事件は、イベントの最中に起こった。
「わたしたちのめのまえに、きちくどもがあらわれたんだ」「げどうどもが、かよわいわたしたちをとりかこんだんだ」
「鬼畜? 外道?」
ぼんやりとかき氷を食べている二人の姿からは似合わない言葉に、思わずスギナは聞き返す。
監視役の分校リコリスの一員として、イベント会場の外れから周囲の見回りをしていたメカブ子とモズク子。その任務中に、いきなり自分たちの前に立った半グレ風の男たちがいたらしい。群れをなして威圧してきた悪漢どもの姿を、メカブ子とモズク子はかき氷を食べながら事細かに語る。
しかし、彼女たちの語る悪鬼羅刹どもの風貌をよく聞いてみれば、単なる都会のチンピラ程度の男どものようだ。
大げさに語っているというより、当時の彼女たち、田舎の分校から田舎支部へと赴任したばかりの田舎少女から見れば、ただのチンピラどもが、醜悪で凶悪な凶賊に見えたのだろう。
コスプレイベントの女性参加者、あるいはイベント目当てに地方から来た見学者の女性を、徒党を組んで強引にナンパしようとでもしたのだろう。そのような連中が、人気のない会場外に立つ、いかにも田舎少女然とした二人に目をつけたのは、当然の成り行きだったのかもしれない。
本来ならば、リコリスの制服を着ている少女に話しかける市民はいない。しかし、周辺に溶け込むため威圧感を消しているのが特徴の分校リコリス、さらに可愛い顔立ちではあるが、あまりにもモブ然としたメカブ子とモズク子の姿態に、普段の警戒心が薄れていたのだろう。
街を歩けばよく見かける制服姿の少女たち。常に見張られているような気がして、なんとなくウザく感じる彼女たちを乱暴することで、溜まり続ける社会への鬱憤を晴らしてやろう。そのような思惑もあったのかもしれない。
チンピラどもの人数はちょうど10人。彼らは数を頼み、逃げられないように取り囲みながら、性欲をむき出しにして二人に迫る。
本来ならば、分校リコリスとはいえ身を守る程度の戦闘力はあり、日々鍛えた筋力や体力は一般男性を凌駕している。10人という大人数ではあるが、自堕落に生きている下種な男ごとき、モブ顔の二人にとって倒せない相手ではない。
しかし、当時のメカブ子とモズク子には、経験がなかった。
女性だけの施設で育った二人には、男に迫られる経験がなかった。田舎分校で育った二人には、都会の半グレなど見る機会がなかった。暗殺を基本とする分校リコリスには、多数を相手にする事態は想定していなかった。
経験のない様々な状況が、二人の体と心を委縮させていた。逃げ道を塞がれ、息がかかるほどに近づかれ、聞くに堪えない卑猥な言葉を浴びせられ続けたメカブ子とモズク子は、互いに助けを求めるかのように抱き合い、泣きながら身を震わせるしかなかった。
「あのときはしをかくごしたな」「とかいはおそろしいとおもったな」
「そうですか?」
大人数とはいえ、武装もせず殺意もない連中に取り囲まれた程度で怖がる二人の気持ちは、スギナにはいまいち理解できなかった。
こういう時は、サッシェルバッグに隠し持っているナイフで、一番目の前にいる奴の鼻を削ぎ落せば、悲鳴と共に全員すぐ消えてくれるものだ。
任務中に必要以上に絡んでくる連中を強制排除する方法は、本部訓練生時代に指導員や教官役リコリスから教わっていた。あえて私服で都内の悪所を巡回する実施訓練で、それらの方法を実際に試したこともある。
正面戦闘訓練を受けていない分校リコリスにとっては、この程度のシチュエーションでも十分脅威なのだろうなと、スギナはその実施訓練中に絡んできた如何にも下品な男の顔と、その男の鼻が路上に落ちた光景を同時に思い出す。
あの時私が切り落とした鼻、特に気にせず落としっぱなしにして帰ったけど、あのあと誰が掃除したのだろうか。
話の最中にもかかわらず、スギナはふと、そのようなことを考えた。
「みみにつけたマイクにむかって、ひっしにたすけをもとめたんだ」「けど、DAはなにもしてくれなかったぞ」
「そうでしょうね」
