モブリコ辺境暦   作:杖雪

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6月の雨の日に ㉘

「スギナさん!」

 

 早朝の名古屋駅コンコースに響く、大きな声。瑞碧生(みずあおい)コナギの、大きな声。

 

「コナギさん…」

 

 小走りで向かってくるコナギへ、スギナも駆け寄る。

 

 昨日の夕方に初めて出会い、昨日の夕方に別れたばかりなのに、久方ぶりに聞いたかのような気がする、コナギの声。

 無事任務を終えたのだろう。疲れの色は濃いが、喜びに満ちたコナギの声を聞いたスギナの胸に、じわりと安堵の感が湧き上がる。 

 

 昨夜の任務中、スギナはずっとコナギのことを心配していた。

 

 自分の安い説明は、本当にコナギさんの役に立ったのだろうか。コナギさんは、私の薄い説明で、任務を果たすことができたのだろうか。

 雨の中、自分の任務を遂行できずに泣き崩れていた時も、任務後に公園のベンチから雨空を見上げていた時も、スギナの心の一角には、常にコナギの姿があった。

 

 スギナとよく似た姿格好をしたコナギ。名古屋支部本館で叱られている姿が、スギナ自身と重なったコナギ。

 いつも教えられてばかりのスギナが、初めて教える立場になった相手。スギナの拙い説明を、心から感謝してくれた相手。

 

 だからこそ、コナギにだけは任務を無事に果たしてほしかった。市内の駐車場で待機するターゲットを監視するという任務を、問題なく遂行していてほしかった。

 

 そのコナギが、今目の前にいる、近づいてくる。

 

「えー…と」

 

 何か言おうとしたスギナの言葉が、喉に詰まる。

 

 候補生時代、仲間との会話が少なかったスギナの弊害は、風待と出会ってからもまだ改善されていない。

 こういうテンションの時は、どうやって話しかければよいのだろうか。何から話せばよいのだろうか。

 立ち止まり、慌てて言葉を探すスギナ。多くの挨拶文の中から、できるだけ明るめの言葉を探す。

 

 しかし、その必要はなかった。

 コナギは初手の挨拶も会話も捨てて、スギナの胸に飛び込んできたのだ。

 

「スギナさん…」

 

 スギナの体ごと、両腕ごと無邪気に抱きしめるコナギ。

 昨夜別れた時の、内気そうに見えたコナギからは思いもよらない、積極的な抱擁。

 

 コナギも、昨夜はずっとスギナのことを考えていたのだろう、気にし続けていたのだろう。

 一晩かけて溜めこんだスギナへの思いが、おとなしい性格のリコリスであるコナギを、積極的にさせているようだった。

 

「スギナさん…スギナさん…私…」

 

 どうやらコナギも、初手の言葉選びが苦手なタイプのようだ。

 自分の感情を、相手への感謝を、どのように喋り始めてよいか悩んでいるコナギの声を聞いているうちに、スギナの心に妙な余裕が芽生え始める。

 

 同類ならば、同類同士のやり方がある。同類ならば、自然体で接すればいい。

 

 スギナは会話を捨て、コナギの体に両手を回し、静かに抱きしめる。

 両腕をコナギに固められているので、スギナの腕はコナギの腰にしか回らない。しかし、抱きつき返したことで、コナギの体が反応し、腕の力が弱まる。

 

 しっかりと抱き返されたことは、あまりなかったのかもしれない。コナギの体から、徐々に力が抜けていくのがスギナの腕を通して伝わってくる。

 スギナはコナギの腰や尻を優しく撫でた後、腋に腕を通し、背中で両腕を交差してコナギの両肩をそっと掴み、サッシェルバッグごと包むように抱きしめる。

 

 二人の胸が密着し、二人の顔が近くなる。

 

