しまった!声に出ていた!
余計な回想を挟んだせいで、気が緩んでいた。
周囲の皆が、私を見て凍り付いている。
どれだけ大きな声を出してしまったのだろうか。
あまり大きな声ではなかったと思うが、声が響きやすい静かなロビーだったのが不運だったようだ。分校リコリスたちだけではなくDA職員たちまで驚いている。
リコリスの声は、アナウンサーや声優のように聞き取りやすい。
たとえ独り言でも、その活舌のはっきりした声は、たとえ聞き耳を立てていなくても、遠くまで伝わってしまうことがある。
作戦中でも戦闘中でも、明瞭に意思疎通できるように訓練された発声。
それが災いし、スギナは今、ロビー全員の視線を浴びていた。
もうだめだ。
もう弁解もできない。
緊張するとすぐ頭の中が真っ白になるのは、スギナの昔からの欠点だった。
何も考えられなくなると、決まって的外れなことをしてしまう。
基本的に恥ずかしがり屋なのだろう。大勢の人の前に立つと、それだけで緊張してしまう自分の性格に、スギナは自分自身でも嫌悪感を抱いていた。
今回も、激しい羞恥とともに、そんな自分に対する怒りが湧いてくる。
知らず知らずのうちに、スギナの顔が怒りに歪み、思わず舌打ちまでしてしまう。
そんなスギナの表情を見て、リコリスや職員たちが慌てて視線を外す。
どうやら、また何か勘違いされたようだ。
しかしそのことに気が付かないスギナは、ふと我に返ると誰も自分を見ていないことに気が付き、安堵の吐息を漏らす。
まだ胸の内に恥辱の大波が荒れ狂ってはいるが、とりあえず状況はよくなったようだ。
何故かはわからないが、皆が視線を外してくれている。
どうやら、私に関心が無くなったんだろうな。
事態が無事に終息したと思い込んでいるスギナは、静かに風待の帰りを待つ。
DAの女性職員も、気を取り直し再び岡碕リコリスに説明をし直す。
説明の内容は、また振出しに戻っている。
もう何度目だろうか、横で聞いているスギナの方が、任務内容を覚えてしまったくらいだ。
このサードリコリスの任務は、市内オフィス街の夜間巡回と、そこの近くにある有料駐車場で待機している敵組織の構成員たちの見張り。
新近城埠頭で取引を終えた組織構成員たちは、仲間が待つその有料駐車場で車を乗り換える予定らしい。
有料駐車場で夜から待機する車は、ライトバン3台と軽トラック3台。待機する人数は運転役が6人。全員組織の末端の小物と思われる。
説明役のDA職員が見せているタブレットに、その6人の顔写真が映しだされている。その下には、彼らの年齢や経歴、特徴などが細かい字で記載されている。
どのような方法でここまで調べ上げたのだろうかとスギナが感心するほどの、DAの情報収集力。諜報機関としても日本最大であるこの組織の手にかかれば、敵の個人情報や作戦行動予定など、簡単に暴いてしまうのだろう。
DAがサーチした敵の行動予定によると、埠頭で受け取った重火器を載せた大型トレーラーは、深夜1時半にこの駐車場に到着後、待機していた車に荷を積み替える。
軽トラックは密輸した銃火器の搬送用、ライトバンは取引に立ち会った組織構成員とその護衛たちが乗り込む。
駐車場を出た6台の車両は県外でまた車を乗り換えた後、再び名古屋に戻り、市内の隠れ家に向かう予定だ。
最初に使った大型トレーラーは駐車場に乗り捨てるだろう。その際、捜査遅延と攪乱のため、座席とドアの間に安全ピンを外した対人手榴弾を安全レバーごと挟み込んで立ち去るのが最近の流儀なので、車内の調査には注意が必要だ。
もっとも、今回はそのような簡易トラップに注意する必要はない。
駐車場にトレーラーが着くことなど、永遠にないからだ。
深夜1時の取引開始直後、受取側も密輸側も、名古屋支部の精鋭リコリスによって、埠頭内で全員射殺されるからだ。
そして今回の作戦の目的は、受取側の組織の完全殲滅。駐車場で待機していた下っ端構成員たちも、その例外ではない。
作戦開始時間の深夜1時、埠頭での銃殺処理が始まるのと同じ時刻に、この有料駐車場内で仲間が来るのをぼんやり待っている運転役たちも、名古屋支部のリコリスによって暗殺される。
