「それはそうと、私に見せたいと言っていたのは、どれのことかな?」
ルミナ支部長が、叩かれながらも強引に話を戻す。
「あっ…えーと、実は作戦説明が滞っているようでして…」
我に返った風待が、叩く手を空中で止め、説明する。
「一人ずつ説明を受けているのですが、どうやら今回の作戦に送り出されたリコリスが、ほとんど新人のようで、作戦の要点を記憶するのに時間がかかっている状況です。私がルミナ先輩を呼びに行ったときは、まだ一人目だったんですが…」
「今は二人目です。風待先輩の言う通り、一人目の方は新人さんみたいで、職員さんの説明を何度も聞き返していました。説明を理解できないというより、初めての任務に自信がなくて、そのために何度も聞き直すといった感じでした」
風待の説明に、スギナが補足する。
風待先輩がルミナ支部長をロビーまで連れてきたのは、諸咲支部の新人の顔を見せたかったわけではなく、作戦説明に遅延が生じているのを知らせたかったのかと、スギナは気が付く。
一人目の説明が難航しているのを見たとき、風待先輩はこのままでは時間内に全員への説明は不可能だと判断し、ルミナ先輩の助力を仰いだのだろう。
待つのは時間の無駄だから、直接ルミナ先輩に聞いてくる、と言い残し上階に向かった風待先輩だったが、突飛な行動に出たのはそれだけが理由ではなかったのだ。
あの時ロビーにいたリコリスで、大支部長に直訴できる人物は風待先輩しかいなかった。だからこそ風待先輩はすぐにエレベーターに乗り、名古屋支部の陣所である上階に向かったのだ。
大事のためなら直ちに行動ができる度胸。必要とあらば大支部のテリトリーであろうと即座に直談判にいける胆力。
これこそが気概、諸咲リコリスが持たなければならない気概の旗なのかと、スギナは風待の顔を尊敬の念を持って見る。
もっとも、風待先輩が上階にいた時間は結構長かったので、自分たちの任務内容について説明をしっかりと聞いた後で報告したのかもしれないが。
風待とスギナの説明を聞いたルミナ支部長が、ゆっくりと周囲を見渡す。
ロビー内の人員を見渡すその眼差しには、先ほどまで諸咲の後輩たちと話していた温かさはない。
その目は、自軍の兵士たちの質を、冷静に計算する指揮官としての冷たい視線を放っていた。
「なるほど…確かに分校とはいえ良いレベルとは言えんな。とはいえ、彼女たちを責めることもできないか。周辺支部とて、優先するのは外部での任務ではなく、自分の地域の安全だからな」
都市部で大規模な作戦がある場合、都市周辺の田舎支部が一番恐れるのは、作戦が失敗したとき、自分たちの地域が騒動に巻き込まれることである。
作戦が成功し、処理対象のすべてが都市内で処分されれば問題はない。周辺支部は何もしなくていいからだ。
問題は、処分しきれなかった人間が都市外に逃走し、周辺支部のエリアに入ってきた場合である。その場合、周辺支部のリコリスは、自分たちの管轄する地域に逃走してきた処分対象者を、自分たちの手で処分しなくてはならない。
一応は、都市支部から増援として、本部卒の精鋭リコリスが来てくれるのだが、それでも初動は自分たちの支部のリコリスが対応しなくてはならない。増援を待っていて処分対象者が行方不明にでもなれば、支部全体の責任問題になるからだ。
そのため、大支部から出張命令があった時は、周辺支部は留守番役にベテランのリコリスを残し、新人のリコリスを出張させる事例が多い。
新人リコリスを出張任務に出した場合、死亡率が大きいという問題がある。
しかし、支部内の土地鑑に長け、事件慣れしているベテランリコリスは地元に残しておかないと、逃走者の対処は難しい。
今回、名古屋支部本館に集まった中部地方リコリスたちに出張経験者が少ないのは、新人に経験を積ませようという考えからではなく、名古屋市内の作戦よりも自分たちの地域の無事を優先しなければならないという、周辺支部の苦慮の結果からであった。
「出張人員の選抜を各支部に任せていた、我々名古屋支部の落ち度だな。招集するにあたって、せめて2年か3年の経験年数を必須にしておけばよかったか。実際の処分は鉛撃隊が中心となるから、増援されたリコリスのレベルはどの程度だろうと問題ないと、作戦を立てた講師の方々は言っていたが、任務に自信がないというレベルでは、作戦自体に支障が出て来るな…」
これから始める仕事に自信がないのならば、不安がなくなるまできちんと説明を聞く。理解できるまで時間をかけ、しっかりと聞く。これは仕事をする上での鉄則である。
しかし、仕事には必ずタイムリミットがある。説明に時間を長く費やす余裕などない。これはよくある仕事の現実である。
よくある仕事の現実。どのような仕事であろうと手を変え品を変え訪れるこの状況に、今回はどう対応するべきか。
腰に手をあて、周囲を見渡しながら、名古屋支部長臥観手ルミナは考える。
