スポーツは楽しいものだと、初めて知った。
ゲームとは楽しいものだと、初めて思った。
羽子板でゴムボールを叩く感触。
相手の陣地にボールを打つ感覚。
自分のスマッシュが決まった時の手ごたえ。
相手のスマッシュを受止めた時の歯ごたえ。
自分たちの計画が見事に決まった時の快感。
相手の策略を見破り見事に防いだ時の感動。
どれもこれもとても楽しい。
自分の体を存分に働かせて、自分の頭を十二分に動かせて、ボールを追い、コートを守る。
風待先輩と私、二人の体をひとつにして、二人の心をひとつにして、勝利を目指す一体感。
それがとても楽しい。
全力で試合に打ち込み、全力で球を打ち込む。体の内側に溜まる疲れも、体の外側を流れる汗も気にならない。
もっと続けたい、もっと羽子板を振り続けたい、心の底からそう思う。
しかし、試合は楽しいことばかりではない。
歌島の二人は、強敵だ。
彼女たちの練習量は、私たちを上回っている。彼女たちの技能は、私たちを越えている。
思いもよらない連携で、球を打ち込まれる。
思いもよらない技術で、点を取られていく。
双関杯は、直接攻撃ありのドッジボールルールを採用している。
ダイレクトなアタックによって、体にゴムボールを当てられてしまうと、3点も取られてしまう。
かといって、球から逃げることはできない。避けた球がコート内かコートの背後に落ちた場合でも、1点取られてしまうのだ。
逃げれば一つ、当たれば三つ。
点を取られることなく、点を得るためには、自分に向かってくる球は、全て打ち返さなくてはならない。
これが、なかなか難しい。
打ち返すことは、私や風待先輩にとっては、ある程度なら容易いことだ。
DA本部で鍛えた敏捷性、反射神経、運動能力。これらの優れた身体能力を有する私たち本部卒リコリスは、どれだけ相手の打つ球が鋭くても、数打程度なら苦も無く打ち返すことができる。
そう、数打程度なら打ち返すことができる。
問題は、その後だ。
どれだけ鍛えた技量を駆使しようと、長いラリーを一人で捌いていては、いずれ限界が来る。運動能力ではなく、集中力に限界が来るのだ。
歌島ペアは、その限界点を見逃さない。集中力が落ちた瞬間を見逃さない。
激戦の最中でも、昂然の気を隠しながら勝負の潮目を冷静に観察し、的確なタイミングで後衛と素早く交代し、一気呵成に勝負を仕掛けてくる。
分校リコリスの仕事は、暗殺である。
暗殺対象の隙を見逃さない観察力、暗殺のタイミングを見つける判断力、即座に暗殺を実行する決断力。彼女たちは分校で、この三つの能力を徹底的に磨いてきた。正面から敵と戦えない分校卒ではあるが、暗殺業務に必須なこの能力だけは、本部卒リコリスにも負けてはいない。
歌島の二人、メカブ子さんとモズク子さんは、今年4年目になるベテランリコリスだ。私と同い年にしか見えないモブ顔だが、年上のリコリスだ。分校で培った能力で、これまで生き抜いてきた、日常で学んだ経験で、ここまで生き抜いてきた。その能力と経験を、今このコートの上で存分に発揮している。
3年前、彼女たち二人が初めて双関杯に参加した時、対戦相手は冠典ゼリィ先輩と臥観手ルミナ先輩だったという。
分校を卒業し、歌島に配属されてから初めての双関杯。そこで二人は、黙示録の裁き、大いなるバビロンの終焉を見たという。
対戦相手は、ファーストリコリスのルミナ先輩。後の名古屋支部長であるルミナ先輩。日常と戦場の区別なく、目の前にある戦いには全力を尽くす生真面目なルミナ先輩。強くて怖い、大先輩。
戦いの最中は常に冷徹なルミナ先輩は、試合開始後、ペアではあるが一番邪魔な存在である、運動神経ゼロのゼリィ先輩を無造作に昏倒させたという。
