「私、スギナさんと同じ電波塔孤児です…選抜に落ちて分校に送られた、12人のリコリス分校生の一人です!」
コナギの言葉に、スギナの体が大きく震えた。
意識が飛ばされそうなほど、思考が追い付かないほどの、強烈な情動がスギナの背骨を走る。
何も考えられないほどの、驚き。
何も話せなくなるほどの、驚き。
スギナは驚愕の閃光が脳内に明滅する状態で、ただコナギの顔を見つめ、コナギの声を聞いていた。
「やっと会えました…やっと再会できました…スギナさん…」
スギナとコナギ、二人は、互いに再会できる日を待ち望んでいた。
それはスギナにとっては、たった一晩の、短い時間。
しかしコナギにとっては、11年という、長い時間。
再開できる日を、待ち望んでいた。
「電波塔で孤児になった16人のうち、才能のなかった私たち12人は、全員が同じ宮騨村分校に送られました。選抜施設から分校行きのバスが出る時、お見送りに来ていた4人の孤児、選ばれた本部行きの4人の顔を、私たちはバスの中から憧れの目で見ていました」
その時のことは、スギナも覚えている。
最後のお別れだぞと言われながら、選抜担当官に手を引かれ、選抜施設の正面玄関前で見送った一台の小型バス。
まだ座席から背伸びをしなければ外が見えないほどの、小さな幼児たち12人。
つい昨日まで一緒に能力試験を受けていた、つい昨夜まで一緒に布団の中で泣いていた、同い年の12人。
たった一週間だけの付き合いだったが、同じ悲劇を背負い、同じ運命を与えられた12人の同士。
彼女たちは小さなバスに揺られながら、スギナの目の前から去っていった。
もう会うことはないだろうなと、スギナは諦めていた12人。
しかし、彼女たちは、諦めていなかったのだ。
「スギナさんがいた本部ほどではないとは思いますが、分校での訓練も、厳しいものでした。仲間も5人欠けてしまいました。けど、私たちは頑張りました。私たちよりもっと厳しい場所で、私たちよりもっと優秀な仲間が、私たち以上に頑張っているんだ。だから、私たちも立派な分校リコリスになろう。一人前の分校リコリスになって、本部に行ったみんなと再会するんだ。そう誓って、皆で頑張ってきたんです」
話を続けるコナギの目から、一筋の涙がこぼれる。
「毎晩、私たちは本部に行った仲間のことを語り合いました。本部の4人は、どれだけ優秀なリコリスになるのだろうか、分校生がなれないセカンドとかファーストに、いずれは進級するんだろうなとか、噂で聞く伝説のリコリスみたいにカッコよくなっているんだろうねって、何度も話し合いました。地味な暗殺任務しかできない私たち分校生にとっては、正面から敵と戦える本部リコリスはとても輝いている存在でした。その本部候補生の中に、私たちの仲間がいる。私たちと同じ電波塔孤児がいる。それだけで、私たちは満足でした」
本部と同じく、分校での生活も、暗く辛い日々だったのだろう。
しかし、分校候補生たちには、過去を語り合い、仲間同士で結束できる環境があった。
分校候補生となった電波塔孤児たちは、辛い日常の中、共に支え合い、共に労わり合ったのだろう。
本部に送られた電波塔孤児、自分たちと同じ電波塔の仲間が、本部でDAの花形になろうと頑張っている、この世界の主人公になろうとしている。そのような妄想を語り合うことで、共に慰めあったのだろう。
「いつか本部に行った仲間と出会いたい。それが私たちの夢でした。スギナさん…」
コナギが、衝撃で立ちすくむスギナの背中に、そっと両手を回す。
先ほどの無邪気なハグとは違う、絡みつくような抱擁、熱の籠った抱擁、意中の人と無事に会えた、喜びの抱擁。
「スギナさんが本部に行った仲間の一人だって気が付いた時は、本当に嬉しかったです。だって、私たちが毎晩考えていた、憧れのリコリスそのものだったんですから」
「そんなこと…ないです」
昨日もお話しした通り、私は最底辺のリコリスです。お情けで本部に連れていかれて、お情けで卒業させてもらえただけの、底辺サードです。田舎支部にしか行けなかった、無能なんです。今夜の任務も、全然ダメだったんですよ…と、スギナは震える声で答える。
「スギナさん、もう謙遜はしないで下さい。つわもの揃いの諸咲支部に送られるようなリコリスが、最底辺のわけないじゃないですか。あの臥観手支部長だって、前は諸咲にいたと聞きました。それに任務終了後も、カニに擬態しながら自発的に名古屋市内を一晩中見回っていた行動力と責任感。テロリスト相手なら素手で充分だと叫ぶ豪胆さ。作戦前にヌルい仕事をしている人には、たとえ大支部の大人の職員だろうが中指を突き立て威嚇する厳しさ。そして悩んでいるリコリスには、たとえ分校生だろうと駅まで追いかけて指導してくれた優しさ…どれをとっても、私たちが思い描いていた、最高のリコリスです!」
