モブリコ辺境暦   作:杖雪

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8月 初めて人を殺した日 ④

 このやり方で問題はないはずだ。私は再びエサを付けた釣り針を、胸壁下の水たまりに沈める。

 握りしめる釣竿に、力がこもる。

 

 気持ちを集中し、遠くにいるターゲットの顔を、横目で見る。顔は動かさず、目線は合わせず、白目の部分に映る風景の端に焦点を合わせる。

 

 小川を挟んで左側、胸壁が続きソーラーパネルが連なる辺鄙な風景。波の音と蝉の声が煩いのに、なぜか寂寥感を感じる、海辺の風景。

 今夜の私の獲物、名古屋から来たヤクザたちは、この炎天下、地図やメールを見ながら、慌ただしく立ち騒いでいる。

 

 彼らも懸命なのだろう。依浦港に今夜入港予定の石炭専用船から下ろされたゴムボートが、この海岸に到着するのは夜11時。明かりの少ないこの海岸で、密輸品の麻薬を積んだゴムボートと無事に接触できるよう、明るい今のうちに十分に周囲を確認しておかなければならないのだ。

 

 私は彼らを見る。ひとりひとり、顔と姿を確認する。

 

 ヤクザ特有の荒んだ雰囲気は四人とも同じだが、顔や背丈、年齢はそれぞれ異なっている。正直なところ、これなら数秒で記憶できる彼らの人着だが、それでも念には念を入れ、しっかりと観察し、記憶する。

 

 一番目に覚えたのは、一番忙しそうに動き回っている、一番背の高い40代くらいの男。

 

 この暑い最中にチャコールグレーのスーツを着て、スマートフォンの地図アプリを見ながら周囲を小走りに歩いている。胸壁に上ったり、壁横のコンクリート製の階段から石だらけの海岸に降りたりと、本当に忙しそうだ。

 おそらくこの小さな組の知恵袋的存在なのだろう。外国の麻薬組織への連絡、外国の言葉での取引、外国から来る受渡相手との交渉、すべて一人で担当しているようだ。

 

 高い背丈、瘦せ型の体格に面長の顔、サラリーマンのような髪型、あまりヤクザっぽくは見えない。薄暗く光る目つきと、たまに背広から覗く拳銃のグリップさえなければ、それなりに大きな企業の社員のようにも見える。

 

 たった一人で密輸のお膳立てを整えた知力、数か国語を操り交渉できる学力、若いころにさぞ勉強をしたのだろう、名のある大学を卒業したのだろう。

 その苦労して得た才を、彼はいま麻薬取引のために活用している。多くの人間を不幸にし、多くの人生を破滅させる麻薬取引のために使っている。

 

 せっかく得た知力学力、善きことに使えば善き人生を歩めたはずだ、長く平穏な人生を歩めたはずだ。

 だが、彼はそうしなかった。元々の性格なのか、目先の利益のために道を誤ったのかはわからないが、いま海岸線を見つめている男は、自分の才能を悪事に使っている。

 知恵の使い方を間違えた男。彼は今夜、道を違えたが故に殺される。私の手によって殺される。

 

 次に覚えたのは、その知恵者の背後を追いかけている、10代の若者。

 

 全身から立ち昇るやさぐれた雰囲気が、彼の実際の年齢を分かり辛くさせているが、よくみればまだ若い、幼さすら残る顔つきの、中学生くらいの少年。もしかしたら、私と同い年なのかもしれない。

 

 しかし、見た目は同じ10代の少年たちとはかなり異なっている。

 不摂生な生活をしているのだろう、すでに贅肉が付き始めている不健康な体格、品性と道徳のない人間特有の、小ずるそう顔。だらしなく羽織った柄シャツから伸びた腕には、無計画に彫り込まれた暗色のタトゥーが、若さに似合わない荒れた肌を薄汚く彩っている。

 他のヤクザとの馴染み具合から見ると、長いこと学校には行っていないようだ。まあこのような入れ墨だらけの少年など、学校側にとっても来てほしくないだろうし、学生たちにとっても机を並べたくはないだろう。

 

 組の中では下っ端なのだろう、海図や懐中電灯の入った鞄を持ち、長身の知恵者ヤクザの後ろについて歩いている。

 田舎の風景が珍しいのだろうか、時折海岸線を見つめたり、ソーラーパネルの下をのぞき込んだりする姿は、年齢相当の子供らしさがあるが、彼もまた、目つきは濁りきっている。

 

