モブリコ辺境暦   作:杖雪

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6月の雨の日に ⑦

「それじゃそろそろ出発しましょうか、スギナ。分校リコリスたちの件はこれで大丈夫そうだし、私たちの任務内容はルミナ先輩から直接聞いたから、もうここで立っている必要はないわ。早めに現場に行って、作戦が始まる前に周囲を歩いて土地鑑を得たいしね」

「いいんですか?勝手にここを出て」

「任務の内容さえわかれば、これ以上ここにいる理由なんかないわよ。それになんか、さっきから分校たちの妙な視線を感じるし」

 

 スギナ、あなた私がいないときになんかやった?という風待の言葉に、スギナは首を振ってしらばっくれる。

 よくわからいうちに変な注目を浴びて、それをよくわからないうちに乗り切ったことなど、説明したくないし思い出したくもない。

 

 まあいいけど、と呟きながら、風待はグループ作りのため慌ただしく動き回る分校リコリスたちの間を通り抜け、ロビーの中央で職員やリコリスを指揮しているルミナ支部長のもとに向かう。

 

「ルミナ先輩。そろそろ私たち現場に行きますね」

「そうか、少し早いが、明るいうちに配置先を見ておくのも悪くないな。ターゲットは既に埠頭内にいるそうだから、あの場所には早めに行っても問題ないしな」

 

 指示を与える手を休め、風待とその背後についてきたスギナに向き合うルミナ支部長。

  

「しかし…すまないな。本来ならばこの任務は名古屋支部の誰かに割り振るはずだったんだが…名古屋支部内での会議のあとに、講師たちからこの場所は諸咲支部のリコリスを配置しようという意見が出てしまったようでな。派手な戦績は全て自分たちの支部で独占して、地味な裏方仕事や万が一の責任は出張支部のリコリスにすべて任せようという大支部の悪癖が、今回も出てしまったようなんだ。せめてもう少し私が…」

「いえ、DAの作戦にリコリスが意見を挟めないのは、私もよく理解していますし、どのような任務でも、重要なことには変わりはないのも承知しています。ルミナ先輩が気を遣ってくださっただけでも、大変感謝しています」

 

 申し訳なさそうに話すルミナ先輩に、謝意を込めて答える風待先輩。 

 

「せめてものお詫びというわけでもないが、携帯用のお菓子と圧縮タオルは目一杯持って行ってくれ。任務中の糖分補給は大事だからな」

「言われなくてもそのつもりでしたよ、ルミナ先輩。準備は万端ですよ」

 

 ルミナ支部長のその言葉を待っていたのだろう。風待はかなりのドヤ顔と共に、芝居がかった動きで制服のポケットに手を入れ、折り畳みの布バックを取り出す。

 

 それは薄手のビニール生地の、広げてみると結構大きいお買い物用布バッグ。

 それは先月スーパーのおまけでもらった、ポケットに入る折り畳み布バッグ。

 それは昼の仮眠前に持っていくように言われた、派手でカラフルな布バッグ。

 

 あの時は何に使うのだろうかと思っていたが、まさかこんなことに使うとは思ってもいなかった。

 

 さあスギナも見せてあげなさい、と風待に目で催促され、スギナも恥ずかしさに背を丸めながら、ポケットから同じ布バッグを出す。

 

「おっ、スギノスケも用意してきたのか。さすがは諸咲リコリス。こういう時に遠慮はしない伝統が、今でも息づいているな」

「まだ私たちはおとなしい方だと思いますよ。冠典ゼリィ先輩なら、絶対バスケットごと持っていったでしょうし」

「ああ、あの人なら絶対やるな。それに比べれば、ウメノスケはまだ上品だな」

「だからウメノスケはやめてください先輩!」

 

 ほがらかな笑顔で戯れる二人の先輩。その背後で、スギナは激しい羞恥に身を震わせていた。

 

 こういう恥ずかしいことは、皆の前でしないでください。

 こういう恥ずかしい会話は、皆の前で話さないで下さい。

 

 ロビーのみんな、また私たちを見ています。

 皆に一斉に見られるの、今日何回目ですか。

 

 私も、あなたたち二人と同類だと思われています。

 というか、いつの間に私、スギノスケってあだ名をつけられていたんですか。

 

