誰もいない早朝の青凪線能積駅。スギナと風待は、誰もいない改札口を通り、誰もいないホームに到着した朝一番の名古屋行き電車に乗りこむ。
誰もいないだろうと思いながら二人が入った始発の車両、しかしそこには意外な人物がいた。意外な二人がいた。
「なんであの二人がいるんですか!」
車内の座席に座りながら、DAで習った周囲に聞き取りにくい発声で、スギナが小さく叫ぶ。
「私にもわからないわ…なんでなの?」
DAで習った、唇を動かさない話術で、風待がつぶやく。
疲れた顔で二人が入った車両にいたのは、スギナたちと同じ下宿の同じ階に住む二人の少年だった。
どちらも油断していたため、車両に入った瞬間、思いっきり目が合ってしまった。
二人の少女と二人の少年、四人の両目が驚きで丸く見開かれる。
しばしの間固まった後、慌てて目をそらした四人だったが、あまりに不自然な目線の外し方に、双方気まずい雰囲気が残ってしまった。
一応お互いに距離を開け、それぞれ車両の両端に座っているのだが、居心地の悪い空気は車内全体に未だ漂ったままだ。
「なんで、始発電車に乗っているんでしょうね、あの二人」
相手に目線を合わせず、視界の端、いわゆる白目の部分を向けて男二人を見つめるスギナ。もちろんこれもDAで習った技術だ。
「私たちより先にこの電車に乗っていたってことは、彼らが乗った駅は私たちの一つ前、始発の近城埠頭駅ね。ということは、あの二人は夜の間ずっと近城埠頭に居たってことになるわ。DAが包囲している夜中の埠頭で、あいつらいったい何していたのかしら…」
風待も、少年たちの座る方向に顔を向けず、白目の部分で相手を観察する。
日々鍛えているのだろう、体格は少年らしくスマートな外貌をしつつも、ぎっしりと筋肉を纏った男らしい体つき。服の上からでもわかる精悍な肉体は、その内側に強靭な筋力と体力を秘めているのがわかる。
しかし、今は筋力はともかく、体力は消耗状態らしい。髪を短く刈った二人の少年の顔には、寝不足からくる疲れの色が鮮明に浮き上がっている。
彼らも一晩中外にいたのだろう、生乾きの服を身にまとい、首にタオルを巻いている姿は、スギナたちと全く同じだった。
「少しだけだけど、なんか車内が潮臭いし、もしかしたらあいつら、海に落ちたのかもね」
「どういうことなんでしょうね…」
スギナは、改めて少年二人を観察する。
どちらもカットソーにトラックパンツのスポーツミックススタイル、雨に濡れそぼってはいるが、どこにでもいそうな格好の少年たち。
二人の荷物は意外と多い。着替えでも入っているのだろうか、網棚に乗せた大きなミリタリー系のダッフルバッグと、足元にある頑丈そうなアタッシュケース。黒色のアタッシュケースは、自動小銃でも入っていそうなくらい長く大きい。
仕事用の荷物なのだろうなとは思うが、どのような仕事かは、世間に疎いスギナには想像がつかなかった。
「わかったわ」
風待が、表情と唇を動かさずにつぶやく。諸咲支部に伝わる、寒天色の脳細胞が働きだしたようだ。
「私の考えでは、あいつら昨夜仕事帰りにロゴランドに遊びに行ったのよ。そしたらロゴランドが休みで、仕方なく近城埠頭の岸壁でイチャイチャしていたら、誤って海に落ちたのよ。間違いないわ」
「この雨の中でですか?」
「男の子って、大雪の日や台風の日に浮かれ騒ぐ習性があるから、おそらくそれね。雨の夜にテンション上がって、誰もいないのをいいことに凄いことをし始めたのよ。そして私たちが想像もできないような激しい野外プレイの挙句、海に転落したのよ。いえ、自分たちから飛び込んだのかもしれないわね。男って、そういうのが青春らしいから」
「なるほど!」
スギナと風待は、そういう目で男二人を見る。白い目で二人を見る。
