モブリコ辺境暦   作:杖雪

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6月の雨の日に ⑩

「本部でも、ぼーっとしたリコリスっているんですね」 

 

 そのリコリスに親近感がわいたのか、くすっと可愛く笑うコナギ。

 

 悪かったな!私のことだよ!とスギナが心の中で絶叫する。

 

 しかし、不安げな顔をしていたコナギの顔に、微笑みの花が咲いたのは良いことだ。スギナは話を続ける。

 

「駐車場に来たら、黒目は固定する感じで前を見て、視界の周辺に意識を集中して情報を得てください。白目の部分で見るイメージで、駐車場の中を探って下さい」

「白目で見る感じで…ですか」

「そうです。先ほども言いましたが、今回のコナギさんの任務は、人と車の数を確認するだけ。それだけならば、視界の端、白目の部分に映った光景だけでも把握できます」

 

 ―いいかスギナ、監視や尾行のときは、相手に黒目向けるんじゃねえぞ。目線ってのは意外とごまかしがきかねえ、だから白目で相手を見ること、絶対忘れんなよ。

 

 練習生時代、実習成績が最下位だった自分に、何度も補修をしてくれた教導員役のファーストリコリスが、かつてこう説明してくれた。

 

 その教導員役の先輩は説明の後に、射手の目線で弾道を予測して銃弾を避ける化け物もいる、と真顔で付け加えていた。

 そんなすごい人がこの世にいるとは思えないので、おそらく先輩が誇張した話なのだろうが、それだけ目線は大事だということを伝えたかったのかもしれない。

 

 目線に気をつけろ、白目で見ろと訓練のたびに繰り返すそのファーストリコリスの先輩に、スギナは、先輩は白目部分が多いですから、こういう時便利ですね、と口を滑らしてしまったことがある。

 そのとき先輩は、ああそうだなと一言つぶやくと、真顔のままスギナにツッコミのチョップを入れた。ノーモーションだった。

 

 今にして思えば、あれはかなり本気だった。

 あれはもはやチョップではなく斬撃だった。ベルリンに赤い雨が降った。

 

 態度と口調は厳しかったが、根は優しい先輩だった。けど、やっぱり怖い先輩だった。

 

 そのとき受けた指導を思い出しながら、スギナはコナギに、偵察任務の心得をかいつまんで話していく。

 暗闇の中での観察方法、車輛の中に人がいるのかを見分ける方法など、今のコナギに必要な最低限の知識を、スギナは限られた時間の中で、手際よく手早く説明する。

 

「…というように、夜間の判別方法として、歩き方のくせを覚えるのも一つの方法です。ターゲットは顔だけではなく身長や姿勢、動作の特徴など、総合的に記憶してください」

 

 分校では、スギナが本部で学んだ公安式の人相記憶術や路上哨戒法は教えていないだろうが、6人程度の監視ならばこの説明でなんとかやれるはずだ。

 

「最後に、ターゲットが駐車場から突然離れた時の注意点です。少しの時間離れるくらいなら問題ないのですが、場合によっては、複数で抜けたり突然走って出て行ったりと、いかにも不自然な形で離れる場合があります。もし監視中にそういうことが起こっても、コナギさんは絶対追いかけたりしないでください。ターゲットが突然不規則な行動をするのは、監視者がいるか確認するときの常套手段です。ターゲットが一時的に駐車場から離れても、そこに車が止めている限り、彼らは絶対元の場所に戻ってきます。だから何があっても慌てて立ち止まったり目線を向けたりせずに、そのまま同じルートを歩いてください。そしてあったことは必ず名古屋支部の人に伝えてください。そうすれば、あとのことは名古屋支部の担当官が考えてくれます」

 

 スギナの説明に、しっかりとうなずくコナギ。

 これならできそうだ、この程度ならできそうだという自信が、コナギの表情に浮かんでいる。

 

「説明は以上です。コナギさん、一つ聞いてもいいですか」

「はい?なんですかスギナさん」

「白、黒、抹茶、上り、コーヒー、ゆず、さくら。コナギさんは何味が好き?」

「え?」

「何味が好きですか?」

「…コーヒー味」

「大人ですねコナギさん。私と同じくらいの歳なのに」 

 

 スギナの左腕に吊るされた、お菓子と圧縮タオルで膨らんだ買い物袋。スギナはその袋の中をまさぐると、コーヒー味の一口ういろうを取り出し、コナギの制服のポケットに入れる。

 

「え…えっと…」

 

 いきなりういろうを押し込まれ、呆然とするコナギ。しかしスギナは驚くコナギに目もくれず、再び自分の買い物袋に手を入れる。

 買い物袋に入っている様々なお菓子、それを目一杯取ると、またコナギのポケットの中に無理やり入れる。

 コナギの着ている制服のポケットが、お菓子でパンパンに膨らむ。

 