 抱きしめることは、スギナは挨拶以上に慣れている。いつも風待に抱擁され、いつも風待を抱擁しているのだ。

 しかし、このような、絡みつくような抱擁、熱の籠った淫らな抱擁は、コナギには初めてだったのだろう。抱きしめられたコナギの全身の力が抜け、腕が力なく垂れさがる。

 

「コナギさん」

 

 スギナが耳元で囁く。

 

「コナギさん、無事に任務を終えたのですね」

「はい…」

 

 吐息を感じる距離で囁かれたコナギが、少しだけ熱っぽい声で答える。

 

「そう…よかった…」

 

 コナギを抱きしめるスギナの腕に、力がこもる。 

 スギナの安堵の息が、コナギの耳をそっとくすぐる。

 

 コナギの口から、小さな快楽に戸惑う小さな声が漏れる。

 

 分校で友達が多かったコナギにとって、ハグとは仲間同士で無邪気に抱き合う、ただの友情表現だった。それしか知らなかった。

 内心で尊敬し、長い間探していた本部卒のスギナから、このようなしっとりとした、恋人同士がするような抱擁をされるとは、思ってもいなかったようだ。

 

 一方、本部で友達が少なかったスギナは、仲間同士で無邪気に抱きつきあうような経験などなかった。スギナにとっては、ハグとは風待と心を通わせるための、愛情表現の一つの手段だった。それしか知らなかった。

 

 今のスギナは、スキンシップの一環としてコナギを抱擁し返しただけなのだが、風待とのハグしか経験のないスギナの抱きつき方は、恋愛経験のないコナギにとっては、あまりに刺激の強いものだった。

 

「んっ…スギナさん」

 

 肩と首筋をまさぐるように這い回るスギナの手のひらの感触に、コナギの体が反応する。

 

「どうしました?コナギさん」

 

 近い距離からのスギナの声が、空気振動の波となり、コナギの耳を優しく撫でる。

 

 それだけで、コナギの体から、力がすべて抜けそうになる。融解して崩れ落ちそうになる。

 

 いつもの風待との抱擁、抱き合いながら互いの耳元へ愛を囁く、いつものハグ。

 ハグとはこういうものとしか認識していないスギナには、今の自分がどれほど淫らなことをしているのか、全く気が付いていなかった。 

 

 無知から来るスギナの抱擁に、心が溶けかけていたコナギだったが、理性の力を振り絞り、スギナの両手から抜け出る。

 スギナも、一歩後ろに引き、恋人の距離ではなく対話の距離に立つ。背後から伝わってくる、風待の嫉妬の殺気を感じたのだ。

 

「えっと…スギナさん…えっと」

 

 コナギが、少し照れたように下を向いて話し出す。

 

 喜びの感情のまま走り寄り、嬉しさの感情から抱き着いたのはいいが、まだ会話の出だしは見つかっていなかったようだ。

 

「コナギさん。任務、大丈夫でしたか?」

 

 会話の初手が出ないときの焦りは、スギナもよくわかる。よくわかるから、スギナは会話の助け舟を出す。

 

「はいっ!スギナさんのおかげで、無事仕事を終えることができました。スギナさんの説明を聞いていなければ危なかった場面もありましたけど、なんとか最後までミスをすることなくやり切りました!」

「私の説明…役に立ったんですか?」

「役に立ったというレベルじゃないですよ!聞いていなければ絶対失敗していました!私絶対に殺されていました!」

 

 話したいことが多いのだろう、スギナに相槌を打たせる間もなく、コナギは昨夜の事を早口で話し続ける。

 

 今回コナギに与えられていた任務は、通常の市内巡回を装い、ターゲット達が待機している駐車場を監視するお仕事。1時間に一回、車や人の数を確認し、深夜1時に交代する暗殺役の名古屋支部リコリスに伝えるだけの、簡単なお仕事。

 それは、内容自体は簡単だが、取引前で気が立っているターゲットの目前を一時間に一回通り過ぎなければならない、危険な任務でもあった。

 

