モブリコ辺境暦   作:杖雪

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6月の雨の日に ⑮

「風待先輩!!少しぐらいは耐えてください!!」

 

 通信機を通して聞こえる風待の悲鳴に、スギナが思わず叫ぶ。

 

 そういえば風待先輩は、結構自然体な人だった。

 

 物静かそうな外見とは裏腹に、思ったことをポンポン喋る人だった。

 驚いた時は、大きな声で叫ぶタイプだった。

 

 今月初めごろに諸咲の漁港を二人で巡回していた時、スギナは港の岸壁の側面を走っていた大きめのフナムシを何となく捕まえ、何気なく風待に向かって放り投げたことがある。

 

 そのとき風待が発した絶叫は、未だにスギナの耳元に残っている。

 

 漁港の皆さまが一斉に振り向くほどの、大空高く響き渡る少し濁った金切り声。

 

 投げたフナムシが襟から服の中に入ってしまったという些少のアクシデントがあったとはいえ、セカンドリコリスとは思えないほど錯乱し、海を越え歌島まで届きそうなほどの大声で喚き叫んでいた風待先輩。

 

 驚いたり怖がったり怒ったり泣いたりと、その時の風待先輩は、上品な見た目と違いとても騒がしかった。

 感情が高ぶると言葉が出なくなる自分とは違い、先輩は結構感情のままに声が出るタイプだったんだなと、スギナは地面を転げまわる風待の姿を見ながら思ったものだ。

 

 今回も、想像より激しかったトラックの衝撃に、思わず声が出てしまったのだろう。

 スギナが横を向くと、澄んだ目をまん丸に見開き、口を開いて呆然とする風待と丁度視線が合う。

 

 大丈夫ですか?と、スギナはハンドサインを風待に送る。

 

 少しの間固まっていた風待だったが、スギナのハンドサインが目に入ったのか、あわてて口を閉じる。

 

 大丈夫ですか?と再びスギナがハンドサインを送ると、大丈夫ですよ、と風待が少し恥ずかしそうにハンドサインで返事をする。

 少し驚いただけ、問題ないですよ、本当ですよと、左手と左腕をくるくる動かしながら、風待が手話で必死に言い訳をする。

 

 リコリスの手話やハンドサインは、左手だけを使うのが特徴である。右手を使わないのは、今のスギナたちのように、武器を構えている状況でのやり取りを想定しているからである。

 

 リコリス同士で使われている手話は、片手だけでも複雑な会話ができることが特徴だが、日本や海外で使われているどの手話とも異なる構造で作られているため、日本手話や日本語対応手話を知っている人には通じない。

 

 一般の手話話者に通じないのは、リコリス手話の欠点ではなく長所である。任務中のハンドサインや手話を手話話者に見られてしまった場合の情報漏洩の危険を防ぐため、DAはあえて汎用性のない手話を一から制作したのだ。

 

 今までのトラックの風、スギナはよく耐えていたわね、大丈夫だった?と風待は自分の左手の指や掌、そして二の腕までを複雑に動かし、スギナと手話で会話する。

 

 大丈夫じゃないけど、大丈夫です。任務が終わるまでなら、なんとか耐えれそうです。とスギナも左手を使って会話する。

 その間、二人は言葉を一切発しない。

 

 作戦行動中の雑談は、厳しく禁じられている。

 

 それだけではない。任務中の会話は、IP通信機を通してできるのだが、その内容は、大支部の作戦指令室、あるいはDA本部にすべて丸聞こえになっている。

 そして筒抜けになっている雑談の内容は、自動的に文章化され、音声記録とともに作戦終了後も保管されてしまうのだ。

 

 気の抜けた雑談が後日まで記録保管されてしまうのは、年頃の少女たちの繊細な自我に僅かな痒傷を残すことになる。端的に言えば、とても恥ずかしい。

 そのため、作戦中のリコリス、特にヘッドセットマイクを装着しているリコリスは、一切無駄話をしない。しないというより、できないのだ。

 

 しかし、会話が監視下にあるとはいえ、そこは十代の少女たちである。待機中の時間くらいなら、おしゃべりをしたい、無駄話をしたい。

 もしくは、待機現場近くで仲間と出会ったら、挨拶がてら軽く任務や状況の確認をしたい。

 

 そのような時、リコリスは手話で雑談をする。

 

 DAにバレることなく、音声記録に残ることなく、気軽に意思疎通ができる手話。

 視線をそらすことができない最前線以外では、現場の知恵として、リコリスたちは左手一本で無言の連絡を取りあっているのだ。

 

 もちろん先ほどの風待の悲鳴と、スギナが思わずしてしまったツッコミも、記録に残るだろう。

 しかし、それから音声が続かなければ、特に問題はないはずだ。

 現に、風待の通信機に、名古屋支部本館に設置された作戦司令部からの注意連絡は来ていないようだ。

 

 次からは少し静かにしているわね、という風待の手話にうなずいたスギナは、再び前方に顔を向ける。

 

 意識を橋の監視に戻すと、スギナの周囲はまた雨と闇の世界に包まれる。

 

 頭の中の時計は10時21分を示している。任務開始が10時12分だったので、まだ10分もたっていないことになる。

 

 まだ10分弱か、思ったより長く感じるな、とスギナの心が重くなる。

 

 仕事中に時間の進み具合が遅く感じられるのは、精神が疲弊しているか弛緩しているかのどちらか、あるいは仕事が嫌になった場合など原因は様々だが、どちらにしても良い兆候ではない。遅く重い時の流れに摺りつぶされるかのように、徐々に仕事への集中力が摩耗してくるからだ。

