モブリコ辺境暦   作:杖雪

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7月 モブリコ寿司本日開店 ⑨

 そしてついに終盤を迎えた双関杯。点数は諸咲49点、歌島48点、僅差である。

 

 先に50点取った方が勝ちというわかりやすいルール。3点と1点のショットを積み重ね、諸咲ペアも歌島ペアも、あと少しで勝利を目指すことのできる高みにたどり着く。

 

 30点を越えてからのラリーは、まさに接戦であった。

 

 運動能力に優れる諸咲側と、試合経験に優れる歌島側。前半戦ではどちらも力押しのプレーが目立ったが、互いのスタイルが分かった後半戦からは、相手の作戦を先読みし、その裏を狙う頭脳戦へと発展していった。

 

 フェイントをかけたストレートドライブが得意な、攻撃的なメカブ子。羽子板で防御幕を張るワイパーショットで、相手コートに球を落とし1点を地道に稼ぐのが好きな、堅実なモズク子。その二人の性格を基に次の作戦を予測し、対策を立てて逆襲する諸咲ペア。

 

 セカンドリコリスの反射神経を最大限に活用し、常にプレッシャーを与え続けるプレーが基本の、好戦的な風待。浜辺に棲息するスナガニのような横移動で、不規則な動きを繰り返しながら相手を威嚇する、人の道を外れたスギナ。その二人の性格を基に次の作戦を看破し、対処を講じて逆撃する歌島ペア。

 

 一打ごとに様々なドラマが生まれ、一点ごとに様々なストーリーが紡がれた。

 

 そして迎えたマッチポイント。サービスは、諸咲ペアである。

 

「さて、どうしようかしらね…」

 

 流れる汗を手の甲で拭きながら、風待がつぶやく。

 

 風待が見つめる先、歌島コートでは、モズク子が前衛に立っている。中腰で膝を軽く曲げ、利き足を少しだけ前に出した安定した姿勢で待ち構えるモズク子。流れる汗を拭こうともせず、ただ目を光らせて風待を見つめるモズク子に、隙は無い。

 

「守りに入られてしまいましたね」

 

 唇を動かさない独特の会話方法で、スギナが風待に小声で話しかける。

 

 歌島側には、もう後がない。あと1点でも取られたりすれば、歌島ペアは敗北してしまうのだ。

 ここは守備が得意なモズク子を前面に立てるのが堅実だと、歌島の二人は考えたのだろう。

 地味な策だが、それだけに陥し難い策でもある。

 

 歌島ペアには後がないが、かといって諸咲ペアが圧倒的優位であるというわけでもない。

 モズク子がコートを守りつつ、後衛からの奇襲が得意なメカブ子が3点ショットを決めた場合、諸咲ペアは逆転負けを喫してしまうのだ。

 

「1点狙いで、コートに落としますか?」

 

 スギナの問いに、風待は首を振る。

 

「いえ、私たちはあと1点取るだけで勝てるから、相手もコート狙いのドロップは警戒しているはず。ここは正攻法で攻めたほうがいいわね」

 

 ただ、ラリーが続くと面倒なのよね、と風待はつぶやく。

 

 双関杯独自のルールによる、直接攻撃狙いの接近戦ラリー。数十打にも及ぶ激戦になった場合、不利なのは経験の少ないスギナを擁する諸咲ペアである。

 

 特に、前衛にモズク子は出た時は、逆転の一打を打ち込まれやすい。

 守りの固いモズク子が諸咲側の攻撃を全て跳ね返し、隙をついて後衛のメカブ子が、攻撃的なショットでスギナを狙う。このパターンで、歌島ペアは運動神経に勝る諸咲ペアに対し、マッチポイントまで粘り強く喰らいついてきたのだ。

 

「なるべくラリーは避けて、初弾命中を期したいところね。ただ、どうやれば…」

「先輩、私に案があります」

 

 悩む風待に、スギナが力強く答える。

 

「プレーが始まったら、私が相手を狼狽させてから左に避けますので、先輩は後衛から、一直線のサービスショットを撃ってください」

「狼狽? なんか脅したりするの?」

「ルール違反ではないと思います。だから、先輩は安心して、全て私に任せてください。私を信じて、必殺のショットを打ち込んでください」

 

 自信にあふれた表情で、風待の顔をしっかりと見つめるスギナ。

 

「わかったわ。最後の作戦、任せたわよ」

 

