モブリコ辺境暦   作:杖雪

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6月の雨の日に ㉔

 どれほど仲の良いリコリス同士でも、絶対に話してはいけない話題がある。

 どれだけ仲の悪いリコリス同士でも、絶対に触れてはいけない話題がある。

 

 それは、自分や相手の家族のこと、親のこと。

 そして、どのようにして孤児になったかということ。

 

 DAは、リコリスたちがこの話題を口に出すことを厳しく禁じている。

 リコリスたちも、この話題を絶対に口に出さないよう、日頃から注意している。

 

 激烈な口喧嘩や醜悪な陰口、激しい口論の最中でも、リコリスたちは相手の過去を探るようなことはしないし、己の過去を匂わすような発言はしない。

 過去は既に無いものとして扱うのが、DAの方針であり、すべてのリコリスは、それに盲従している。

 

 彼女たちが盲従している理由は、諦観と恐怖。

 

 DAに連れてこられた時点で、名前も、誕生日も、国籍も、人権も剝奪されているのだ。ならば過去も剥奪されて当然だ、とリコリスたちは諦観している。

 そして、過去を捨てず、過去を語った場合には、厳罰が与えられるというDAの規則に、リコリスたちは恐怖している。

 

 DAの言う厳罰とはどのようなものなのかを知るリコリスは少ない。しかし、与えられる内容の壮絶さだけは理解している。厳罰より数ランク低い懲罰である、本部での再教育や再指導ですら、一度受けたら人格が変わってしまうほどの苛烈な仕置きだからだ。

 

 さらに恐ろしいのが、この厳罰は、両成敗であるということである。

 つまり、過去を語ったリコリス本人だけでなく、その話を聞いたリコリスまで、同じ罰が課せられるのだ。

 

 だから、好きな相手にも話し出せない。

 自分のせいで、つい聞いてしまった相手まで罰を受ける危険があるからだ。

 

 だから、自分の相棒から聞きだせない。

 自分のせいで、つい話してしまったバディも罰を受ける危険があるからだ。

 

 口喧嘩の最中に、思わず過去のことを問わないよう、リコリスは注意する。

 近くにいた誰かが、聞き出そうとしたことを密告するかもしれないからだ。

 

 陰口を言う時は、相手の過去について憶測を言わないよう、リコリスは注意する。

 もしその悪意に満ちた憶測が正解だった場合、相手から聞いたと疑われるからだ。

 

 過去については何も語らない。

 過去については何も聞かない。

 全てのリコリスが、暗黙のうちに従う緘口令。

 

 スギナも、いままで過去を語らず生きてきた。

 自分から過去を語るリコリスなどいないと、信じていた。

 しかし…

 

「私ね…遊園地で孤児になったの」

 

 スギナの上から聞こえてくる風待の声。

 雨のベンチで響く、風待の声。

 

「…先輩っ!」

 

 思わずスギナは、風待の膝の上から飛び起きようとする。

 しかし、スギナの頭は、風待の両指で地面にピン止めされたかのように固定され、起きるどころか頭部の向きを変えることすらできない。

 

「先輩!ダメです!そんな話…」

「スギナ」

 

 音量は少ないが、しっかりと耳に入ってくる風待の声。

 

「スギナは、私のこと好き?」

 

 夜の闇が、先ほどより暗くなった気がした。

 

 公園のベンチの近くに、街灯が少ないからかもしれない。

 上からのぞきこんでいる風待先輩の長い髪が、スギナの顔を覆っているからかもしれない。

 

 いや、闇が深くなっているのは、それ以外の理由だろう。

 

 スギナは、抵抗することを止めた。

 

「スギナは、私のこと好き?」

「はい…」

「私も、スギナのことが好きよ。だから、私の話を聞いてね」

 

 いいよね?と問いかける風待。その声には、すでに迷いの震えはなかった。

 

「私のお父さんとお母さんは、とても優しい人だったわ。お父さんとお母さん、そしておじいちゃんおばあちゃんと私。一家五人の一軒家暮らし。物心ついたばかりでよく覚えていないけど、小さな家の中で、仲良く楽しく暮らしていたわ」

 

 スギナの了承も得ずに、自らの過去を語り始める風待。

 

「けど、楽しく暮らす裏で、多額の借金を抱えていたみたいね、返済が不可能になった挙句、両親は一家心中を選択したの」

「先輩…やめ…」

「ある朝、私たち家族は、車に乗って外出したわ。車ごと海に飛び込むつもりだったようね。けど、死ぬ前に、まだ幼児だった私によい思いをさせたかったみたいで、海の近くにある遊園地に立ち寄ったのよ。スギナも知っている、大きな大きな遊園地よ」

 

 風待が語った遊園地の名前は、スギナも知っていた。大都市にある、外国から来た一大テーマパーク。誰もが知っている、夢の国。

 

