モブリコ辺境暦   作:杖雪

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7月 モブリコ寿司本日開店 ⑥

 またしてもボールをぶつけられた。額の同じ場所にぶつけられた。

 メカブ子さんが打つ姿は見ていなかったが、威力と角度から考えると、おそらくはオーバーヘッドストロークのショットだろう。

 

 また同じ動きで姿勢を立て直したら、また同じように狙われる。それならば―

 

 のけぞったままのスギナは、体を起こそうとはせず、後方に倒れる勢いを利用して地面を蹴り、空中で後転する。

 地面に近い位置で一回転したスギナは、羽子板で額を隠しながら、低い体勢で着地する。

 

 ホームポジションをキープしながら、被弾面積を最小限に抑えつつ迎撃態勢を取ったスギナに、歌島の二人が感心したような顔を見せる。

 

「アンブッシュは2かいまでしかできなかったか」「もうすこしハンデはもらいたかったんだがな」

「どういうことですか、説明してください」

 

 顔を前に向けたまま、スギナは話しかける。目の前に立つ二人ではなく、背後に立つ風待に向かって話しかける。

 

 ルールも教えてもらえないうちに、なぜ試合は始まったのか。羽根つきなのに、顔面を狙われたのはなぜなのか。 

 そして、このような暴挙を、何故先輩は腕を組んだまま傍観しているのか。スギナは非難の意を込めて、静かな声で風待に問いかける。

 

「そうね、スギナには、ルールの前に、この双関杯の心構えを体で覚えてほしかったのよ」

 

 風待は腕を組んだまま、スギナの横に立つ。

 

「何も知らされていない状況だとしても、相手のショットを避けることができなかったのは、本部リコリスとして失格ね。たとえルールを知らなくても、油断さえしていなければ、この程度のボールを二度も当てられるなんて失態はなかったはずよ」

「それは…」

「もしこれがスーパーボールではなく弾丸ならば、スギナは二回死んでいたわ。銃ではなくて羽子板だから、ってのは言い訳にはならない。山形県には、殺人羽子板の技を継承する田舎支部が複数あるわ。どのような玩具でも、使う人によっては立派な暗器になる。だから本部卒リコリスは、絶対に油断してはいけないのよ」

 

 山形県の殺人羽子板って何ですか、とツッコミをいれたいが、できない。今のスギナには、できない。

 

 風待先輩の言は、正しい。

 

 先ほどの自分は、本当に油断していたと、スギナも思う。

 

 コートに立った以上、いつ試合が始まってもおかしくはなかった。相手が球を手にしていた時点で、投げつけられる予想はしていなければならなかった。

 

 普段ならば、投げつけられる気配は察知できたはずなのに、それができなかった。

 モブっぽい二人だからと、油断していた。分校の二人だからと、気を緩めていた。

 

 しかし、それだけだろうか…

 

「分校リコリスの通常のお仕事は、暗殺と偵察。どちらも気配を隠し、殺気を消すスキルが重要になるわ。だからどれほどぼーっとしている分校リコリスでも、殺意と初動を見せない隠形術だけは得意中の得意なのよ。正面戦闘能力がないからといって、分校出を侮っていては、命が幾つあっても足りないわよ」

「さっきのけしかたは、ぶんこうでいやになるほどまなんだぞ」「そつぎょうひっしゅうだったぞ。せんもんきそかもく、ようそつつうねん4たんい」

 

 本部卒のスギナに球を二発当てたことが嬉しいのだろう。可愛らしいが小憎らしい顔で、嬉々として話す二人。

 悔しいが、歌島の二人に言い返す言葉はない。分校って124単位制なんですか、とツッコミをいれることもできない。

 

 分校リコリスは暗殺を主体としていることは、スギナも知っていた。戦闘技能がない分、暗殺に重点を置いていることは、スギナも理解していた。

 知っていたならば、理解していたならば、なおさら不意打ちには注意しておくべきだった。

 

 完全に私の不注意だ。怒るのは筋違いだ。

 

「スギナも理解してくれたようね。この試合、油断だけはしてはダメよ。ステイ、アラート。トラスト、ノーワン。キープ、ユア、ハゴイタ。この三つの言葉を常に忘れず、勝負に挑みなさい」 

 

 これは第1回試合から伝わる、試合への心構えの言葉よ、と風待は付け加える。

 

 これもまた胡散臭いが、ツッコミを入れることはできない。羽子板を手にしてコートに入ったということは、軍人が武器を手に戦場に立ったのと同じことである。武器(はごいた)を手にしている以上、不意にスナイプされたからといって、怒ることはできないのだ。