横に立つ風待とスギナは、その姿をただじっと見ている。
各支部から経験不足の分校リコリスしか来なかったこと、作戦説明に時間がかかってしまっていること。これらの失策に、ルミナ支部長は全く関係ない。
しかし、支部長である以上、責任だけはルミナ先輩にかかってくる。
支部長である以上、ルミナ先輩が何とかしなければならない。
理不尽な話だと、スギナは思う。
しかし、スギナの目の前にいる元諸咲リコリスは、不満の一言も漏らさず、静かに考えている。
ここで現状を嘆き、狼狽えれば、ロビーにいるリコリス全員が動揺することを知っているのだ。
何事にも動じないその威厳ある姿の裏で、ルミナ先輩がどれほど焦っているか、どれほど悩んでいるのか、スギナにはその内心がまったく見えてこない。
それも当たり前か、とスギナは思う。
スギナのような新人サードリコリスごときに、心の焦りを見透かされるようでは、大支部長は務まらない。
スギナも練習生時代は、内心を隠すのは上手だった。
しかし、目の前の大先輩の胸中が見えないのは、スギナのように小心さからの隠蔽ではない。
人の上に立つ者として、部下に心配を与えないがための韜晦なのだ。
そういえば、DA本部で自分たち訓練生の教導員を務めていたファーストリコリスも、弱気な姿を一切見せなかった。
いつも眉間にしわを寄せ、いつも怒っているかのような不機嫌な顔をしていたが、今にして思えばあの表情は、自分の弱音を隠すための所作。部下を指揮し、訓練生たちを鍛えるために必要な態度だったのだろう。
あの時の教導員も、風待先輩も、ルミナ支部長も、皆立派な先輩だ。立派なリコリスだ。
私もそんな風になれるかな、とスギナがぼんやり見ているうちに考えがまとまったのだろう。ルミナ支部長はロビーの中央まで、大股で歩き出す。
「本日集まってくれた各支部リコリスの諸君、私は今作戦の現場指揮官、名古屋支部長臥観手ルミナだ」
普通に話している感じなのに、腹に響いてくるようなルミナ支部長の重い声。作戦現場では、さぞかし指揮をする声がよく通ることだろう。
「まずは本館の担当スタッフの方々に謝りたい。今回は私のミスで、作戦説明の時間が足りなくなっているようだ。これは私が集合時間を早めにしなかったことによる遅滞であり、スタッフの責任ではない。今件の責については、作戦終了後改めて文書で報告させてもらう」
皆の前で、ロビーの職員たちに頭を下げるルミナ支部長。
カウンター前に集まっていた職員たちも、ルミナ支部長が頭を下げると、慌てて頭を下げる。
集合時間の設定や作戦説明の時間配分については、臥観手ルミナは全く関わっていない。にもかかわらず、あえて支部長が責任を被ってくれたことに安心したのだろう。今まで硬い表情をしていた職員たちの顔に、安堵の色が浮かぶのが、遠くに立っているスギナからでも見えた。
「そして本作戦に参加するリコリス諸君。君たちの中には、今回が初めての出張任務という者も多いだろう。今作戦は、中部地方では久方振りの大規模任務だ。たとえ経験を積んだリコリスだろうと、皆緊張している。ましてや初めての任務ならば、不安があって当然だ、自信がなくて当たり前だ」
ロビーの中心に立ったルミナ支部長は、周囲の分校リコリスたちを見まわしながら、落ち着いた声音で話す。
「そのため、今回は皆の不安がなくなるよう、これから説明時間を増やそうと思う。自分の任務はどのようなものなのかを、移動時間になるまで、ゆっくりと、じっくりと、対話形式で説明していこうと思う」
どうやって?とスギナは思わず言いかける。
支部長の周囲にいるリコリスは約百名。ルミナ支部長が彼女たち一人一人と差し向かいで説明するなど、時間的にも不可能だし、今までのやり方と変化がない。説明役が名古屋支部職員からルミナ支部長に変わっただけだ。
皆の不安げな視線を意に介していないかのように、ルミナ支部長は大きな声で語りだす。
「私の部下の王須鉛撃隊20名を、君たちの説明役に当てよう。これから君たちは類似した任務ごとに、5人ずつのグループになってもらう。ひとつのグループに対して鉛撃隊のリコリスが1名つく。その鉛撃隊リコリスから、各自の任務について詳しく説明をしてもらうので、君たちは自分がやることの内容を、不安がなくなるまで時間をかけて聞いてほしい。今回説明を担当する私の部下は、様々な任務や実戦を経験してきた中部地方の精鋭だ。任務の際の注意点や心構えなど、聞きたいことはどんどん聞いてくれ」
そういう手があったか、とスギナは小さく感嘆の声をあげる。
ロビーにいるリコリスたちも納得したのか、皆が小さくうなずいている。
名古屋支部長とはいえ、できることは少ないとルミナ先輩は語っていた。
しかし、その少ないカードを、先輩は上手に使った。
現場指揮官であるルミナ隊長直属の部下、名古屋支部の最精鋭リコリスである王須鉛撃隊のメンバーなら、今回の作戦計画の全体内容を把握しているだろう。