今もスギナの眼の前で説明が続く岡碕リコリスの任務は、作戦開始直前に名古屋支部リコリスが到着するまでの間、定期的に有料駐車場前を歩き、車の台数や運転役の人数を逐次確認し報告することだった。
射殺自体は名古屋支部リコリス ―おそらく射撃戦闘や殺人経験のある本部育ちなのだろう― がしてくれるので、任務的には難しくないはずだ。
しかし、分校育ちの岡碕リコリスにとっては、敵の近くを素知らぬ顔で通り過ぎ、状況を偵察するような任務など、一度もしたことはないのだろう。
任務内容が頭に入ってこないほどに緊張するのも、仕方ないことなのかもしれない。
昨日までのスギナと同じ、田舎町をぼんやり巡回することだけが、彼女のいつもの任務だったはずだ。
そのような日々を過ごす彼女に突然届いた、出張任務の命令。
それを聞いた時の、彼女の感情はどのようなものだったのだろうか。
おそらくは、スギナと同じく、初めての重大任務に浮かれあがったはずだ。
それは単なるスギナの推測だが、根拠はある。
彼女の履いている靴、自分と同じ型のローファーシューズが、自分と同じように丁寧に磨かれているからだ。
初めての任務に興奮し、身だしなみをしっかりしようと、朝から靴を磨いていたのだろう。
初めての任務に遅刻しないよう、集合時間のかなり前に名古屋支部本館に着いたのだろう。
そして、長い待ち時間に耐えきれず、ついうたた寝をしてしまった。
そして今、ほとんど怒られているかのような口調で、皆の前に立たされ繰り返し説明を受けている。
最初は風待と一緒になって、分校リコリスに辛口の批評をしていたスギナだったが、今はそのようなこと考える気分にすらなれない。
自分と同じように浮かれ、自分と同じように靴を磨いていた彼女。
本部卒だろうが分校卒だろうが関係ない、同じ新人リコリスとしての親近感を、スギナは彼女に抱いていた。
目の前に分校リコリスに向けたその想いは、スギナにとっては初めての感情だった。
いままでずっと本部にいたスギナは、分校の事をよく知らない。
知らないが、あまり良い印象を持っていなかった。
分校落ち、という言葉がある。
DA本部での教育期間中、出来が悪い訓練生に対してよく投げかけられた、脅しの言葉だ。
訓練についていけないような落ちこぼれは、分校に飛ばしてやる!
6カ国語を話せない生徒は、分校に落とすぞ!
今日の模擬演習で最下位の奴は宿舎に帰るな!歩いて分校まで行け!
繰り返し、繰り返し、いつも、いつも、毎日、毎日、毎回、毎回。
特にスギナのように成績の悪い訓練生には、まさにあいさつ代わりのように吐かれていた、分校落ちという言葉。
孤児として引き取られ、DAの施設が家の代わりだった訓練生にとっては、そこから追い出すという言葉は、何よりも恐ろしかった。
本部内の施設しか世界を知らないから、そこから追い出されるのが怖い。
身寄りのない孤児だから、DAの外に捨てられるのが怖い。
そんなリコリスたちの心情を逆手に取ったのが、分校落ちという脅し文句だった。
年に数名程度だが、実際に分校行きを言い渡されたリコリスもいる。
分校に行った本部のリコリス候補生が、その後どうなるのかについては、DAの教官たちは何も言わない。
しかし、どこからか漏れ聞いた情報として、候補生たちの間では噂が広がっていた。
それは深夜の枕元でそっと伝えられてきた、眠れぬ夜に相応しい、暗くて怖いうわさ話。
分校では、本部から来たリコリス候補生を、受け入れていないらしい。
門前払いという意味ではなく、施設内には入れるが、その後何もしてくれないらしい。
食事も、寝床も与えてくれないらしい。
会話も、あいさつもしてくれないらしい。
分校の仲間たちで結束しあっていた絆、本部生に対する劣等感、そのような感情が、余所者を排除しようとするらしい。
分校の皆と仲良くなろうとどんなにがんばっても無駄らしい、初日で心が折れるらしい。
心が折れた本部生は、たいてい初日の真夜中に、トイレで首を吊るらしい。
だから賢いリコリス候補生は、分校への異動命令が出たら、異動途中にどこかの駅でホームから身を投げるらしい。