イベントが安全に終わるよう巡回しつつ、爆発物や犯人を見つけるために最低限の人数で探索を続けるリコリスたち。そのような状況下、ただ不良に絡まれたというだけで援助の手を差し伸べるほど、DAは暇ではない。最低限の人数で回している今作戦、大局にさほど影響しないトラブルのために、限られた人員を割くほどの余裕はないのだ。
10人のチンピラどもに護衛されるかのように囲まれながら、人気のない路地に連れて行かれるメカブ子とモズク子。もはや心が折れている二人にとって、背中のサッシェルバッグにある拳銃やナイフは、もはやお守り程度にもならなかった。
このまま念入りに凌辱され、念入りに暴行され、念入りに殺される。二人は、そう覚悟した。
共に出張任務に呼び出され、歌島リコリスと一緒に参加している諸咲リコリス、臥観手ルミナと冠典ゼリィ。この二人ならば、私たちを助けに来てくれるかもしれない。メカブ子とモズク子に残された希望は、それだけだった。
しかし、その希望の糸はあまりにも細い。ルミナとゼリィは、非常時に投入できるリコリスという期待と共に召喚され、今はそれぞれが重要な
だが、すぐ切れるかのように見えた希望の糸は、強靭だった。支部と分支部の絆という名の繊維で編まれた糸、百数十年の長き年月をかけて編まれた糸は、どれほど離れていても切れることなく、漢詩の双関の如く常に繋がり続けていた。
「たすけが、きてくれたんだ」「しんじんのわたしたちに、諸咲からたすけがきたんだ」
「誰が来たんです?やっぱりルミナさんですか?」
「だったらステキだったんだがな…」「だったらあんしんだったんだがな…」
自分たちが住む歌島の自然と、部屋で留守番をしているこけしさんを思い返しながら、天国に旅立つ下準備を完了させていたメカブ子とモズク子の耳に聞こえてきたのは、季節外れのセミの鳴き声だったという。
「セミ?」
「じょわじょわじょわってなきごえだったぞ」「おおきなこえで、なきまねをしていたぞ」
肺活量の少ない少女が精一杯に張りあげるセミの鳴きまね声が、人気のない路地裏に響き渡る。最初は遠くから聞こえたその声は次第に大きくなり、やがて自転車の音も加わり始める。メカブ子とモズク子、そして10名のチンピラどもの顔が、仲良く音のする方向を向く、仲良く同じ戸惑った表情で、路地の先を見つめる。
セミの声が一段と大きくなると同時に、路地の曲がり角から一台の自転車が姿を見せる。
10名の男と、2名の歌島リコリスの目が大きく見開かれる。
どこかで拾ってきたのだろう、自分の体のサイズより一回り大きい自転車を全力で漕いでいたのは、片手に火のついたダイナマイトを掲げた、全裸の冠典ゼリィ先輩だった。
「ちょっとまって! この話どっかで聞いたことがある!」
思わずスギナが叫ぶ。思いっきりツッコミを入れるために、スギナが叫ぶ。
「セーフハウスにいるルミナをうごかすより、じぶんがブッコんだほうがはやいとおもったんだそうだ。ありがたいな」「よわっちいリコリスなのに、なりふりかまわずぜんらでたすけにきてくれたんだ。ありがたいな」
スギナの叫びが聞こえていないかのように、のんびりとした声で話す歌島の二人。
「ちなみに、どうしてぜんらかというとだな…」「ちなみに、なぜミーンミーンではなくじょわじょわなのかというとだな…」
「全裸になったのは相手を呆然とさせて隙を作るため! ミーンミーンって言わなかったのは名古屋にはミンミンゼミがほぼいないためっ!」
「なんでしっているんだスギナよ」「よくしっているなスギナよ」
嵐の夜の風雨のような勢いでまくし立てるスギナに、メカブ子とモズク子は春の夜の小雨のような長閑さで答える。どれほど強くツッコミを入れようと、歌島の揺蕩うようなリズムは崩せない。
「ちなみに、なぜゼリィがダイナマイトをもっていたかというとだな…」「ちなみに、ゼリィがどうやってダイナマイトをてにいれたかいうとだな…」
「ゼリィ先輩がダイナマイトを持参していたのは、銃撃戦に自信がないから! ダイナマイトは、入手ではなくラップの芯とか使って台所で自作しましたっ!」