少しだけ誤解しているスギナ評を延々と語るコナギ。今夜のスギナに関する噂話はデマだと言っていたわりには、彼女自身多少は信じてしまっているようだ。
「本部に選ばれた4人のみんなって、やっぱりすごかったんですね。残りの皆さんも、立派な本部リコリスになれたんですよね!」
コナギの無邪気な言葉、何気ない一言が、スギナの心を抉った。
本部に送られた4人の内、スギナ以外の3人は、養成課程を修了する前に死んでいた。
一人は処分され、一人は自殺し、一人は射殺された。
会話こそなかったが、心で繋がっていた彼女たちに、今のコナギの姿を見せたかった。
分校に行った仲間が、私たちのことを忘れていなかったということを伝えたかった。
スギナの両目からも、大粒の涙があふれる。
遠くはなれた仲間と再会できた、喜び。
生き残った自分だけが出会えた、痛み。
分校にいった候補生たちも、5人死んだという。
もう出会うこともできない、本部生3人と分校生5人。
亡くなった彼女たちを思うと、心が痛む。
「私、スギナさんとあえて…立派なスギナさんとあえて…本当に幸せです!」
願いがかなって、本当に良かったですと、泣きながら抱きつくコナギに、スギナはただ泣きながらうなずいた。
ごめんなさい、本部で生き残ったのは、私だけなんですと言いながら、スギナは泣いた。
亡くなった3人は、皆優秀な少女たちだった。優秀だからこそ、DAに反抗し、死んでいった。
皆立派な最期だった。立派な抵抗だった。
自分は無能ゆえに生き残った。生き残ることが、私にできる唯一の反抗だった。
ごめんなさい、本部では、分校生のことを、思い出す余裕はなかったんですと言いながら、スギナは泣いた。
分校落ちという言葉に代表されるように、本部内では、分校は最底辺の象徴だった。そう思うようにコントロールされていた。
分校へ落とされることへの恐怖から、本部リコリス候補生たちは、全員が心理的に分校から目を背けていた。
本部教育課程という狭い世界では、分校の情報など、誰も知らなかった。分校の話など、誰もしなかった、できなかった。
全ての行動と情報を管理されている本部内での生活が、スギナの心から、次第に分校への関心を剥ぎ取っていたのだ。
千々に乱れる感情に翻弄される中、スギナはただごめんなさい、ごめんなさいといいながら泣く。
「コナギさん…私も、コナギさんに会えてよかったです。私、一人じゃなかったんだ…」
驚愕、歓喜、悔悟といった様々な感情が噴き上がり、スギナの体を駆け抜け、天に昇っていく。
しばらく抱き合っていた二人。しばらく泣いていた二人の嗚咽の声が、やがて消えていく。
様々な感情を出し切ったスギナの心に残っているのは、自分は孤独ではなかったのだという、深い安堵。
この世界には、まだ仲間がいる、あの日電波塔で起こった悲しみを共有できる仲間がいる。
私には、仲間がいる。
それは、全身の神経がくすぐったくなるほどにスギナの脊髄を震わせる、鮮烈な喜びだった。
「会いたいな…みんなと」
「私も、分校の電波塔組に、スギナさんのことを伝えたいです。頑張って本部卒リコリスになれた、立派な電波塔孤児がいることを、みんなに伝えたいです」
感動のあまり、空っぽになった頭の片隅で、スギナは考える。
コナギ以外の電波塔孤児たち、彼女たちにも会いたい。
しかし、無理だろうなと。
「コナギさん以外の皆さんって、どこに配属されたんですか」
コナギに抱き着きながら、スギナは尋ねる。
「それが…中部圏に配属されたのは私だけなんです。後は北海道から沖縄までの各管区に、均等に配置されてしまいました」
「…でしょうね」
思い出を共有していると思わしきリコリス同士を、同じ支部や近くの支部に配属させるほど、DAは優しくないし甘くもない。リコリスが結託して反乱を起こさないよう、横のつながりがありそうなリコリス候補生は、皆分散して配置されている。
幼馴染だった風待とサクラとモモも、本部卒業後はそれぞれ愛知、北海道、宮崎に飛ばされ、それ以来全く会っていないという。孤児として拾われた時の縁や、訓練生過程で培われた友情や愛情を引きはがすDAの初期配置は、分校生といえども例外ではなかったようだ。
「けど、私、さきほど臥観手支部長から、すごく良いお話を聞いたんです!」
「名古屋支部長から?」
はい、と大きく答えて、コナギはスギナから体を離す。
