モブリコ辺境暦   作:杖雪

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7月 モブリコ寿司本日開店 ④

 椅子に座っていて良かった、とスギナは思った。

 もし座っていなかったら、倒れていただろう。

 

 背もたれのある椅子でよかった、とスギナは思った。

 もし背もたれがなかったら、後ろにひっくり返っていただろう。

 

 それほどの脱力感。

 

 全身を縛る緊張から一気に解放されたため、体に力が入らない。

 目の前の二人に何か言葉を返そうかと思うのだが、声が出ない。

 

 それほどの安心感。

 

 歌島リコリスの二人、モズク子さんとメカブ子さんは、こう言ってくれた。

 

 とてもおいしかったぞ。

 すごくおいしかったぞ。

 

 初心者への甘い評価だったとしても、うれしい。

 たとえお世辞半分な批評だとしても、うれしい。

 

 自分の料理を、美味しいと言ってくれた。

 それだけで、うれしい。

 

 思わずスギナは、涙ぐみそうになる。

 

「うん、下ごしらえも味付けも、なかなか上手にできているわ。スギナ、朝から頑張ったもんね」

 

 横でアナゴの寿司を食べた風待が、感動の追い打ちをかける。

 自分のバディからの優しい言葉に、スギナの涙腺が決壊する。

 

「みなさん…ありがとうございます…本当に、ありがとうございます。私、生きていてよかったです」

「いやまておおげさだぞスギナ」「じんせいこれからだぞスギナ」

「そうよスギナ。人生だけじゃなくて、食事もまだ始まったばかりよ」

 

 涙ぐむスギナに、テーブルに座った三人があわててフォローする。

 

「そうですね…それでは皆さん。他のお寿司も召し上がって下さい」

 

 泣きながら笑うスギナ。

 どうも先月辺りから涙腺が緩いな、とスギナは思う。

 

 6月に行った出張任務。大雨の下での任務の際、スギナは泣きに泣いた。

 自分の過去を思い出し泣いた。先輩の心を乱してしまった事に泣いた。先輩と思い出を語り合って泣いた。

 

 任務が終わった後も、スギナは泣いた、泣きまくった。

 知り合ったリコリスの任務の成功を聞いて泣いた。知り合ったリコリスが自分の仲間だと知って泣いた。

 

 涙にも、いろいろある。

 

 DAでの本部候補生時代の涙は、ただ辛さから出てくるものだった。

 

 指導中に罵倒され、叱られ、殴られ、泣いた。

 訓練中の肉体の苦痛、怪我の激痛に、泣いた。

 休息中に聞こえてくる同僚の陰口に、泣いた。

 就寝中に亡くなった家族を思い出し、泣いた。

 

 あのころの私は、涙とは、苦悶の添え物とばかり思っていた。

 

 それ以外の感情でも涙が出てくるとは、思ってもいなかった。

 自分が握ったお寿司を褒められただけで、涙が出るなんて思ってもいなかった。

 

 温かい涙。

 幸せな涙。

 

 私は今、幸せなのだろう。

 

 スギナも皆と同じく、アナゴのお寿司を取ると、口に含む。

 

 うん、おいしい。

 

 シャリの固さ、シャリとネタとの調和、ネタの味付けと柔らかさ。どれもまあまあといったところだろう。

 よく味わうと粗も見えてくる。食材の良さに助けられている感じもある。しかしこれならば、人に提供するお料理としては、まずは及第点かもしれない。

 

「マグロもおいしいな、きりかたがじょうずだ」「タマゴのあじもいいぞ、やくときになにかいれたのか?」

「玉子焼きには、味醂と醤油と砂糖で味付けした卵液に、裏ごししたエビの身を入れてみたわ。普段は山芋と白身魚を使うんだけど、今回はアナゴ尽くしのお品書きだから、バランスを考えて魚よりエビにしてみたのよ」

 

 風待も積極的に会話に加わっている。

 