 

 コートに立つスギナの顔に真剣さが宿る。羽子板を握る手に力がこもる。

 

「わかりました。先輩、私もう油断だけはしません」

 

 自分の不注意で、先制点を取られてしまった。2回も失点してしまった。

 反省の意を込めて、スギナは風待に頭を下げる。

 

「スギナも気合い入れてくれたようね。それでは、改めて双関杯のルールを説明するわ」

 

 隙を見せず、顔を歌島の二人に向けたまま、風待が話し出す。

 

「簡単に言えば、羽子板でやるバドミントンのようなものよ。相手のコート内にスーパーボールを落とせば1点。相手コートの背後に落としても1点。ただし相手の身長より高いロブのショットで背後に落とした場合はマイナス1点。そしてコート側面にショットしてしまった時もマイナス1点」

 

 先に合計50点取った側が勝ち。その他の細かいルールは、そのつど口喧嘩で決める。そして、と風待は言葉を溜める。

 

「そして…一番大事なのが、スリーポイントショットよ」

「なんですかそれ」

 

 スリーポイントシュートなら聞いたことがありますけど、とスギナは問いかける。

 

「3てんアタックともいうな」「ようはドッジボールだぞ。ちょくせつこうげきだ」

 

 スギナの目の前で、メカブ子とモズク子が囃し立てる。

 

「あいてのからだにスーパーボールをぶつけるんだ。あてれば3てんはいるぞ」「そーかんはいは、このショットがこうげきのメインだぞ」

「メカブとモズクのいう通りよ」

 

 スギナの横にいる風待が、大仰に頷く。

 

「ドッジボールのように、相手に直接球を当てるダイレクトなショット。双関杯の醍醐味は、一度に3点入るこのショットにあると言っても過言ではないわ。打ってきた相手の球が、自分の体のどこに当たっても3点取られてしまう。避けようとしても、狭いコートの中では逃げ場はないし、上手に避けられたとしてもコートの中や後ろに落ちて1点取られる。さてスギナ、こういう場合は、どうしたらいいと思う」

「えっ…と、避けずに、打ち返す…ですか?」

 

 いきなり問題を振られたスギナだったが、少し慌てながらもなんとか返答する。その答えを聞いた風待が、再び芝居がかった動きで頷きだす。

 

「その通りよスギナ。避けても点を取られるのだから、相手の球は逃げず避けず、常に打ち返すのが基本になるわね。互いに一歩も引かない攻性のラリーを続けながら、相手の隙や乱れを突いてダイレクトなアタックで3点を狙うのが、双関杯での基本戦術よ。スギナもリコリスなら、3点取れるダイレクトアタックを狙いなさい。DAなだけにね!」

 

 風待は片足を軸にくるりと一回転すると、スギナに人差し指を突きだす。

 

「DAなだけにね!」

 

 満面のドヤ顔で、もう一度同じ言葉を繰り返す風待。

 

 湧き上がる感情が、そのまま得意げな表情に出ている風待とは対照的に、スギナの顔が引きつったまま固まる。

 

 風待先輩は、綺麗な人だ。基本的には。

 華如桃李の、美しい人だ。基本的には。

 

 そんな風待先輩は、たまにテンションが高くなる時がある。

 可愛らしいけど、ぶん殴りたい。そんなテンションの時がある。

 

 たまに訪れる風待先輩のハイテンションモード。たいていはどうでもいい日常の、どうでもいいタイミングでこの状態になるのだが、それ以外にも自動的にテンションが切り替わるスイッチがあることが、最近わかってきた。

 

 確実にモードが切り替わるきっかけ。それは好きな人に出会った時だ。

 

 4月、内箕駅で私と初めて出会った時、風待先輩はテンションが高かった。

 可愛らしいけど、ぶん殴りたい。そう思った時があった。

 

 6月、名古屋でルミナ先輩と会った時、風待先輩はテンションが高かった。

 可愛らしいけど、ぶん殴りたい。そう思った時があった。

 

 今も、メカブ子さんとモズク子さんと久しぶりに再会したから、テンションが自動的に高くなっているのだろう。

 

 思い起こせば、今日の風待先輩は、モブリコ寿司でお寿司を食べる前から、どこか雰囲気がおかしかった。

 メカブ子さんとモズク子さんを連れてモブリコ寿司の引き戸を開けた時から、おかしな高揚感を伴う気配が散見できた。

 