その後の展開は、悲惨の一言で片づけられる展開だったそうだ。コートのあるアパートの空き地は、試合会場ではなく、試射会場となったらしい。
ルミナ先輩が残像攻撃をかけてきたとか、羽子板が
さらに悲惨なことに、この地獄の釜の蓋は、次の双関杯でも開いているのだ。
三年前にこの地で勃発した戦場、第269回と第270回双関杯。この二回の試合の敗北、あまりに一方的な敗北は、メカブ子さんとモズク子さんに、屈辱と決意を与えたようだ。
歌島ペアは、もう、負けない。そう決意したのだろう。
たとえ相手がファーストやセカンドであっても、もう、負けない。そう決心したのだろう。
分校卒と本部卒の力量差は、練習量で埋めることができる、作戦で補うことができる、そして二人の連携で越えることができる。
二人はそう信じ、そう誓い、日々練習を続けたのだろう。
そして彼女たちが積み上げた練習量は、その期待を裏切らなかった。
翌年からの試合は、彼女たちの連勝だった。第271回から第273回までの双関杯を三連覇、特に去年夏の試合は、風待先輩とセノカさんという本部卒ペアにもかかわらず、分校卒の歌島ペアが僅差ではあるが見事な勝利を収めている。
その勝利、私は尊敬する。
その執念、私は敬服する。
そのような立派な相手だからこそ、彼女たちから点を取ることができると、すごくうれしい。
そのような立派な相手だとしても、彼女たちから点を取られてしまったら、すごくくやしい。
運動能力差を覆す、見事な連係で点を取られると、怒りがこみ上げる。
アタックを決められた後、勝利のポーズを見せつけられると、本当に怒りが湧きあがる。
左右対称、息の合った決めポーズ。おそらくこれも相当練習したのだろう、二人の絆が形になったかのような、センスのない勝利ポーズを決められる度に、私の体は敗北感と屈辱感によって焼き焦がされる。
怒りのあまり、浜辺に棲息するスナガニのような格好で威嚇し返したことも、何度かある。
それほどまでに熱い、激憤の炎。
しかし、心中に沸くこの焦熱は、ほんの数瞬の間で、試合への情熱に変換される。
次は、必ず勝つ。
次は、負けない。
先ほどの策は、もはや通用はさせない。
先ほどの策を、次は私たちがし返そう。
新しいプレーを見せてくれた、珍しい連携を見せてくれた。次の展開を期待させる、新たな扉が開いたかのような好奇心。次の展開を掴むべく、敵が与えた新たな課題を解き明かす探求心が、怒りの炎より高い温度で、私の体を包みだすのだ。
勝っても、楽しい。
負けても、楽しい。
このまま、ずっと試合を続けたい。
試合後は、もっと練習を重ねたい。
こんな感情は、生まれて初めてだった。
こんな喜びは、生まれて初めてだった。
スポーツは楽しいものだと、私は、初めて知った。
ゲームとは楽しいものだと、私は、初めて思った。
「わたし、高校に入ったら、羽子板部に入る!」
試合開始後約30分、得点もちょうど30-30になった時、後衛に立つスギナは思わず叫んだ。
弾道に曲線が一切ない直射ラリーの12打目に、前衛の風待がメカブ子のショットをスルー、後衛のスギナがアタックショットを決めるという作戦が見事に決まった時、感極まったスギナが思わず叫んだこの言葉。9点差のハンデから、ついに同点に追いついた興奮から出たスギナのこの言葉に、歌島ペアと風待の動きが止まる。
しまった。言ってはいけない言葉だった、とスギナの動きもしばし止まる。
スギナは、リコリスである。
風待も、メカブ子もモズク子も、リコリスである。学生の年齢ではあるが、学生ではない。リコリスである。
リコリスには、人生の選択肢はない。リコリスは最後までリコリスであり、最期までリコリスなのだ。
