モブリコ辺境暦   作:杖雪

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5月の晴れた日に ③

 港では多数の大漁旗が風に踊っていた。

 

 下宿のある丘を下り、モブリコ寿司のある寿司屋を横切り、家々の並ぶ細い道を抜けると、広く開けた十与浜漁港にたどり着く。

 港内にその船体を休める数十隻の漁船。そのマストやポールの先端には、色とりどりの大漁旗が飾られている。

 

 この地方の漁港では、5月初めには大漁旗の総揚式が行われる。

 

 大型連休の観光用に、数十年前から始まった行事だが、今では夏の豊漁祈願も兼ねた催事として地元に根付いている。

 

 天を突くかのようにピンと伸びた船柱の上で、伊勢湾の海風を受けひらめく、数えきれないほどの旗の波。

 原色をふんだんに使った鮮やかな旗の色。そしてその旗に負けないくらい鮮やかな空の青色、海の青色。

 やがて訪れる夏を思わせる鮮烈な色彩の交差は、この地を訪れた観光客が必ず足を止め、我を忘れ魅入る力を秘めている。

 

 連休も過ぎ、観光客もまばらになったが、それでも海に生きる人々の誇りを纏う大漁旗の群れは、今日も大空にひらめいていた。

 

「今日も晴れてよかったですね先輩」

 

 この時期だけの絶景を見ながら、スギナが話しかける。

 午前の巡回コースは十与浜近辺。下宿から近いこのコースは、距離こそ長めだが、二人にとっては気軽な散歩のようなものだった。

 

「旗揚げのお祭りの期間中は、雨は降らないってジンクスがあってね。去年も最終日までずっと晴天が続いていたわ」

「去年もこんな感じだったんですか」

 

 港の岸壁を歩く二人。 

 

 華やかな漁港の風景を楽しんでいた風待の歩みが、スギナの言葉にふと止まる。

 

「先輩?」

 

 スギナが怪訝そうな顔で風待を見る。

 

 立ち止まった風待の顔は、空の上をたなびく旗の群れを向いていた。

 

 しかしその目は、風景の奥にある過去を見つめているようにスギナは感じた。

 

「そうね…去年も全く同じ。最終日も二人でこの港を歩いて、二人でこの景色を見ていたわ。…もう一年たつのね」

 

 自ら鍵をかけ、心の奥に隠した思い出ほど、何かの拍子で突然目の前に現れる。

 風待が己の過去を施錠した鍵は、スギナの何気ない一言と空を泳ぐ旗の下に落ちていたようだ。

 

「この光景だけは全然変わらないのね。去年はここで…」

 

「…去年は、別の後輩がいたんですよね。先輩の隣に」

 

 スギナが、風待から目線を逸らして言った。

 その声は、少し硬かった。

 

 立ち止まる二人の間に、濃い沈黙が流れる。

 

 この一か月の間、二人はお互いのことを数多く話し合った。

 しかし、スギナがあえて避けていた話題が一つだけあった。

 

 去年、この諸咲支部にサードリコリスが一人来たという。

 

 風待の後輩となったそのサードリコリスは、半年間だけ赴任し、去っていった。

 

 リコリスの異動は一年単位だ。半年間で消えたということは、何かあったのだろう。

 その「何か」が、あまりよくない事を意味しているのは、スギナにも容易に想像がついたため、今までこの件について風待に聞くことはなかった。

 

 しかし、聞かなかった理由は本当にそれだけなのだろうか。

 

 内心は、聞きたくなかったのかもしれない。

 

 風待先輩が、自分以外のサードと暮らしていたという昔話。

 その子は、私の風待先輩と話をしていた。生活をしていた。モブリコ寿司で料理をしていた。

 一緒に並んで巡回していた。一緒に任務に就いていた。一緒に食事をしていた。一緒に同じ布団で裸に…。

 

 訓練生時代は淡々と生きていたスギナが、諸咲支部に来て初めて芽生えた感情。

 

 独占欲。

 

