モブリコ辺境暦   作:杖雪

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5月の晴れた日に ④

「私は…」

 

 セノカさんの代わりなんですか?

 

 そう言いだしそうになるのを必死にこらえる。

 叫びだしたくなるのを必死にこらえる。

 

 おそらく風待先輩は、そんなこと考えてもいないだろう。

 

 代えのきく底辺サードとして育った自分の、卑屈になっている心が生み出した、ただの邪推だ。それはわかっている。

 それでも、スギナの心からは、次々と黒色の何かがあふれだす。

 

「私は…」

 

 押さえろ。隠せ。黒色のそれを外に出すな。

 そう自分に言い聞かせる。

 

 DAで暮らしていた時と同じように、自分の心を閉ざして負の感情をやり過ごせ。

 必死に自分に言い聞かせる。

 

 リコリス候補生として本部にいた当時は、他人が自分のことをどう思っていようが、特に気にはならなかった。

 孤立してイジメにあわなければよいという程度の考えで、薄い人付き合いを心掛け、仲間の誰にも心を開かなかった。

 

 それでよいと思っていた。

 

 サードリコリスは消耗品だ。数だけは多い消耗品だ。

 明日をも知れない存在なのだから、どうせ濃い人間関係など築けない。いや築かない方がいい。

 友情だの愛情だのは、ファーストやセカンドのバディにまかせよう。この世界の主人公は彼女たちだ、そうではない自分は、モブとしてただ淡々と生きていこう。そう思っていた。

 

 諸咲支部に来るまでは、そう思っていた。

 風待先輩に会うまでは、そう思っていた。

 

 この港町に来て一か月。

 スギナ自身も、自分の考え方や感じ方、人への接し方が劇的に変わるのを感じていた。

 

 自分を変えてくれた風待先輩。

 

 だからこそ、先輩の本心を聞きたい。

 だからこそ、先輩の本心を聞くのが怖い。

 

 この感情は何だろうか。

 目の前に立つこの人に対して湧き上がる、この感情は何だろうか。

 もはや亡き過去の人に対して湧き上がる、この感情は何だろうか。

 知らないうちに自分の心に芽生えていた謎の欲、初めて感じる自分の情動。

 渦巻いているその感情が、心の中で言葉になる。

 

 先輩は、私とセノカのどっちが好きですか。

 

「私と…」

 

 心の中の言葉がこぼれだしそうになるスギナ。その頬に、風待の手がそっと触れる。

 

「スギナ」

 

 うつむくスギナの顔に、風待の顔が近づく。

 こつん、と二人の額が当たる。

 

「私はスギナのことが好きよ。セノカとは別の、ひとりの女の子として、ね」

「先輩…」

 

 額を当てながら、囁くように話す風待。

 

「セノカもスギナもこの世にただ一人。どちらも代わりはいないわ。そして今、あなたと私はここにいる。この港に立って、一緒にお話しをして歩いている。この幸せな日々が、これからも続いてほしい。この幸せな日々を、スギナと過ごしたい。わたしはそう想っている」

 

 静かに囁くその言葉、しかし風待の強い意思のこもったその声は、スギナの心に強く打ち込まれる。

 

「自分が誰かの代わりなんて思ってはダメよ。本部の人事班から見れば、あなたはセノカの代理で送り込んだ人数合わせのサードでしかない。組織全体からみれば、あなたもセノカも消耗品のサードでしかない。けどここは、本部の目の届かない田舎支部。代理でも消耗品でもない、一人の人間として生きることができるわ。だから、あなたはセノカの代わりではなく、ただのサードリコリスでもない、あなたは天地に只一人のあなた、筑詩スギナとして私の隣にいてほしいの」

 

 風待の言葉に、何度もうなずくスギナ。頭を動かすたびに、触れ合った額が擦れる。

 今何か話すと、言葉の前に涙が出てきそうだった。

 

 何も言わなかったのに、風待が自分の心中を理解してくれたのは、スギナにとって驚きだった。

 モブリコ寿司存続のため、風待が必死で会得した聞き上手というスキル。

 その鍛えた技術で、スギナの口から洩れた一言ですべてを察したのだろうか。

 

 それだけではないんだろうな、とスギナは沸き立つ心の片隅で考える。

 

 聞き上手な人は、ただ単に言葉だけ聞いているわけではなく、相手の表情や態度、その場の空気まで、すべて見ているという。

 風待先輩は、いつも私のことを見てくれていた。

 だから、今の微妙な変化、セノカの話で、私の心が揺れたのを察してくれたのだろう。

 私の声だけでなく、表情や態度、空気まで、すべて見てくれたのだろう。

 

 それだけでわかった。

 私は、セノカの代わりとして見られてはいない。

 ひとりの人格として、私を見てくれている。

 だから、私の心に気が付いてくれた。

 

 嬉しいのか楽しいのか、よくわからない感情がスギナの全身を廻る。

 

 自分と先輩、ここで二人、生きていきたい、そう思った。

 