 叱りたい言葉が、叫びたい言葉が幾重にも折り重なって、喉元で交通渋滞を起こしている。

 

 スギナの心は恥ずかしさに煮えたぎり、その両手は目の前に立つ先輩二人に怒りのポカポカパンチを繰り出さんと、固く握りしめられていた。

 

 ファーストとセカンド相手に襲い掛ろうとするスギナの愚挙を押しとどめていたのは、背後に感じる分校リコリスや名古屋支部の職員たちの視線だった。

 

 これ以上、皆の前で目立つ行為をしてはいけない。

 これ以上、皆の前で何かやってしまったら、もう後はない。彼女たちの記憶に末永く残ってしまう。

 これまで仕出かしてしまったことは多いが、今ならまだ忘れてくれる範囲内だろう、たぶん。

 だから、ここは何もせず、風待先輩の後ろについておこう。

 

 幸いなことに、私は影が薄いキャラだ。影が薄いサードリコリスだ。

 このまま静かにロビーを出れば、それで終わりだ。皆は私のことを忘れるはずだ。

 

「さあいこうかスギナ。一杯もらっていくわよスギナ!スギナはどのお菓子が好き?」

 

 だから大声で私の名前を連呼しないでください風待先輩!

 

 これまでの含羞によってふらふらになっているスギナの手を引っ張り、風待は入り口前の机に置かれたバスケットへと駆けよる。

 取り放題のお菓子を目の前にして喜ぶ風待の姿は、大人びた普段の立ち振る舞いからは得られない可愛さがあったが、注目を浴びすぎて精神が限界にきているスギナには、それを愛でる余裕はなかった。

 

 風待先輩は、たまにテンションが高くなる時がある。

 可愛らしいけど、ぶん殴りたい。そんなテンションの時がある。

 

 風待のハイテンションモードは、たいていは日常生活の中の、どうでもいい時に姿を見せるだけなので、スギナも適当にあしらってやり過ごしていた。

 それが、任務前の、大勢の人の前でこのモードに移行するとは、スギナにとっては想像すらしていなかった。

 

 久しぶりに諸咲支部の先輩と会えて、嬉しかったのかもしれない。

 実は風待先輩も、出張任務に気分が高揚していたのかもしれない。

 もしくは、単にお菓子取り放題に目がないだけなのかもしれない。

 

 まあそれはいい。問題なのはそのはしゃいでいる姿を、皆が見ていることだ。

 そして皆の見ているその視界の中に、私の姿も入ってしまっていることが更に大問題なのだ。

 

「好きなお菓子もいいけど、お腹に溜まるお菓子も優先的に取っていきなさい。私のお勧めはこれ、一口ういろうよ!白、黒、抹茶、上り、コーヒー、ゆず、さくら、色々な味があるけど、スギナは何味が好き?」

「…お抹茶味」

「わかったわ、全種類入れるわね!」

 

 ポポポイのポイ、と手提げ袋の中にういろうを投げ込んでいく風待。その手には微塵の躊躇もない。

 

 ういろうだけでなく、飴玉やラムネ菓子なども手あたり次第つかみ取る。自分の袋がいっぱいになると、呆然と立つスギナの手提げ袋にも詰め込んでいく。

 

「そうだ、お菓子だけじゃなくてタオルも貰わないとね」

「タオル?」

 

 恥ずかしさに固まっているスギナが、ふと我に返って聞き返す。

「隣のバスケットに入っているでしょ。あれ見た目だけだとよくわからないと思うけど、中にタオルが一枚圧縮されて入っているのよ」

 

 風待は籠の中から四角い塊をひとつ取ると、スギナの手の上に置く。

 

 トランプケース大の小さく白い塊。しかし見た目と違い、持ってみるとかなりの重量がある。

 風待の言う通りこれがタオルだとしたら、かなり強く圧縮されているのだろう。

 

「DAの超技術の一つらしくてね、開けるとふわふわのタオルがポンと出て来るわ。サイズはスポーツタオル程度、品質も良いから持ち帰って普通のタオルとして使うこともできるのよ」

 

 だからいっぱい持っていくわよ、と言いながらこれも鷲掴みにして手提げバッグに入れる風待。その手には微塵の遠慮もない。

 

 ああ、皆が見ている…

 スギナの目がぐるぐる回る。

 