「カッパまきにミョウガをくわえたのは、いいアクセントだな」「おみそしるのエビのだしもいいな、あかみそにまけていないぞ」

 

 ゆっくりとした食事の合間合間に、料理の評価が飛び出してくる。

 ぼんやりとした顔に似合わず、彼女たちの評価は的確である。特に隠し味については、必ず言及してくるのは、よく味わっている証拠であろう。

 

「しおからのぐんかんまきは、ちょっとざんねんだったな」「のりやシャリに、しるがしみてしまっているな」 

「そうね、味は悪くないけど、自家製の塩辛を軍艦巻きにするのは問題があったみたいね」

「いちどしるけをきってからつかってみればいいんじゃないか?」「シャリのうえにおおばをしくというてもあるぞ」 

 

 基本的には褒めつつも、欠点はしっかりと指摘する二人。

 

 しかし、その言葉には棘はない。むしろ、今後の改善点を的確に指摘した上で、一緒に解決策を考えてくれているので、大変勉強になる。

 

 寿司や料理を、一口食べては語り合う4人。

 真剣に、そして美味しく食べる、リコリスたちのランチタイム。

 4人とも、素人ながらも料理人だ。料理のことなら話題は尽きない、会話は尽きない。

 

 そして今回の会話の主役は、スギナの初めてのおもてなし料理。

 自分の握ったお寿司たちが、話題の中心となっている。

 

 それが、なんとなくこそばゆい。

 それが、なんとなくほこらしい。

 

 料理を作ること、それを食べてもらえること。

 これだけのことが、これだけ楽しいとは思ってもいなかった。

 

 スギナは夢中になって話し、真剣になって評価を聞いた。

 

「しかし、歌島の皆さん、本当に味に詳しいですね」

 

 さすが旅館でお料理のお手伝いをしているだけのことはありますね、と素直に感心するスギナ。

 

「歌島はうみのさちもゆたかだからな」「おいしいそざいがおおいから、りょうりのしがいがあるんだ」

 

 新鮮で美味しい地元の食材を前に、手は抜けない。歌島の食に真摯に向き合い、誠実に料理をしているから、腕も上がったんだぞと自慢する二人。

 

「私、すごく失礼ですけど、お二人がそこまで豊かな食生活を送っているとは、思っていませんでした」

「まあとおくからみればちいさいしまだからな」「そういえばセノカはもっとしつれいなこといっていたな」

「なんて言っていたんですか?」

 

 思わず身を乗り出して聞くスギナ。セノカの話となると、興味が抑えきれないらしい。

 

「ああ、去年の話ね。セノカってね、この二人は道に落ちている変な木の実とか、浜辺に落ちている乾いた海藻とかを食べて暮らしていると思っていたらしいのよ。そんなのばかり食べてお腹壊さないんですかって、すごく真面目な顔で尋ねていたわ」

「そうそう、そういっていたぞ」「あいつはわたしたちのことなんだとおもっていたんだ」

「ひどい話ですね。彼女は歌島リコリスを何だと思っていたんでしょうね」

 

 少し前まで、自分も一言一句同じことを考えていたことは隠しながら、憤慨したふりをして、セノカの発言を糾弾するスギナ。

 

 心の中で思っていたことだ。言わなきゃ絶対バレない。

 素知らぬ顔をして、スギナはアナゴの白焼に箸をつける。

 

「焼きアナゴは、私がさばいて、風待先輩が焼いてくれたんですよ」

「やきかげんはみごとだな風待」「したごしらえもじょうずだぞスギナ」

 

 スギナの言葉につられ、皆がアナゴの白焼に手を伸ばす。

 

「ここのアナゴって本当に美味しいのよね。煮ても干してもお酒のよいおつまみになるし…」

「なあ風待」「すこしいいか」

 

 風待の何気ない言葉を聞いた歌島の二人が、同じ動作で箸を置く。

 

「風待はまだおさけのんでいるのか?」「はんとしまえ、わたしたちがきたときものんでいたな」

「ええ…まあ、今も、多少は…」

 