 百年前、この地で初めてモブリコ寿司を開いたリコリス。遠い昔この地で生きたその大先輩は、かつてこう言ったという。

 はるかなる西陬の地に起居するリコリスたちよ、自分の生を隠すな。私たちはここにいる、モブだけどここにいる。田舎暮らしのリコリスだが、私は確かにここにいる。かの如き気概をもち、己の意地と矜持を示す旌旗として、この暖簾を掲げよ、と。

 今ならその意気は理解できる。

 

 辺境の地だからこそ、できる生き方がある。

 この地なら、自分を隠さず生きていける。

 先輩と二人、気概を持って生きていける。

 

 消えた後輩の代わりではなく。

 代えのきくサードリコリスとしてではなく。

 この町で暮らし、この町を守っていく一人の人間として、生きていくことができるのだ。

 

 スギナには、それがうれしかった。

 

「先輩っ!私!」

 

 声を出したスギナが、あわてて風待から離れる。

 

 心が躍っている分、声が大きくなっている。

 額を合わせながらでは、この声は大きすぎる。

 だけど大声を出したい。だけど大声で話したい。

 

 十歩ほど走ると、振り返って叫ぶ。

 

「先輩!私も風待先輩のことが好きです!風待先輩とここでずっとこの町で暮らしていきたいです!この町を二人で守っていきたいです!」

「ちょっと!スギナ!声が大きい!」

 

 風待が慌てている。

 

 平日とはいえ、港には常に人がいる。漁港で働く関係者、漁具の手入れをしている船員、港道を歩く一般人。

 その人たちの目がスギナを見つめる。

 しかし、スギナには、その視線は気にならなかった。

 

「私!この町で生きていきたい!セノカさんより長く!セノカさんの分まで!先輩と一緒に生きていきたい!」

 

 両腕を伸ばし、青い空を掴むように広げる。両手の先に見える大空に、極彩色の大漁旗が一斉にはためく。

 

「来年も!二人でこの場所に立ちましょう!二人で一緒に、この空を見上げましょう!」

「…わかったわスギナ!約束よ!」

「はいっ!」

 

 風待のもとに走り、その胸に飛び込むスギナ。

 勢いよく抱きつくスギナを受け止めた風待は、その体を強く抱きしめる。

 

「先輩…」

「約束よ、スギナ。来年も二人ここに立つ。だから…セノカのように消えないでね」

「大丈夫です。私、出張任務なんてありませんから」

「え?」

 

 スギナの冷静な言葉に、つい抱きしめた腕をほどく風待。

 

「私、優秀なリコリスではないですから、大事な任務に選抜されることはないんです。だから、私これからも長生きできると思うんです、結構本気で」

 

 たぶんここでずっと巡回任務だけやっていればいいんで、来年でも再来年でも楽勝ですよ、と誇らしげな顔で付け加えるスギナ。

 

 しばらく無言だった風待が、スギナの処世術を批評しようと口を開ける。

 しかし、そこから出たのは、言葉ではなく笑い声だった。

 口を押えながら片方の肩を震わせ、少し引き気味の笑い声を漏らす風待。彼女がツボにはまった時の笑い声だ。

 人の目がある屋外では、さすがに大声で笑うことはしない。スギナの肩に頭を乗せ、必死で声を押し殺す。

 

「スギナッ…スギナ、ここは『死なないよう強くなる』とか『長く生き延びるため頑張る』とかいうのが普通でしょっ…それをっ…ふふっ」

 

 ひとしきり笑った風待が、スギナの肩から頭を離さずに話す。風待の長い黒髪が、数束ほどスギナの顔に被さっていて、くすぐったい。

 

「だって私、頑張っても結果だせるタイプじゃなかったんで、それなら安易な努力目標よりも現実的な約束をですね…」

 

 顔を赤くしてもごもごと弁明するスギナ。

 

 笑われたのは少し心外だが、言われてみればあまり前向きな発言ではなかったかもしれない。

 しかし、伝えたいことは伝えた。

 

 これでいい、とスギナは思った。

 一年は長い、一年後はどうなっているかわからない。

 けど、一年生きてみよう。

 明日の命さえ知れないリコリスだけど、頑張って生きて、来年も二人で青空と大漁旗が輝くこの港の風景を見よう。

 

 二人だけの小さな目標。小さな願い。

 

 どうか願いが叶いますように、とスギナは空を見上げながら祈った。

 

 

 

 漁港の岸壁の前ではしゃいでいた二人の少女。

 濃紺色と薄黄色の制服を身にまとった二人は、ひとしきりじゃれあった後、お互いの小指を絡ませ何かの約束をする。

 そして、笑いあいながら海沿いの田舎道を通り、消えていった。

 

 岸壁に残されたのは、高らかに翻る旗の影と、その下で働く人々の影。

 漁港で働く人たちの動きは普段と変わりなかったが、その顔には、いつもと違う優しく暖かな微笑みが宿っていた。

 

 

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