 風待はロビーにいる皆の視線など意に介してはいない。

 性格や精神力の強さもあるのかもしれないが、その美貌で普段から多くの視線を集めている風待は、大勢の人に見られているという事自体になれているのだろう。

 

 しかし、スギナは違った。

 

 もともとの内気な性格に加え、多数の人々に注目されるほどの才もない地味な存在だった。

 石の下の日陰から表に出ると身を丸めてしまうダンゴムシに、妙なシンパシーすら覚えてしまうような存在だった。

 

 その私が今、皆に注目されている。悪い意味で。

 

 石の下から無理やり出されて、身を丸めることすらできずに直射日光にさらされている。いや、この強烈な光は日光ではない、虫眼鏡で集光されている光線だ。

 

 ああ、皆が見ている…

 スギナの心がぐるぐる回る。

 

「よし、袋にもポケットにも詰め込んだし、出発よスギナ!」

 

 至大な羞恥心と矮小な自尊心によって虎になりそうなスギナの手を引っ張り、ロビーの自動ドアに向かうハイテンションな風待。

 

「そうだ、スギナ。最後に仲間の皆さんにあいさつしていく?」

 

 何気なく風待が言う。

 

「あい…さつ?」

「だってスギナって、なんだかさっきから恥ずかしそうにしているし、皆の目が気になっていたのなら、このまま出て行くより、最後に笑ってピースサインの一つでも出せば、逆に空気変えれるんじゃない?」

 

 これ以上私に何をしろというのだ。風待先輩、あなたは悪魔だ!

 

 しかし根は真面目なスギナは、混乱した頭の中で考える。

 

 いつものように適当なことを言っているのだろうが、確かに風待先輩の言にも一理ある。

 このまま出て行ってしまえば、ロビーに残された彼女たちは、私たちのことを変な人だと思ってしまうだろう。

 

 最後に来たのに、順番を待たずに名古屋支部長から直接説明を聞き、ロビー内で怒鳴ったり騒いだりした挙句、遠慮なくお菓子を袋で持って行った二人。

 

 どう見ても変な人だ。非常識極まりないリコリスだ。

 そう思うだろう。そう思って当たり前だ。

 

 だが、ここで帰り際に笑顔でピースサインでもすれば、もしかしたらその印象が薄れるかもしれない。

 

 この二人は、ただ浮かれていただけなんだな、と思ってくれるかもしれない。

 悪気はないんだな、仕方ないなと思ってくれるかもしれない。

 風待先輩の言う通り、少しはこの状況を好転させることができるのかもしれない。

 

 かもしれない、ばかりだが、やってみる価値はあるのかもしれない。

 

 やるか、よし、やってしまおう。

 任務開始前に禍根を残してはいけない。

 

 ぐるぐると思考が回る中、スギナは手に持った買い物袋を風待に渡すとロビー玄関の自動ドアの前に立ち、未だに目を丸くして見つめている分校リコリスや職員たちと対峙する。

 強く握りしめた両手の甲を、ゆっくりと皆の前に突き出す。

 

 ええと、何するんだっけ。そうだ、ピースサインだ。

 

 けど、ピースサインってなんだか恥ずかしいな。

 人差し指だけ立てておこうか、いやそれでは意味わからないな、じゃあ小指、いやそれって変な意味にとられるし、親指はちょっと浮かれ気味かな。

 

 張り詰めた緊張の糸を弦にしてかき鳴らす騒音が、スギナの脳内に響き渡り、正常な思考をかき消していく。

 無理をして顔面に浮かべた笑顔が、だんだんと引き攣っていく。人によっては狂気の形相にも見えるだろう。 

 

 小指、薬指、中指、人差し指、親指、どの指を出そうか。

 小指、薬指、中指、人差し指、親指、どの指を出そうか。

 

 皆が固唾を飲んで私を見ている。私が何をするのか凝視している。

 どの指を立てるんだっけ…何をするんだっけ…

 ああ、もういい!どの指でもいい!適当に一本だけ出してもう帰る!

 

 丸い大きな目を、さらに大きく見開くスギナ。

 力を込めた拳から、天井に伸ばすかのように指が突き出される。

 

 

 混乱したスギナが適当に選んだ指は、中指だった。

 

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