「はい、なんでも諸咲支部って、観光に来たリコリス相手にお寿司を振る舞う、モブリコ寿司ってのがあって、スギナさんたちは、そこでお寿司握っているそうですね」
「ええ…今年度は、来月から開店の予定です」
「そしてモブリコ寿司では、仲間への置手紙を受け取るサービスも裏でしているって聞きました。本当ですか?」
「…DAには内緒ですけどね」
それは諸咲支部で100年前から密かに受け継がれている、リコリスたちの最後の通信手段。
それはDAによって断ち切られた横のつながりをこっそり繋ぐ、リコリスたちの危険な遊戯。
モブリコ寿司に来たリコリスが、思いを伝えたい相手に手紙を書き、忘れ物として置いて帰る。後日その手紙を渡したかった相手が、運良くモブリコ寿司に旅行客として訪れたら、保管しておいた手紙を渡す。ただそれだけのチープなサービスだと、スギナは赴任初日に風待から教えてもらっている。
「臥観手支部長って、不思議な人ですね。私は何も言っていないのに、悩んでいることの解決法を、そっと教えてくれたんです」
臥観手ルミナ支部長は、以前は諸咲支部にいた。モブリコ寿司で働いていた。
名古屋支部のトップに立つに相応しい頭脳と直感が、コナギの悩みを見通し、その解決策がモブリコ寿司にあることに気が付いたのだろう。
「隣で聞いていた女性職員の方も、素晴らしいシステムねって言っていました。これから私も皆に伝えるわって、すごく意気込んでいました」
「その人、よくDAで職員やれていますね」
さっきから情報漏洩ばかりしている女性職員。いずれDAをクビにならないか、スギナは他人事ながら心配になってくる。
「さすがに、裏のサービスの話だけはしないでくれって、臥観手支部長はその職員さんにクギをさしていましたよ。けど、私にとっては良い情報でした。私、目標が二つもできたんですから」
「二つ?」
はい、二つです、よく聞いてくださいねと言わんばかりに、コナギの両目が丸く見開かれる。
「私、今日からスギナさんを目指します。スギナさんのような、強くてカッコいいリコリスになれるよう頑張ります!これが一つ目です」
コナギにしっかりと見つめられているスギナの顔が、恥ずかしさで赤くなる。生まれてから今まで、スギナはこのような誉め言葉を、一度もされていなかったのだ。
「二つ目は、今日からいっぱい頑張って、昇進ポイントを貯めます。分校生はどれだけ昇進ポイント溜めてもセカンドになれないんですけど、その代わり旅行とかの特典は本部生と同じように貰えるんです。だから私、いっぱいポイント貯めて、旅行特典を貰います。そして、諸咲に遊びに行きます!」
リコリスへの余暇報奨を目的とした観光支部は、各都道府県に一つずつ存在している。スギナたちのいる諸咲支部は、愛知県の観光用支部に位置付けられているので、コナギのような分校リコリスでも、特典ポイントが溜まれば旅行申請は通るはずである。
「そして、モブリコ寿司に行ったら、分校の電波塔孤児のみんなに手紙を書きます。本部卒の電波塔孤児に出会えたこと、私たちが探していた人が、諸咲支部のスギナさんだったってこと、手紙に書きます。いつの日か、全国に散らばった分校の電波塔リコリスたちが、モブリコ寿司に来て手紙を受け取ることができるように祈りながら書きます。みんなが諸咲に観光に来る確率は低いとは思います。けど、確率はゼロじゃないんです。私たちは、全員が祈っていました、本部卒の電波塔孤児に出会えることを、ずっと願っていました。今日私の願いが通じたように、皆の願いも、必ず通じるはずです」
派手な任務の少ない分校リコリスには、特典ポイントを溜めること自体が難しい。さらに、特典を溜めた分校生が諸咲観光を選択する確率を考えると、彼女たちがスギナに出会える可能性はかなり低くなる。
しかし、コナギは信じていた。
電波塔の災厄によって孤児となったリコリスたち。リコリスとなった運命が同じならば、リコリスとして再会できる運命もあるはずだ。コナギはそう信じているようだった。
運命のつながり、運命の同士。
身寄りのないリコリスにとって、運命による縁は、血縁よりも強い。
縁は運命をも引き寄せるはずだ。
だから会える、いつかは会える。
コナギは、そう確信していた。
「そうですね…遠く離れていても、いつかは会えるでしょうね」
コナギの言葉を、スギナも信じた。
「いつの日か、モブリコ寿司に電波塔の分校生が来たら、今日の私にしてくれたみたいに、優しくしてあげてください。そして、別れてからのお話、いっぱいしてあげてください、いっぱい聞いてあげてください」