リコリスが高校に入るなどという話は、単なる夢物語である。なぜなら、そのような進路選択など、DAが許すわけはないからだ。
しかし、リコリスたちは考える、一人こっそりと、考える。
自分がリコリスではなく、普通の学生であったら、どのような生活をしているのだろうか、どのような未来があったのだろうかと。
だが、このような想いを、リコリスたちは口には出さない。一人こっそりと、心の中にしまい込む。
もし自分が一般の学生生活に憧れていることが知られたら、一般の人生を夢見ていることが知られたら、DAに怒られる。再教育の対象となる。
だから、このような空想は、外には漏らさない、他の人には話さない。
リコリスたちが固く口を閉じて仕舞い込むこの夢物語を、スギナは口に出してしまった、つい叫んでしまった。
スギナは、どちらかといえば口は軽い方である。深い会話は苦手なのにも関わらず、心の内をつい口に出してしまう方である。
リコリス候補生時代でも、この口の軽さで舌禍を招いたことが何度もある。
会話の流れを掴めない人特有の、状況をわきまえない発言、空気を読めない発言を、スギナは何度も何度も繰り返してしまっていた。
悪気のない一言によって引き起こした喧嘩、揉め事、仲間割れは、今でも思い出したくない記憶として心の底にこびり付いている。
今回も、この軽い口が、つい変なことを言ってしまった。仲間同士でゲームをしている楽しい空気を、冷やしてしまった。
どうしよう、今までの高揚感が一気に引いたスギナは、動かない三人をそっと見る。リコリスとしての禁句を口走ってしまった事に、怒っているのだろうか、それとも呆れているのだろうか、スギナは心配そうに、三人の顔を見る。
風待先輩、メカブ子、モズク子、彼女たちの顔は、スギナの予想に反して、平穏だった。平穏を通り越し、なにかぼんやりしたようにも見える。
三人とも、夏のさざめきに心を奪われたかのような朧げな表情で、何かを考えていた。三人とも、同じ顔で同じ空を見ていた。夏空の果てに何かがあるかのような、青空の頂に何かを探すかのような、そのような目で、ただ遠くを見ていた。
しばらく無言で、ただ蒼穹の下に立つ四人だったが、やがて風待が静かに口を開いた。
「高校か…高校って、羽子板部あるのかしら?」
小さくつぶやく風待。
「たぶん…ないとおもうぞ風待」「マイナーなスポーツだからな風待」
風待のつぶやきを拾った、メカブ子とモズク子が話のラリーを繋ぐ。
「それなら…作るしかないわね! 私たちで!高校の中に!」
「あたらしくぶかつをつくるのか風待!」「どうやってたちあげるのだ風待!」
つい変なことを叫んでしまった事を怒られるのではないかと緊張していたスギナの両肩が、思わず下がる。気が抜けたような感覚と共に、張り詰めた肩が軽くなる。
コートの上にいる三人は、スギナの言葉に怒ってなどいなかった。
むしろ、溢れ出たスギナの気持ちを共有し、共感していたのだ。
風待も、メカブ子も、モズク子も、皆心のどこかで考えていた。
風待も、メカブ子も、モズク子も、皆が漠然と心に描いていた。
もしも自分がリコリスでなかったらという、想い。
もしも自分が普通の学生であったらという、願い。
その燻る内心の感情が、スギナの声によって、形付けられたのだろう。
「新しく部活を作りたいですって申請書類を、高校の職員室に出しに行けばいいんじゃない?」
「それだけでいいのかな。ねんかんけいかくしょとかもいるとおもうぞ」「なんかいろいろハードルがあるんじゃないのか、にんずうは5にんいじょうとか」
三人は、試合を一時中断し、真面目に話し合っている。スギナの口から出た妄想を、スギナそっちのけで話し合っている。
「5人というと…あと一人足りないわね。誰か他のクラスの子を誘おうか」