 スギナの顔を見返し、小さくうなずく風待。スギナの考える作戦案の内容を、少しだけ聞きたそうにしていた風待だったが、それを説明させると、目の前で待機している歌島ペアに聞こえる恐れがあると考えたのだろう。風待はスギナに全てを託し、後衛に移動する。

 

 自分の背後に風待が待機したのを、スギナは気配で確認する。

 

 これで最後のマッチポイント、これで決着の付く最後の勝負に、風待先輩が自分の案を信じて任せてくれたことに、スギナは沸き立つような喜びを感じていた。

 

 先輩は私を信じてくれた。先輩は私に作戦を任せてくれた。

 

 長く続いた第274回双関杯、ここで負ければ諸咲側は4連敗、この絶対に勝たねばならない試合の最後のインプレーに、先輩は自分の作戦を採用してくれた。

 何に聞かず、ただ私を信用して、策略を任せてくれた。

 

 絶対に外せない、私の作戦。

 しかし、勝算はある。

 

 双関杯は、まあ言ってみればバドミントンのルールが基本のようだ。バドミントンのルールは、DA訓練生時代の学習時に基礎教養の一つとして習っている。そのとき学んだルールを思い返してみたが、これからしようとしている私の行為は、試合中の禁止行為や反則(フォルト)として明記されてはいなかったはずだ。

 

 これから私がしようとしていることは、本来ならばモブリコ寿司で使おうとしていたことだ。

 

 歌島リコリスの二人が、もしすごくイヤな人たちで、店内で喧嘩になった時に使おうと仕込んでいた策。

 歌島リコリスの二人が、私の作ったお寿司を酷評して、私たちに罵声を浴びせた時に使うはずだった策。

 

 気弱でなにも言い返せない私が、もしもの時のために、せめてもの抵抗のために使用する予定だった策。

 弱い私が唯一できる抵抗として、早朝に寿司ネタの買い出しに行く途中、十与浜港の岸壁で仕入れた策。

 

 小さな私を守るための小さな手段。しかしそれは、モブリコ寿司店内で使うことはなかった。

 

 歌島リコリスの二人、メカブ子さんとモズク子さんが、とてもいい人だったからだ。

 

 メカブ子さんとモズク子さんとは、すぐに仲良しになった。

 いっぱいお話をして、いっしょにお寿司を食べて、いっしょにお掃除をした。そして今、みんなで仲良く遊んでいる。

 

 人と人は、すぐに仲良くなれるものだとは、DAで暮らしている時は思ってもいなかった。

 初めて出会ったリコリス同士が、すぐに心の底から笑いあう関係になれるとは、DAで生活している時には思ってもいなかった。

 

 狭い世界で、歪んだ教育を受けていた本部訓練生時代。毎日共に暮らす仲間は、皆が猜疑心と警戒心に溢れ、心の底を曝け出すことはなかった。

 どれだけ仲良くなっても、互いに本心を見せることがなかった。どれだけ付き合いが長くても、互いに本音を言うことはなかった。

 

 仲良くなるということ、心の内を明かし合うということは、とても難しいことなのだと、当時の私はそう考えていた。

 

 しかし、DAを卒業して、諸咲に赴任して、すべては変わった。

 

 風待先輩とは、一日で仲良くなった。一晩で、愛し合う関係になった。

 

 ルミナ先輩とは、名古屋支部のロビーで出会ってすぐに仲良くなった。諸咲支部のOGとして、頼れる存在になった。

 

 岡碕支部の瑞碧生(みずあおい)コナギさんとは、名古屋駅で少しお話しただけでお友達になった。互いに電波塔孤児であることを吐露しあうほどの、深い仲になった。

 

 人が仲良くなるのに、時間はいらない。

 

 DA内で暮らしていた時は、とても信じられないことだった。諸咲に来て4カ月、私の価値観は、大きく変わった。

 

 しかし、それでも怖かったのだろう。初めて会う歌島分支部の二人に、どこか委縮するかのような恐れを感じていたのだろう。

 初めて出す私のお料理、初めてのモブリコ寿司でのご接待。DAでは習わなかった初めての任務に、怖気を感じていたのだろう。

 卑小な私の繊細な心が、今日の朝に、このような仕込みをさせてしまったのだ。

 

 今も胸でガサガサ鳴り続けるこの音は、私の弱さだ。

 