らしい、らしい、そうらしい。
らしい、らしい、そうらしい。
根拠は不明の、単なるウワサ。
出所は不明の、単なるウワサ。
しかし、外の世界を知ることができない本部生にとって、不安感を与えるには充分なリアリティをもつその噂は、おそらく真実なのだろうと全員が信じていた。
今にして思えば、DAも、本部生たちが必死に努力するよう、あえてその噂を修正しなかった節がある。
そして、その噂を利用し、落ちこぼれが出ないよう脅していた。
それでも出てしまった落ちこぼれには、見せしめとして実際に分校へ異動させた。
落ちこぼれとはいえ、高額な税金を投入して育成している本部リコリス候補生を、分校に捨てるのは惜しいが、どうせ半数以上の候補生は、一人前のリコリスになる前に自殺か訓練中の事故で亡くなるのだ。年に数名の落ちこぼれを切り捨てることで、他の候補生を恐怖で発奮させることができれば損はない。
まあそんな思惑だったんだろうな、とスギナは当時のことを思い出す。
以前、スギナの仲間が、候補生全員の目の前で、分校行きを告げられたことがあった。
人付き合いの薄かったスギナだったが、同じ底辺同士なぜか気の合ったその仲間。
成績は悪かったが、陽気で、いつもスギナたち底辺グループを明るくさせてくれたそのリコリス候補生の顔は、分校行きの一言で蒼白になっていた。
本部を立ち去るとき、スギナは別れを告げようと正門前で話しかけたが、その候補生はスギナの言葉に何も反応しなかった。
すべてを失ったかのような無表情な顔と、焦点が定まらないほどに暗く沈んだ眼は、どのようなときも常に笑顔だった面影はすでになく、もはや彼女の心が死んでいるということは、当時人の感情に疎かったスギナにも一目でわかった。
あの子は、無事に分校の仲間に入ることができただろうか。
それとも、噂通り夜のトイレで孤独な最期を迎えたのだろうか。
あるいは、分校で絶望する前に、躊躇なく駅のホームに身を投げたのだろうか。
スギナは電灯が輝く本館ロビーの、高く広い天井を見上げる。
ダメだな、考えが暗い方にばかり向いてしまう。
眼の前で説明を聞いている分校卒リコリスの事を考えているのに、どうしても昔の思い出が割り込んでくる。
分校という言葉が、かつて脅し文句として乱用されすぎていたため、どうしてもその方向に思考が流れてしまう。
嫌な記憶を思い起こしても気が滅入るだけだ。スギナは軽く頭を振ると、ロビーにいるリコリスたちに視線を向ける。
作戦説明の時間になり、一度は緊張していた彼女たちだったが、まだ自分の順番は来ないと踏んだのか、気持ちはまた緩みはじめているようだ。
ぼんやりとソファーにもたれかかりくつろいだり、同じ支部同士で無駄話を始めたりしている。
今日初めて見る、分校のリコリス。
普通の女子学生のような、弛んだ雰囲気を纏う彼女たちを見ていると、DA本部内で聞いた話は、ただの憶測でしかなかったという事がよくわかる。
ウワサのネタ元となる事例はあったのかもしれないが、スギナたち候補生が怯えるほどの排除やイジメはなかったのかもしれない。
彼女たちは今回の作戦、そしてこれからも協力することがあるかもしれない、同じ中部地区の仲間たち。
本部卒だろうと、分校卒だろうと関係ない、みんな同じリコリスだ、同じサードリコリスだ。
スギナは誓った。
変な分校リコリスについての噂たちは、頭の中からみんな追い出してしまおう。そしてそんな噂は二度と思い出さないよう、二度と心の表に出てこないように、念入りに、潰していこう。
「変な分校リコリス……たちは……みんな追い出して……そして……二度と…表に出てこないように……念入りに…ぶっ潰す!」
心の中で唱えた、誓いの気持ちの一部分が、途切れ途切れの単語となって、思わず中途半端に声に出してしまうスギナ。
リコリスの声は、アナウンサーや声優のように聞き取りやすい。
その断片的に発してしまった声が、偶然ひとつの文章として聞こえたのだろう、スギナの近くの椅子に座っていた分校リコリスたちが、ヒイッという悲鳴をあげた。