 まだ十数年程度の人生しか生きていない彼だが、その短い時間で、多くの同級生、周囲の少年少女たちを傷つけてきたのだろう。恐らくは、被害者の子供の何名かは、心に重い傷を負わされ、今後の長い人生を狂わされたはずである。

 この後も長く生き、この後も多くの人を傷つけるはずだった彼の人生は、今夜終わる。私の手によって、彼の短い人生は終わるのだ。

   

 三番目に覚えたのは、車の前に立つ、30代の男。

 

 若いころは鍛えていたが、その後は自堕落な生活を送っている男性特有の、腹の出ただらしない格好。

 胸の厚さと腕の太さが自慢のようだが、減った筋肉の代わりに脂肪がまとわりついて太く見えているのが一目でわかる、不均整な体つき。先ほどの少年と同じような不健康な肌の上には、色褪せた和彫りが広範囲にわたって貼りついている。

 裸に自信があるのか刺青を晒したいのか、それともただ暑いだけなのか、車を降りるなりシャツを脱ぎ捨てた男。もしかしたらここに来る前に入ったコンビニにも、上半身裸で入ったかもしれない。だとしたら、すごく迷惑な客だっただろう。

 

 短く刈った頭の下にある顔は、いかにも乱暴そうな丸顔。すぐに暴力を振るいそうな獣顔。典型的な三下ヤクザだ。テンプレ的な三流ヤクザだ。

 

 拳銃を手に外出したのは今日が初めてなのかもしれない。レザーパンツのズボンに差し込んだJフレームリボルバーのグリップを、面白そうに時折弄っているその姿は、銃器の素人であることを如実に表している。拳銃はハンプバックのシルエットからするとM649のように見えるが、ポリッシュの雑さから見て、おそらくはフィリピンコピーだろう。命中精度どころか安全性も期待できない粗悪品だが、彼は銃器が醸し出す暴力の気配に満足げな様子だ。おそらく、暴力的なもの、暴力的な行為が好きなのだろう。

 

 実際に、暴力以外には何の取り柄も才も無いようだ。彼は今、彫りに彫った刺青を天日干ししながら、組長の乗った車の前で突っ立っている。知恵者ヤクザを助けるわけでもなく、少年ヤクザに話しかけるでもなく、ただ車の前に立っている。

 ただぼんやりと、組長が座る車の横で立っているこの男、おそらく本人は、車内にいる組長を護衛しているつもりなのだろう。

 

 思わず失笑が浮かぶ。表情を変えてはいけないとはわかっているのだが、それでも笑ってしまう。

 この男は、何も考えず周囲の警戒もせず、ただ突っ立っていることが護衛だと思っているのか。組長に尻を見せているのが護衛だと思っているのか。

 

 物事を深く考えるという行為をしたことがない人間、衝動と本能でしか行動したことのない人間。彼はこれまで、どのような人生を歩んできたのだろうか。

 正直な話、このような人種の人生などに興味はない。今夜消えていく人間の人生など、どうでもいい。

 

 最後に覚えたのは、車の中にいる50代の男。この小さな組織の組長だ。

 

 取引予定場所に訪れてすぐに、ざっと周囲を確認しただけで、その後はほとんど車の中にいるが、それでもたまに外に出てくるので、人着は確認できた。

 体格のだらしなさは車の横に立つガードマンもどきと同じだが、見た目の派手さが大きく異なっている。

 

 原色を大胆に使った派手なシャツを下品に着こなし、背伸びした田舎の不良少年が着けるような安いデザインのシルバーアクセで身を飾る、センスのないその姿。おそらく数十年前から、ファッションスタイルのアップデートがエラーを起こしていたのだろう。年齢に似つかわしくない、不格好な服装、不似合な服飾。

 年相応の威厳を出そうと伸ばしたのであろう、無精髭をそのまま成長させたかのような口髭が、なおのこと服装と年齢の不釣り合いさを際立たせている。

 

 しかし、一見すると道化に見えるその恰好も、ヤクザ特有の蛇のような眼光が加わると、凶器のような気配を周囲にまき散らすための有能な小道具に変化する。

 おそらく、この姿を見て笑う一般人はいないはずだ。センスのなさを感じる前に、関わり合いになりたくないという恐怖を感じるはずだ。

 

 多くの人間を地獄に落とし、更に多くの人間を地獄に落とそうと企む者のみが持つ、暗く澱んだ目。人であることを捨てた目。この目で睨みつけられた一般人は、たいていは心が委縮し、身が震え、脚が竦むであろう。

 