 コナギの話によると、当初は相手もリコリスの制服を警戒していたようだ。

 駐車場から離れた区画からコナギの動きを注視していたり、駐車場に駐めている車の中からコナギの目線を観察していたりと、常にコナギは監視されていたらしい。

 

 この少女が自分たちの周囲を歩いているのは、今夜の取引に関係があるのかどうか、敵も気になっていたようだ。

 ターゲットの一人が、自分の目の前でいきなり走り出すようなこともあったとコナギは語った。おそらく、コナギの反応を試していたのだろう。

 

 それでもコナギは、動じなかった。動じないふりをし続けていた。

 

 ここで相手の動きに反応すれば、ここで相手と目線が合えば、任務は失敗するというスギナの忠告を真摯に受け止め、スギナの説明通り、ターゲットに無関心を装いつつ、目線を合わせず視野の端で相手の人数を確認しながら、何が起ころうと気にしていないふりをし続けた。

 

 そのおかげで、ターゲット達はしばらくするとコナギに興味を無くし、最後には駐車場前の見張りも立てずに、全員がそれぞれの車の中に閉じ籠っていた。不審だが自分たちには関係がなさそうな少女一人のために、この大雨の中で見張りに立つのが馬鹿らしくなったのだろう。

 

 深夜1時、駐車場から少しだけ離れた場所で落ち合った名古屋支部リコリスに、コナギは状況を報告する。人数と車両、変化なし。全員、車内で待機中と。

 

 大雨のカモフラージュの中、目標の車の死角から匍匐前進で忍び寄った本部卒の名古屋支部リコリスは、フロントドアガラス越しにターゲット全員を射殺する。6人全員の殺害に使用した弾丸は丁度6発。所要時間は、コナギが報告してから丁度1分だった。

 

「ターゲット達は、各自の車内で全員が仮眠をとっていたそうです。これほどまでに無防備だったのは、あなたの巡回態度がすごく自然だったからねって、暗殺役のリコリスの方に褒められてしまいました」

 

 射殺したターゲットの中には、懐に拳銃を忍ばせていた男もいたらしい。もし相手が少しでも警戒していたならば、駐車場内での銃撃戦もあり得たかもしれない。

 

「その後に、名古屋支部本館に戻って任務終了の報告をしたんですけど、そうしたら名古屋支部長の臥観手さんや王須鉛撃隊の皆さんも、すっごく褒めてくれたんです。新人なのに度胸があるなとか、初任務よく頑張ったなって」

 

 作戦終了後の本館ロビーには、任務を終えて戻ってきた分校リコリスたちの他に、名古屋支部のリコリスや、支部の精鋭リコリスである王須鉛撃隊、そして臥観手ルミナ支部長もいたらしい。

 

 延空木制圧作戦以来の大規模正面任務である今回の作戦を共にしたという仲間意識、そして分校リコリスへの作戦説明を王須鉛撃隊が手助けしたことから始まる連帯感からだろう、彼女たちは分校のリコリス、大支部のリコリス、本部卒の精鋭集団リコリスといった格差の垣根を取り払い、戦友として共に語り合い、共に笑いあいながら、食べ放題のあんころ餅を味わっていた。

 

 その戦勝記念の大宴会のような状況下で、コナギは皆から苦労をねぎらわれ、大支部長の臥観手ルミナから皆の前で褒められたという。

 

「リコリスの皆さんだけではなく、名古屋支部の職員の方々からも優しくしていただきました。特に、最初に私にお話をしてくれた職員の方からは、説明不足でごめんなさいねって、謝りの言葉までいただいたんです…」

 

 任務開始前、コナギに任務内容を説明していたDAの女性職員。

 

 名古屋支部のエリートリコリス相手に、様々な作戦任務の説明をするのが仕事の一つである彼女の話し方は、奥で話を聞いていた本部卒のスギナにとっては分かり易かったが、今回が初任務の分校リコリスにとっては今一つ相性が良くなかったようで、コナギは彼女の説明を何度聞いても、内容がよく飲み込めていなかった。

