「ねえスギナ」
「はい…」
「あなたって、どんなキャラだった?」
「…内気で、小心者で、あまり目立たない、モブっぽいキャラです」
被虐でも卑下でもなく、純粋にスギナは自分のことをそう思っていた。
まあそんな感じかな、と風待も同意する。
「じゃあなんで、そんな小心者のスギナが、皆の前で中指立てて出て行ったの?」
「わかりません。なんかあの時は気が動転していて…」
「いくら気が動転していても、あれは凄すぎたわね」
「うわあぁ…」
「それも威嚇するような笑顔で、両手で中指立てていたでしょう。みんな恐怖でドン引きしていたわよ」
「…先輩にはわからないんです!先輩はきれいな人だから、虫眼鏡でチリチリ焼かれるダンゴムシの気持ちなんてわからないんです!」
「いやなにそれ…ほんとにわからないわね…まあルミナ先輩は大笑いしていたし、それでよしとしましょうか」
「よしとしちゃだめです!それで終わらせないでください!」
「じゃあもう一度本館に戻ってあいさつやり直す?」
「…それもイヤです」
「それなら忘れることね。まあ分校リコリスや職員の皆さまにとっては忘れられない記憶になったことでしょうけど。さっきのことは、戦慄のダブルファック事件として、今後永く語り継がれることでしょうね」
「適当な事件名つけないでください!」
頭を抱えたスギナが、ついに道端にへたり込む。
名古屋支部本館を出て、名古屋駅に向かう途中の道。
今にも振り出しそうな黒雲が空を覆う暗い夕暮れ。スギナの心も同じように暗かった。
「まあ代々の諸咲支部リコリスって、こういう出張の際はかなり目立っていたっていうから、今回も他支部のリコリスから見ればいつものことって思うんじゃない?また変わった新人が来たな、くらいで済んでいると思うよ、たぶんね」
適当な慰めの言葉をかける風待。
「というか、できれば私のことなんか忘れてほしいです…」
「彼女たち分校リコリスは翌朝の任務終了後にまた本館に集合するみたいだけど、私たちは任務終わったら直帰できるから、もうこれからしばらくは会うことはないわよ。だから、明日にはもうスギナのことは忘れているんじゃない?」
適当な慰めの言葉をかける風待。本当に適当である。
「そうですかね…けど帰りに本館に寄らなくていいのはうれしいです。なんかあの場所にいた時間がすごく長く感じられて…もう6週間くらいいた気がしています」
実際は30分もいなかったであろう名古屋支部本館ロビー内での滞在。しかし幾度となく多くの視線を集めたスギナには、その時間は実際より長く感じられた。
「なんか妙に具体的な時間ね…それはともかく、私たちの任務はこれから始まるのだから、その前に疲れ果ててはダメよ。スギナには、バディとして私のサポートをしてもらうという大事な役目があるのだから」
「…はい、先輩」
慰めではないその言葉が、逆にスギナを元気づける。
そうだ。私は風待先輩のバディとして今回呼び出されたんだ。他の分校リコリスたちは、一人ずつ任務が違うようだが、私と風待先輩は、二人で一つの任務が与えられている。
ということは、私の任務は風待先輩のサポート。優秀なセカンドリコリスである先輩のバディとして、全力でサポートするのが私の役目だ。
私はかつていた風待先輩の後輩、芭照瓦セノカほど優秀ではないけど、それでもセノカに負けないくらいがんばって、先輩の隣に立つのにふさわしいリコリスにならなければいけない。
がんばろう、と気合を入れて立ち上がるスギナに、風待が微笑みかける。
「それじゃあ行きましょうか。作戦開始時間にはまだ早いけど、先に現場に行って周囲を見て回りましょう。土地鑑は歩いて覚えないとね」
「わかりました。ところで、現場ってどこですか。あと、私まだ任務の内容教えてもらっていないんですけど」
そういえばそうだったわね、と風待が気づく。
「私たちの配置場所は、近城埠頭に架けられた近城橋の手前。そこまでは名古屋駅から出ている青凪線に乗って行くわよ。任務内容は…ちょっとここは人が多いから、そこについてから話すわね」
夕暮れも深くなっていく時間帯。名古屋駅前の道は、仕事帰りの人々が行き交っている。周囲の人に聞かれにくい、特殊な発声で話すことも可能な二人だが、それでも用心に越したことはない。
二人は無言のまま、名古屋駅の西口から広いコンコースに入る。
大きな名古屋駅を東西に貫通する中央コンコース。私鉄や地下鉄、そしてスギナと風待が乗る青凪線への連絡通路もこの中にある。
コンコース内を右に曲がり、さらに人混みの中を進む二人。それとなく周囲を警戒しつつ青凪線の始発駅に向かうスギナの目に、ふと自分の同じ色の制服が目に入る。
思わず足を止めるスギナ。どうしたの?と横にいた風待も立ち止まる。
スギナの視界に入った色。それは、少し前に名古屋支部本館を出たサードリコリスが着ている制服の色だった。
スギナの近くで、名古屋支部の職員から任務の説明を受けていた分校リコリス。たしか岡碕支部から一人で出張してきた新人リコリスだ。
初めての任務に緊張していたのか、なかなか説明の内容が理解できなかった少女。最後は怒られるかのように、追い出されるかのように、一人本館ロビーから去っていった少女。
その少女が、駅通路の隅の柱、その陰に隠れるかのようにしゃがみこみ、小さく震える体を丸めてスマートフォンを凝視している。
