モブリコ辺境暦   作:杖雪

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5月の晴れた日に ⑨

 眩いばかりに空を覆っていた青色がその鮮烈さを弱め、柔らかな暖色へと変わっていく。

 西側はまだ昼陽の明かりに彩られているが、その反対側には既に夜の気配が押し寄せている。

 

 夕方の田舎道。長く伸びた影を引きずるように、スギナと風待が並んで歩く。

 

 夕方の巡回コースは支部の東側にある大亥港周辺。

 下宿からは少し離れているので、自転車で港近くまで行き、そこから大亥の近傍を徒歩で一周する。

 

 諸咲支部の巡回コースは全部で11のルートがある。

 どのルートも距離は片道3キロほど、往復しても一時間半程度で終わる短いコースだ。

 その他にも、月に一度、定期船で祇能島や遑迦島を回るルートがあるが、基本的にはこの11の巡回路の内2つを午前午後に分けて巡回している。

 

 巡回コースは、DA本部から毎朝送られてくるメールで指示される。

 DAがどのようにして日々のコースを決定しているのかは、スギナはともかく支部長である風待にも知らされていない。

 ただ、本部のすごい大きなコンピューターが、莫大なデータをもとに各地域の精密な犯罪予測とかをして決定しているんだろうな、とスギナは考えている。

 

 スギナは以前、風待にその考えを話したことがある。しかし、

 

「都市圏の大支部はそうかもしれないけど、ここは近くのルートばかりだし、巡回しなくてもいいって日も多いから、あまりそこまで考えてないんじゃない」

 と軽くあしらわれている。

 

 たしかに巡回コースには毎回決まって下宿近くの十与浜漁港ルートが入っているし、逆に一番遠い神之馬地区と億陀地区のルートはあまり行ったことがない。

 空港島支部に隣接する神之馬地区や、大学のある億陀地区は人も多い重要拠点のはずだ。少しくらい遠くても、毎日巡回してもおかしくはない。

 

「地方支部の巡回は、都市支部のような警戒巡回ではなくて地域の見回り、地域の皆さんへの存在アピール。その程度に考えていたほうがいいわよ。自分たちの生活範囲にリコリスがいる。それを理解させることができさえすれば、たとえ巡回数が少なくても大して問題はないの」

 と、風待は語っていた。

 

 この国の人々はDAの存在に気が付いている、とスギナの赴任初日に風待は説明してくれた。

 

 ほとんどの国民は漠然とだが、この国には何らかの監視組織があり、それによって社会の平和が維持されているのだということを理解している。

 しかし、その組織がどれくらいの規模で、どのような方法で犯罪を抑止しているのかまでは、正確に把握はしていないという。

 

 そこまで理解させなくていいのよ、と風待は言う。

 

 国内のどこに行こうと目につく、変わった制服の少女たち。

 どこに旅行しようと、どこに出張しようと、どこに移動しようと必ず見かける謎の少女たち。

 その少女たちが、自分の生活圏にもいる、自分の近所にもいる。

 

「あなたの近くに私たちがいる。年に一度でもそれをアピールできれば、それだけで大丈夫。市民の皆さんの生活風景の中に、違和感という栞を一枚挟むことができれば、それだけで無意識下での犯罪抑止力になる」

 

 だからどのような田舎支部でも、地域の巡回は必ず任務に入っているし、リコリスとして最も重要な任務の一つなのよ、と風待は教えてくれた。

 

「本部の方で完璧な犯罪予測が立てられているとはいえ、地道な巡回監視は大切よ。私たちが処理しなければいけない重大事件が突発的に起こることもあるし、現場の空気は本部ではわからないからね」

 

 巡回の最中、風待はスギナにいろいろと説明しながら歩くことが多い。

 

 任務時の心構え、巡回の際に気を付けること、以前この地であった事件。

 赴任してからまだ一カ月しかたっていないスギナに、セカンドリコリスとして、そして支部長として風待が教えることは多数ある。 

 

 下宿にいると、スギナも風待もついダラダラとしてしまうので、リコリスとしての教育は任務中、特に巡回中に行われている。

 もっとも、風待にとってはただ無言で巡回するのはつまらないという理由が多分にあるのだが、スギナにとっては貴重な話が多いので、ありがたく聞いている。

 

