モブリコ辺境暦   作:杖雪

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6月の雨の日に ⑤

「私…セノカさんの代わりではありません」

 

 風待とルミナ。二人が同時にスギナを見る。

 

「私は、風待先輩と約束しました。私はセノカさんより長く生きると。そして私はセノカさんの代わりではなく、一人の自分として、風待先輩と一緒に諸咲を守っています。私にとってセノカさんは、競争相手なんです!セノカさんより長く生きて、料理も上手になって、出張任務もそこそこ上手くやっていきたい。あの町を、モブリコ寿司を、風待先輩を守れるようになりたい。セノカさんが築いた道を追いかけて、やがては自分の道をその先につなぎたい。そしてセノカさんの分まで、己の気概の旗を立てて生きていく。私は、自分に、そう誓っています!」

 

 スギナは、ルミナの眼を見ながらしっかりと答える。

 

 同じ支部の先輩とはいえ、初対面の大支部長、それもファーストリコリスに対して、ここまで強い言葉が出たことに、スギナ自身も驚いている。

 

 しかし、スギナには譲れない一線があった。

 

 セノカの代わり。それはスギナにとって許容できない言葉であった。

 

 私はセノカの代わりではない。

 私はただ一人の自分だ。

 たとえ目の前の大支部長が、今の自分の言葉で気分を害することになろうとも、それだけは譲れない。

 

 しかし、芯は気弱な性格のスギナである。

 啖呵を切ったあと、背筋が腰のあたりからだんだんと冷たくなるのを感じる。

 

 この冷気のもとは後悔だ。

 言ってしまった、言うんじゃなかったという、後悔がもたらす怖気という名の冷たさだ。

 

 大丈夫かな、とスギナは恐る恐る目の前の大支部長の顔を見る。

 

「気概の旗か―懐かしいな…はるかなる西陬の地に起居するリコリスたちよ、自分の生を隠すな。私たちはここにいる、モブだけどここにいる。田舎暮らしのリコリスだが、私は確かにここにいる。斯の如き気概をもち、己の意地と矜持を示す旌旗として、この暖簾を掲げよ…だったかな。久しぶりに思い出したよ」

 

 目の前の大支部長、ルミナ先輩の顔は笑っていた。

 

「気概の旗、己の意地と矜持を示す旌旗(はた)、それをスギナはたしかに掲げているのだな。すまなかった。どの地であろうと、どの支部であろうと、気概を持って立とうとしているスギナは、何者にも代え難い唯一人のリコリスだ」

 

 たとえ地位に差があっても、相手の言い分を認めるところは認め、謝るところはきちんと謝る。

 これをあっさりとできるところは、さすがは大支部を束ねるファーストリコリスの貫目である。

 

「すいません…大支部長の先輩に、出すぎたことをいってしまいました」

 

 きちんと気概を持っているんだなと褒められたスギナが、逆に恐縮して頭を下げる。

 

「いや、いいんだ。大支部長と言っても、大都市部にある支部はすべて講師の方々がコントロールしている。支部長役のリコリスができることは、今夜のような作戦の現場隊長くらいしかない。恥ずかしい話だが、本部の統制下にある大支部では、矜持を示す旗を立てることはできないんだ」

 

 常に複数の事件や犯罪が同時進行する大都市の支部では、警察組織以上の機敏かつ的確な対応が常に求められる。

 そのためには、国内の様々な情報の収集や、他支部とのクロスファンクション的な連絡連携が必要なのだが、必要最低限の情報しか与えてはならないリコリスには情報収集の業務はできないし、他支部への連絡は反乱防止のため直下の支部以外禁止されている。リコリスが横断できるのは歩道だけなのだ。

 

 さらには、周辺支部のリコリス配置計画や大規模作戦時の出張命令、あるいは作戦計画の立案やそれに伴うリコリスの編成など、大支部の仕事ではあるがリコリスにその権限を与えることができない業務は多数ある。

 

 鶏舎のニワトリは、どれだけ賢くても養鶏場の運営はできない。

 経営、管理、出荷。巨大な養鶏場を機能させるには、ニワトリたちではなくニワトリを飼育している人間が運営しなくてはならない。

 

 そのため、大支部の運営は、リコリスに対して命令権を持ち、DAからの指示を的確に処理できる職員たちが、その任を負っている。

 DA本部から派遣され、DAの末端頭脳として大都市支部リコリスを管理している上級職員は、リコリスたちの間では通称講師あるいは教員という符牒で呼ばれている。

 これは、大都市支部の支部拠点が、そのほとんどがダミーとして学習塾の看板を掲げているからであるが、その他にも、配下にある各リコリスの活動内容の指示と評価ができる権限を有しているところからも名づけられている。

 

 本来、リコリスに与えられた権利は少ない。

 