 スギナ自身は、まだ自分のその感情に気が付いていない。

 ただ、その後輩の話を聞こうとするたび、自分の胸の奥で、突然の情動をもって暴れだそうとする、薄汚い何かが目覚める気配がしたことだけは覚えている。

 

 今も、自分の心の中でそれが蠢いている。

 

 心の目ではその姿形を見ることはできないが、色だけははっきりとわかる。黒だ。

 胸の奥のそいつを必死に押さえつけ、スギナは風待の顔を見た。

 

 風待は、海を見つめていた。

 長い黒髪が、海風に揺れている。

 

「スギナにね、ほんとよく似ていたわ」

 

 遠くを見つめていた目を下に落とし、やがて静かに語りだした。

 

「身長も体格も、軽く染めたショートの髪も同じ。顔もスギナと同じタヌ…ちょっと丸くて幼い感じで、あなたの姉妹って言われても納得しそうなくらいの可愛い子だったわ」

 

 去年と同じ風景の港。去年と同じ旗の列。その景色が風待を饒舌にしていた。

 

芭照瓦(はしょうが)セノカって名前でね、なんか沖縄っぽい名前なんだけど岩手県の生まれで、ここの夏は暑すぎて苦手だっていつも愚痴っていたわ」

「セノカさん…ですか」

 

 初めて聞くその名前。

 DAの教育課程では、普通の学校と同じように学年別にカリキュラムが設定されているため、上級生や下級生と接する機会はほとんどない。

 どのような人だったのだろうか。

 

「新人だったけど、とても優秀なサードで、当時セカンドになりたてだった私のサポートをよくしてくれたの。本部や名古屋支部もその実力を認めていてね、毎月の様に出張任務に出かけていたわ」

 

 増員が必要な大事件の際、DAは各地の大支部に人員派遣を依頼する。

 

 敵との戦闘が前提となる事件は、DA本部附の最精鋭リコリスたちや首都圏に暮らすファーストリコリスが対処するが、敵の数が多いとき、あるいは事件が広範囲なときなど、どうしても人手が必要となることは多い。

 

 このような場合、全国の大支部から臨時でリコリスの引き抜きが行われる。いわゆる出張任務である。

 

 もっとも、常に何らかの事件を抱えている大支部では、口にこそ出さないがこのような引き抜きは嫌がられている。

 

 大事件である以上、派遣するのはある程度の精鋭リコリスでなければならない。しかし派遣したリコリスがいつ帰ってくるのかはわからないし、戦闘で死亡して帰ってこない場合も多い。

 DA本部の命令である以上は従わなければならないが、自分たちの管轄である都市の治安を守るためには、急な欠員は避けたい。

 

 そこで大支部が考え出したのは、自分たちの直下の田舎支部に、出張任務用のリコリスをプールしておく方法である。

 

 諸咲支部のような、書類上だけは重要な田舎支部。そこに戦闘技能の高いリコリスを多めに配置し、DAからの派遣依頼があれば率先して送り出す。

 これなら大支部の持っている手札が減ることはない。

 それだけではなく、自分たちの管区で大事件が起こった場合には、自分の手札として引き抜くこともできる。

 

 消耗しても困らない地区の、消耗しても困らない人材。

 

 リコリスの配置に関しては、ある程度の理由があれば大支部の要望(わがまま)は通りやすい。

 本来ならば、諸咲支部のような地区は、低レベルのサードリコリスを一人配置する程度で充分なのだが、風待のようなセカンド、そして芭照瓦セノカのような優秀なサードが配置されていた裏には、このような大支部の思惑があったのだ。

 

「出張のたびに私は心配していたんだけど、セノカは喜んでいたわ。出張任務は昇進ポイントが高いから、私もすぐにセカンドになれる。セカンド同士のバディになって、ずっとこの地で暮らしていたい、ずっとモブリコ寿司を続けていきたいって。そして、来年もこの旗揚げの風景を見たいって。去年、この場所で…セノカは言っていた」

 