 今も風待は、ここが旧海軍の秘密基地があった場所よとか、ここが弘法大師の上陸作戦があった場所よとか、地域の情報なのだか観光案内なのだかわからない話をスギナにしながら、大亥の海岸沿いの道を歩いている。

 

「上陸作戦ですか?」

「そう、ここの対岸にある市色と番豆の町が壊滅した後、弘法大師が次に上陸する地点はここだろうって予測が立てられていてね。当時の武士の戦術は水際防御が基本だったから、海を歩いてくる弘法大師をここの海岸線で迎え撃つべく防衛線を構築していたのよ。今もこの先にある丘の上には、その時の土塁や虎口の跡があるわ」

「ふーん」

 

 一応うなずくスギナ。

 

 けどなんか怪しい。その証拠に風待の口元が笑っている。

 

 風待先輩はたまに、こういうしょうもない嘘をつく。

 そのほとんどはたわいもない嘘なのだが、たまにでてくる歴史系の話は、どれだけ真実が混ざっているのかわからないので始末に負えない。

 きちんと問いただせばあっさりと嘘だと言ってくれるのだが、そのままにしておくと投げっぱなしにして話を終えるので、微妙なもどかしさが残る。

 

 正しいツッコミができるよう、今度図書館で地元の歴史の本を借りよう、知識を増やそう、と風待の話を聞きながらスギナは心の奥で決意した。

 

「そして海軍の秘密基地っていうのはね、人を魚雷に…」

 

 風待の話はまだ続く。

 まあ話半分に聞いている分には面白いし、今日だけはつっこみは無しにしてあげよう。

 

 人の少ない田舎の坂道、夕暮れの赤色に染まる海を左手側に見ながら、大亥の坂道を上るスギナと風待。

 彼女たちのとりとめのない会話はしばらく続いていたが、丘の上から集団になって降りて来る人の群れが見えると、その会話は音楽プレーヤーの停止ボタンを押したかのように瞬時に途切れる。

 

 二人の会話を中断させた人の群れ。

 その集団は、スギナと同い年くらいの少年少女。下校途中の中学生たちだった。

 

 二人は無言のまま、中学生たちの脇を通り抜けるように道を歩く。

 

 沈黙した二人の声を穴埋めするかのように、騒がしいほどに元気な声で丘を下りる中学生の集団。そのほとんどは友人同士の会話に夢中でスギナたちには目もくれないが、中には会話を止め、好奇の視線を送る学生もいる。

 しかし、関心を持っている学生もスギナたちには近寄ろうとはしない。むしろそのような学生ほどスギナたちからは離れるようにして歩いている。

 

 公務員や行政関係者など、リコリスやDAのことをある程度知っている親から、それとなく教えられているのかもしれない。

 あるいは、スギナたちからわずかに漏れている殺伐とした雰囲気を感じ取っているのかもしれない。

 

 だが、触れてはいけない存在とわかっていても、若者特有の無邪気な好奇心は抑えきれないのだろう。スギナたちに視線を送っていた学生の何割かは、通り過ぎた後で二人の話題を喋りだす。

 学生たちにとっては、スギナたちに聞こえないよう、充分に距離を開けてから小声で話しているつもりなのだろうが、聴音訓練を積んだリコリスにはその会話は丸聞こえである。

 

 聞こえてくる話題の中心は、風待の容姿のこと。これはいつも同じで、特に男子中学生はその話題ばかりだ。

 

 今もスギナの耳に入ってくる会話のほとんどは、青い制服を着た黒髪の少女の美貌を褒めたたえる言葉で占められている。

 隣にいる、白い制服を着た少女を話題にする男子はいない。

 

 毎回の事なのでスギナは気にしていない。気にしていないつもりだが、たまに叫びながらその男子らを追いかけまわしたくなる。

 

 スギナの事をかわいいと言ってくれる女子中学生もたまにはいる。

 たまにはいるが、女子のかわいいはあまりあてにならないので、スギナの心は癒されない。

 

