、人生を破滅させる。
これまで多くの人間の弱みを探り当て、その幸せと資産、そして時には命をも奪い、総組長まで登りつめた、この男。
その奸智狡悪の目が、私を射る。
「さっきの慌てた声で分かったわ!何故かは知らんが、お前は、自分以外の人間が傷つくのを、必要以上に怖がっている。
暗く冷たい総組長の声。その声が、私の背筋を震えさせた。
なにか言い返さなくてはならない。否定して、取り繕わねばならない。しかし、声が出ない。
自分の顔が青ざめていくのが、鏡を見ているかのようにわかる。それと反対に、老猿ヤクザの顔に生の赤みがさす。ついに相手の弱みを握った、嗜虐の笑みだ。
「決めたぞ! ワシらの復讐相手は、このビルの連中全員だ! お前がいない時を狙って、毎日でも、毎晩でもここを襲ってやるわ! 店員だろうが客だろうが関係ない! 全員両耳を削いで、口に咥えさせてやる! いいか、これは全部お前のせいだ! 全部お前のせいなのだぞ!」