「おのれ…よくもやってくれたなっ! よくもこの私にっ!この本部卒のスギナ様にっ! ゆるさん! ゆるさんぞ分校ども! おまえたちは絶対にゆるさんぞっ! この私をコケにした以上、無事に諸咲から出て行けると思うなよっ!」
小さな体を震わせて、大きな青空の下で暴言を吐くスギナ。
もちろん、スギナは本気で言っているのではない。本音で叫んでいるのではない。
試合中のマイクパフォーマンス、半分は演技である。
しかし、半分演技ということは、もう半分は本気ということである。
悔しくて叫んだ。これは本気である、本音である。
身悶えするような、悔恨。座り込んでしまうほどの、後悔。
悔いから生じる怒り。怒りで身が震える、怒りで心が焦げる。
だが、コートの上で生まれたこの怒りの気持ちも、なぜか楽しい。
日常生活の苦悶から湧きあがる怒りではなく、人生に訪れる煩悶から起きあがる怒りでもない、ただ勝負の昂りから来る、無垢な感情。ゲームが終われば、試合が終わればあっさりと消え去る、単純な感情。
人間関係にも人生関連にも何ら付与させずに、相手に思いの丈をぶつけることができる、一分の湿度もない激怒。
これが、楽しい。
DAでのリコリス候補生時代、スギナは感情を殺して生きて来た。感情を隠して生きて来た。
内気なスギナは、人間関係の構築が苦手だった。仲間同士の付き合いという複雑な歯車装置を、自分で組み立てたり修理したりすることができなかった。
自分で直せない歯車ならば、壊さないように細心の注意を払わなければならない。怒りに任せた口喧嘩などで、人付き合いの歯車に不和の小石が入らないようにしなければならない。
自分の感情を抑え込み、ただ静かに歯車の故障に怯える日々。相手を苛つかせないよう、仲間を怒らせないよう、スギナは本心を隠し、内心の発露を押さえて生きて来た。
今は違う。
このコートの上ならば、どれだけ感情を爆発させても許される。どこまでも高いこの青空の下ならば、自分の心に蓋をしなくてもいいのだ。
空の上には蓋はない、心の中にも蓋はない。
それが、嬉しい。
スギナは、夏の空に向かってもう一度雄叫びを上げると、勢いよく立ちあがる。
早く、試合を再開したい。早く、試合を続けたい。流れる汗を拭おうともせず、大きな目を更に見開いて、コートに立つ。
「スギナ、大丈夫?」
後衛に立つ風待が、スギナの背後に近づき声をかける。
「はい、問題ないです。叫んだら、スッキリしました」
風待の声に、元気に返事をするスギナ。
虚勢ではない。実際、今のスギナの心は落ち着いていた。芝居じみた感情の発露によって、胸の中で揺れ動く衝動は全て振り払われていた。
「そう、ならばいいわ。ところでスギナ、次はどうする? 前衛交代する?」
「その必要はありませんよ風待先輩。今のは何かの間違いです! この私が、このスギナ様が分校どもに点を取られてしまったなんて、何かの間違いに決まっていますぜ! 次こそはこの私が、本部卒の格というものを、あやつらに見せつけてご覧にいれます!」
再び自分なりのマイクパフォーマンスで自身を鼓舞するスギナ。三下っぽい口調であることにも気が付かず、自分を盛り上げていくスギナ。
「だからそれはあくやくのセリフだぞスギナ!」「やられやくのセリフだぞ! それでいいのかスギナ! めをさませ!」
暴言を吐きかけられている側のメカブ子とモズク子も、心配してくれている。スギナのセンスを心配してくれている。優しい。
「それなら、次も前衛お願いするわ。頑張ってね、スギナ」
風待が激励の言葉を与えながら、何気ない仕草でスギナの背中に右腕を伸ばす。
スギナの背後、歌島の二人からは見えない位置で、風待の伸ばした右手人差し指の先が、背中の中心に軽く触れる。
指先が9回、モールス信号の打鍵のように、スギナの背中を軽く叩く。スギナの背骨の位置を確かめるように優しく9回叩いた後に、指先を背中に当て、左から右に横線を引く。
スギナの背中に指の感触だけをのこし、風待は無言でスギナの背後に立つ。
「サービスはサービスしてやるぞスギナ」「さいごのサービスのサービスだぞスギナ」
モズク子が差し出したゴムボールを一礼して受け取ると、スギナは再び羽子板を構える。
歌島ペアは配置を交代し、今コートの前には、モズク子が立っている。