 この場所の事、あの日の事、忘れていたわけじゃないのに、なんで思い返さなかったんだろう、と風待は小さくつぶやいた。

 

「セノカが消えたのは夏の終わりごろ。いつもと同じように、本部から派遣命令が送られてきて、いつもと同じように出ていったわ。そのころ、モブリコ寿司に来たお客さんから、東京で大規模な武器密輸事件やテロがあったって聞いていてね、この件で動員されるんだなってのは推測できたけど、セノカは特に気にしていなかったわ。まあ命令だから、気にしてもどうしようもなかったし、無事に帰ってきてねって内箕駅までお見送りしたの」

「そして…帰ってこなかったんですね」

「うん。一週間過ぎても、一カ月過ぎてもセノカは帰ってこなかった。理由は不明、というか教えてくれるわけないわね。まあ死んだんだろうなって思い始めたのが秋の初め頃かな。それまでは、毎日ずっと待っていたわ。毎日、毎晩ね」

 

 スギナに視線を合わせず、あくまで軽い口調で話す風待だったが、待ち続ける日々がどれほど辛かったかは、スギナには容易に想像がつく。

 

「そして秋のある日、スマホの連絡網からセノカの名前が消えた。その翌日に本部から回収班が来て、セノカの装備や制服、あと私物まで一切合切奪っていった。それでおしまい。あの子がここで生きていた痕跡は、全部消えた」

 

 風待の声にわずかに怒気が混じる。

 

 リコリスが死亡した場合、遺品や記録は処分される。

 スギナもそれは知っていた。

 しかし、風待の声から察するに、その処分はよほど徹底していたのだろう。

 

 自分たちの生活の場にまで乗り込まれ、思い出のすべてを目の前で奪われる悲しみ。

 その時、風待はどのような表情で耐えていたのだろうか。

 

「今だから言えるけど、次の年の春に新人が配属されるって連絡があった時、最初は来てほしくないって思っていたの。心の奥底に沈めたセノカとの思い出が、新しい後輩ができることでまた浮かんでくるのが怖かった。きちんと覚えているはずのセノカとの思い出が、新しい後輩との日々で薄まっていくのが怖かった。新人の背後にセノカの影を見るくらいなら、たとえ寂しくても、ずっとここに独りで暮らして、酒浸りの日々を送っていたほうがましだって思っていたわ。お酒おいしいしね」

 

 スギナが赴任した日、風待と内箕駅で初めて出会った時のことを思い出す。

 

 駅を出た先の駐車場にたたずむ風待先輩。遠目に見えたその顔は、少し険があった。

 

 最初の挨拶を終えたころには、その陰のある雰囲気は消えていたので、スギナはあまり気にしていなかった。

 何かの見間違いだろう、その程度にしか思っていなかった。

 

 今にして思えば、風待先輩はすぐさま自分の心を上手に隠したのだろう。

 

「けどね、あの日スギナと初めて出会ってからは、その気持ちが変わってきたの。この新しい後輩と、もう一度この田舎で生きていけたらなって、そう思ったのよ。スギナと歩きながら話していると、楽しくなってきたというか、気力がわいてくる感じ。半年ぶりにテンション上がってきた感じがしたわ」

 

 そういえば、赴任初日、役所とかを案内している時の風待先輩は、ちょっとテンション高めだった。

 かわいらしいけど、ぶん殴りたい。そんな感じのアクションがちらほらあった。

 

「セノカとの思い出は大事にしていくけど、スギナとこれからたくさんの思い出を作っていきたい。それでいいんだ、ってね。だからね、これからもずっと一緒にいてね。二人静かに、この田舎支部で暮らしていこうね、スギナ」

 

 風待がスギナを見て、優しく微笑む。

 

 いつもと変わらない、慈しみに満ちたその笑顔。

 

 愛する仲間にしか見せないであろう、その特別な笑顔を向けられたにもかかわらず、スギナは風待から目をそらす。

 

 下を向いたスギナの口から、小さな声が漏れる

 

「私は…」

 

 

 セノカさんの代わりなんですか?

 

 

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