 言葉を濁して答える風待。

 

「あのときはのんだくれていてもしかたないとおもっていた」「セノカがいなくなったときだったからな」

「うん…」

 

 少しうなだれながら、歌島の二人の言葉を聞く風待。いつもは凛とした先輩の、こういう姿は珍しいなと、スギナは隣でアナゴを頬張りながら考える。

「けど、いまのおまえのとなりにはスギナがいる」「もうさみしくないはずだよな」

「ええ、そうね…」

「ならばそろそろおさけはひかえてもいいんじゃないか」「スギナものみすぎにはしんぱいしているはずだぞ」

 

 言ってやって下さい!もっと言ってやって下さい!と、スギナは味噌汁を飲みながら心の中で二人に声援を送る。

 

 風待先輩は、二人の言葉を素直に聞いている。

 私がどれだけ言っても聞かなかったのに、彼女たちの言葉は存外素直に聞いている。

 

 これならば、私の願いが叶うかもしれない。

 先輩の禁酒という私の願いを、この二人が叶えてくれるかもしてない。

 

「わかったわ…」

 

 風待の口が、おもむろに開く。

 

「今日は、お酒止めるわ」

 

 今日だけですか! スギナは怒りのあまり、味噌汁に入っているエビの頭をかみ砕く。

 

「うん、まあいまはそれでいい」「すこしずつ、さけはへらしていけよ」

 

 メカブさんとモズクさんも、甘いこと言わないで下さい! スギナは力強くエビの頭を咀嚼すると、怒りを込めて飲み込む。

 

 同居人の気苦労と不満を抱えながらも、楽しい会食は続く。

 話は風待の飲酒の話から、かつていた冠典ゼリィ先輩の喫煙の話に移行している。飲酒に喫煙、ここは不良少女ばかりだ。

 

 内心で毒づきながらも、スギナはふとあることに気が付く。

 

「そういえば、メカブ子さんとモズク子さんも、ゼリィ先輩のこと知っているんですか?」

「おう、よくしっているぞ」「ぶんこうをでて、はじめて歌島にきたとき、諸咲にいたのがゼリーとルミナだったからな」

「ということは…」

 

 スギナは指を折って、年を数える。指を折って、諸咲の歴史を振り返る。

 

 常に2人体制の諸咲支部、ここ最近は毎年のようにメンバーが変わっている。

 

 今年度は風待支部長と、新人の私。

 1年前は風待支部長と、新人のセノカさん。

 2年前は冠典ゼリィ支部長と、新人の風待後輩。

 3年前は冠典ゼリィ支部長と、新人の臥観手ルミナさん。

 

「ということは、お二人とも今年で4年目なんですか」

「そういうことになるな、ルミナとどうきだな」「あいつはいま名古屋しぶちょうか、しゅっせしたな」

 

 同じ動作でお茶を飲みながら、少しだけ誇らしげに語る歌島の二人。

 

 リコリスの4年目といえば、すでにベテランである。

 シンプルで幼い顔立ち、話し始めれば子供のように騒がしい目の前の二人だが、彼女たちは風待先輩より年上なのだ。

 

 言われてみれば、静かに食事をしている時は、年齢相応の大人びた感じはあった。

 風待先輩の飲酒をたしなめた時は、年上の言葉遣いだった。注意を受けた風待先輩も、肩をすくめるようにしておとなしく聞いていた、現諸咲支部長にもかかわらず、だ。

 

 年季の入った貫禄や風格といった、古参ならではの威厳を感じさせないのは、存在感を極力出さない分校リコリスの基本スキルなのかもしれない。

 食事を終え、のんびりとした顔でお茶を飲む二人を、スギナは少しだけ尊敬の目で見つめる。

 

「そーかんはいも、さんねんまえのなつからさんかしているぞ」「だい269かいからだな、さんしょうにはいだ」

「なんですか、そーかんはいって?」

「そーかんはいはそーかんはいだ。はごいたはいというな」「風待からなにもきいていないのか?」

 