スマートフォンの画面は見えないが、彼女が何を見ているのかはおおよそ分かる。地図アプリだろう。
名古屋支部の職員から、タブレットで説明された彼女の巡回コース。記録することを禁止されたその道順を忘れないよう、脳内の記憶領域に焼き付けようと必死に名古屋市内の地図を見ているのだろう。
初めての出張任務への緊張と、巡回路をなかなか記憶できない焦りで周囲が見えていないようだ。帰宅する人々の動線から外れた一角。その奥にある柱の裏とはいえ、人波に背を向けしゃがんでいるその姿は、リコリスとしてあまりにも無防備だった。
「どうしたのスギナ。あの子が気になるの?」
「はい…あのサードの子って、ロビーで最初に説明受けていたリコリスなんです」
「ああ、23MOZ、岡碕支部の分校サードだったわね」
そんな子もいたわね、と軽く答える風待。
「私がルミナ先輩を呼んでいる間に出て行ってしまったから、今やっているグループでの説明会に参加できなかったのね。大丈夫かしら」
「私も彼女のことは気にかかっていました」
「確かに気になるわね。作戦開始前からあんな調子で、本当に使い物になるのかしら。延空木の時の分校リコリスみたいに、変なトラブル起こして足引っ張らなければいいけど…」
数カ月前の延空木占拠事件。DAはその鎮圧に本部附の最精鋭リコリスを投入するとともに、普段は都内の巡回を担当している本部卒リコリスたちを延空木周辺の封鎖任務に充てる。
都内リコリスがすべて動員される間、一時的に空白地帯となる東京23区内の警備は、関東周辺の地方支部より出張した分校リコリスがその任にあたったが、その際、ある分校リコリスが、一般人に銃を向けた挙句自分が被弾してしまうという、リコリスにあるまじき失態を犯してしまう。
事件の主犯格である真島の扇動映像に毒された一般市民が、千丁銃器密輸事件で全国にばらまかれた拳銃を偶然手にしていたという運の悪さもあったが、それでも白昼の町中で、多くの人々に疑惑の目を向けられていた最中での発砲は、隠密性を重要視するリコリスにとって最もしてはならない行動だった。
本部の訓練課程を卒業間近だった当時のスギナも、この件は知っていた。まだ訓練生だったスギナも聞いたことがあるほど、それはDAにとって衝撃的ともいえる失態だった。
風待はそのころは諸咲支部に配属されていたが、先輩である名古屋支部のルミナ支部長経由かモブリコ寿司経由でその話を聞いていたのだろう。柱の奥で震えている分校リコリスを見た時に、延空木事件の際の分校リコリスを想起したのは、当然といえるかもしれない。
しかし、スギナが彼女を見た時に思い起こしたのは、少し前の光景、ロビーを出て行く彼女の姿だった。
不安に押しつぶされそうな表情で自動ドアをくぐり外に出た彼女は、ドアが閉まる寸前に振り返り、すがるような目つきでロビー内を見ていた。
今にも泣きそうなその顔、今にも涙があふれそうなその目。
あの時、私は何もしてあげられなかった。
「まあ私たちの任務は分校リコリスたちと連携してはいないし、わざわざ気にしていたらきりがないわ。行きましょうスギナ」
あの時、私は話しかけることができなかった。
「どうしたのスギナ。早く行きましょう」
あの時、私は助けることができなかった。
「スギナ?」
「先輩!私はダンゴムシなんです!彼女と同じ、ダンゴムシなんです!」
少しだけ待っていてください、と風待に言い残し、スギナは柱の陰で座り込んでいる岡碕リコリスのもとに駆け寄る。
スギナの足音に振り返った岡碕リコリスが、柱の裏から振り返り、小さな悲鳴を上げた。
ロビーの壁際で分校リコリスたちを威嚇していた恐怖の諸咲リコリスが、私を追いかけてきた。私にとどめを刺しに来た。そのような風に誤解しているのだろう。
しかし、スギナは構わず、座り込んでいる岡碕リコリスの前に立つ。
「あ…あの、なんでしょうか」
おずおずと、岡碕リコリスが口を開く。
スギナは怯える彼女を、黙ったまま見つめている。
連絡通路に響き渡る喧騒の中、そこだけが気まずい静けさに包まれる。
しまったな、とスギナは無表情のまま心の中で後悔した。
勢い込んで彼女の前に飛び出したものの、語りかける言葉が出てこない。
語りたいことは多いのに、なぜか言葉が出てこない。
訓練生時代、人との会話が少なかった弊害だな、とスギナは焦る頭の片隅で思う。
聞き上手の風待先輩と暮らしていたので忘れていたが、自分は元々話すのが苦手な性格だった。
出だしの言葉が上手に出てこないタイプ。初手の挨拶さえ滑らかに言えないタイプ。言葉の食い違いで相手に誤解されてしまうタイプ。今日久しぶりに諸咲を出て、自分がそういう類の性分だったということを、嫌というほど認識できた。
まあそれは今後の反省点だ。今の後に反省して今の後に改善すればいい。
今は、言葉の品出しが遅い自分が、どのようにして眼前の相手に気持ちを伝えるかだ。
目の前の岡碕リコリス、分校出のサードリコリスは、しゃがんだまま震えている。
左右に跳ねたショートヘアの毛先を震わせ、怯えたような目でスギナを見ている。
昔の自分、諸咲に来る前の自分も、おそらく同じような目をしていたことがあるだろう。
スギナは彼女の目線に合わせるようにゆっくりと屈みこむと、昔の自分に話しかけるかのように、静かに口を開く。
「本革の靴は、丁寧にお手入れをすると上品な艶がでます」
「はい?」