「となるとゼリィかルミナだな」「ふたりともさそおう、ぶいんはおおいほどたのしい」
部長は誰にしようかとか、やるからには全国目指そうとか、笑いながら語り合う三人。続々と湧き上がる夢想によって紡ぎだされる明朗とした声の波により、空から降る夏の粒子が細かく揺れ動き、彼女たちの笑顔を柔らかく輝かせる。
「それじゃあ部長は、スギナにしましょうか」
「えっ」
風待のひとことで、とりとめのない三人の寸劇にいきなり巻き込まれたスギナ。自分が語ってしまった言葉から始まった空想劇なので、いずれは話を振られるなとは思っていたが、まさか部長役として舞台に上げられるとは思ってもみなかった。
「おお、スギナがぶちょうか」「それもいいな、いいぶちょうになりそうだ」
メカブ子とモズク子も、賛成している。
「な、なんで私が部長なんですか! 私、一番の新人で一番の年下で一番ヘタな未経験者で…とにかく無理です!」
もしもの話なのに、慌てて抗弁するスギナ。明るい場所に出されると丸まってしまうダンゴムシのような性格だと自認する彼女にとって、運動部の部長などという光の当たる役は、到底できるわけがないと信じているようだ。
「年齢も経験も関係ないわ、私にはわかるの、スギナには、人の上に立つ才があるわ」
「ないです!」
即座に否定するスギナ。
「やるまえからきめつけてはダメだぞスギナ」「なにごとも、やってみてからはんだんするのだスギナ」
「そのとおりよ。先月の任務の時、スギナは悩んでいる岡碕支部の分校リコリスを助けてあげたでしょ。私はあの時思ったの、スギナは将来、いい先輩になれるなって」
もしもの話なのに、なぜか真剣に話す風待。架空の世界の架空の部活の部長の座に、どうしてもスギナを指名したいようだ。
「けど…」
「それじゃ多数決で決めよっか。スギナが部長で賛成の人は、手を上げて」
風待とメカブ子とモズク子、三本の腕が、同時に上がる。数の暴力だ。
「さあ、部長も決まったことだし、双関杯を再開しましょうか」
「そうだな風待。よいゆめをみせてもらったぞ」「こういうはなしも、たのしいものだな風待」
無理やり羽子板部の部長にさせられたスギナにボールを渡し、風待は後衛に立つ。
「さあ、諸咲高校羽子板部の最初の一球目よ、頑張ってね、部長さん」
「つぎはスギナぶちょうがぜんえいか」「がんばれよスギナぶちょう」
「だから、なんで新人が部長なんですか!」
迷惑そうに言いながらも、スギナの顔はまんざらでもなさそうだった。
この三人となら、騒がしくて面白くて楽しい部活ができそうだ。
この三人と共に練習し、共に腕を磨き、高校生活を謳歌したい。
私たち四人で、羽子板部を作って、皆で伝統を作りたい。
私たち四人で、大会に出場し、全員で全国を目指したい。
一緒に夜遅くまで一杯練習して、一緒に買い食いをしながら帰りたい。
一緒に同じ目標目指して頑張りたい、一緒に泣いたり笑ったりしたい。
人生にもしもがあれば、私は文化部に入りたかった。楽器が好きだから、私は吹奏楽部などの音楽部に入りたかった。
けど、運動部も今好きになった。羽根突きというスポーツが、今好きになった。
どちらに入ろうか、とても迷う。
この試合が終わったら、ゆっくり考えてみよう。どちらを選ぶか、きちんと考えよう。スギナは本気で、そのように思っていた。
数日後には鳴きだし始めるであろうセミの声の代わりを務めるかのように、口々に騒ぐ四人。なれるはずもない高校生になりきり、なれるはずもない部活ごっこに興じる彼女たち。
夏の陽を押し返すほどの元気さではしゃぐ彼女たち。その姿は明るさに満ち溢れていたが、その足元に落ちる影は、悲哀に満ちた暗色で染められていた。