モブリコ辺境暦   作:杖雪

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6月の雨の日に ⑬

 待機場所は近城橋の手前側。私たちは歩道と中央分離帯の陰に別れて待機。埠頭から橋を渡って逃げて来るターゲットがいたら名古屋支部から通信機で緊急連絡が入るから、該当する人物か車両を目視で発見次第処理する、これだけのことよ。

 と、作戦開始前に風待先輩は説明してくれた。

 

 追加説明が要らないくらいの、簡単な任務内容。

 名古屋駅でお話しした、分校リコリスのコナギさんの任務の方が難しく聞こえるほど、単純なお仕事。

 

 しかし、責任は重い。

 

 私たちがターゲットを阻止できなかった場合、そいつらは夜の名古屋市内に侵入してしまうのだ。それも、手に武器を携えて。

 

 夜の名古屋の平和を守るため、静かに眠る市民の平穏を守るため、私たちは鉄壁の最終防衛線とならなくてはいけない。

 がんばろう、と意気込むスギナ。その隣で、風待は冷静に夜の橋を見つめている。

 

「待機場所から見ると、思ったより橋の勾配がきついわね…射撃できるのは、敵が橋の中央に来た時からね」

 

これくらいの雨なら視認に問題ないし、風もないから弾丸を外すことはまずないわね、と風待はつぶやく。

 

「射撃の順番はどうしますか先輩。やっぱり一斉射撃ですか?」

 

 ここから橋までは距離があるので、風待先輩のように遠距離から射撃しても、私の腕では当てるのは難しいだろうなと思いつつ、スギナが尋ねる。

 

「どうせ緊急通信が入るのは敵が橋に入ってからだろうから、タイミング合わせる余裕はないわ。ここは一斉射射撃より個別射撃のほうが合理的ね。通信連絡が入ったら私がすぐ敵の車を確認してワンマガジン撃つから、スギナは私が弾倉交換中に交代射撃。私が装填完了したらまた交代して射撃。普通の車なら合計18発も打ち込めば、私たちの防衛線の手前で力尽きて停止するでしょうね」

「拳銃2丁で、車止まりますかね…」

 

 少し心配そうな声で尋ねるスギナ。

 

 車両への銃撃訓練は、リコリス候補生時代に何度か行ったことがあるが、その時はすべてクリスベクターを使用していた。

 

 サード候補生同士の臨時バディが、ともにクリスベクターを持ち、無線操縦の中古車に向けて射撃するという、本部のリコリス候補生ならではの贅沢な訓練。

 教練用広場を暴れ牛のように走り回り、自分たちに向けて襲い掛かってくる車のエンジンやタイヤを狙い、動作を停止させるのに使った弾丸の数は.45ACP弾120発。二人がかりで各2斉射分を必要とした。

 

 そのためスギナは、たとえ風待先輩がいるとはいえ、装弾数6発のグロック36の火力で車輛が停止するのか、不安を感じていた。

 

「埠頭内には防弾車両や装甲車両はないから、狙いどころを押さえておけば拳銃だけで問題はないわ。初撃は私が左右のフロントタイヤ狙うから、次撃のスギナは運転席側のフロントガラス狙いなさい」 

 

 狙いは運転手。フロントガラスのそこの部分にだけ集中して撃ちこみなさいという風待の指示に、胸をなでおろすスギナ。

 

 雨天時の射撃には自信がなかったスギナだったが、フロントガラスのような面積が広い場所なら、相手が暴走していてもまず外すことはない。

 そしてスギナが撃つ前に、風待が前輪を狙って撃ってくれるのだ。左右のタイヤに3発ずつとはいえ、セカンドリコリスの射撃能力なら、運転を続けることはほぼ不可能になるだろう。

 

「あとは待機場所、歩道の横と中央分離帯の中のどちらをスギナが担当するかだけど…」

 

 風待が、言い辛そうな感じでスギナに説明する。

 

「待機していて楽なのは歩道側ね。中央分離帯での待機は、真横を通り過ぎるトラックの風圧や雨飛沫が直接かかって、今日のような日は大変でしょうね。ただ歩道側は、橋を走って逃げるターゲットが現れた時の対処や、夜道を歩いている一般人が戦闘に巻き込まれないよう保護する任務があるわ。スギナは…」