その部下たちを説明の場に一斉投入すれば、たしかに時間は短縮できる。小グループに分けての説明なら相談や質問もしやすいし、作戦開始時間まで充分な説明ができる。
説明する人が、支部職員からリコリスに変わったという点も大きい。
大人である職員よりも、リコリス同士の方が会話がしやすい。そして今から説明を担当するリコリスは、任務経験豊富な精鋭たちである。書類でしか現場を知らない職員より、実情に沿った実戦的な説明を、的確なアドバイスとともにしてくれるはずだ。
「各支部リコリスたちのグループ分けと席の準備。そしてグループごとの説明用タブレットの準備を、担当スタッフの皆様にお願いしたい。各グループが使うタブレットへの作戦情報転送に関しては、私の名前で許可を出してほしい。あと、時間短縮のため、入口にある携帯用甘味類と圧縮タオルは、説明中に各グループへ配布をお願いする。スタッフの方々には、苦労ばかりかけるが、よろしく頼む」
カウンター前に並ぶDA職員たちも、ルミナ支部長の言葉を受け、気持ちを切り替えたようだ。大支部のスタッフらしく、きびきびとした動きで、座席の設置やグループ分けの呼びかけを始める。
この時のルミナ支部長のスタッフへの呼びかけは、実は意味があるのよと、この後に風待先輩がスギナに説明してくれた。
この程度の仕事は、その後ロビーに来た王須鉛撃隊のリコリスたちでもできたことだが、そうなるとスタッフたちはずっと壁際の飾花と化してしまう。
作戦説明の任務を支部長たちに任せたまま、何もしなかったという履歴が残ってしまう。普段は自分たちが管理している、年下のリコリスに助けられてしまったという感情が残ってしまう。
仕事を奪われたとまでは思わないだろうが、このままロビーで立ったままでは、何かしらの忸怩たる気持ちが芽生えてしまうだろう。
そのため、ルミナ支部長は依頼という形をとりつつ、DA職員たちが各支部のリコリスたちの前で手持ち無沙汰にならないよう、きちんと任務を果たしている姿を見せられるよう、あえて仕事のお願いをしたのだという。
後日その話を聞いたときは、多くのリコリスや職員のいる大支部での人間関係の難しさに唸ったものだが、今のスギナには大支部長のそのような考えなど微塵も考えず、ただ単に、状況が好転したなと感じている程度であった。
「けど、鉛撃隊の皆さんのご予定は大丈夫なんですかね」
スギナが、隣の風待にこっそり話しかける。
今回の作戦の中心となる中部地区の精鋭部隊、名古屋王須鉛撃隊。出撃前の彼女たちに、分校リコリスたちに説明する時間などあるのだろうか。
「ああ、それは問題ないと思うわよ。ルミナ先輩や鉛撃隊が出発するのって、私たちのずっと後だし」
どうしてわかるんですか?とスギナが尋ねる。
「この建物に入る時、入口や近辺にDAのバスが止まっていなかったでしょ。強襲部隊はバスで一斉移動するのがDAの基本だから、それがまだ来てないってことは、名古屋支部の精鋭を動かすのはもっと先、夜も更けてからってことよ」
「あ…なるほど」
そういえば、風待先輩はこの建物に入る前、何度か周辺道路を見まわしていた。
あれは、移動用のバスが止まっていないか確認していたんだな、とスギナは気が付く。
普段は少人数で行動するリコリスだが、今作戦のように現場への一斉投入が必要な場合、DAでは修学旅行バスを模した移動用バスを使用する。
延空木の事件の時も、本部附の精鋭リコリスたちが、DAのシンボルマークが描かれたバスに乗り込むのを、スギナは訓練生のころに見たことがある。
DA最強部隊であり、スギナたち訓練生の教官でもある本部附リコリス。DA本部正門前に止められたバスに、彼女たちが司令とともに乗り込むときの光景と、その時の緊迫した空気は、未だ鮮明に覚えている。
「出張任務の時も、いつもの巡回任務と同じように周囲に気を配らないとダメよ。たとえ作戦前でも、任務に関係ありそうな情報は常に収集しておくのは大事なの」
出張任務の場合、事前情報は最低限しか与えてくれないので、自分で調べようとする姿勢は大切よ、と風待は付け加える。
諸咲支部を出る前、風待先輩と作戦前の打ち合わせをしたことを、スギナは思い出す。
該当する地域を作戦名から推測し、地図やWEBで周辺の状況を確認していた風待先輩。
思い返せば、あの時から先輩は任務についていろいろ考えていたのか、自分が初めての出張任務に浮かれていたころ、先輩は冷静に情報収集していたのかと、その時ただ浮かれていたことをスギナは反省した。
「それじゃそろそろ出発しましょうか、スギナ。分校リコリスたちの件はこれで大丈夫そうだし、私たちの任務内容はルミナ先輩から直接聞いたから、もうここで立っている必要はないわ。早めに現場に行って、作戦が始まる前に周囲を歩いて土地鑑を得たいしね」