「なんでしっているんだスギナよ」「よくしっているなスギナよ」
以前聞いたことのあるシチュエーションが、なぜ場所を変えて再上映されているのか。天才少女を自賛する割には、芸の引き出しが少ない元支部長の行動に思いっきりダメ出ししたいのだが、かといって歌島の先輩リコリス二人の昔話に水を差すわけにもいかず、一人悶々とするスギナ。
ツッコミ先が無い会話のもどかしさに、浜辺で甲羅を摘ままれ持ち上げられた小蟹のように、両手を不規則に振り回しながら胸の内のはがゆさを発露するスギナの目の前で、メカブ子とモズク子の呑気な話は続く。
二人が語る話によると、あまり肉付きのよくない裸の体を天日の足下に晒しながら現れた冠典ゼリィ支部長は、セミの鳴き声を吶喊の絶叫に変化させながら、全速力そして一直線に、メカブ子とモズク子を中心としたチンピラどもの円陣に向かって、単騎自転車を駆り突撃してきたという。
最後に聞いた絶叫は、二人とも伏せろおおぉ! だったなと、カップかき氷を食べながらのんびりと話す歌島の二人。
追憶はのんびりとした語り口ではあるが、当時その瞬間に居合わせた二人にとっては、のんびりとしている暇などなかった。爆発の恐怖に歪むゼリィ支部長の顔、ダイナマイトを持った右腕が爆発に怯え震える様と、陽に晒された裸体に浮かび上がる無数の冷や汗から、これから起こる大惨事を確信したメカブ子とモズク子は、慌てて耳を塞ぎ、地面に貼りつくような態勢で伏せる。
後から聞いた話によると、導火線が短かったらしい。
点火してから現場に向かい、丁度のタイミングで到着後、チンピラどもの頭の上目がけてダイナマイトを投擲する。頭の中では完璧な時間計算の上で導火線に火をつけたのだが、セミの鳴きマネをしながら全力で自転車を漕ぐと、貧弱な自分はすぐに体力や肺活量に限界が来て到着時間が遅くなるという要素を計算に入れ忘れていたのだ。
メカブ子とモズク子が捕らわれている路地裏にたどり着いた時には、導火線の火はダイナマイト本体に触れるほどに近づいていた。もはや自転車を降りてから投擲する余裕はない。
ダイナマイトが爆発するまで、あと一秒もなかったが、冠典ゼリィが決断するには、十分すぎる時間だった。全裸の彼女が漕ぐ自転車は、一切の減速も躊躇もなく、爆速を更に爆上げしながら爆走し、爆発物を持ったままチンピラどもの中心点に飛び込んでいった。
チンピラどもが不規則に組む円陣の中央で、ダイナマイトは爆発した。
「もろともにさんげ」「これぞにくだんこう」
「ダイナマイト持ったまま、自転車ごと突っ込んで自爆したんですか? ゼリーさん、それからどうなったんですか?」
少しだけ興味が出てきたスギナが、話を促す。
「あれはひどいばくはつだったな」「あれはだいさんじだったな」
大げさに喚きたてる二人だが、よく聞いてみると被害は大したことはなかったようだ。
見た目は大仰だが、実際は台所で適当に合成した分子ひずみを利用した爆薬を、台所にあったラップの芯に適当に詰めただけの、ニトロ基に頼らない適当な爆弾。構造的には一応テトラニトロテトラヒドロンを模してはいたが、ニトロ誘導体を持たない爆薬はカーリットしか触ったことのない冠典ゼリィが適当に作った習作のため、爆発効果も適当だったらしい。
爆轟ではなく爆燃であったため、炎の伝播速度が音速には達せず、被害半径は本物のダイナマイトに比べると軽微なものであった。
とはいえ爆薬は爆薬である。たとえ不完全な爆発でも、ダイナマイトを握りしめていた冠典ゼリィ支部長の片腕を粉砕する程度の威力はあったはずである。
「えんのちゅうしんにはわたしたちがねそべっていたんだ」「わたしたちにあたって、じてんしゃがたおれたんだ」
路地裏に響いた絶叫めいた冠典先輩の言葉に従って、地面に身を伏せていた歌島の二人に前輪を取られ、乗車している全裸の少女ごと横転する自転車。そのとき偶然に手を離れたダイナマイトは宙を飛び、彼女たちからある程度離れた上空で爆発したのだ。
「あのばしょにいたぜんいんがばくはつにまきこまれたけど、ボールがみせいのダイナマイトだったから、ひがいはすくなかったぞ」