「最後に残ったお金を散財して、夜まで遊んだわ。当時の自分の背丈ほどもある、大きなぬいぐるみや、色とりどりのお菓子やおもちゃも買ってもらってね。こんなこと、今までなかったから、すごく楽しかった、すごく幸せだった」

「先輩…やめて…もうやめて…」

「このまま幸せの内に死ねたらよかったんだけど、楽しそうにしている私の姿を見て、お父さんたち不憫に感じたらしいわね。私を心中に巻き込むことを止めてしまったのよ」

 

 感情の見えない声で、訥々と語る風待。

 

 風待の両親と祖父母は、遊園地ではしゃぐ風待をわざと迷子にさせて、こっそりと裏口から出て行ったという。

 風待の知らないところで、彼女の家族は入水して死の国へ旅立った。海岸近くにある遊園地駐車場の岸壁から飛び降りた車の目撃者は多く、周辺は一時パニックになったという。

 

 そのころ、風待は迷子として案内所に保護されていた。

 大きなぬいぐるみを抱えた幼女が、駐車場から転落した車の家族だとは、遊園地の従業員たちも思ってもいなかったらしい。風待はそのまま、深夜まで案内所の一室で帰らぬ家族を待っていた。

 

「真っ白い、殺風景な部屋だった。壁に掛けられた時計がカチカチ鳴る音と、スタッフさんたちのヒソヒソ話だけが聞こえる静かな部屋で、私はずっと待っていた」

 

 最初は、すぐ家族が戻ってくると思っていたらしい。風待は一人、買ってもらったばかりの玩具やぬいぐるみで一人遊んでいた。

 

 しかし、いつまでたっても迎えは来ない。来るはずもない。死者は、迎えには来ない。

 

「最初は楽しく一人遊びしていた私も、だんだんおかしいなと思い始めたわ。だって、何時間も音沙汰ないし、外で何かあったのか、お店の人たちも騒ぎ始めるし。けど、私はお遊びを止めなかったの」

 

 次第に濃くなる不安から目をそらすために、まだ幼い風待は遊ぶ手を止めなかった。

 震える手でおもちゃを弄んでいた。涙目でぬいぐるみ相手におままごとを続けていた。

 

 家族の愛が籠ったお土産品を触り続けていれば、やがて皆が帰ってくる、幸せな生活が返ってくると信じ、泣きながら遊んでいた。

 夜遅くまで営業を続ける遊園地が閉園するまで、幼い風待は一人、泣きながら遊び続けていた。

 

「不思議と、その後のことは記憶にないの。あの日遊んでいたおもちゃやぬいぐるみ、その後どうなったのかなあ」

 

 風待の声に、悲しみの響きはない。何千何万回も繰り返し思い返すたびに、涙は枯れ果ててしまったのだろう。

 今の風待の声を彩る感情は、虚無の色をしていた。

 

「だから、私、遊園地は行けないの。私の人生が終わって、私が一人になった場所だから、行けないの」

 

 お父さんもお母さんも、なんで私を置いていったのかな、なんで一緒に連れて行ってくれなかったのかな、と風待は寂しそうにつぶやく。

 

「大切なひとが去っていくことへの恐怖、スギナにもあるよね。実はね、私は遊園地で置き去りにされて以来、人一倍それが怖いの。大切な人と会えなくなること、大切な人が去っていくこと。大切な人が、私の家族みたいに、ある日ふと消えてしまうことが怖いし、憎いのよ」

「先輩…」

「DAに入ってからも、大切なひとはみんな私の前から去っていったわ。DAで一緒に育ったサクラとモモは、教育課程修了後は遠くの地に赴任した。諸咲で私を出迎えてくれたゼリィ先輩は、DA職員たちに両腕を掴まれて連れ去られてしまった。諸咲で私が出迎えたセノカは、たった半年で、私の断りもなく死んでしまった」

 

 その度に、私は一人泣かなければならなかった。その度に、私は独り耐えなければならなかった、と語る風待。

 当時のことを思い出しているのだろう、スギナの頭を押さえつける風待の指に、今まで以上の力がこもる。

 

「セノカが死んで半年間、一人で諸咲に住んでいた私の気持ち、スギナにはわかる?」

「やめて…もうやめましょう先輩」

「歎きつつ一人寝る夜の明くる間は、いかに長いか知っているかな。私は夜になる度に、一人遊園地に残されたことを思い出したわ。眠る度に、案内所の迷子部屋が夢に出たわ。お酒に逃げなければ耐えられないほどの、辛い夜が続いたわ」

 

 スギナを捕まえたまま、独り言のように話しかける風待。

 

 秋思に沈溺する心をむき出しにして語る風待の声は、降りしきる雨音にかき消されそうなほど小さかったが、スギナの耳には、直接脳に突き刺さりそうなほど強く鮮明に聞こえていた。

 