 これまでの先輩のハイテンションモードは、長くて数分程度だった。それが今日は、妙に長い。

 

 おそらく、状況の違いだろうなとスギナは考える。

 

 今日は、諸咲支部にとっては休日みたいなものだ。初めて私と出会った時や、久しぶりにルミナ先輩に出会った時とは違い、仕事や任務から完全に開放されている日なのだ。

 そのような日だから、風待先輩の高揚感も持続しているのだろう。諸咲支部長という重い肩書を背負わなくてよい日なので、気持ちも軽くなっているのだろう。

 

 年齢より幼く見える笑顔で、仲間たちと笑いあう風待先輩。開放感あふれる動作で、仲間たちと戯れる風待先輩。

 

 もしかしたら、これが風待先輩の本来の性格なのかもしれない。もし先輩が、孤児でなくリコリスでもなかったら、このような明るく活動的な様子で、学校内を走り回っていたのかもしれない、学友たちとふざけ合っていたのかもしれない。

 

 そのような目で見ると、ぶん殴りたいなどとは言えなくなる、ぶん殴りたいとは思えなくなる。

 スギナは引き攣った顔を溶かし、優しい笑顔で風待に微笑む。

 

 スギナの表情が変わったのを見て取った風待は、もう一度片足を軸にくるりと一回転すると、満面のドヤ顔と共に人差し指を突きだす。

 

「DAなだけにね!」

 

 三度目だ。

 

 あ、やっぱダメだ、という言葉がスギナの口から出そうになる。

 こみ上げてくる怒りに震える口元を隠すため、三人の目線から逃れるように後ろを向く。

 

 やはりダメだ、ぶん殴りたい。

 

 羽子板を握りしめる手に、怒りの力が加わるスギナ。もし羽子板が握力計ならば、おそらく自己ベストの記録が表示されただろう。

 

 やり場のない怒りに震えるスギナ。その後頭部に、突然衝撃が加わる。

 

 固い頭にゴムボールが当たる景気のよい音と共に、スギナの視界が真下に移動する。いきなりの衝撃に、一歩前によろけてしまう。

 

「3どめのアンブッシュだ!」「これで9てんだぞ!」

 

 三度目だ。

 

 メカブ子さんかモズク子さんのどちらかが、またしても私の頭にゴムボールを打ち込んできたのだ。

 

 この二人もダメだ、ぶん殴りたい。

 

 全員、ぶん殴りたい。

 三人まとめて、ぶん殴りたい。

 

 小心者にもかかわらず気は短いという、少々難儀な性格のスギナ。自身の内で急激に燃え広がった暴虎馮河の炎をなだめたのは、以外にも右手に握った羽子板だった。

 

 強く握りしめた羽子板、手のひらから伝わる固く重い感触が、スギナの心を冷静にさせる。

 

 そうだ、怒りの心は、仲間にぶつけてはいけない。この激情は、羽子板にぶつけよう。

 燃え盛る理不尽への怒りは、全て試合にぶつけよう、コートの上で怒りの花を咲かせよう。不品行な行いをせず、ルールとマナーを守りながらも、球に怒りを込めたプレーで、心中で荒ぶる炎を燃え上がらせて、この試合に勝ってやろう。

 

 スポーツとはいいものだ、試合とはいいものだ。

 

 コートの中で燃え上がった激情は、コートの中で完結し消火できる。

 ぶん殴るという粗野な感情を、勝利を目指す心へ簡潔に昇華できる。

 

 そこまで挑発するというのなら、やってやろう。

 そこまで盛り上がっているなら、受けてたとう。

 

 この喧嘩(しあい)、買ってやる!

 この試合(けんか)、勝ってやる!

 

 スギナは、ゆっくりと振り返ると、互いの手を叩いて喜び合う歌島リコリスたちを一瞥する。

 

「たった9点のハンデを貰った程度で、何故そんなに嬉しがっているのですか? よろしかったらもう10点くらいは差し上げますけど?」

 

 少しだけ芝居がかった口調、皆のノリに合わせたかのようなスギナの語気に、歌島の二人の目が輝く。

 

「やるきになったようだなスギナ!」「ほんきになったようだなスギナ!」

 

 モズク子が、地面に落ちているゴムボールを拾う。先ほどスギナの後頭部で炸裂し、跳ね返ってきたボールである。

 