「爆発オチってやつですね」
「ゼリィはかるかったからふきとばされてしまったけど、てんさいだったからひどいケガはしなかったぞ」
「天才って、便利な言葉ですね」
爆発を背にして伏せていたメカブ子とモズク子も、後に残るような負傷はしなかったらしい。
しかし、宙に舞うダイナマイトを、非日常的な現象を見ているかのような表情で呆然と目で追っていた10人の半グレたちへ与えられた被害は甚大だった。
爆発反応とは、典型的な発熱反応である。彼らの肌や肉は、爆片による破壊こそなかったものの、爆燃の圧力によって吹き付けられた高温の爆風が形作る熱線の牙によって、深く強く炙り焦がされる。
被害が多い場所は、肌が露出した部分、特に顔面であった。
爆熱によって変形した顔の肉、爆風によって毟り取られた顔の皮膚。今後二度と下卑た表情は出せなくなった顔面を押さえ、もがき苦しむ都会のチンピラたち。
まだ耳の中に爆音が鳴り響く頭を抱えながら立ちあがったメカブ子とモズク子は、激痛に転げまわる男の一人からジャケットを剥ぎ取ると、裸のまま大の字になってのびている冠典ゼリィ支部長の体に手早く着せて、二人で両肩を支えるようにして立ちあがらせると、野次馬が来る前に急いで撤収したという。
男物のジャケット一枚を羽織った裸の少女を、両脇から担いで逃げる二人の少女。普段なら異質な光景ではあるが、コスプレイベントの最中に起こった爆発のため、特に目立つことなく名古屋支部のセーフハウスに逃げ込むことができたらしい。周囲の人々の目には、珍妙なコスプレ程度に映っていたのかもしれない。
DAの警戒範囲外で起きたこの爆発騒動は、意外な間接効果をもたらした。
コスプレイベントを中止させようと脅迫状を送り続けていた爆発予告犯が、捕まったのである。
自分の犯行予告を無視する形でイベントが開催されたことに逆上し、時限式の簡易爆発物を鞄に入れコスプレイベント会場である商店街に訪れた予告犯。
しかし、自分が爆発物を設置する前にも関わらず、なぜか聞こえた爆発音に、犯人の表情は変わる。
周囲が突然の爆発音に呆然とする中、ただ一人うろたえ取り乱す犯人。あからさまに表情の違う顔色や、慌てて鞄の中を確認する姿を、DAが商店街中に設置した監視カメラは見逃さなかった。
会場近くに駐車した情報指揮車両内で、会場中を画像監視していたDA情報部職員の誘導により、セーフハウスで待機していた臥観手ルミナと2名の名古屋支部リコリスが、犯人のもとに駆けだしたのは、それからすぐのことだった。
混乱に騒めく商店街の隅で、犯人を囲んだ3人のリコリスたち。田舎支部員とはいえファーストリコリスであるルミナと、実戦経験豊富な大支部リコリスたちは、周囲に気が付かれないうちに犯人を気絶させ、手際よくセーフハウスへ連れ去る。
拘束された犯人は、情報部の手によって効率的な尋問を受ける。回答を拒否する度に、自分の体の一部が欠損していく恐怖と激痛により、犯人はこれまでの経緯を全て自白する。
数時間かけて聞き取りしたすべての情報を精査した結果、単独犯であると結論を出した情報部は、尋問によって死にかけていた犯人をその場で殺害処理。こうして、名古屋支部の緊急オペレーションは終了した。
自らが起こした騒動が、図らずも事件解決の原因となった冠典ゼリィ支部長。自分で考えた末の姿とはいえ、さすがに全裸になって仲間を助けに行ったことが恥ずかしかったのか、その日の夜は部屋の柱で爪を研いだり、畳の目を数えたりしていたそうだが、翌朝にはぴたりと収まっていたという。よく考えてみたら、部下を助けるために全裸でブッコミいれるのはこれで二回目だから、少しは慣れたわな、と勝手に納得しながら、笑顔でどんぶり飯を食べていたらしい。
「そっか、これが二回目なんだ」
以前同じような話を聞いたことがあるスギナは、歌島の二人に聞こえないようにそっとつぶやく。まさか翌年に三回目が控えていようとは、自称天才少女の冠典先輩でも想像できなかっただろう。
