駅からコミュニティバスに乗り、海岸線の道をゆっくり走るバスに十数分程度ゆられると、二人は小さな漁港前のバス停で降りる。
本部での最近の出来事や今朝乗り換えた駅の風景、電車の中で食べたお弁当の話など、他愛のない会話をしながら、二人は静かな港町の中を歩く。
とりとめのない会話だが、スギナの口からは開けっ放しの蛇口のように、あとからあとから言葉が出てくる。
出会ってすぐなのにも関わらず、これだけよく話す自分に、スギナ自身が驚いていた。
初対面のため、何を話しても新鮮だということもあるのだが、それ以上にこのセカンドリコリス-風待先輩は、恐ろしいほどの聞き上手なのだ。
生まれついての特技なのか、それとも何かしらの接待業で鍛え上げたのだろうか。
特に具体的な接待業名が思い浮かぶ年齢でもないスギナであったが、ほんの少しだけ目の前の先輩が謎に思えた。
もっとも、その理由は後でわかるのだが。
「それじゃあ、スギナ。来たばかりで悪いけど、今日中にごあいさつは済ませておきましょうね。私もついて行ってあげるから」
「ごあいさつ?」
スギナが首をかしげる。自分たちの上位支部である名古屋支部や隣接する他支部への着任挨拶は不要と、出発前に聞かされていたのだが…。
「そ、ごあいさつ。まずは町役場に行って町長さんに。次に自治会長さん、漁協の組合長さん。あと交番勤務の皆さんと…」
「ちょっと待って! いや待ってください!」
スギナの足が止まる。
「先輩!私たちはリコリスなんですよ!私たちの組織!秘密っ!機密がっ!」
「スギナくんはわかってないなぁ」
ほんのり薄ら笑いを浮かべ、人差し指をチッチッチッと振る風待先輩。
きれいな顔に浮かぶ、少しおどけた表情。かわいらしいけどぶん殴りたい。
「本部や大都市圏の支部とは違って、田舎には田舎のやり方があるの。確かにスギナの言う通り、DAは誰も知らない、そして知られてはいけない秘密の組織。けどそれは表向きの話だってこと、実は気が付いているでしょ?」
「表向き?」
「そう、表向き。みんなホントはわかってる。うっすらわかっているけれど、知って知らないふりしてる。見えても見えないふりしてる」
歌うように話しながら、スギナの前で両手を広げくるっと一回転する先輩。
伸びやかな肢体が優雅に回り、長く伸びた黒髪がその回転に半歩遅れて追随する様は、洗練された舞踊を見ているような華麗さがあったが、それでもぶん殴りたい。
「スギナも感じていたでしょ、訓練とかで街に出た時の皆の視線。腫れ物に触るというか、近寄ってほしくないというか、距離感置かれている感じ」
…確かにそういう感じはあった。
「国民の皆さんだってバカじゃあない。どれだけ隠したって物騒な空気くらい読めるわ。殺気だった目線で街中歩いている怪しげな女の子って、思っている以上に目立つのよね。ちょっと注意して見れば、そういう娘たちは同じ制服着ていて、どの街だろうがどの時刻だろうが目につく。普通の知識や人生経験持った人なら、ここでふと気が付くのでしょうね、この国が諸外国に比べて非常に治安がいい理由を」
「…全部、バレているってことですか?」
「大多数の人はそこまでわかっていないでしょうね。けど、漠然と理解はしているはず。けど、きちんと理解はしたくないんでしょうね。人道とか人権とかを無視している組織が、この国に存在していること。そしてその組織のおかげで、平和な世の中を甘受できているってことをね。だから、無意識のうちに理解を拒んでいるのよ」
さっきのおどけたような顔とはうって変わって、真面目な表情で話す風待。
「今朝まで本部にいたスギナなら知っているでしょう。この前の延空木の件。リコリスたちの銃撃戦をあそこまで中継されながら、この国の人は誰も信じなかった。最後にちょこっと広告映像だよって説明しただけで、この国の人は皆だまされた。いや、だまされたというより、だまされる理由に自分から飛びついただけなのよ」
スギナの握りしめていた拳が、ゆっくりと開く。構えていた腕が、うなだれるように下がる。
「あの時は、どんな苦し紛れな言い訳でもよかったのよ。誰かが嘘だって言ってくれれば、世間は私たちの存在について触れなくて済むからね。実際、まだ何カ月もたっていないのに、もうだれもあの事件について口にしていない。DAがメディアやネットをちゃんと情報統制しているってのもあるけど、それでも路上で私たちの制服に好奇の目を向けてくる人はいない。例のアトラクションの制服ですかって聞いてくる人もいない」
「しかし、だからといってこちらから存在をばらすような行動は…」
スギナが風待の言葉に口をはさむ。
一般市民がDAを見て見ぬふりをしているのは、ある程度は事実なのかもしれない。しかし、それをよいことにDAの方から近づくのは危険がありすぎる。見えないふりをし続けてくれるにも限度があるはずだ。