 

 焦りと緊張から、任務内容が頭に入らないコナギに説明を繰り返すうちに、与えられた時間を大幅に超えてしまったため、最後は追い出すかのように説明を打ち切ってしまった事を、その女性職員も後悔していたようだ。

 

「その職員さんから聞いたんですけど、スギナさんって、あのときのDA名古屋支部の説明方法の遅さというか計画性の無さに、怒りが溜まっていたそうですね。スギナさんが本館から出て行くときに、職員の人達に向かって中指を突き立てたとか」

「いや…それはね…」

「その方、すごく怖がっていましたよ。笑顔のような狂気の表情で、両手で中指立てているスギナさんを見た職員さんたち全員が、次回からは気を付けよう、次からは分校の皆さんにも丁寧に接しようって、本気で反省したそうですよ」 

「いや…それはね…」

「その話を聞いた時、私スギナさんに感謝しました。スギナさん、あの時の私を見てくれていたんだ。任務の要点がわからないまま追い出された私のこと心配してくれて、私一人のためにDAに怒りの中指を立ててくれたんだって」

 

 好意的な勘違いをスギナが指摘する間を与えず、コナギは話し続ける。

 

「そして、スギナさんは名古屋駅で呆然としていた私を追いかけてきてくれて、私を助けてくれた。私を救ってくれた。名古屋駅の構内で、わざわざ私のために時間を割いてくれて、任務の説明をし直してくれただけではなく、詳しい注意点も教えてくれた。あの時私にしていただいた注意点、相手の配置から目線のことまで、全部役に立ったんですよ!」

「役に、立ったんですね…よかった」

 

 スギナの目頭が、じわりと熱くなる。

 

 よかった。自分の説明は、自分のお節介は、無駄ではなかった。

 

 名古屋駅コンコースの隅で、絶望を抱えてうずくまっていたコナギ。

 彼女を助けたいという、ただそれだけの思いで話しかけたスギナの行為は、無駄ではなかった。

 

 自分の薄っぺらな説明でも、役に立った。彼女の助けになった。

 

 薄っぺらな自分でも、人の役に立った。

 薄っぺらな自分でも、人の成功に貢献することができた。

 それだけでも、今回の作戦に参加した甲斐があった。

 

 スギナの目が、新しい涙で潤みだす。

 

 昨夜は何度も泣いていたスギナ。しかし、今の涙は、種類が違った。

 

 安堵の涙。相手の成功を喜ぶ、うれし泣き。

 

 スギナのその顔を見たコナギの目にも、涙が浮かぶ。

 ありがとうございます、と何度も言いながら、コナギは両手でスギナの両手を掴む。

 

 スギナは何も言えずに、コナギの両手を強く握り返す。

 感謝と感動が、二人に体を巡り、躍動を始める。

 

 二人は心と体の赴くままに、両手を繋いだまま、飛び跳ねる。

 あふれだす感情に、若い体が制御しきれなくなったかのように、二人は飛び跳ねる。

 

 早朝のコンコース内ではしゃぐ、新人二人。

 わずかに増えてきた通勤客が、跳ねる二人を奇異な目で見る。

 しかし、コナギもスギナも、その目線は全く気にならなかった。

 

「私が本館に戻ってからも、その時のスギナさんの鬼の形相、噂になっていましたよ!」

 

 飛び跳ねながら、コナギは朗らかな声で話し続ける。

 

「分校リコリスや職員の皆さんにとっては忘れられない記憶になったみたいでした。そのときのこと、みんなこう言っていましたよ。戦慄のダブルファック事件って!」

 

 その言葉を聞いたスギナの表情が硬直する、喜びの躍動が停止する。

 コナギの両手を握ったまま、スギナは急な貧血状態に陥ったかのように、その場に崩れ落ちた。

 

「うあああぁ……適当な事件名つけられてるうぅ…」

 

 

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