「こうして、わたしたちのさいしょのしゅっちょうにんむはだいしっぱいにおわったんだ」「いまおもいだしてもはずかしい、だれにもいえないはなしなんだ」
新人は誰にでも失敗はある、だから気にするなとメカブ子とモズク子がスギナに語りかける。
自分たちが隠しておきたい失敗、恥ずかしい過去の失敗をあえて話すことで、スギナを元気づけようとしている二人。少しだけ遠回りな慰め方だったが、スギナには、その心遣いが何よりも嬉しかった。
先月からずっと、心配してくれていたのだろう。先月からずっと、気にしてくれていたのだろう。
純朴な二人の純粋な優しさが、スギナの心を温かくする、スギナの目頭を熱くする。
気にかけてくれて、ありがとうございますと、スギナは正座の姿勢を崩さず、大きな声でお礼を言う。
「スギナはまだしんじんさんだ、これからまたがんばりなおせばいい」「わたしたちも、あれからまたがんばってここまできたんだ」
「いろいろ、頑張って来たんですか?」
「ああ、そうだぞ」「いっぱい、にんむについたぞ、そして…」
メカブ子とモズク子、二人の黒目が、虚無の色になる。すべての感情を隠す、虚無の黒色になる。
「私は、それから今までに12人殺した。隣のこいつは14人だ」「その他にも、二人共同で9人殺害している、この年齢の分校リコリスとしては平均的な数だろうな」
スギナの体が、咄嗟に警戒態勢を取りそうになるほどの、静かな殺気を内に孕んだ冷たい声。
体から汗が流れる。運動による汗ではない、驚きと恐れから来る、冷や汗だ。
目の前の二人は、スギナより4歳年上である。4年上の、ベテランリコリスである。
先月、新近城作戦で出会った分校リコリスたちは、ほとんどが新人だった。経験豊富なリコリスの急な出張を嫌がった各地方支部が、申し合わせたように新人ばかりを供出していたからだ。
だから、スギナは知らない。古参の分校リコリスの怖さを知らない。
日常の風景に溶け込みながら静かに社会を監視し、誰の注目も浴びずに静かに暗殺を実行する分校リコリス。
彼女たちは古株になるほど、気配や殺気、そして自分の技量を隠すのが上手くなるのだろう。
新人とはいえ、本部卒のスギナが今まで気が付かなかったほどの、完璧な擬装。油断していたら、文字通り寝首をかかれるであろう、見事な偽装。
分校リコリスの任務は、巡回そして暗殺。
今ぼんやりとかき氷を食べている二人は、最初の失敗の後、必死にその技能を磨いたのだろう、そしてその後の任務は着実に遂行して、ベテランのリコリスになったのだろう、社会のだれの目にも止まらない、仲間内ですら実力を悟られない、理想的な分校リコリスになったのだろう。
「そういうわけだスギナ」「がんばれよスギナ」
私たちのような分校出でも、頑張ればこの程度にはなれる。だからお前もがんばれよという激励の意を言外に含み、笑顔のエールを送るメカブ子とモズク子。
「はい! いろいろと教えていただき、ありがとうございます!」
彼女たちの意を心で受け止め、思わずかしこまった口調で感謝するスギナ。
自分でも少し硬いかなと思ったスギナだったが、先輩として教えてくれた様々な事柄への礼は、これでも足りないくらいだと思い直し、改めて深々と頭を下げる。
「あら、三人とも何を話しているの? やけに仲良さそうだけど」
浴室から、シャワーを終え涼し気な私服に着替えた風待が、バスタオルで髪を拭きながら畳部屋に顔を出す。
「おお風待、シャワーながかったな」「いまスギナと、たのしくおはなしをしていたところだぞ」
「そうなの? スギナ」
人付き合いが苦手で、人見知りなスギナ。つい先ほどまで、双関杯の試合結果について口喧嘩めいた激論を交わしていたスギナが、少し目を離した間にここまで歌島の二人と仲良くなっていたことが信じられなかったのだろう。思わずスギナに尋ねてしまう風待。
「はい、さんにんで、たのしくおはなしをしていました!」
風待の顔をしっかりと見据え、大きな声で、大きな笑顔で答えるスギナ。
その口調は、ほんの少しだけ、メカブ子とモズク子の癖がうつっていた。