「私たちリコリスが名古屋の平和を護って戦っていたというのに、のんきなものですね」
「岸壁でどんな卑猥な行為をしていたのか、見たかったわね」
リコリスの技術を総動員して、相手に悟られないように話す二人。
「しかし…気にいらないわね」
「何がです、先輩?」
「彼らの顔、よく見て」
「顔ですか?」
風待に即されて、スギナは白目の部分で少年二人の顔を見る。
肉体同様に、鋭く引き締まった男の顔。
まだ年齢相応の中性的な感じの顔立ちだが、どことなく男臭くもある、陽に焼けた二人の顔。
すっきりした感じで長めの顔と、ずんぐりした感じで固めの顔。
白目部分からではあるが、初めてしっかりと眺める、同い年の異性の顔。
「先輩は、どちらの顔がタイプなんですか?」
「そうじゃなくて…どうやらあいつらも白目で私たちを見ているみたいなのよ」
えっ、と思わず普段の声が出てしまうスギナ。
セカンドリコリスである風待の鋭い感覚が、少年二人の視線を感知したのだろう。
「それって私たちの技じゃないですか…なんであの人たちが?」
「それだけじゃないわ、あの二人さっきから表情動いていないでしょ。あいつらも唇動かさずに、周囲に聞こえにくい発声で会話しているみたいね。私たちと同じように」
言われてみれば、彼らの顔には違和感があった。眼球を動かさず、口を半開きにして身を固めている表情は、今のスギナと風待の表情と全く同じものだったのだ。
「なんで私たちDAと、同じ技術を持っているのかしら。年齢も近いし雰囲気も似ているし…気になるわね」
「雨の中、二人がどんな体位で交わりあったのかも気になりますしね」
「ほんとよね…すごく気になるわ…」
わからないこと、知らないことが多すぎて、心に新たな渦が巻く二人。
聞いてみたい。話しかけてみたい。
少しの勇気を出して聞きに行けば、あっさりと解決しそうな、そんな距離。
それでも聞きに行くには、性別の壁がある。異性と言う名の、二人にとっては高い壁。
二人の心に悶々とした謎と不思議を乗せながら、電車は名古屋に到着した。
「なんであいつらが先に名鉄に乗るんですか!」
名古屋駅の中央コンコース、まだ行き交う人も少ない早朝の広い通路で、スギナは不満の声をあげる。
「仕方ないでしょ、あの二人の方が先に改札出たんだし」
青凪線終点の名古屋駅で降りた少年二人と少女二人。
先に改札を出て、先に諸咲方面行きの私鉄に乗ろうとした少女二人だったが、少年二人に先行されてしまった。
男性の歩幅の広さと、重い荷物を苦にしない筋力を計算に入れていなかった、スギナたち二人のミスだった。
「まあ仕方ないから、ここで30分待ちましょう。帰りの途中でまた出くわすのも嫌だし」
「30分ですか…」
早く諸咲の下宿に帰って、濡れた服を脱ぎたかったスギナがうなだれる。
名古屋から諸咲方面に向かう電車は、この時間でも多く出ているが、諸咲の下宿に一番近い内箕駅に向かうには、途中の春川駅から1時間に2本しか出ない単線に乗り換えないといけないので、少なくともここで30分は時間を潰さないと、帰路の途中でまた少年二人に追いついてしまうことになる。
そうなった場合、スギナたちは春川駅から内箕駅までの車内、そして内箕駅から諸咲の下宿まで、また少年二人と一緒に帰らないといけないのだ。
そんな気まずい思いをするくらいならば、名古屋駅で30分待機していた方がいいわよと、風待は説明する。
30分は長いですよ、とスギナは疲れた声で答える。
「早く帰ってシャワー浴びて、エアコンの除湿を効かせた下宿の畳部屋に寝っ転がって、先輩と二人でお昼寝したかったです…」
お昼寝の前に、塩辛でご飯食べたいです。お腹すきましたし甘いものは食べ飽きましたので、塩辛いっぱいのせた温かいご飯を食べたいです、と風待の体に自分の頭を擦りつけながら、スギナはどうでもいい欲望をだらだらと語る。
