モブリコ辺境暦   作:杖雪

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6月の雨の日に ④

 自分の声がまた出ていることに気が付いていないスギナは、恐怖に震える近くの分校リコリスたちに目もくれず、再び説明を受けている岡碕リコリスを見る。 

 

 どうやら、スギナが思い出に浸っているうちに、説明は終了していたようだ。

 いや、説明しているDA職員が、まだ一人目なのに、時間が予想以上に長くなってしまったことに焦り、強引に終了させてしまったようだ。

 

 突き放されるように職員の前から離れたそのリコリスは、心配そうな顔で何度も振り返りながら、重そうな足取りで正面玄関に向かう。

 

 俯きながら歩く彼女だったが、入口までたどり着くと、正面の自動ドア横に置かれた長椅子の前で立ち止まる。

 

 長椅子の上には二つの籠。中身はそれぞれお菓子と四角いなにか。

 先ほど後ろで聞いていた説明の中で、任務中に必要なら適宜持っていくようにと言われていたことを、スギナは思い出す。

 

 任務に必要とは少し大げさな言い方だけど、まあ作戦中に甘いものは欲しくなるだろうしね。

 小分けしたお菓子ばかりなのは、ポケットに入れやすいからかな。

 適宜ってことは数量不問ってことだよね。あの子はどれだけ持っていくのかな。

 

 ぼんやりとそんなことを考えながら、スギナは重荷を積まれたかのように疲れた背中をした岡碕リコリスを見つめる。

 

 彼女はしばらく考えた後、菓子の入ったバスケットから、飴玉を数個取り出すと、ため息とともにポケットに入れ、正面玄関を出た。

 菓子を大量に取ると、ポケットが膨らんで格好悪いと思ったのだろう。

 自動ドアをくぐり、外に出た彼女は、ドアが閉まる寸前に振り返り、すがるような目つきでロビー内を見た。

 

 その視線が、ただ一人彼女の行動を見ていたスギナの視線と交差する。

 

 何か助けを求めるようなその目。

 何か訴えるようなその目。

 

 防諜のため透明度を落としたガラスの扉が閉まるまでの、ほんの少しの間。

 わずかに見えた岡碕リコリスの不安そうな目線と暗い表情が、スギナの心をひるませた。

 

 DAにいた頃は、毎日不安だった。

 訓練の前、試験の前、模擬戦の前、巡回演習の前。

 おそらくそのときの自分は、今の彼女のような顔をしていただろう。

 誰かに助けてほしい、そういう表情をしていただろう。

 

 スギナは思わず、足を数歩踏み出す。

 

 しかし、16号館のロビーは広く、彼女との距離はあまりにも遠かった。

 その不安げな表情のみをスギナの脳裏に残し、自動ドアはかすかな機械音とともに閉じられた。

 

「次、21GМS002、カウンターへどうぞ」

 

 スギナの気持ちを遮るように、女性職員の声がロビーに響く。

 

 結局、ロビーから出て行った岡碕リコリスに対して、スギナは何もすることができなかった。

 何かしてあげたかったという後悔の澱を心の内面にまとわりつかせたまま、スギナは元の位置に戻る。

 

 ロビーの中に、再び女性職員による説明の声が響く。

 

 一人説明が済んだのを見て、気持ちが楽になったのだろう。同じ支部から二人で出張してきたリコリスたちや、行きの電車の中で知り合ったらしいリコリスたちが、小声で雑談を始めだす。

 

 風待先輩はまだ帰ってこない。スギナは視線を合わせることなく、あらためて彼女たち分校リコリス全員の顔を見る。

 

 ヒマだから、彼女たちの顔でも記憶しておくか。

 

 人相の記憶はリコリスの任務の基本だ。

 このロビーにいる人数程度なら、本部卒のスギナなら2分ほどで全員の顔を記憶できる。

 5分あれば身長や体格、10分かければ動作の特徴まで細かく記憶できる。

 

 今後、この中の誰かと任務で一緒に仕事をすることになる、かもしれない。

 今後、この中の誰かを任務で始末しなければならなくなる、かもしれない。

 