「さっきはこうとうぶにあててすまなかったな」「3かいもアンブッシュしてすまなかったな」

「いえ…羽子板を持ってコートに立った以上、隙あらば打たれるのは当然です。常在戦場の心構えを忘れていた、私の落ち度です」

 

 謝るメカブ子とモズク子に、スギナは闘志に燃える心を落ち着かせながら、静かな声で言う。

 

「しかし、これからは一瞬たりとも気は抜きません。今度は私があなた方の隙を探し出し、ショットを打ち込む番です。メカブ子さんもモズク子さんも、油断しないで下さいね」

「きあいはいってきたじゃないかスギナ」「サービスはくれてやる。せんぱいからのプレゼントだ」

 

 モズク子が、手にしていたボールをスギナに渡す。ありがとうございますと一礼し、ボールを受け取るスギナ。

 

「それじゃ始めるわよ。スギナは前衛と後衛のどちらにつきたい?」

 

 横に立つ風待が、スギナに尋ねる。

 

 スギナと同じく、風待の顔もまた真剣な心が表に出ている。これから始まる試合に、正々堂々と全力を尽くす覚悟をしたプレーヤー特有の、硬質で気迫に満ちた顔。完璧な試合と完全な勝利を目指す4人から噴き上がる気の力は、コート上を漂う夏特有の温く緩んだ空気を吹き飛ばし、気力が帯電したかのような、決戦の場に相応しい熱風を呼び起こす。

 

 風待の問いに、スギナはしばし考える。

 

 自分は初心者だ。慣れないうちはコートを俯瞰し、場の流れをつかむことができる後衛の方が、今後のためになるだろう。しかし…

 

「先輩、私に、前衛をやらせてください」

「いいの? やけに積極的だけど大丈夫?」

 

 意外な答えに、少し心配そうな声で尋ねる風待。いつも内気なスギナが、初手で前衛を希望するとは、風待も予想外だったようだ。

 スギナは軽くうなずくと、前方のコートに立つ歌島の二人に目線を送る。

 

「くっくっくっ…先輩、ここはこの私に任せてください。分校サードごときに、わざわざセカンドリコリスである先輩が前に出る必要などありませんよ。あのような雑魚どもは、これからこのスギナ様が軽く倒して御覧にいれますよ」

 

 両腕を組み、外連味がかったセリフを大袈裟な節回しで語るスギナ。

 

「おおっ! いいやがったなスギナ!」「それあくやくのセリフだぞ! それでいいのかスギナ!」

 

 案の定、派手に騒ぎ出すメカブ子とモズク子。しかしその大声の中には、怒りの色は入っていない。

 どれほど強い言葉をつかおうと、所詮はコートの中でのマイクパフォーマンス、本気で怒る人などいない。闘志をかき立て、試合を盛り上げるために、彼女たちは互いに小芝居をしながら、自らのテンションを高めているだけなのだ。

 

「いきます!」

 

 喚きたてる二人の隙を突くかのように、スギナは手に持ったゴムボールを眼前に浮かせると、鋭いショットで敵陣に撃ち込む。姿勢は変えずに、手首だけの動きで、ボールを前に押し出すように打つ、奇襲めいたスイング。

 

 動きは小さいが、よく弾むゴムボールの特性を活かしたショットは、騒がしさにあふれる歌島コートへ、一本の光の線となり突入する。

 

 しかし、相手コートに打ち込まれたボールは、前衛のメカブ子の羽子板の表面で急停止する。自らの感興をむき出しにして騒ぎ立てていたメカブ子とモズク子だったが、油断はしていなかったようだ。

 

 片側の口端をつり上げる不敵な笑みを浮かべると、メカブ子は羽子板を振り抜く。直進運動を急に遮られ、固い板の表上で歪に変形していたボールが、羽子板から新たな軌道と運動エネルギーを与えられ、スギナ目がけて突き進む。

 

 スギナの胸元目がけて直進するゴムボール。スギナは体を捻りながら羽子板を後方へ振り、体のひねりを戻しながらのスイングでボールを打ち返す。バックハンドでのサイドアームストローク。十分に体重の乗ったショットは、球に新たな加速度を与え、再び敵陣へ舞い戻る。

 

 スギナが撃ったボールを、メカブ子がドライブで迎撃する。ショットを打ち込んだスギナが態勢を整える間もなく、ボールは自陣に舞い戻る。

 

 バックハンドからのテイクバックでボールを迎え撃つスギナ。羽子板へのインパクトを感じると同時に、グリップを握る親指を立て、弾くように打ち返す。

 