 風待を賛美する男子中学生たちの会話。

 その中には、性的な単語も多少はあるが、そのほとんどは他愛のない感情表現ばかりである。

 

 しかし今日は、輝いているという単語がなぜか多い。

 

 最初はただの比喩、あるいは文学的な表現かと思って聞いていたが、何かがおかしい。

 黒髪のところがキラキラしている。

 濃紺の制服が、ところどころ光っている。

 頬のところが、キラッとした。

 なぜか皆、そのようなことを背後で語っている。

 なぜそんなこと言うのだろう。スギナは風待を見た。

 

 中学生たちが言っていること、そしてその原因はすぐにわかった。

 

 うろこです。

 

 モブリコ寿司での調理の練習中、スギナが風待にぶちまけたタイのうろこ。

 肌や髪に貼りついたうろこは意外と取りにくく、任務が終わってシャワー浴びるまでは我慢しましょうと諦めていたタイのうろこ。

 張り付いたまま乾いた半透明のうろこが、夕日を反射して輝いて見えていたのだ。

 

 風待の顔をよく見ると、表情は強い精神力で消しているが、取り忘れたタイのうろこを頬に一枚つけながら、耳元を赤らめ、恥ずかしさに耐えている。

 

 風待にも、背後の男子中学生たちの会話は聞こえていたのだ。

 屈辱のうろこを浴びせた張本人であるスギナは、ごめんなさい、と心の中で一言謝り、風待の頬に付いたうろこをそっと取る。

 

 キラキラ輝いている二人は、少し早足になりながら、中学生たちの間を抜けて丘を登る。

 

 その間、二人は全く言葉を発しない。

 

 たとえ演技でも、何か会話をしながら歩いた方が目立たないのだが、無言で歩く二人は下校途中の中学生たちの群れになじめない、浮いた存在になっている。

 

 本来ならば、リコリスは学生集団の中でこそなじむ存在でなくてはならない。

 しかし、学生としてカモフラージュしているリコリスが、本物の学生の中に入ると強い違和感が滲み出てしまうのは、制服の違い以外にもいくつかの理由がある。

 

 隙のない動作や目線もそうだが、違和感の一番の理由は彼女たちリコリスの話し方、喋り方である。

 十代の学生たちに比べ、リコリスたちの話し方は、わずかであるが一昔前の小説の会話文を読み上げているかのような古さと硬さがあるのだ。

 

 そして、リコリスたちの話し声は、テレビのアナウンサーや声優のように聞き取りやすい。方言も一切なく、イントネーションも完璧な彼女たちの会話は、聴く人によっては舞台劇の練習中のようにも聞こえるであろう。

 

 大人には気が付きにくいが、同年代の学生たちには、このようなリコリスたちの話し方に、外国映画の吹き替え、あるいは演劇やアニメの中の会話のような異質さを感じるのだ。

 

 隔離された社会で育ったこと。

 同年代の少年少女が接する最新の娯楽や若者文化に触れていないこと。

 作戦任務の阻害にならないよう、明瞭な発声を指導されていたこと。

 

 これらの要因が重なって生まれた口調の違和感は、もはや矯正することは不可能である。

 そのため、リコリスは本物の学生たちの前では、常に沈黙を余儀なくされている。

 

 もっとも、リコリスたちが黙ってしまうのは、それ以外にも理由はあるのかもしれない。

 

 学生たちにはあって、リコリスにはないもの。

 

 未来に向けて勉強できる場所。

 将来の夢を語り合える友人。

 明日のために努力できる部活。

 

 学生たちにとっては持っていて当たり前のもの、当たり前の希望と未来。

 

 リコリスの心が、その輝かしさに委縮してしまった結果が、重い沈黙という形になって表れているのかもしれない。

 

 無言で歩いているうちに、学生たちの声以外の音も交じってくる。

 

 騒がしくて、乱雑で、無造作。それでいて心に響く音。

 

 それは楽器の音だった。

 

 丘の上に立つ中学校、その最上階にある音楽室で吹奏楽部が練習しているのだろう。

 午後の部活の時間帯ならば、どこの学校でも聞こえる、様々な楽器の様々な音。

 