 DAで私的な揉め事で絡まれた時、仲間内での口喧嘩に巻き込まれた時、いつもこの手で逃げていた策を、また仕込んでしまった。

 私の性格では、初めて会う人とはすぐ仲良くなれない、私のせいで怒らせてしまうかもしれないという妄想から来る恐怖から、つい昔と同じ策を仕込んでしまった。

 目の前で羽子板を構えるメカブ子さんとモズク子さんには、本当に申し訳ないと思う。

 

…まあ、それはそれとして、せっかく仕込んだ策だ、使わせてもらおう。

 勝利のためだ。悪く思わないで下さいね。

 

 スギナは内心で謝ると、右手に持つ羽子板で胸元を隠しつつ、さりげなく左手をストームフラップの裏の隠しポケットに入れる。フラップが右側にあるデザインの服は、こういう時便利だ。

 

「いくわよ!」

 

 背後で風待の、鋭い声。スギナも腰を軽く落とし、フォームを作る。

 

 今まさに閃光の一打を放たんとする風待、風待の打球の軌跡を見切り打ち返さんとするメカブ子とモズク子。三人共にボールに集中し、スギナは視野の外に置かれている。この奇襲の好機を逃さず、スギナは胸元の隠しポケットの中で動くそれを握りしめ、そっと取り出す。

 

 いま考えている作戦は、発動のタイミングがすべてだ。スギナは五感をすべて動員し、背後に立つ風待の動きを予測する。

 背後で風待が羽子板を構え、ボールを宙に浮かせる感触を、スギナは背中で感じた。今だ!

 

 ざわざわと手のひらの中で暴れるそれ、朝岸壁で捕まえたにも関わらず、今だ元気なそれを、スギナは全身を弓のようにしならせて、全力を込めて前に立つモズク子目がけて投げつける。

 

 DA訓練生時代から何度も投げつけているそれ。常に相手の顔に当たるよう、スギナが一人で磨いてきた投擲技術。この港町で暮らして以来、投げつけるそれの種類は変わったが、それを投げるコントロールに関しては、スギナは絶対の自信を持っている。

 

 スギナが投げたのは、フナムシ。岸壁を走り回る、脚の多い昆虫、フナムシ。

 

 本来なら投擲には向かない軽さの昆虫であるが、スギナが長年培った技術によって放たれたフナムシは、コートの前衛に立つモズク子目がけて、意外に早いスピードで飛んでいく。

 

 短いが、甲高い悲鳴をあげるモズク子。分校卒とはいえ、リコリスとして動体視力は鍛えられていたのだろう。その一般人よりも優れた視力を持つモズク子の目が、一般人なら見たくないものが飛んでくるのが詳細に見えてしまったのだろう。

 

 しかし、イヤなものを見てしまっただけで済んだモズク子は、まだ幸運だった。悲鳴をあげて、羽子板を投げ捨てながら真横に逃げ去ることができたからだ。

 不運なのは、後衛のメカブ子だった。彼女はスギナの動作に注意を払っていなかったため、モズク子の体に視界を遮られて飛来するフナムシが見えていなかったため、逃げるのが遅れてしまった。

 

 いきなり逃走した前衛に唖然とするメカブ子の顔面に、フナムシが貼りつく。

 

 最初は何が起こったのかわからなかった彼女だったが、昆虫の多脚が顔面を撫で回す感触から、少し遅れて事態に気が付くメカブ子。

 メカブ子も羽子板を投げ捨て、慌てて顔面を払おうとするのだが、運悪く顔から落ちたフナムシが制服の中に入ってしまう。

 

 空も地面も歪むほどの絶叫と共に、コートから逃げるメカブ子。走って逃げても、フナムシは服の中なのだが、人間気が動転するとそこまで気は回らない。

 

 夏空の果てを目指すかのように、どこまでもどこまでも走り続けるメカブ子とモズク子。やがて二人の姿は、夏の陽炎の中に消えていく。

 

 後に残ったのは、誰もいない歌島側のコート。何も遮るものはいない、無防備なコート。

 今なら点は入れ放題だ。相手コート上にスマッシュショットを一打入れれば、それで諸咲側の勝ちだ。

 

「先輩! 今っ! 今です! 今がチャンスですっ!」

 

 誰もいなくなったコートを指さし、喜色に輝く声で、背後に立つ風待に、早くショットを打つようせかすスギナ。

 