「私、道の真ん中で待機します!」

 

 スギナは即答する。

 

 風待が言うように、夜間、それも雨の中、中央分離帯の狭い地帯で身を隠し続けるのは辛い仕事だ。

 

 しかし、重要性の高い場所は歩道側だ。たとえ深夜の人気のない工場地帯でも、一般の市民が歩道を歩かないとは限らない。国民の保護と敵の排除。この二つを完璧にこなせるのは、経験を積んだセカンドリコリスである風待先輩しかいない。

 

 となれば、辛いだけの仕事は、下っ端であるこの私が率先して受け取るべきだ。

 

 風待先輩に指示されてはいけない。指示される前に、自分から手を上げなくてはいけない。

 自分は風待先輩をサポートするサードリコリスだ。こういう時のために存在するのがサードリコリスだ。

 

 だから、何も言わずに、この私に任せてくださいと、スギナは風待の目を見つめる。

 

 その意思は、風待にもしっかりと伝わったようだ。

 まかせたわよ、とポンとスギナの肩をたたく風待。

 

 はい、と大きく返事をして、スギナは水溜りができはじめた夜の道路を横切り、中央分離帯へと走った。

 

 

 

 

 近城橋へ続く道路は片側3車線、中央に縁石一段分の高さで幅1メートルほどの中央分離帯が伸びている。

 

 横断防止用の鉄柵はなく、腰までの丈のツツジが数メートルの距離を置いて植えられているため、身を隠す場所には困らない。

 スギナは近城橋側から視認されないよう、分離帯のツツジの陰で片膝を付き、身を隠す。

 

 背中のサッシェルバッグからグロック36を取り出すと、少しでも雨に濡れないよう、股間に潜り込ませるようにしてホールドする。

 

 初弾は既に装填済み。トリガーさえ引けばすぐに発砲できる状態だ。

 

 身を屈めた分、路面に近くなったため、舗装道路の表面を叩く雨音が大きく聞こえる。

 セミショートにカットされた髪から流れ落ちる雨水が、うなじから背中に入り、スギナの体を中から濡らしていく。

 

『スギナ、そこからの視界はどう?』

 

 ヘッドセットタイプの通信機から、風待の声が聞こえる。

 

 風待も反対側の歩道に移動し終えたようだ。スギナが横に目を向けると、歩道側に立ち、左耳にかけてある通信機に手を当てて音量確認をしている風待の姿が見えた。

 

「雨飛沫がひどいですが、橋の視認に問題はありません。ただ、雨音が思ったよりノイズになっています。聴覚での警戒は、この場所では難しいです」

 

『わかったわ。音関係でなにか異変があったら、その都度連絡するわね。それでは、頭の時計合わせするわよ、あと16秒で10時12分。10秒前…5秒…0!』

 

 数秒の誤差があったスギナの体内時計が、風待の合図で修正される。

 

 リコリスには、腕時計はいらない。

 

 日常のファッションや偽装で腕時計をはめることはあるが、彼女たちは皆正確な脳内時計を持っている。朝起きた時に一度時計を見れば、あとは入眠時まで時間感覚が狂うことはない。

 

 一般には、ファーストリコリスは電波時計なみ、セカンドリコリスやサードリコリスならクォーツ式の時計なみ、分校リコリスならネジ巻き式時計なみと言われているが、もちろんその性能には個人差がある。

 

 スギナは一応クォーツ式時計のランクだが、クォーツ式といっても値段によって性能に差はある。底辺サードのスギナなら、100均の陳列棚に並ぶ安いクォーツ時計なみだろう。風待の脳内時計と比べ、幾ばくかの誤差があるはずだ。

 

 そのため、お互いの協力が必要な作戦の前には、上位リコリスが部下に対し、個人差を修正するための時刻合わせをする必要がある。

 任務開始の号令も兼ねているこの時刻合わせの声に、100均レベルの安物スギナの気持ちが引き締まる。

 

 雨音が響く中、スギナは前方にある橋を見つめる。

 