 まだ入部して日の浅い学生もいるからなのだろうか、聞こえてくる楽器の音は、一つの曲ではなく雑多な音色が多い。

 

 管楽器のスケール、ロングトーンやタンギングなど音を出すための基礎練習。そして金管のリップスラーやフルートのソノリテ。息の使い方、口の使い方によって音色が変わる管楽器を使いこなすため、地道な練習を繰り返すことで艶のある音の出し方を学んでいる。

 

 低音域から高音域まで、様々な楽器の出す音に交じり、グレード1の練習曲も聞こえてくるが、同パートの繰り返しで、演奏というよりはリズム奏に近い。

 

 まとめて聞こえてくるこれらの音は、簡潔に言ってしまえばただの雑音なのだが、夕暮れの空に響くこれらの音調は、スギナにとっては何故かいつまでも聞いていたいような、どこか心の奥底がざわめき立つような感覚がする音色だった。

 

 なぜ自分はこの音に感情を揺さぶられるのだろうか、とスギナは考える。

 

 しかし、実は答えはわかっていた。

 

 それは、訓練生時代から常に心の片隅によぎる、自分にもあるはずだった普通の未来。

 

 普通の学生として登校し、授業が終われば、部活に参加して、家族が待つ家に帰る。

 リコリスになっていなければおくれたであろう普通の暮らし、普通の人生。

 

 DAに拾われていなければ、自分もそういう生活ができたはずという思い。

 胸の奥に閉じ込めたはずのこの思いが、なぜか吹奏楽部の音で騒ぎ出したのだ。

 

 スギナは音楽が好きだった。楽器が好きだった。

 

 孤児になる前、幼少時のスギナは、楽器の玩具で一人で遊ぶのが好きだった。

 

 グランドピアノを模した玩具、木製打楽器の玩具。もはや朧げとなった過去の記憶の中でも、それら音の出るおもちゃを使って楽しんでいた思い出は、鮮明な輪郭となって心に残っている。

 

 本部教養課程での音楽授業は合唱中心、たまに触れる唯一の楽器は古びたリコーダーだけだったのが、とても不満だった。

 

 DAの中ではなく、外の中学校で授業を受けることができたのなら、自分はためらわず吹奏楽部に入部していただろう。

 そして皆で楽しく…

 

「スギナ」

 

 風待の声で、我に返るスギナ。

 

 どうやら、意識を音に向けすぎていたようだ。

 顔を中学校の校舎に向けたまま、立ち止まっていたようだ。

 

 田舎の巡回とはいえ、任務中だ。リコリスにあるまじき失態である。

 とっさに謝ろうとしたスギナの右手に、何かが重なった。

 

 それは、風待の手だった。

 

 風待の長い指、柔らかな掌が、スギナのまだ幼さの残る右手を優しく包む。

 

「この丘を越えれば、今日の巡回は終わり。一緒に帰りましょう、スギナ」

 

 風待の小さな声。しかしその静かな声は、学校から聞こえる楽器の音すべてを消し去る力を秘めていた。

 

 スギナは、触れあった風待の手をそっと握る。

 

 自分の心が暗がりに包まれかけていたのを、風待先輩は気が付いたのだろう。

 

 リコリスが持ってはならない、過去への郷愁と普通の人生へのあこがれ。

 DAが禁止しているその想いの迷路。そこに迷い込んでしまったスギナに、風待は何も叱らず、ただ手を差し伸べて救ってくれた。

 

 スギナには、その優しさが、温かさがうれしかった。 

 

 一緒に帰ろう、と風待先輩は言ってくれた。

 

 自分は一人ではない。

 

 一緒に帰る相手がいる。

 一緒に帰る場所がある。

 

 他には何もない身の上だけど、今はそれだけでいい。 

 

 手をしっかりとつなぎ、仲睦まじく歩く二人の姿に、帰路を歩く学生たちの好奇の目が注がれる。

 しかし、スギナには、彼ら彼女らの視線はもはや気にならなかった。

 

 世間がどのように自分を見ようと、組織がどのように自分を管理しようと、もう関係ない。

 

 自分には、風待先輩がいる。

 それだけで充分だ、それだけで満足だ。

 

 スギナはそう思った。

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