相手の配置が変わったと言っても、メカブ子もモズク子も、ほとんど同じモブ顔なので、圧迫感や違和感は全くない。
とはいえ、それが分校卒の罠なのかもしれない、油断を誘う、分校リコリスの策なのかもしれない。スギナは気を抜かず、相手の一挙手一投足に目を配り、コートのわずかな流れも見逃さないよう、すべてに集中する。
羽子板を頭の横に掲げ、左足を前に出す。
「いきます!」
全ての集中力をモズク子に集中させると、左手に持ったゴムボールを頭上に飛ばす。体の前に落ちてきたボールを、ショートサービスでモズク子目がけて打ち込む。
初手から全力を込めたショートのショット。落ち着いた心で打ったボールは、安定した球筋でモズク子の体を狙う。
しかし、スギナの球筋を読んでいたモズク子は、動きの小さいバックスイングで、襲撃してきたボールを同じ軌道で跳ね返す。羽子板の厚い壁に阻まれ、スギナのもとに逃げ帰るゴムボール。
一打目と同じ位置に戻ってきたボールを、バックハンドで打ち返すスギナ。球速が上がっているので、初撃よりも力が奪われる。踏み込みは少し足りなかったが、その分は腕力で補い、球に更に勢いを与えてモズク子に打ち返す。二打目。
一打目よりも変化を与えた軌道を、モズク子はまたしても正確に読んでいた。前と同じバックスイング、落ち着いた短い動作で、モズク子は淡々とボールを受け、スピードと力を倍加させたショットで、再びスギナへボールを返却する。
メカブ子とモズク子は、同じ顔に見えても性格は少し違うようだ。様々なショットで強引に相手の隙を狙うメカブ子のラリーとは違い、モズク子は自分の消耗を控えるプレーで、少しずつ相手を崩していくラリーが得意なようだ。
地味だが、やりにくい相手だと思いながら、スギナは打ち返す。三打目。
まだ三打目だが、少しづつ球が打ち辛くなっていくのを、スギナは感じた。近距離からの打ち合いによってボールに速度と威力が段々と加わっているためなのだが、それ以外にも、自分のフォームが乱雑になってきているのだ。
たとえ同じ位置からの同じショットでも、繰り返していくうちに、どうしても体勢が乱れてしまうことに、今更ながらスギナは気付く。
なぜならば、どのようなスポーツでも一番重要な、正しいフォームを覚えるための地道な反復練習を、スギナはまったくしていないからだ。
本部訓練生過程で培った運動技能と体力のおかげで、なんとか試合らしいことをしているスギナだったが、その実際は、少し前に初めて羽子板を握った、羽根つき初心者に過ぎない。
どれだけ運動神経に優れていようと、初心者である以上、プレーを続けていけば、段々と粗は出てくるものだ。
メカブ子とモズク子は、その粗を狙っていた。メカブ子は一気呵成に粗を暴くプレーで、そして目の前のモズク子は、虎視眈々と粗を探すプレーで。
長引くと、まずい。モズク子の球を打ち返すスギナの心に、焦りが生じる。四打目。
スギナが打ち返したボールを、また同じショットで、また同じ位置に打ち返すモズク子。単純なアタックだが、鋭さと勢いが徐々に増していく、威圧感のあるラリー。
メカブ子もそうだったが、モズク子も手慣れた感じで羽子板を操っている。プロのハネツキアスリートのような手捌きで羽子板を振るっている。
その雰囲気が、怖い。恐怖感すら感じながらも、ゴムボールを打ち返す。五打目。
モズク子の堂に入ったストロークとフットワーク。威厳すら感じられる、年季の入ったかのようなレシーブの基本姿勢に、スギナの気迫が押され気味になる。
かのような、ではなく実際に年季が入っているのだろう。彼女たちは、これまでに5回、双関杯に参加しているのだ。
冠典ゼリィ先輩と臥観手ルミナ先輩のペアと2回、冠典ゼリィ先輩と風待先輩のペアと2回、そして去年の風待先輩とセノカさんのペアと1回。
去年冬はセノカさん不在のため試合はなかったそうだが、それでも5回の試合経験を、歌島コンビは有している。
勝負慣れしているのだろう。勝負勘を養ってきたのだろう。本部卒の諸咲ペアを翻弄することができるほどの、実戦経験を持っているのだろう。
そして、練習も積んでいるのだろう。
歌島リコリスは、ヒマが多いとかつて風待先輩が言っていた。
数か月前の巡回の最中、海の見える公園で昼食をとりながら、風待先輩が語っていた言葉を思い出す。