 一直線に伸びる道路、その先には近城橋の支承部分を示す灰色のラインが引かれ、そこからなだらかな勾配が続いている。

 橋の支承までは約50メートル。スギナは橋のたもとに横たわる鋼製フィンガージョイントのラインを、自分の射撃開始地点に設定する。

 

 50メートル先から、運転席側のフロントガラスを銃撃。本部卒サードリコリスである自分の腕なら、たとえ雨天の夜であっても、たとえ車両が蛇行をしていても、この程度の距離、その程度の目標なら外すことはない。ガラスの奥の人影を見つけることができれば、運転者の射殺もできるだろう。

 

 さらに、自分の近くには風待先輩もいる。二人がかりなら、どのような突発事態でも対処できるはずだ。

 

 スギナは、道を挟んで右手の歩道側にいる風待に目を向ける。

 ガードレールを乗り越え、道路側に身を置いて待機している風待も、降りしきる雨にその身を濡らしながら、前方の橋を警戒している。

 

 微動だにせず、背筋を伸ばし埠頭側を見つめて立つその姿は、一つの彫像が置かれているかのようだった。

 

 風待の手にも、スギナと同じグロック36が握られている。

 夜間とはいえ、人が通ることがあるかもしれない歩道側だからであろう。風待は右手に握られたグロックの上に、無地のハンカチを左手で被せ、下腹部に押し付けるようにして保持している。

 

 ハンカチと左手でカバーされていても、隙間からのぞくグロック36の銃身が、凶器が持つ殺気をあからさまに主張し、遠くから見ても彼女が銃器を携帯していることが明確に識別できる。

 

 一般人の銃器所持が禁止されている安全社会の中での、杜撰な隠蔽。

 しかし、この国では、この程度の秘匿で大丈夫なのだということは、スギナは赴任してからの多くの経験で学んでいた。

 

 この国の人々は、社会が平和で繫栄している理由を、なんとなくだが気が付いている。

 これから先も、この平穏な生活が続いていくようにするためには、何に目を背ければいいのか、ぼんやりとだが理解している。

 

 だから、たとえ形だけでも、隠しているという所作さえしていればいい。隠しているというアピールさえしていればいい。

 

 今、風待が拳銃の上に被せているハンカチの意味は、手にしている武器を隠すためではなく、手にしている武器を見るなという警告。

 暗黙の了解が得意な日本人にとっては、その意を理解することは容易い。

 たとえこの歩道が、朝の通勤ラッシュ並みに混雑していても、風待が隠し持つグロックに目を止める者はいないだろう。

 

 ハンカチ一枚で隔てることのできる、DAと社会。

 

 しかし、両者がどれだけ隔てられようと、雨は平等に降りそそぐ。

 

 歩道に立っている風待も、スギナと同じように大粒の雨に全身を打たれている。

 

 月の光を反射しているかのような美しい艶で飾られた長い黒髪も、今は多数の雨粒に叩きのめされ、浜辺に打ち上げられたクラゲの触手のような弱弱しさで肩や背中に貼りついている。

 名古屋支部本館内で、分校のサードリコリスたちに羨望の目で見られた青色の制服も、夜の雨にその清麗さを奪われ、萎れた花弁のような皺を布地の表面に浮かび上がらせながら、風待の体と一体化したかのように密着し、彼女の女性的な体のラインを曝け出している。

 制服にまとわりついた雨は、幾筋かの流れとなって滴り、下方に降ろした風待の腕の先と、足を覆うスカートの端から、パッキンの劣化した蛇口から漏れる水滴のように点々と落ちていく。

 

 彼女のすべてを貧相な姿に貶めようとする雨空の悪意。しかし、雨に濡れた風待の顔は、自然の暴威に抗うかのように毅然とした表情で前を見据えている。

 強靭な意思を宿した瞳の色は、夜間であってもはっきりとわかるほど強く輝いている。

 

 とめどなく降る雨など全く気にも留めない、これから続く長い待機時間など全く意に介していない、強い精神力を宿したその姿。

 これこそがセカンドの名を冠するリコリス。これこそが支部長の任を持つリコリス。

 

 雨に濡れ、暗い夜道に一人立つ風待の姿を、スギナはただ美しいと思った。

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