「あの…スギナさん」

 

 こんもりと膨れ上がったコナギのポケット。遠目でもわかるほどの服のふくらみに、コナギが恥ずかしそうな顔をする。 

 

「恥ずかしがってはいけません。作戦中の栄養補給は大事です」

 

 コナギの胸元の制服裏にある隠しポケット。そこに圧縮タオルを入れながら、スギナが言う。

 

「糖分が足りないと脳が正常に働きません。任務中に正しい判断をするためにも、菓子類は定期的に摂取してください。これは遠足のおやつではなくて、任務のための装備品。だからどれだけポケットが膨らんでいようと、恥ずかしくはないんです」

 

 ―携帯用のお菓子と圧縮タオルは目一杯持って行ってくれ。任務中の糖分補給は大事だからな。

 

 名古屋支部長、そして元諸咲リコリスの臥観手ルミナ先輩が、そう言ってくれた。

 あれは出張任務で集まった私たち外様のリコリスへの、せめてもの心配りだったのだろう。

 

 会話を交わしたのは少しだけだったが、名古屋支部長、そして中部地区の精鋭部隊である名古屋王須鉛撃隊の隊長に相応しい、立派なファーストリコリスだった。

 風待先輩が、ルミナ先輩の前で後輩っぽい、無邪気な振る舞いをしてしまうのもわかる気がする。

 もっとお話ししたい、もっと教えてもらいたい、そんな感じになる人だった。

 

「ありがとうございます。スギナさん、私、なんだかやれる気になってきました」

 

 説明を終えたスギナに、コナギが礼を述べる。

 彼女の心の中で、任務遂行への道標が見えてきたようだ。柱の陰で震えていた時とはうって変わり、自信にあふれたような顔でスギナを見つめている。

 

「やっぱりDA本部で学んだ人ってすごいですね。私、優秀なスギナさんに教えてもらって、本当に良かったです」

「コナギさん」

 

 菓子袋を足元に置いたスギナが、紅潮した顔で見つめるコナギの右手を取る。まだ成長途中のコナギの小さな手を、同じくらい小さなスギナの両手が優しく包み込む。震えが無くなったコナギの手を握りしめながら、スギナはコナギの目を見て静かに語りだす。

 

「私、本部では、いつも最底辺の成績でした。なんで卒業できたのか、なんでリコリスになれたのかもわからないくらい、出来が悪かったんです。だから私は、自分が優秀なリコリスだなんて一度も思ったことはありません」

 

自分のことを優秀だと言ってくれたコナギの言葉を訂正するのは少し辛い。しかし、コナギを安心させるためには、自分のことをきちんと伝えなければならない。

 

「本部にいた頃は、いつも泣いていました。毎日のように教官や指導員からきつい言葉を言われて、その度に泣いていました。みんなの目の前で、です」

 

 握ったコナギの手に、知らず知らずのうちに力がこもる。

 

「皆の前で叱られたり、強い言葉を投げつけられると、耐えることができませんでした。我慢できず、泣きました。私は成績もよくなければ、心も弱い、最底辺のリコリス候補生でした。けど、コナギさんは違います。コナギさん、さっきロビーであれほどきつい口調で説明を受けていても、泣かなかったですよね。あれ、立派です。私なら泣いていました」

 

 今向かい合って手を握りしめている岡碕リコリス。彼女がロビーで職員から説明を受けていた時、背後で見ていたスギナの瞼に浮かんでいたのは、かつての自分だった。怒られて、泣いて、身を震わせているかつての自分だった。

 

 よく怒られていた自分だから、あの時のコナギの辛さは理解できる。

 ロビーにいた時は伝えることができなかった言葉を、今なら彼女に言うことができる。

 

「どんなに怒られようと、どんなに叱られようと、泣かなければ勝ちなんです。何も言えなくても、言い返せなくても、意地と矜持が折れることなく、立ち続けることができていれば勝ちなんです。だから、あのとき泣かなかったコナギさんは負けてはいません。皆の前で、岡碕リコリスの気概の旗を折らずに立つことができたコナギさんは、強いリコリスです。立派な岡碕リコリスです!」

「スギナさん…」

 

 たどたどしい言葉で励ましの言葉を贈るスギナ。その懸命な表情を見つめるコナギの頬が、感情の高揚によってさらに紅潮する。

 

「コナギさんなら、強いコナギさんなら、今夜の任務を無事にやり遂げることができます!この私が言うのだから間違いありません!信じてください!」

 