―となりの歌島支部なんか、任務は一日一回島をぐるっと回るだけ。後はほとんど自由時間なんだけど、ヒマ過ぎて嫌だっていつも嘆いているわよ。
―遊ぶ場所もないし、適当にバカなことしてヒマつぶししているみたいね。最近だと島内の頂きちかくにある神社にこっそり忍び込んで、六十六面の銅鏡を持ち出して、境内でフリスビー替わりに投げて遊んでいるって言っていたわ。
たしか、こんなようなことを言っていた。あの時聞いた言葉は、こうして羽子板を振るっている今でも、克明に思い出すことができる。六打目。
それだけヒマならば、羽根つきの練習をする時間も充分にあっただろう。双関杯の勝利を目指し、猛特訓を重ねる時間もあったはずだ。
思えば、去年、風待先輩とセノカさんのペアは、歌島ペアに敗北している。
セノカさんは、サードとはいえ優秀なリコリスだったと聞いている。風待先輩も、もちろん優秀なセカンドリコリスだ。
その二人が、負けた。
初心者であるセノカさんがマイペース過ぎたから負けたのだと風待先輩は言っていたが、おそらくそうではないのだろう。たとえ羽根つきの遊びとはいえ、生真面目な性格だったというセノカさんが、試合に手を抜くことはあり得ない。セノカさんは、最初から全力で戦っていたはずだ。
それでも、負けた。
優秀な本部卒リコリス同士のペアですら、負けた。
分校卒リコリスの試合経験と練習量の前では、本部卒リコリスが誇る運動能力は通用しなかったのだ。
モブ顔だからといって、侮ることはできない。
分校出だからといって、軽く見てはならない。
強敵だ。
胸の鼓動が、緊張で高くなる。胸元のポケットが、ガサリと鳴る。
スギナの基本姿勢は、モズク子によって完全に乱されている。それでも何とか、スギナはラリーを続ける。七打目。
歌島側に勝っていたはずの運動能力は、今はモズク子の地道な連続ショットによって、完全に封じ込められている。
体勢を崩さないモズク子への反撃が全く見いだせないスギナ、焦る心の隅で打数を数えながら、必死に打開策を考える。相手の球を打ち返しながら、必死に考える。八打目。
試合前は自信があった私の手札、本部で鍛えた運動神経という手札が決定打にならないのならば、それ以外の手札で状況を打開しなくてはならない。今の手持ちのカードで状況を打破しなくてはならない。
今の私にあるもの、それは―
不格好なフォームのまま、スギナはモズク子が打ってきたボールを打ち返す。九打目だ。
足元を疎かにしたフォアハンドストロークを打ったスギナの体が、少しだが前に傾く。転びそうになる体を立て直そうとする無意識の動きによって、スギナの動作がほんの少し固まる。スギナの意識がほんの少し逸れる。
モズク子の目が、スギナの隙を鋭く捉える。グリップを持つ手に力を込め、大きく後ろに回す。返球の威力を高めるため、両足をしっかりと地面につけ直し、体を捻るようにしてスイングする。
コート上に自分の位置を固定し、体中の力をもって叩きつける力強いモズク子のショット。姿勢を大きく崩し、動きを止めたスギナの体をダイレクトアタックで射抜かんと、全力で放った勝利のショット。
丸いはずのゴムボールが、長く伸びた矢のように見えるほどの超高速度。何度も続くラリーによって、内部に力を蓄えたゴムボールの超強力度。
DA訓練課程で使用した模擬銃弾の如き勢いで迫りくるゴムボールを目の前にして、スギナの顔が凍り付く。
今の私には、打ち返せるだけの安定したフォームがない。
今の私には、この状況から逆転できるアイディアがない。
今の私には、一対一でモズク子さんに勝てる実力がない。
今の私にあるもの、それは何?
今の私にあるもの、それは―
凍り付いた表情を無理やり動かし、スギナは笑顔を見せる。勝利を確信するモズク子に、笑みを見せる。逆転の策が成った、勝利の笑みを見せる。
自分目がけて飛来するボールを、スギナは打ち返さなかった。打ち返さず、横移動で避けた。
左足で大きく地面を蹴り、右側に体を移動させる。羽子板に集中しない分、ラリーを捨てた分、体移動は素早い。
打てない体勢ならば、避ければいい。実力差に抗えなくなったら、逃げればいい。
双関杯は、シングルスではない。
諸咲支部部員は、一人ではない。
今の私にあるもの、それは…風待先輩だ!