 

 しかし、今のスギナにできることは、粘度を増す時間の中を、ただ耐えることだけだった。

 

 降りしきる雨の中、何も変わらぬ橋を見続けること。

 たまに通るトラックの風圧に、全身を強く叩かれること。

 じわじわと雨水が染みていく服の内側にこもる湿気と汗に、肌を撫でまわされること。

 

 同じ姿勢を保持したまま、分離帯に植えられた小さな木の裏に身を隠すスギナの気力、体力、精神力が、少しずつ、しかし確実にすり減っていく。

 

 唯一の救いは、今回の任務は、終了時間がはっきりしていることだった。

 

 深夜1時に始まる埠頭内での包囲殲滅作戦、それさえ無事に終われば自分たちの任務も終了なのだ。

 

 気力、体力、精神力が少しずつ確実に減っている分、時間も少しずつ確実に減っている。

 任務終了まで耐えることができればそれでいい、任務終了まで体が動けばそれでいい。

 任務が終われば、後はこの場で崩れ落ちても構わないのだ。

 そう考えれば、気が少し軽くなる。

 

 期限さえあれば、人の精神は意外と長く耐えられる。

 

 訓練生時代の模擬訓練もそうだった。

 

 様々な状況下での制圧訓練や戦闘実習など、辛い訓練は多かったが、精神的に辛かった実習のひとつは、終わりの時が見えない都内での監視訓練だった。

 

 DAが監視下に置いている犯罪予備軍を教材に使い、その人物が実際に犯行に及ぶまで延々と張り込みを続ける訓練。未来の大犯罪者が住む家を、電柱の陰から一日中監視する訓練は、簡単な内容にもかかわらず、想像以上に疲労困憊したものだ。

 

 臨時編成のバディと二人で、ただひたすら監視を続ける訓練。

 仮眠とトイレの時以外は、ただひたすら電柱の陰から監視する訓練。

 食事は毎回アンパンと瓶入り牛乳。ただひたすらアンパンを無心で食べながら監視する訓練。

 

 朝も昼も夜もアンパンと牛乳。雨の日も風の日もアンパンと牛乳。電柱の陰でアンパンと牛乳。人目も気にせずアンパンと牛乳。

 

 …今思えば、精神が疲弊した原因の大半は、この食事のせいだったかもしれない。

 

 食に関して、DAはたまに変なこだわりを見せる時がある。

 監視の時はアンパンと牛乳って、何か元ネタがあったのかな。それとも…

 

 意識がアンパンと牛乳の方に向かっていたスギナの目を覚まさせるかのように、新たに通り過ぎたトラックが激しい風圧を浴びせる。

 背後から襲い掛かった雨と風の暴力に、スギナの意識が追憶から現実に帰還する。

 

 いけない。ぼんやりしていた。

 気が付かないうちに、精神が緩んでいた。

 

 任務に集中していないと、とっさの時に体が動かない。

 まだ先は長いのに、気持ちに弛みが出ているのは問題だ。

 気を引き締めなければいけない。監視に集中しなければならない。

 

 スギナは数回深呼吸すると、ポケットの中からお菓子をひとつ取り出す。

 

 個包装された黄色の飴玉。左手で器用に包装を開けると、そっと口に入れる。

 

 雨の中で舐める飴の味は、普段よりも鋭い味覚となって口中を甘みで塗り替える。

 舐めるたびに溶け出す糖分と、爽やかなレモン風味の香料が、スギナの萎えかけた精神を優しく癒す。

 

 駄菓子特有の直線的な甘味が、疲れ始めている今はありがたい。

 

 スギナは左手で、ポケットの上から残りの駄菓子の数を確認する。

 

 今手持ちの菓子類は、休憩時のおやつではない。重要な戦場糧食だ。任務を遂行するまで、計画的に摂取しなければならない。

 種類が異なるお菓子をどの順番で食べればよいか、そして何分ごとに食べればよいか。スギナは真剣に計画を立てる。

 

 ポケットに入っている菓子は、飴玉を主役として他にラムネ菓子とゼリー菓子が数点、そして一口ういろうの上り味が一点。

 任務開始前にお菓子袋を公園ベンチに隠した時、どれを持参していこうか風待と真剣に話し合って選んだ品々だ。

 

 味に飽きがこないよう、各種様々なフレーバーの飴や菓子を選抜し、メインに一口ういろうをひとつだけ加えた最強の布陣。

 互いの腹具合やお菓子の残り数がわかるよう、スギナも風待も全く同じ味と種類の駄菓子を、同じ数だけポケットに詰めている。

 

 もっとも、食べる順番や時間は特に取り決めをせず、各自自由にしている。同じ時間に菓子を食べると、同じタイミングで隙ができてしまうからだ。

 

 とはいえ、風待先輩もそろそろ一つ目のお菓子に手を伸ばす頃合いだろう。

 

 先輩は何食べるのかな、とスギナはちらりと視線を横に向け風待を見る。

 

 案の定、風待も前を見ながら、生真面目な顔でポケットに左手を入れ、中のお菓子を指の感覚で探っている。

 

 しばらく思案顔になっていた風待だが、やがて意を決したように軽くうなずくと、ポケットからお菓子をひとつ取り出す。

 

 風待が選んだ菓子は、一口ういろうだった。

 

 

 先輩…初手からメインディッシュ食べるんですか!

 

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