 最底辺の自分が言っても特に根拠はないのだが、それでもコナギの不安を払拭させるため、スギナはあえて断言する。

 

「スギナさん…ありがとうございます!」

 

 根拠皆無の断言だったが、それでもコナギの心には響いたようだ。握られた手を強く握り返し、一歩前に出てスギナの体に身を寄せる。

 

「私、スギナさんの言葉、信じます。私、今日の任務がんばります!」

 

 感激と興奮に身を委ねながら、しばらくスギナの体温を味わうかのように密着していたコナギだったが、湧き出た意気込みを全身に行きわたらせるかのように一声気合を入れると、スギナから離れ、確かな足取りで歩き出す。

 

 スギナたちとは反対側、市内繁華街へと向かうコンコースの連絡通路に向かって大股で歩くコナギ。高ぶる感情が抑えきれなかったのだろう、途中でコナギは立ち止まり、スギナのいる方向にくるりと回れ右をする。

 

「本当に!ありがとうございました!」

 

 大きな通路に響く大きな声。仕事帰りで疲れた顔をした人たちの目が、一斉に見開かれるほどの大きな声。

 

 コナギは大きな動作で大きく一礼し、再び自分の任務地に向かって歩き出す。

 その後ろ姿には、もはや先ほどまでの弱々しさは微塵も残っていなかった。

 

 もはや振り返ることもなく、早足で歩いていくコナギの後ろ姿。スギナはその姿が人混みの中に消えていくまで見つめながら、大きく安堵の息を吐いた。

 

「スギナ、おつかれさま」

 

 いつの間にか背後に立っていた風待が、スギナに労いの言葉をかける。

 

「先輩…任務前に時間を浪費してしまい、申し訳ありませんでした」

 

 風待に向き直り、謝罪するスギナ。普段は田舎支部でだらだらと生活している仲ではあるが、作戦中は上官と部下だ。自分の勝手な感情で他支部のリコリスと接触し、任務地への到着時刻を遅らせてしまったことは、きちんと謝らなくてはいけない。

 

「まあいいわ。これくらいの時間なら大したロスでもないしね。それよりスギナ、なかなか立派な先輩ぶりだったわよ。指導も上手にできていたし」

 

 冷やかすような風待の言葉に、顔を赤くするスギナ。

 

「いえ…全然ダメです。私の今の説明、何一つ自分の言葉じゃありませんでしたから…」

 

 下を向いてスギナが答える。

 

 スギナが先ほどコナギに語った任務のコツや心得、重要なポイントなどは、本部附リコリスの教導員役の先輩たちや、諸咲リコリスの先輩たちから教えてもらったことばかりだった。

 

 自分で得た経験、自分で学んだ体験などではない。先達からいただいた知識を、自慢げに見せびらかしていただけに過ぎない。

 あまりにも薄っぺらい説教。それを風待に見られていたことが、スギナには恥ずかしかった。

 

「いいのよ、最初は誰だって習った通りのことしか言えないものよ。今はそれよりも、困っている仲間を助けたいと思った、その心を忘れないでね」

 

 恥ずかしさに俯くスギナの顔を下から覗き込みながら、風待が微笑む。

 

「スギナってさ、将来は後輩思いの、立派な先輩になれそうだよね」

「…あまり、からかわないで下さい」

 

 恥ずかしさのあまり、顔を上げることができないスギナ。底辺サードの自分が後輩を持つ姿など想像もできない。ましてや立派な先輩など、なれるはずがない。

 心の底からそう思っているスギナにとって、今の風待の言葉は、いつものように自分をからかっているようにしか聞こえなかった。

 

「…けっこう本音だったんだけどね」

 

 少し残念そうにつぶやく風待。その言葉に顔を上げるスギナの肩に、風待は軽く手を載せる。

 

「ま、将来のことより今の任務ね。スギナ、さっきのあの子のように、私たちも気合入れて行きましょう。私たちも任務がんばって成功させないと、今度あの子にあったとき、合わせる顔がないでしょ」

 

 スギナの肩をポンと軽く叩く風待。

 

 風待のその言葉に、スギナの気持ちが切り替わる。風待の顔をしっかりと見ながら、力のこもった声でハイと返事をする。

 

 人混みをかき分けながら歩き出す二人。

 

 今のスギナは、名古屋支部本館内で起こしてしまった数々の失態は、もはや気にしていなかった。

 

 今のスギナの心にあるのは、元諸咲リコリスのルミナ先輩と、岡碕リコリスのコナギの顔だった。

 

 私はこの二人から信頼されている、期待されている。

 ならば、その思いを裏切るわけにはいかない。

 

 がんばろう、スギナはそう思った。

 

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