 リコリスたちがどれほど実力や能力を備えていようとも、結局はただの十代の少女たちである。

 いびつな環境で育ち、情報統制された生活を送るただの十代の少女たちである。

 それゆえに、DAの大支部職員が、彼女たちを指導しなければならない。

 必要以上の情報を与えず、広い視野を与えず、無垢なまま、無知のまま、養鶏場のニワトリとして飼育しなければいけない、管理しなければならない。

 

 そのため、リコリスの花形ともいえる大支部内での勤務や生活は、田舎の地方支部に比べ、制約ははるかに多い。

 大支部長のリコリスといえど、与えられるのは支部長という権威だけで権力は与えられない。今回の作戦計画にも、臥観手ルミナは名古屋支部長であるにも関わらず立案業務に触れることはできず、唯一の仕事と言えばすでに決定していた各地方支部への派遣命令書への署名だけであった。

 

「その点、テンノスケ先輩は立派だった。本部の作戦室だろうが名古屋支部の会議室であろうが、意見や知恵を求められればどこでも乗り込んで、相手がたとえ司令であっても堂々とした態度で、理路整然とした弁舌で持論を述べ、誰が相手だろうと一歩も引かなかった。先輩は戦いは苦手な万年サードだったが、その知性で見事に気概の旗を立てていたんだ。さすがはかつて中部地方のリコリスたちを震撼させた三大怪奇事件、シュトゥットガルトの憂鬱連続殺人事件、叛乱の制服連続殺人事件、ハンブルクの黒い霧連続殺人事件。この三つの大事件を解決した先輩だと、今でも感心しているよ」

「…その事件って、ほんとにあったんですか?」

「学ぶことは大事だ、とテンノスケ先輩は日頃から言っていた。田舎支部は都市支部に比べ、自由な時間が多い。その時間を知識や経験を得るために使い、スギナもゆくゆくはテンノスケやセノカのような立派な諸咲支部員、そして立派なリコリスになってほしい。がんばってくれ」

 

 慈愛にあふれた眼差しで、ポンとスギナの肩をたたくルミナ支部長。

 

 かつての諸咲リコリスから向けられる期待の視線を、しっかりとスギナは受け止める。

 ここで目をそらしたらいけない。かつての先輩の期待を、きちんと受け止めるのが新人の役目だ。

 

「はい、がんばります!私もがんばって、やがては隣にいる風待先輩のように、立派で、素敵なリコリスになります!」

「えっ、なんでいきなり私の名前が出てくるの?」

 

 いきなり比較対象にされた風待が、驚いたようにスギナを見る。

 

「風待先輩は、強くて、きれいで、頼もしくて、私のあこがれなんです。私にとって立派なリコリスって、風待先輩なんです。だから、努力目標を決めるとしたら、私には風待先輩しかないんです!」

 

 上役の前で緊張しすぎると、つい言葉数が多くなる人がいる。どうでもいいことを付け加えてしまう人がいる。スギナはどうやらそのタイプのようだ。

 

 突然の会話の流れ弾で褒められた風待の顔が赤くなる。

 ルミナ支部長は、そのような二人を見て優しく笑う。どうやら、スギナと風待の間に結ばれた愛情の糸が見えたのだろう。

 

「競争相手とする人がいて、目標とする人もいる、か。どちらも得難いものだから、両方持っているという事は、大変だろうが幸せなことなのかもしれないな。確かにウメノスケは立派な現諸咲支部長だ。彼女と一緒に過ごす日々は、スギナに多くのことを学ぶ機会を与えてくれるだろう」 

「ウメノスケ?」

 

 って、風待ウメさんのことですか?

 

「ルミナ先輩!スギナの前ではそのあだ名は言わないでって、エレベーターの中で何度も言ったじゃないですか!」

「あー、そうだったな…まあ可愛いからいいじゃないかウメノスケ」

「いやです!スギナにだけは聞かれたくなかったんだからぁ!」

 

 恥ずかしさに顔を朱に染め、握った両手を振り回してルミナ支部長をポカポカ叩く風待。

 

 うわああ、かわいいです風待先輩!

 

 スギナは、風待が我を忘れて繰り出しているかわいい動きに、顔をほころばせる。

 

 いつもしっかりしているあこがれの先輩が、ОGの前でふと見せる後輩ムーブ。

 

 自分の前では絶対に見せないその仕草は、とてもとても破壊力があります。

 

 セカンドリコリスの繰り出すポカポカが、これほど心を和ませる大技だとは思ってもいませんでした。

 いいものを見せてもらっています!

 ルミナ先輩、感謝します!

 

 

 

 

 ロビーにいる分校リコリスたちは、ただ茫然とそれを見ていた。

 自分はいったい、何を見せられているのだろうと、皆が思った。

 

 ははは許せと笑いながら体を丸めて謝る大支部長を、羞恥心を動力にしてぽかぽかと叩き続ける田舎支部長。

 そしてその間の抜けた修羅場を止めるでもなく、ただニヤニヤと下品な笑いを浮かべて楽しむサードリコリス。

 

 それは、分校リコリスたちが初めて見る、意味の分からぬ、異様な光景であった。

 

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