 二人に逆に問いかけられ、スギナは首を横に振る。

 

 ソーカンハイと言われても、スギナは何のことか全くわからない。漢字がわかれば想像もつくのだろうが、この二人はひらがなばかりで話すので、ヒントにもならないし、セリフも読みづらい。

 

 答えに窮したスギナは、横に座る風待の顔を見る。

 

「あー、双関杯ね。スギナには、あえて今まで黙っていたのよ。諸咲ペアの一人が初心者なら、歌島の皆さんにはちょうどいいハンデでしょ?」

 

 風待も食事を終え、背もたれに体を預けながら、目の前の二人を煽るような口調で話す。口角を上げ、挑発するような態度で話す風待の姿は、横で聞いているスギナが思わずぶん殴りたくなるほどの、傲岸不遜な可愛らしさがあった。

 

「ふふふいってくれるじゃないか風待」「ここ3せんとも、諸咲はまけつづきだったことをわすれたか」

「敗因の分析は完了済みよ。今回のペアは運動音痴でド貧弱なゼリィ先輩でもなければ、こういうノリが苦手でマイペースなセノカでもない。かなり素直で意外とノリのいいスギナとなら、今日の双関杯、必ず勝利するわ」 

「あのー、それで、そーかんはいってなんですか?」

 

 少しずつ盛り上がってきた場の空気になじめないまま、スギナが改めて質問する。

 

「下宿に帰ればすべてがわかるわ。諸咲と歌島、150年にわたる因縁の歴史がね。だから今は心配しないで、勝負前のメンタルコントロールに集中しなさい」

「…はあ」

 

 どうやらアパートに戻ったら、4人でなんかやるらしい。どうもこういうノリは苦手だなと思いつつ、スギナはとりあえず生返事をする。

 

「そんなに心配そうな顔をしなくてもいいのよ。ただの親睦試合、それだけよ」

 

 風待も食事を終え、静かにお茶を飲む。典麗の所作で、寿司屋の湯呑に口をつける姿は、いつもの美しい風待先輩なのだが、スギナの目には、優雅の中に垣間見える、沸き立つような稚気を隠しきれていないように見える。

 皆の手前、平静を装ってはいるが、これから始まる親睦試合に心が躍っている、そのような感じにみえた。

 

 まあ風待先輩も歌島の皆さんも、楽しそうだからそれでいいかと、スギナは一人冷静に食事を終え、お茶を一口飲んだ。

 

 

 

 片付けと掃除はすぐに終わった。

 

 4人全員で手分けをし、協力し合ったのだから当たり前なのだが、それでもスギナが考えていたよりも早かった。

 歌島リコリスの二人、メカブ子さんとモズク子さんの掃除の手際が、まさに入神の域に達していたのだ。

 

 彼女たちは、毎日歌島の旅館でお手伝いをしているという。

 

 談笑しながらでも止まることのない手と、見落とすことのない目、鈍くなることのない動き。日々鍛えた彼女たちの動作に、スギナは心から驚嘆する。

 引き戸の敷居、台所の電話機など、普段見落としているところまで掃除の手は伸び、瞬く間に店内全てが輝きだす。

 

 片付けの最後は、モブリコ寿司の暖簾の取り外し。

 外した暖簾を丁寧にたたみ、金庫に保管する。

 

 全ての片づけを終えた後、スギナは店舗の使用料や、今回使用した店内の食材の詳細を記入した複写式用紙を、カウンターの上に置く。

 

 会計管理も、スギナの仕事である。将来の諸咲支部長、そしてモブリコ寿司店長であるスギナは、店長としてしなくてはならない料理以外の業務についても、風待からこの3カ月間みっちりと叩きこまれているのだ。

 