「だから、私考えていたの。もし来年、新しいリコリスが諸咲に赴任してきたら、絶対逃がさないって。今度来た新人が、私の大切なひとになったなら、最後まで手放さない、最後まで逃がさないって、心に決めていたの」

 

 小さな風待の声に、自分と同じ、暗い感情が含まれているのを、スギナは感じ取った。

 

「だから、スギナは逃げちゃダメなの。スギナはどれだけパニックになろうと、私を置いて、家族のもとに帰ろうとしちゃダメなの」

 

 風待が抱えている、暗い感情。

 それは、スギナも抱えている黒い感情と同じものだった。

 

 スギナの心の奥にある黒い感情、独占欲。

 

 スギナが日々悶々と抱えていた、風待に対する独占欲。

 既に亡くなったセノカにすら嫉妬するほどの、強くて醜い独占欲。

 

 相手を束縛したい、自分だけのものにしたいという歪んだ思いは、実はスギナだけではなく風待も抱いていたのだ。

 

「だから、私のもとから逃げようとしたスギナには、罰を与えなければいけないの。私を置いて去っていこうとしたスギナには、首輪が必要なのよ」

 

 風待の口調が早くなる。

 風待の鼓動も早くなる。

 

「スギナは、私の昔話を聞いてしまった。もう聞いてしまった。これでもうスギナは、私から離れられない。スギナは私の過去を聞いてしまったことを、私が密告しないか、ふとバラしたりしないか、四六時中気にしていなくてはならない。私を常に監視し、注目していなければいけない。いつも、いつまでも、私のそばで私だけを見続けなければならないの」

 

 風待は、一気にまくしたてる。

 

 いつも冷静な風待にしては、あまりに杜撰な策。あまりに幼稚な策。

 しかし、風待はそれに気が付かず、ただ思いつめた感情に動かされ、だんだんと大きくなる声でまくしたてる。

 

「だから、スギナ…行かないで。いつまでも、私と一緒にいてね…」

 

 一気に話した後のわずかな肺活量を使い、風待は最も大事な、もっとも伝えたい言葉をささやく。

 

 雨の中、抱き合いながら風待が叫んだ言葉。

 伝えた気持ちが届いたのか不安だったのだろう。不安だから何度も言いたかったのだろう。

 不安だから、卑劣な手段を使ってでも、この言葉をスギナの心に打ち込みたかったのだろう。

 

 だから、強引に伝えてしまった。

 感情を抑えきれず、スギナの純真な心を傷つけるような手段を使ってしまった。

 

 スギナを押さえていた風待の指の力が、静かに抜けていく。

 

「ごめんなさい…私、スギナの前では良い先輩でいたかったのに…優しい先輩でいたかったのに…」

 

 激情の舞台を照らしていた衝動という名のスポットライトが消え、暗い後悔の幕間に立たされる風待。

 

 暗い雨の下、力の抜けた風待の指が、静かに震えだす。

 

「スギナ…悪い先輩で、がっかりした?」

 

 雨の中、消えていきそうなほどの風待の小さな声。

 暗がりの中、わずかな灯に浮かび上がる風待の顔は、今にも泣き崩れそうなほど弱々しかった。

 

 スギナは、今はただ頭に触れているだけとなった風待の両手を、自分の両手で挟み込みように握る。

 

 風待先輩の長く美しい指。

 スギナが憧れる、きれいな大人の手。

 両手で挟んだ風待の手を、スギナは愛おしさを込めて握る。

 手のひらを通して伝わる、風待の手の体温を感じながら、スギナは考える。

 

 先輩も同じだ。

 私と同じだ。

 

 愛する相手を束縛したいという気持ち、独占したいと願う気持ち。

 別れたくないという、切なる願い。

 

 自分の手元から逃げ出さないようにするためには、どのような手段も厭わない、暗い感情。

 

 もしかしたら、先輩は今まで、自分自身の心の裏に貼りついていたこの想いに、気が付いていなかったのかもしれない。

 しかし、過去と現在との境が曖昧になっていた、混濁した意識下で発した私の言葉によって、この想いに気が付いたのかもしれない。

 

 いつも優しい先輩がさらけ出した、重い感情、熱い感情。

 その重さが、妙に心地よい。

 

 罰を与えるというのならば、受け止めよう。首輪をつけるというのなら、受け入れよう。

 しかし、先輩だけを悪者にさせてはいけない。

 

 先輩が悪い子なら、私も悪い子になろう。

 先輩が私の心に首輪をつけるのならば、私も先輩の心に首輪をつけよう。

 ともに、悪いリコリスになろう。

 

 広い名古屋の片隅で、深夜の雨の公園で、私もDAの規則に逆らおう。

 今夜だけは抗おう、二人だけで逆らおう。

 ともに、堕ちよう。

 

 

「先輩…私、電波塔孤児だったんです」

 

 スギナは、うなだれる風待に、穏やかな声で語りだす。

 その顔には、静かな笑みが浮かんでいた。

 

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