 今後の御縁のために、人相、特徴、できれば声質や話し方の癖も覚えておきたい。

 会話の内容から、できる限り彼女たちの情報も収集しておきたい。

 

 表情を変えず、ただ淡々と、スギナは静かに目の前にいる人間すべてを記憶する。

 

 自分たちが観察されているとも知らず、分校リコリスたちは各自思い思いにくつろいでいる。

 人相と体格の記憶を終えたスギナは、次に彼女たちの会話に耳をそばだてる。

 

 無駄の多い会話の中から、氏名や出身支部などを聞き取りたかったが、なかなか必要な情報は聞こえてこない。

 分校育ちとはいえさすがはリコリスである。大支部本館の中という安全な場所にいても、話してよい内容の区別はしっかりとしているようだ。

 

 全員の会話を全て聞いていたが、無事に仕事できるかなとか、帰りのお土産何にしようとか、奥で立っている例の支部のリコリスがなんか怖いとか、他愛もない雑談ばかりで大した情報は入ってこない。

 

 名前もなかなか会話に出てこない。スギナは先ほどから同じ支部同士で話し合っている二人の会話を聞いているが、タネヤンとかユーチンとか変なあだ名で呼んでいるため、なんだか記憶の頁に書き加える気になれない。

 

 その二人は、ノラ吉に餌をやり忘れたとか、雨になりそうなのに裏の畑に水を撒いてきてしまったとか、大きな声で話している。

 

 これも覚えるほどでもない無駄話なのだが、スギナは何故かその内容に引っかかるものを感じた。

 

 こういうあだ名のつけ方とか、ノラ吉とか、どこかで聞いたような…

 いや、聞いてはいない。ということは、これは音声ではなく文字領域の記憶だ。

 じゃあどこで?

 書籍か書類か?それともWEB画面か?

 

 思い出そうと頭の中を総検索しても、なかなか該当する記憶が出てこない。

 

 任務中の記憶ならば失念することはない。思い出せないということは、おそらくこれは任務外、生活の中で見た記憶なのだろう。靴の中に小石が入っていても歩き続けているようなもどかしさが残るが、スギナは思い出すことをあきらめる。

 

 ちょうどその時、ロビー右側のエレベーターのドアが開いた。

 

 エレベーターの中に、風待先輩がいるのを確認したスギナは、思わず喜びの声をあげる。

 

 長かった。本当に長かった。

 実際は10分程度なのだろうが、好奇の視線を浴びながら一人で待つこの時間は、本当に長く感じた。

 

 いきなり置いていかれたのだ。少しは文句も言わなければ気が済まない。

 

 風待先輩に呼びかけようと開かれたスギナの口が、開いたまま止まる。

 風待の背後に、もう一人、赤い制服を着たリコリスがいるのに気がついたのだ。

 

 赤い制服。

 

 DA本部を出てから3カ月。久しぶりに見るその色。

 ファーストリコリスだ。

 

 セカンドリコリスやサードリコリスの上に立つ、リコリスの頂点。

 

 今このロビーにいるリコリスたち、スギナや風待を含む全員がその人に向けて一斉に銃を抜いたとしても、赤い制服の彼女には絶対かなわないだろう。

 それほどまでに強い、リコリスの中のリコリス。

 

 分校のリコリスたちが、エレベーターから降りたそのファーストリコリスを見て、驚愕の表情を浮かべる。

 

 今日ここに集まったリコリスたちは、ほとんど新人のようだ。先輩も後輩も候補生も皆サードリコリスである分校育ちの新人にとって、ファーストリコリスなど見たこともなかったはずだ。己の強さを見せつけるが如き強烈な色彩を纏った制服の赤色は、紅の光を放つ朝陽のような鋭さをもって分校生たちの眼を貫いたことだろう。

 

 赤の制服を身にまとうその人は、サードリコリスたちからの視線を気にもせず、風待先輩と肩を並べてスギナのもとに歩いてくる。

 背の高い人だ。スギナより背丈のある風待先輩より、さらに頭半分ほど身長が上だ。

 女性的なラインを保持しつつ厚みのある体格、中心の軸がまったく揺れないその歩き方。身体能力が高いことが、一目でわかる。

 茶色に染めた髪を軽く編み込みひとつ結びにしているヘアスタイルは、隣にいる風待のストレートに伸ばした黒髪と好対照をなしている。

 