早朝のコンコースには、まだ雨の空気が漂っている。やがて増える人波にかき消されるであろう澱んだ湿気は、今はまだ構内に停滞し、不快な疲れと共に二人の体にまとわりつく。
携帯扇風機、いや団扇の一つでもあればまだ涼が取れるのだが、あいにく手元にはお菓子とタオルの入った買い物袋と、拳銃の入った鞄しかない。
せめて、どこか風通しの良い場所はないかと、スギナは周囲を見回す。
「…先輩、どうやら分校の皆さんも、これから帰るみたいですね」
涼し気な場所を探して周囲を見渡したスギナの目に入ったのは、名古屋駅太閤通口から中央コンコースに入ってくる、数名の分校リコリスだった。
分校生は全員サードである。同じ薄黄色の制服を身にまとい、同じ装備を身に着けた彼女たちは、同じように皆疲れた足取りで歩いている。
どの顔も目元に薄いくまができ、服や髪は雨に濡れたままほとんど乾いていない。スギナたちと同じように、昨夜の雨の中、全員が名古屋市内で巡回や警戒の任務に就いていたのだろう。
一人、また一人とコンコースに入ってくる分校リコリス。疲労と徹夜のため、気力の限界が近いのだろう、周辺警戒もせずにうつむき加減で歩いている姿は、思わず手を差し伸べたくなるような物悲しさがある。
たまに前に目を向けた分校リコリスが、コンコースの端にいるスギナの姿を確認すると、ヒイッと短い悲鳴をあげる。彼女たちのスギナへの誤解は、修復不可能なラインの一歩手前らしい。
「分校のみんなも、かなり疲れているみたいですね。全員隙だらけですよ」
先ほどまで塩辛食べたいだの言いながら、隙だらけの姿を見せて風待に甘えていたスギナが、自分のことを棚に上げて、分校リコリスたちのことを批評する。一晩中甘いものを食べていたはずなのに、その口から出る評価は辛口だ。
「けど、団体で帰らないだけ、まだ立派よ。よく見てごらんなさい、みんな距離を開けて、目立たないよう一人ずつ帰っているわ」
風待の言う通り、分校リコリスたちは、集団ではなく、一人ずつコンコースを歩いている。同じ服を着ている少女たちだが、適切な距離と密度で歩いているため、あまり目立つことなく、周囲の風景に上手に溶け込んでいる。
移動中に密集しないのは、おそらく分校リコリスの本能のようなものだろう。人目に付く行動を避け、無言で駅に向かっている。
さすがは巡回と暗殺が主任務の分校リコリスである。目立たず周囲を警邏し、目立たず敵に接近する技能は、スギナたち本部リコリスより数段上なのかもしれない。
「電車に乗る時間も、全員ずらしているみたいね。皆が早く帰りたいはずなのに、立派だと思うわ」
「さっさと先に帰っていった、あの男二人に見せてやりたいですね先輩」
同じ下宿に住む二人の少年のことを、スギナはまだ許していなかったようだ。
「だいたいあいつらデリカシー無さすぎです。こういう時は普通女の子に先を譲るものですよね!」
「まああの二人だって疲れているようだし、早く帰って二人でシャワー浴びたかったんでしょ」
「男なんて、そこら辺の川で体洗えばいいんですよ!もう早く帰りたいです先輩!こんなとこにいても、何もいいことなんかないですよ!」
浜辺に棲息するスナガニのような格好で、風待の前で小刻みに左右に動きながら、不満の声をあげるスギナ。
どうやらこの動きは、スギナの中でマイブームになっているようだ。
つま先立ちのままガニ股になり、握りしめた両手から中指を天高く突き出して、左右に高速移動をしながら怒りを表現するスギナ。
それを見た分校リコリスたちが、恐怖の絶叫をあげながら全力で名古屋駅の外へ逃げていく。おそらく彼女たちの帰宅時間は夕方ごろになるだろう。