スギナが避けた空間の背後に、風待が立つ。
スギナの体の陰に隠れ、鉄壁の迎撃態勢に入っていた後衛の風待は、スギナの体をかすめて後方に飛び込んできたゴムボールを、円を描くようなショットで力強く叩く。
風待の長い黒髪が、羽子板の軌跡に合わせ優雅に舞う。風待の女性美にあふれる身体の曲線が、羽子板の円運動と調和する。
これまで防戦一方だったスギナの鬱憤を、代わりに晴らすかのような一打は、これまでにない勢いに乗り、歌島コートに打ち返される。
咄嗟に羽子板を前に出すモズク子。しかし、不意を突かれた彼女には、セカンドリコリスが放つ精密射撃をガードすることはできなかった。
派手な音を立て、モズク子の額にゴムボールが炸裂する。のけぞるモズク子の額を起点にして、ボールが空高く飛び上がる。
「よっしゃああああ!」
ただ避けただけのスギナが、勝利の雄叫びを上げる。
「先輩! やりましたよ! 私、やりましたよ!」
ただ避けただけのスギナが、ドヤ顔で風待に話しかける。
「私、先輩の作戦のこと、ちゃんとわかっていましたよ! ちゃんと伝わっていましたよ!」
「よくやったわね。スギナなら、わかってくれると思っていたわ。まあ簡単な策だったしね」
風待も笑顔で、スギナを褒める。ただ避けただけのスギナを褒める。
諸咲側サービスショットの前、風待は歌島の二人に見られない位置で、指でスギナの背中に触れていた。
指先で9回背中を叩き、右方向へ横線を描く、それだけの通信。
背中を伝言板代わりにした連絡の意味を、スギナはきちんと理解していた。
スギナは風待の指示通り、9回までのラリーを耐えた後、次の攻撃は受けずに、反撃は後衛に任せ右方向へ避けたのだ。
「歌島の基本攻撃は10回交代。モズク子もメカブ子も、この一年全く変わっていなかったわね」
スギナの横に並び、歌島コートに向けて語る風待。一見冷静な声で話しかけているが、内面の喜びは隠しきれていない。
「9打目までだんだんとプレッシャーをかけて、10打目で勝負を決める。よしんば相手がなんとかブロックしても、素早いチェンジで弱った相手を更に攻めたてる。なかなか優れた戦術だけど、10打目の前にこちらが先にチェンジしてしまえば成功しない。手の内が明らかになっている作戦が毎年通用するほど、双関杯は甘くないわよ」
「しまったバレていたか! よくわかったな風待!」「……」
地団駄を踏んで悔しがるメカブ子。モズク子は額に一撃を食らい、気絶中だ。
「あなたたちには5回の試合経験があるけど、私にだって3回の試合経験はある。
片足を軽く上げ、くるりと一回転してから、手に持った羽子板を二人に突きつける風待。
歌島の二人は、確かに経験豊富だった。多くの勝利と、多くの敗北を知っていた。
しかし、その経験の多さを頼りにしすぎ、風待の持つ試合経験を軽く見ていた、風待の経験量を警戒していなかった。
風待は、その驕りを突いてきたのだ。経験の少ない急造チームである諸咲ペアには、作戦を立てることなどできまいという油断を利用したのだ。
「うぬぬ、ぬかったわ! なんというくつじょくだ!」「……」
メカブ子さんは全身を海中の海藻のようにくねらせて怒りを表している。本当に悔しそうだ。
モズク子さんはまだ目を覚まさない。目玉の上にぐるぐるマークが回っている。大丈夫かな。
「さあこれから私たちの怒涛の反撃が始まるわよ! 私とスギナの華麗な連係攻撃で、ダイレクトアタックを決めていくわよ!」
気合の入った口上と共に、風待は片足を軸にもう一度回転する。セカンドリコリスの青い制服と黒く長い髪が、夏の日差しを巻き込んで綺麗に一回転する。
「DAなだけにね!」
背筋をピンと伸ばし、羽子板を青空にかざして、風待が満面の笑顔でキメる。純真で、子供っぽい、無邪気な笑顔。
その横で、スギナも一回転する。青色に青色を塗り重ねた濃い青空を天の軸に、緑生え緑映える諸咲の緑の沃野を地の軸にして、成長途中の長い手足を大きく伸ばし、元気に一回転する。
初めて得た得点。先輩と協力して、意思疎通して得た得点。それが嬉しくて、スギナの体も思わず動いていた。風待と同じように一回転し、風待と同じように羽子板を天にかざすスギナ。その口から、明朗で快活な声が出る。
「DAなだけにね!」
息の合った決めポーズ。心が合った決め台詞。スギナと風待、二人そろってまったく同じ、満面のドヤ顔。
仲良く同じ顔だった。仲良く同じハイテンションモードだった。
可愛らしいけど、ぶん殴りたい、そんな顔だったと、その時の二人を見ていたメカブ子は、試合後モズク子に向けて語ったという。