「大丈夫。こちらからは一切情報は与えない。今から行くのは本当にあいさつだけ。ただの女子学生として相手先に乗り込んで、相手に顔見せて名前と非常時の連絡方法だけを口頭で伝えて、これからよろしくお願いしますって言うだけ。私たちがどういう存在か、一言も口には出さない。出さないけれども、漠然と理解している大人ならそれだけで充分。後は良き協力者になってくれるし、私たちの行動も黙認してくれるわ」
他の田舎支部でも裏でやっていることよ、と風待は言う。
そのメリットは理解できるのだが、そのようなことをして大丈夫なのだろうか。着任早々規定外の話を聞いたスギナの心に、不安が宿る。
その心中を見透かしたように、風待が優しく微笑みかける。
「戦前から代々受け継がれた、田舎支部ならではの裏技よ。田舎支部は土地の広さに比べ、配置されているリコリスはたいていが少人数。この諸咲支部だって、私とあなたの二人だけ。どれだけ頑張ったって、この広い地域すべてをカバーすることはできないわ。だからこそ地域の皆さんの協力が必要になってくるの。私たちの存在が、今の平和な社会を維持していくために必要だと理解さえしてくれていれば、あとは地域住民の目全てが監視カメラとなり、口伝えで送られてくる報告が情報網を構築する。一度地域に溶け込んでしまえば、これほど頼もしい存在もないわよ」
「そうかもしれませんが、顔と名前をあえて教えるってのは、少し怖くないですか?」
「私も2年前にここに来た時、当時の先輩から無理やりあいさつ回りさせられたんだけど、たしかに最初は不安だったわ。けど、こんな目立つ制服をきて人の少ない田舎を毎日歩いていたら、遅かれ早かれ地元の人たちに顔を覚えられてしまうしね。それより最初に堂々と相手の前に出て、自分はこういう名前の不審者ですって説明したほうが、意外と上手くいくものよ。実際に少人数の支部は、大なり小なり地域の皆さんと交友関係にある。田舎だけじゃなくて、東京の下町で暮らしているリコリスの中にも、地元住民とすごく仲良くなっている二人組がいるらしいわよ」
最後の二人組の話は、お客さんから聞いた単なるうわさだけどね。と風待が笑いながら付け加える。
その可愛らしい笑顔を横目で見ながら、スギナは考える。
あえて自分たちの存在を隠さないことで、地域住民と暗黙の協力関係を得るという方法。
風待先輩の言うそのやり方が本当に正解なのかは、今のスギナにはわからない。
本来ならば、本部に報告しなければならない重大な規則違反である。
確かに一理はあるが、DAの一員として、そのやり方は否定すべきではないのか。
しかし、なぜかスギナは、そのような気持ちにはならなかった。
少人数でこの地域を守る方法として、仕方ないやり方だと思ったからかもしれない。
風待先輩の話し声とその表情の奥に、この町を守るためという真摯な想いが見えたからかもしれない。
今まで連綿と受け継がれてきたのならば、無難な手法なのだろうと考えたからかもしれない。
他の田舎支部も陰でやっていることならば、もしバレたとしても、そう問題にはならないだろうという打算もあったのかもしれない。
いや、それ以上に、この少し変わったやり方を、本部の目を盗んで行うということに、悪戯めいた楽しさを感じたからだろう。
田舎支部ならではの裏技、本部に内緒の隠し事。
目の前にいるこの先輩と、それを共有できるということ。
そう考えるだけで、心が沸き立つような感触さえ芽生えてくる。
「わかりました。着任のごあいさつ、連れて行ってください」
風待の目を見て、しっかりと答えるスギナ。
その返事を聞いた風待が、笑顔でうなずく。
「じゃあ行きましょうか。がんばってねスギナ」
これから会う人達の名前や役職などを歩きながら聞いているうちに、二人は古びた住宅街を抜け海岸にたどり着く。潮の香りのする海岸沿いの道の先に、漁港の大きな建物が見える。
「丘の上の建物が町役場、港に見える二階建てが漁業組合。その奥にあるのが定期船の事務所…行くところは多いけど、夕方までに行けるところは全部歩いて回りましょう。下宿の自転車使えば早いけど、土地鑑は徒歩でないとつかめないからね」
「はいっ」
「それから、あいさつに行くときは、トップだけでなく、中で見た職員の顔は全員覚えなさい。名札が見えたら名前も覚えること。私たちのことを知っている人たちの数と、その人たちの氏名と特徴は必ず記憶しておくこと。できるわよね」
風待の問いにスギナがうなずく。
人相や外見特徴の瞬時把握と記憶固定は、追跡や暗殺技術の一環として、幼年時から教育課程で何度も繰り返して学習してきた。
ファーストリコリスやセカンドリコリスならば、ここ一か月程度に見た人間なら、顔や動作、話し方に至るまで全て思い出すことができるし、必要だと感じた場合は長期記憶として脳内に保存することもできるという。
スギナは最下級のサードリコリスだが、教育課程で公安式の人相記憶術を学習し身に着けている。これから会う人間数百人程度なら、気を引き締めていけば、なんとか覚えることはできるだろう。
「それじゃあ、夕方まで頑張りましょうね、スギナ。終わったら一緒にお寿司食べましょうね」