 しかし、背後からショットは飛んでこない。スギナの声に返事もない。

 

 スギナの頭頂部から、大きめのクエスチョンマークがひとつ湧きあがる。スギナの頭の上から生まれたそれは、手元から離れてしまった風船のような身軽さで、静かに夏の空へと昇っていく。半透明の非実体で構成されたクエスチョンマークは、伊勢湾を一望する高さまで上昇した後、夏の大気に浄化され、青空の色と同化するように溶けていく。

 

 相手コートを指さした腕を落としたスギナ。クエスチョンマークが消え去るまで、コート上に立ちすくんでいたスギナだったが、やがてゆっくりと振り返る。

 

 スギナの背後には、誰もいなかった。

 

 諸咲側のコートにあるのは、風待が投げ捨てた羽子板とボール、あとは足元に佇む自分の影。

 

 メカブ子もモズク子に風待も、夏の幻のように消えた。先ほどまで一緒に遊んでいたのは、青空から降る灼光が見せた白昼夢だったのだろうか。スギナはふと、そのような非現実的な感覚に囚われる。

 

 スギナだけが立つコートの上に、海から吹く風が通り過ぎる。

 

 遠く伊勢湾の向こう、三重や奈良の山々から吹いた風は、長い旅路の余興に諸咲の丘を一撫でした後、三河湾へと去っていく。

 

 コート横に立つ雑木たちが、旅風が通り過ぎる足音を表すかのように、微かな葉擦れの合唱を奏でだす。

 

 青空を行く風の音、濃緑の葉たちのさざめき、そして、遠くに聞こえるリコリスたちの悲鳴。

 

 メカブ子やモズク子の悲鳴に混ざり、風待の声も聞こえる。

 普段の瀟洒な容姿には似合わない、少し濁った風待の悲鳴。

 

 以前、諸咲の漁港を二人で巡回していた時、スギナは岸壁を走っていた大きめのフナムシを捕まえ、風待に向かって投げたことがあった。

 そのとき聞いた絶叫と全く同じ声。全く同じ金切り声。

 

 おそらくその時以来、フナムシは風待のトラウマになっていたのだろう。

 

 悪いことをしたな、とスギナは少し反省する。

 面白かったから、その日以来何回も投げていたからな、とスギナは少し反省する。ほんの少しだけ反省する。

 

 夏の果てから聞こえた彼女たちの悲鳴は、やがて周囲の音と混ざり、聞こえなくなる。しばらくは帰ってこないだろう。

 

 さて、どうしよう。スギナは少し考える。

 

 とりあえず、皆が帰ってくるのを待とう。しかし、その前に、しておかなくてはならないことがある。

 

 スギナは地面に落ちているゴムボールを拾うと、歌島コートの方に向く。

 軽く真上に投げたボールを、軽く羽子板で前に打つ。

 

 小さな力で打たれたゴムボールは、小さな楕円軌道を描き、歌島コート上に小さな音を立てて落ちる。

 

 コートに落とせば、1点。

 これで、諸咲ペアの得点は、合計50点。

 

 これで、諸咲の、勝ちだ。

 

 これで、まあ、勝ちだ。

 

「やったああああああああああぁ!」

 

 両腕を天に突き出し、勝利の雄叫びをあげるスギナ。

 

 全身で喜びを表し、心を喜びで震わせるスギナ。

 誰もいないコートの上で、一人感涙に咽ぶスギナ。

 

 初めての競技、初めての試合、長く苦しい戦いに、勝利した喜び。風待先輩と二人で得た勝利、最後は自分の策で得た勝利。

 

 勝利とは、これほど嬉しいものなのか。

 骨の髄から湧き上がる歓喜と感激。これが勝利の感動なのか、これがスポーツの醍醐味なのか。

 

 スポーツは、素晴らしい。

 勝つことは、素晴らしい。

 私は今、勝利と栄光をこの手で掴んだ。

 

 ありがとう! 双関杯!

 ありがとう! 羽子板!