 店の外に出ると、夏の白い日差しが4人を包み隠す。サードリコリス3人の白色の制服は灼光を反射し、セカンドリコリスの青色の制服は、夏の空と同化する。

 まだ梅雨明けの報せはないが、すでにこの世は海の水も田の水も沸く盛夏である。あと数日で、セミの鳴き声も聞こえだすだろう。

 

「で、そーかんはいってなんですか」

 

 アパートに向かう間、スギナは会話の合間を縫って、今日何度目かの質問を三人に問いかける。

 

「そーかんはいはそーかんはいだぞ」「こんかいはだい274かいだ」

 

 メカブ子さんとモズク子さんは、話にならない。

 

「漢字ではね、双関杯って書くのよ。諸咲支部と歌島分支部を、双関に見立てたのね」

 

 風待が、青空の果てを台紙にして、白い指で文字を書く。

 

「伊勢湾を守る双つの関所…って意味ですか?」

「それもあるかもしれないけど、意としては漢詩の双関ね。諸咲と歌島は二つで一つ。そのような意味が込められているのよ」

「ぜんかいのそーかんはいはいちねんまえだったな」「歌島がかったんだぞ、さんれんしょうだ」

 

 夏の空気の濃厚さに負けない、4人の話し声。若く元気な声の尾は、曲がりくねった道を通り坂の上までを継いだ後に、スギナたちのアパートの前まで続く。

 

「ところで、きちんと例の優勝楯は持ってきているでしょうね?」

 

 部屋の鍵を開けながら、風待が問いかける。

 

「もちろんだとも風待」「きがえをいれたかばんにはいっているぞ」

「優勝楯?」

 

 スギナの疑問を気にせずに、先に部屋に上がり込む三人。

 

「おじゃまするぞ」「ひさしぶりだな」

 

 まだエアコンを動かしていない、熱気の籠った部屋に、歌島リコリスたちは遠慮なく入り込む。風待先輩よりも前に赴任してきた彼女たちだ。諸咲の下宿も上がり慣れているのだろう。

 

 薄暗い玄関には、衣類や医薬品、食料品といった歌島リコリスたちの買い出し品を入れた手提げ袋やトラベリングバッグが積まれている。スギナはそれらの大荷物を踏まないように注意しながら、三人の後を追う。

 

「あいかわらずせまいへやだな」「あいからわずふるいへやだな」

 

 居間の中では、風待がエアコンのスイッチを入れながら、二人にハンガーを渡していた。

 

「かぐのはいちもかえていないんだな」「きょねんからおなじままだな」

「そうなんですか?」

 

 ハンガーを受け取り、鞄の中から着替えを出そうとする二人に、スギナが話しかける。

 

「去年の何時ごろから、この配置なんですか?」

「たしかなつはもうこんなかんじだったな」「セノカがいたころからかな」

「ふーん」

 

 自分と風待が暮らす室内を、無表情で見渡すスギナ。

 

「セノカさんがいた頃のままかー」

 

 毎日丁寧に掃除して、部屋の中にあるセノカのにおいは完全に消していたはずだったけど、配置までは気が回らなかったな、とスギナは無言でつぶやく。  

 早めに家具の配置換えをしよう、とスギナは心の中で決心した。

 

 真剣な顔で家具のレイアウトを考え始めるスギナの背後で、夏用のトレーニングウエアに着替えたメカブとモズクが、鞄の奥に入っていた白いビニール袋を風待に手渡す。

 

「ゆうしょうたてとはごいたは、このなかにはいっているぞ」「スーパーボールは、さっき30こほどかっておいたぞ」

 

 部屋に立ったまま、ビニール袋の中を覗きこむ風待。

 

「これを見るのも久しぶりね。このトロフィーが、今日からこの部屋に飾られることになるのね!」

「そうはいかないぞ風待」「どうせこんかいも歌島にもってかえることになるぞ風待」

 

 次第にテンションが高くなってくる風待と歌島リコリスたち。普段は清楚で大人びた風待先輩だけど、今のようにどうでもいい方向にテンションが高くなると、途端に子供っぽくなるんだよね、とスギナは思った。