 打ち返される度にスピードを増していくゴムボールが、目まぐるしくスギナとメカブ子の間を往復する。ノーバウンドで打ち合う二人の間の距離は3メートルもない。文字通り息つく暇もなく、スギナとメカブ子は球を打ち合う。

 間に遮るものがないため、直接互いの体目がけて打ち合う、緊張感と緊迫感この上ない羽子板ラリー。直撃上等、直撃覚悟の直近での撃ち合い。直線で直送される直打の直球は、打たれる度に加わるエネルギーによって、次第に速度を増してくる。

 

 体力、集中力、運動神経、肺活量、気力、根性、そのすべてを出し切りながらラリーを続け、互いの隙をこじ開けようとするスギナとメカブ子。果てしなく続くかのように思われたボールの往復運動だが、やがて終わりが見え始めてくる。

 

 スギナの連続ショットに、メカブ子の体勢が、徐々にだが崩れ始めてきたのだ。

 

 本部卒のスギナと、分校卒のメカブ子。正面戦闘用リコリスとして本部で特別教育を受けたスギナと、一般リコリスとして分校で育ったメカブ子との、体力や運動能力の差が、ここにきて顕在化してきたようだ。

 

 勝てる! 押し勝てる! 勝負の流れが見えたスギナは、大きく腕を振り上げると、メカブ子の身体目がけフォアハンドで球を打つ。

 

 至近距離からの全力打撃、体勢の乱れ始めたメカブ子さんには、この球は避けきれない。スギナは薄く笑いながら、大きく息をつく。

 

 しかし、安堵の息を出し尽くす直前、スギナの笑みは凍り付いた。

 

 勝利を確信したスギナの笑顔。それと全く同じ表情を、メカブ子もしていたのだ。

 

 メカブ子に向かって打ち込んだスギナの直球。今のメカブ子には打ち返すことは不可能なこの球を、彼女は打ち返そうとはしなかった。体力の限界に身を任せるかのように、メカブ子は地面にしゃがみ込んだのだ。

 

 メカブ子の背後には、体勢を整え、球を待ち受けるモズク子がいた。両足をしっかりと地面につけ、羽子板を握った右手を背後に回したモズク子は、全身の力を込めてスギナの放った球を打ち返す。

 

 体軸のぶれも体力の消耗もない強烈な一打は、今までのラリー以上の速度と破壊力を込め、スギナの体に突き刺さった。

 

 ボールを腹に打ち込まれ、思わず羽子板を落とすスギナ。球ではなく弾で撃たれたかのような表情で、スギナは腹を押さえ、うずくまる。

 

「ゆだんしたなスギナ」「これがチームワークだ」

 

 互いに息の合った、左右対称の勝利ポーズをとりながら騒ぎ立てるメカブ子とモズク子。スギナには、その声がどこか遠くから聞こえているような気がした。

 

 しばらくの間、スギナは立てなかった。痛みではなく、湧き上がる悔しさのため、立てなかった。

 

 油断していた。確かにその通りだった。

 

 勝ちが見えて、気が緩んでしまった。まだ勝負はついていないのに、勝利の笑みを浮かべてしまった、息をついてしまった。

 

 スギナの心に、怒りと悔しさが湧き上がってくる。

 

 このような感情は初めてだった。

 

 DAで散々行ってきた、これまでのスポーツの試合の中では、勝とうが負けようが、喜びも悲しみも出てこなかった。

 

 面白くないゲームがやっと終わった、波風立たずに無事に終わった、この程度の感情しか出てこなかった。

 

 しかし、今は違う。この青い夏空の下で繰り広げられる、よくわからないどうでもいいこの試合で点を取られたことが、やけに悔しい。

 

 自分のミスに腹が立つ、自分のミスが情けない。

 晴天に湧き立つ入道雲の様に、スギナの心中に怒りの衝動が湧きあがる。

 

 自分の体の中では抱えきれない怒りを、雲一つない空の先にぶつけるかのように、スギナは天を見上げ叫んだ。

 

「おのれ…よくもやってくれたなっ! よくもこの私にっ!この本部卒のスギナ様にっ! ゆるさん! ゆるさんぞ分校ども! おまえたちは絶対にゆるさんぞっ! この私をコケにした以上、無事に諸咲から出て行けると思うなよっ!」

 

 小さな体を震わせて、大きな青空の下で暴言を吐くスギナ。

 その姿は、どこからどう見ても悪役だった。三下の小悪党であった。

 

 

 

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