 セカンドリコリスの風待を従えロビーを歩くファーストの姿は、驚きの表情で塗られたサードリコリスたちの顔に、一種の陶酔めいた表情を追加させる。

 

 背筋を真っ直ぐに伸ばし、乱れのない足取りで歩を進めるファーストリコリスとセカンドリコリス。

 峻厳と峻峭を備えたファーストと、品位と品格を備えたセカンドの二人。

 

 どちらも優秀なリコリスだからであろう。その二人が並んで歩くさまは、長年連れ添ったバディのように見え、そしてそれが、スギナの胸に小さな針を突き立てた。

 

 風待先輩は、本来は私などではなく、彼女のようなファーストリコリスとバディを組んだ方がよかったのではないか。

 

 ファーストリコリスとセカンドリコリスのバディは、華がある。

 

 優秀で積極果敢なファーストリコリス。そしてそれを冷静に補佐するセカンドリコリス。

 リコリスのだれもが思い描く、リコリスのだれもが憧れる、美しく完璧な組み合わせ。

 

 それが正しいのは、ファーストと並ぶ風待先輩の姿を見るだけでわかる。

 

 ファーストとセカンドは、互いに互いを引き立て、華になることができるバディだ。

 サードにはそれがない。サードには華はない。

 先輩には私より、もっと良い相手が…

 

 いかん、ダメだ、とスギナは首を振る。

 

 すぐ卑屈になるのは、自分の悪い癖だ。

 

 風待先輩は、自分をバディとして認めてくれた、只一人の自分として、隣にいてほしいと言ってくれた。

 私はその言葉を信じる。その言葉を裏切らない。

 私は、胸を張って先輩の隣に立つ。

 サードリコリスに華がないのなら、その分セカンドの華を育てればいい。

 私のバディとしての役割は、風待先輩を大輪の華にすることだ。

 

 心に刺さった棘を、自ら気概の力で抜いたスギナは、自分に向かって歩いてくる二人に向き直り、両の踵をそろえ一礼する。

 

「23TMZ002、諸咲支部サードリコリス、筑詩スギナです!」

「元諸咲支部員、ファーストリコリスの臥観手ルミナだ。いまは名古屋支部長と名古屋王須鉛撃隊隊長を兼ねている。よろしく」

 

 元気よくあいさつしたスギナに、ファーストリコリスが答える。

 

 指揮官向きの、低くてよく通る声だ。

 戦場で指令を聞いている時は頼もしく感じる声だ。日常で怒られた時は怖く感じる声だ。

 

 切れ長の目にわずかな笑みを浮かべ、そのファーストリコリス、臥観手ルミナはスギナに右手を差し出す。

 親しみを込めて差し出されたその手を握り、思わずスギナは頭を下げる。

 

「あの…元諸咲って…」

 

 下げた頭を上げ、質問しようとしたスギナの右手、臥観手ルミナと握手をしている右手が、恐怖で凍り付く。

 もし長袖の制服でなければ、冷たさにも似た恐ろしさで、スギナの腕の皮膚が粟立つのが見えたかもしれない。

 

 それは、目の前にいる人物が持つ強さへの恐怖だった。

 

 ―この人、強い!

 

 手のひら同士が触れるだけで、四肢や体幹の強さ、運動能力の高さが伝わってくる。

 彼女の怜悧な目の色を見るだけで、精神力の強さと頭脳の明晰さが伝わってくる。

 

 自分をはるかに凌駕する強さ、いや、隣にいる風待先輩すら、この人には及ばないだろう。

 

 この人はファーストリコリスだ。強いのは当たり前だ。

 しかし、この人の強さは、本部附の精鋭ファーストと同格だ。

 

 かつて、DA最底辺の候補生だったスギナが無事にリコリスになれるように、集中して指導してくれたDA最精鋭部隊のファーストリコリス。

 千丁銃器密輸事件、延空木占拠事件などの正面戦闘に、常に投入され続けた最強のファーストリコリス。

 その人は、目の前の人とは違い、身長やスタイルはほんのちょっと、ほんのちょっとだけ残念だったが、DA本部部隊のチームリーダーに相応しい戦闘能力を持っていた。

 