 

「何が入っているんですか?今、羽子板って聞こえましたけど…」

「そう、羽子板。これが諸咲と歌島の御神体、そして双関杯のトロフィーよ」

 

 風待は大仰な言葉と共に、ビニール袋の中に手を入れ、双関杯の賞杯となる羽子板を取り出す。

 

「あ、すてきですねこれ」

 

 スギナの素直な感想が、思わず口からでる。

 

 風待の手には、一枚の大きな押絵羽子板が握られていた。

 

 華やかな西陣に彩られた羽子板の表には、色とりどりの布で半立体的に作られた、和服を身に纏う花魁の立ち姿が貼られている。

 当時最新鋭の装束だったのだろう。背後に咲く先染めの花模様に負けない艶やかな衣装、当時の若い女性が憧れた装いを、自信をもって着こなしている、はるか昔のファッションリーダー。

 

 制作後、どれだけの年月が彼女の横を通り過ぎていったのだろうか、赤青黄色の布地は大分色褪せ、高島田を飾る簪も所々折れ曲がってはいるが、それでも差し色に縫われた金糸銀糸の光は未だ冴え、古びてなお高級感を醸し出している。

 

 一流の面相師の筆により、制作時には最新の画法だったであろう美少女絵で描かれた面相も、今では古典的な浮世絵風の量産顔でしかない。しかし、時代がどれだけ変わろうと、どれだけ価値観が変わろうと、それでも自分の美を信じて毅然と立つ花魁の絵姿は、スギナの目には風待先輩のような優雅で強い女性に映った。

 

「第一回大会からの優勝記念品、明治の初め頃から伝わる由緒ある飾り羽子板よ。諸咲と歌島のリコリスが半年に一回、羽根つきで勝負して、勝利したほうが次の試合まで自分たちの下宿にこの栄光の羽子板を飾る。これがこの地に約150年前から伝わる伝統の一戦、双関杯なのよ」

 

 そうですか、と少し気乗りのしない返事をするスギナ。しかし、風待はそのような後ろ向きなスギナの心情を意に介せず、ビニール袋の中にある4枚の試合用の羽子板のうちの一枚をスギナに手渡す。

 

 こちらは押絵羽子板とは違う、シンプルで頑丈なつくり。

 おそらく樫だろう。固く重い木材の削り出しで作られた、武器のような羽子板。飾り気不要のリコリスに相応しい、無骨で無粋な羽子板。

 

「メカブとモズクも着替え終わったようね。それじゃ、みんな外に出ようか。少しウォーミングアップしてから、試合開始よ」

 

 それぞれ羽子板とゴム球を手に持って、気合の入った足取りで部屋を出る三人。スギナもあわてて皆の後を追う。

 

「ちょっと待ってください。先輩」

「どうしたの、スギナ?」

「あの、私、羽根つきとかやったことなくて、その、ルールとか…」

 

 スギナの戸惑いに、テンションが上がっている時特有の、子供のような微笑みをもって返す風待。

 

「それならおいおい教えるから、今は心配しなくていいわよ。それより、スギナってこういうゲームは好き?」

「球技とか、あまり好きじゃなかったですね」

 

 風待の問いに、即座に答えるスギナ。

 

 DAでのリコリス候補生時代、運動技能の向上のため、球技系のスポーツはよくやらされていたが、スギナは卒業するまで、それを楽しいと思った事は一度もなかった。

 毎回運動能力優秀な他の候補生たちに翻弄され、負けるたびにチームの仲間から罵声を浴びせられるだけの試合など、どこをどう探しても、楽しいと思える要素などなかったのだ。

 

 今回は、さすがにそのような陰鬱なことにはならないだろうが、それでも少し気が重い。

 

 スギナの心情に気が付いたのだろう。風待はスギナの不安を振り落とすかのように、軽く背中を叩き、耳元で優しく囁く。

   

「そう…たぶんだけど、明日から好きになると思うよ。たぶんね」

 

 

 

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