約束ですよ、と笑うコナギに、スギナも笑ってうなずく。
「それではスギナさん。またどこかで会いましょう。また出張任務で会えるか、それともモブリコ寿司で会えるかわかりませんが、必ずまた会いましょう。それまでは、遠く離れてしまいますが、私のこと、忘れないで下さいね」
「コナギさん」
寂しそうに別れの言葉を言うコナギに、スギナは静かに語りかける。
「たとえ距離が離れていても、絆は消えません。本部で過ごした私たち4人の電波塔孤児は、過去のことを語り合うことはできませんでしたが、心で繋がっていました。たとえ会話がなくても、絆はあったんです。それは、今も変わりません。あの世という、どれだけ離れた場所にいってしまっても、私の心は彼女たちと今も繋がっています」
コナギさんも、亡くなった分校生との絆は消えていないですよね、と問いかけるスギナに、コナギは何度もうなずく。
「それならば、どれだけ離れていようと問題ありません。どれだけ離れていようと、コナギさんのことは忘れません。お互い、消えない絆を胸に、自分の任地で全力を尽くしましょう。そしていつの日か、また会いましょう」
コナギに語りかけながら、スギナはそっと右手を差し出す。コナギはその手を力強く握り返す。
「スギナさん、最後までいろいろと教えてくれて、ありがとうございました。私、頑張ります!」
また感極まったコナギは、深く頭を下げると、JRの改札口に向かって走り出す。
改札口の前で一度振り返り、大きく手を振るコナギに、スギナも大きく手を振って答える。
コナギの姿が見えなくなるまで、スギナは手を振り続けていた。
「おつかれさま、スギナ」
いつの間にか背後に立っていた風待が、スギナに話しかける。
「絆は消えない…か。この最後の言葉、彼女とても感動していたわよ」
「先輩、あまり聞き耳立てないで下さい」
「だって、私たち本部卒って、聴音訓練受けているから、聞こうとしなくても聞こえてしまうからねぇ」
少しニヤついた笑みで語る風待の言葉に、頬を赤らめるスギナ。
「けど、最後の最後に言えたわね。人から教わった説明じゃなくて、自分の経験から得た、相手の心に寄り添うアドバイスを」
「はい…」
自分が一番伝えたいこと、教えたいことを、別れ際に言うことができたことに、スギナも内心満足していた。
「よかったわね。スギナにも、絆で繋がる仲間がいて」
風待の言葉に聞いたスギナの顔に、小さな、しかし深い笑みが浮かぶ。
私にも仲間がいた、電波塔の記憶を共有する仲間がいた。
私は一人ではなかった、生き残った電波塔孤児は一人ではなかった。
今回の任務は、全くの失敗だったが、多くの絆ができた。
元諸咲リコリスの名古屋支部長に会えた。
多くの分校リコリスたちに会えた。怖がられたけど。
コナギさんに会えた。電波塔孤児がまだいることを知った。
そして、風待先輩。
先輩と私、互いに本心を曝け出しあった、傷つけあった。
そして、お互いの過去を語り合い、絆を一層深めた。
多くの絆、深い絆。
それを得ただけでも、今回この出張任務に来た甲斐はあった。
スギナは心から、そう感じていた。
「スギナはいいよね、気の良さそうな子が孤児仲間でさ。私の孤児仲間なんて、サクラとモモしかいなくてね。で、あいつら二人とも性格悪くてさ、こんなのが仲間というか腐れ縁というか…」
隣でブツブツと独り言を吐いている風待に、スギナは微笑みかける。
「先輩、そろそろ私たちも帰りましょう。私たちの、諸咲に」
「そうね…帰ったら、何しましょうか」
帰ったら洗濯したい、帰ったら塩辛でご飯食べたい、そのような雑談を交わしながら、スギナと風待も私鉄の改札口をくぐり、名古屋駅コンコースから消えていった。
二人のリコリスの姿が消えた早朝の名古屋駅。
まだ人気の少ないコンコースに、正面入口から吹き込む一陣の風が、彼女たちが立ち去った跡を箕箒するかのように通り過ぎる。
昨日までの風とは違う、暑く重く、それでいて何故か心が沸き立つような、熱い風。
それは、夏の本番の訪れを、世界に告げる風だった。
そして、夏が来る。
二人の、夏が来る。
朝のニュース番組の中で、その事件は小さく取り上げられた。
深夜の近城埠頭で発生した、爆発事故。不良品の大型リチウムイオンバッテリーを満載した10台のコンテナが爆発炎上したこの事故は、深夜の無人区画で発生したため、人的被害は出なかったと報道された。
原型をとどめないほど大きく壊れたコンテナの映像は、朝の身支度をする人々の目を数秒ほど釘付けにはしたが、ほとんどの市民は、昼頃にはもはやこのニュースを忘れ、二度と思い出すことはなかった。