 

 

 幸薄い人生を歩んできた少女が、初めて知った勝利の喜び。

 諸咲の空き地で、ひとり身を震わせながら感慨にふけるスギナを、ただ夏の日差しだけが優しく見守っていた。

 

 

   

 こうして、長々と続いた第274回双関杯は、諸咲の勝利で終わった。

 

 おめでとうスギナ。

 よかったねスギナ。

 

 

 

 

 




 対戦相手にフナムシを投げつけ勝利するという、スポーツ史上古今例のない方法で幕を下ろした第274回双関杯は、試合終了後も多くの物議をかもし出した。

 コート上にフナムシを持ち出したことに猛烈な抗議の声をあげた歌島サイド。それに対しスギナの「コートの上は戦場だ! フナムシごときでガタガタ言ってんじゃねえ!(意訳)」の発言が更に歌島サイドの反発を買う結果となる。

 小心者のくせに強硬な姿勢を崩さないスギナと、このまま諸咲側の勝利で一応の決着を見たい風待の玉虫色の態度に業を煮やした歌島サイドは、国際羽根突き連盟(International Hagoita Federation)への提訴も辞さないと明言、事態は混迷の度合いを増していく。

 硬直化した激論が飛び交う両サイドの現況を重く見た風待は、熟考の末、試合結果の判断を臥観手ルミナ名古屋支部長に委ねることを決意する。

 かつての第269回、270回双関杯の覇者であり、元諸咲リコリスでもあったルミナ先輩ならば、公平な判断をしてくれるだろうという風待の説明に、歌島側もスギナも納得し、互いに争論の矛を収めた。

 コートの上で、DAのスマートフォンを取り出す風待。皆が固唾を飲んで聞き耳を立てる中、支部長同士の直通回線でルミナ支部長を呼び出した風待支部長は、今回の双関杯の結果と、その顛末について説明、勝敗について大支部長の判断を仰ぐ。

 しばしの沈黙を置いて、元諸咲支部員だった臥観手ルミナは、以下の様な判断を下す。

「今回の件については、確かに歌島側に理はある。ルールに明言されてはいないとはいえ、プレーを妨害する行為は明らかなフォルトである。しかし、歌島側も、油断がなかったとは言い難い。歌島ペアは、第1回双関杯から伝わる三つの言葉、ステイアラート、トラストノーワン、キープユアハゴイタ、この心得を守っていなかったようだ」

 ステイ、アラート。最後のマッチポイントに、ボールを持つ風待だけを注視し、スギナへの警戒を怠っていた。

 トラスト、ノーワン。コート上は戦場だ、相手のフェアプレイを信じすぎてはいけない。ボール以外のものが投げつけられることがあるかもしれないと、常に疑う心を持つことも大事だ。

 キープ、ユア、ハゴイタ。フナムシが来た程度で、羽子板を捨てて逃げてはいけない。コートの上では、羽子板は唯一の武器だ。それを捨てるということは、任務中にリコリスが拳銃を捨てて逃げるのと同じことだ。たとえ如何なる状況下であろうと、羽子板を手放してしまった時点で、すでに敗北は確定したとみなしてよいと思う。

「以上の三点から、今回の試合は歌島側の敗北と判断できる。ただし、諸咲側はきれいな勝利とは言い難い。次回からは、ボール以外の投擲は禁止するとのルールを新たに設ける必要があるな。そして、諸咲側は、今後はフェアなプレーを心掛けること。特にスギノスケは、歌島たちによく謝っておくことだ。私からは以上だ。ところで…」

 理路整然と、双関杯の勝敗を捌いた臥観手ルミナ。諸咲の先輩として、少し硬いが明るい口調で話していた声が、一段低くなる。

「ところでウメノスケ、そしてスギノスケも歌島達もよく聞け。この回線は、私たちリコリスが大切な任務の最中に連絡を取り合うためのものだ。たとえ支部長同士でも、私用で使ってはいけないことくらいは、ウメノスケもよくわかっているはずだ。いや、それ以前に、自支部以外のリコリスに、DAの了承も得ずに気軽に連絡してくるとはどういうことだ。ウメノスケ、お前はテンノスケ前支部長から何を学んだのだ。リコリスにとって規律は絶対だ。たとえ双関杯の最中でも、支部長たるもの浮かれることなく、常に身構え気を緩めることなく…」

 臥観手ルミナ先輩の、少し低めの声。
 指揮官向きの、よく響きよく通る声。

 戦場で指揮している時は頼もしく感じる声。そして日常で怒られた時は怖く感じる声。
 風待先輩が聞いている電話越しからでも、本気で怖いルミナ先輩の低い声。

 諸咲と歌島の浮かれた四人へのルミナ先輩のお説教は、それから半時間の長きに及んだという。
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