 その人と同じ強さ。

 

 本部以外でも、これだけ強いリコリスがいる。教官だったあの人と肩を並べることができるほど強いリコリスが、名古屋地区にもいる。スギナにはそれが驚きだった。

 

 そして目の前のファーストリコリスが、以前は諸咲支部にいた。スギナにはそれも驚きだった。

 

「臥観手…支部長。なんで…その、諸咲に?」

 

 強さへの恐ろしさで未だ凍り付く右手を何とか下げながら、スギナが尋ねる。

 

 これほど強いリコリスが、諸咲支部のような田舎になぜ配属されたのか。スギナでなくても当然の質問だ。

 

 あの何もない田舎で、これほど強いファーストリコリスが一体何をしていたのだろうか。

 あの何もない田舎で、これほど強いファーストリコリスが寿司を握っていたのだろうか。

 

 初めて会ったばかりにも関わらず、質問したいことがたくさん頭から湧いて出てくる。

 

「ルミナ先輩は、私が諸咲に来る前、一年だけ諸咲支部にいたのよ。ちょうど私と交代する感じで、名古屋支部に異動したの」

 

 横から風待が説明する。

 

「中部地区のリコリスの配属に関しては、名古屋支部の講師の方々が決定しているんだが、なぜ私が初年目に諸咲支部に配属されたのかは、正直今でもよくわからんのだよ。しかし、楽しいところだったよ、諸咲は。テンノスケ先輩と一緒に、モブリコ寿司で料理を作っている時のことは、いまでもよく思い出すな」

 

 テンノスケ?ああ冠典ゼリィ先輩の事ですね。あの人プルプルだからね。

 

 スギナは冠典先輩の姿を見たことはないが、その特徴は風待からよく聞いて知っている。

 

 この背の高いファーストリコリスが、ちっちゃな冠典ゼリィ先輩と並んでモブリコ寿司に立っている姿を、スギナは想像する。

 

 風待先輩がまだ諸咲に来る前の、過去のお話。

 

 この人も、あのお寿司屋の台所で同じ前掛けを付けていた。

 この人も、あのお寿司屋の台所でスイカ刃を振るっていた。

 

 頑張ってお料理の修行をしていた。

 緑あふれる田舎道を毎日巡回していた。

 小さな下宿部屋の窓から、大きな海を眺めていた。

 

 私が今積み重ねている道を、この人はかつて歩いていた。

 

 それを考えるだけで、強い親近感がわいてくる。

 

 ぼんやりとした感じで目の前に立つスギナの顔を、臥観手ルミナが静かに触れる。

 指でスギナの顎をそっと持ち上げると、驚きで目を丸くするスギナの顔をじっとのぞき込む。

 

「…テンノスケ先輩にも、芭照瓦セノカにも似ているかな。ふふっ、どうやら諸咲には、こんな顔のリコリスが集まりやすいようだな」

 

 顔を近づけ、少年のような屈託のない笑顔で笑うルミナ。

 

 自然な動作で、顎クイを仕掛けてくるその距離感。

 女性的な身のこなしの中に見え隠れする、ボーイッシュな所作。

 

 この人、女子校の王子様タイプだ。

 

 DA自体が女子校みたいなものなのだが、スギナにはこういうタイプの女子と触れ合う機会など当然なかった。

 風待とは違う種類の、中性的な美しさが込められた臥観手ルミナの笑顔に、スギナの頬が赤くなる。

 

「スギナも将来有望ですよ。料理の腕も上がってきましたし、今は来月のモブリコ寿司再開店に向けて、握りの練習をしています」

 

 横にいた風待が、スギナの顎を持ち上げるルミナの腕を静かな動作で押さえ、下に降ろさせる。

 

 本当に何気ない動きだったが、あまりスギナに触れてほしくなかったのだろう。

 風待先輩、もしかして妬いているのかな、とスギナの顔が少しほころぶ。

 

「そうか、セノカがいなくなったのは残念だったが、立派な代わりが来てくれたことだし、これでモブリコ寿司も安泰だな」

 

「私…セノカさんの代わりではありません」

 

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