修復不可能なラインを余裕で越えてしまった事に気が付いていないスギナは、風待のあきれ顔も気にせずに、少年二人への不平不満を延々と語り続ける。どうやらこのまま30分間を愚痴で過ごす気らしい。
「だいたいアイツら何なんですか!先輩も見たでしょ!あの二人、手話まで同じでしたよ!」
私鉄の改札口に入る直前、少年二人の左手が動いているのを、スギナは見逃していなかった。
電車来た、どうする。走って、飛び乗る。
二人は左手で、そう語り合っていた。
一般の手話話者に通じないよう、独自の体系で作られたリコリスの手話。左手だけで複雑な会話ができる、DAの特殊な手話。
リコリスだけしか知らないはずのこの片手手話を、二人の少年は使っていたのだ。
「うん、私も見たわ…なんか謎は深まるばかりって感じよね」
「謎を通り越して、薄気味悪かったです。ほんと男の人って、気持ち悪い奴らばかりですねっ!」
薄気味悪く、気持ち悪い動きを繰り返しながら、スギナは愚痴り続ける。心底疲れている割には、まだ元気はありそうだ。
「こんな蒸し暑いとこで立っていても、いいことなんかありませんよ先輩!どうせ30分待つなら、堀川にでも飛び込みましょう!ここよりは涼しいですよ!」
生態もだんだんスナガニっぽくなってきたスギナの愚痴を聞こうとせず、ぼんやりと周辺を見ていた風待の目が、あることに気付く。
「いいこと、あったみたいよ」
手加減なしのセカンドリコリスチョップでスギナを正気に戻すと、風待は桜通口方面のコンコース入口を指さす。
「はい?」
チョップによってカニから人間に戻ったスギナが、指さす方向に顔を向ける。
指の先に見えたのは、コンコース入口から小走りに駆けて来る一人のリコリス。
駅の外めがけて逃げていく分校リコリスたちを上手によけながら、スギナの方に走って来る一人のリコリス。
恐怖で顔を歪めながら遠ざかる分校リコリスたちとは対照的に、満面の笑顔で近づいてくる一人のリコリス。
「コナギさん…」
スギナの口から、思わず声がでる。
岡碕支部の分校リコリス、
名古屋支部本館で出会った、分校リコリス。初めての出張任務で名古屋に来た、新人リコリス。
昨日の夕方、一人で出張任務に就いた不安感と緊張感から、自分の任務の内容が頭に入らず、途方に暮れていた彼女。
名古屋駅コンコースの片隅で、一人震えていた彼女に救いの手を差し伸べたのが、同じ新人のスギナだった。
支部本館のロビー内で、コナギの任務内容を近くで聞いていたスギナは、岡目八目で理解していたコナギの任務内容を、本部で習った事例も含めて簡潔に説明した後、不安がる彼女を激励し、奮発させて任務に送り出した。
後から思い返せば、単なる知識自慢めいた、薄っぺらい説明かもしれなかったが、それでもコナギは、スギナの指導によって自信を取り戻し、任務地である夜の名古屋市内へと歩いて行った。
彼女が無事に偵察任務を全うできたのか、スギナには心残りだった。
ターゲットに気づかれ、逃げられてはいないか。戦闘に巻き込まれ、負傷してはいないか。名古屋駅で別れてから、スギナはコナギが任務を無事遂行できたかを、絶えず気にしていた。
しかし、今のコナギの笑顔を見ると、どうやらそれは杞憂だったようだ。
スギナは、コナギに走り寄ろうとしてふと思いとどまる。
先輩を置いて、他の女の子のところに行っていいのかなという、軽い躊躇。
「いいわよ、行きなさい。まだ時間はあるし、しっかりと話を聞いて、しっかりと褒めてあげなさい」
コナギさんの事、一晩中心配していたものね、と背後から風待の優しい声。
「やっぱりスギナってさ、将来は後輩思いの、立派な先輩になれそうだよね」
さ、行きなさい、と風待はスギナの背中をポンと叩く。
それが合図となったかのように、スギナは、コナギのもとへ一直線に駆けていった。