 部下のヤクザたちに指示を与えることもなく、スモークガラスの車内に身を潜め、夏の暑さからただ一人逃れている組長。率先して仕事の先頭に立つタイプではないらしい。

 とはいえ、たった4人の小さな組織で、大きくふんぞり返ってばかりではいられない。背広姿のインテリヤクザが周辺状況について報告する度、彼は嫌々車内から出て、話を聞いている。

 

 長細いサングラスをかけ、無造作に伸ばした髪を整髪料で後方に撫で付けた、脂ぎった髭面。その表情には面倒くさそうな感情が浮かんでいるが、それでも一応組長だからだろう、それなりの威厳を込めてインテリヤクザの報告にいちいち頷いている。彼が頭を振る度に、厚く頭髪に塗り付けたワックスが夏の光を反射する。

 報告が一段落すると、またすぐに車内に戻る組長。陽光の下で働く部下たちが、文字通り汗を流して得た地理情報など、おそらく半分も聞いていなかったに違いない。

 

 地味で大変な仕事は全て部下に任せ、自分は利だけを貪るタイプの組長のようだ。この手のタイプがトップに立つ組織は長続きしない。この組も、いずれ部下の反乱により分裂するか、部下が離散し消滅するだろう。

 もっとも、そうなる前にこの組は消える。今夜、私が消してしまうのだ。

 

 8時間後には消えてしまう命、8時間後には消えてしまう組織。自らの儚い運命も知らぬまま、彼らは取引場所の下調べを進める。

 だいたいの確認は取れたのだろう。やがて彼らは、最初に来た時と同じように、車の前に集合する。

 

 インテリヤクザが状況を説明した後、自ら胸壁によじ登り、懐の懐中電灯を取り出す。

 他の3人が見守る中、背の高いインテリヤクザは、海岸線に向けて懐中電灯を大きく振る。懐中電灯の先を海に向け、ゆっくりと、ぐるぐると、大きな円を描くように回す。

 どうやらこれが、夜の海からゴムボートで訪れる取引相手との接触方法らしい。知恵のあるインテリヤクザは、知恵の足りない3人の仲間相手に、今夜の取引のデモンストレーションをして見せているようだ。

 今夜依浦港へ向かう石炭専用船から下ろされたゴムボートは、密輸品の麻薬を乗せ、胸壁の上から今のように振られる懐中電灯の明かりを目印に、誘蛾灯に飛び込む昆虫のように吸い寄せられるように直進してくるのだろう。

  

 ヤクザたちのいる海岸は、礫浜ではあるがゴムボートが石や岩で破損するほど荒れてもいない。夜間は多少歩き辛いが、取引には問題ない地形だ。

 地形は確認できた。これなら大丈夫だ、心配ない。胸壁から降りたインテリヤクザは、そのようなことを説明しているようだ。聞いている3人のヤクザの顔に、安堵の笑みが浮かぶのがよく見える。

 

 下品な笑いを浮かべながら、部下に向かって何か語りかける組長。満足そうな顔で話し終えた組長は、また一人で車内に戻る。

 続いて、部下たちも車に乗り込む。最後に運転席に座ったインテリヤクザが、行きと同じように、神経質な運転で車を発進させ、国道へと消えていく。

 

 車が退いた後も、私たちはしばらくの間は動かなかった。釣りをしている姿のまま、今まで騒いでいたヤクザたちなど全く興味がなかったかのように、釣れない釣りを続ける。

 すぐに撤収しないのは、監視の鉄則だ。今回は逆監視されているという状況は考え難いが、万が一、彼らの車がまた戻ってくる場合に備え、しばらくは釣りをしている風を装い続ける。

 

「…そろそろ大丈夫のようね。今あいつらの車が、弥梨の信号を左折したわ。このまま豊岡から諸咲公園線の道路を通って、宿泊先の旅館に行くつもりね」

 

 車の走行音を聴覚で追跡していた風待先輩が、そう言いながら釣竿を上げる。

 

 礫浜特有の、石同士が波にもまれ、擦れ合う悲鳴のような音。背後の林に棲むセミたちの、輪唱のような声。これらの騒がしい音の中から、車の音を聞き分ける聴力。やはりセカンドリコリスの五感は一頭地を抜いている。聴音訓練は私も本部で嫌になるほど受けてはきたが、それでも先輩の域には達していない。

 

 つまらなさそうに、水上に露出した仕掛けを見る先輩。先輩の釣り針にも、エサ替わりの魚肉ソーセージの欠片は残っていない。

 上流の小さな溜池から流れる、小さな川が礫浜の上に形作る、小さな水溜りのような河口域。いったいこの中には何がいるのだろうか、胸壁横の階段を下りて、覗き込みに行きたくなる。

 しかし、さすがに任務前にそのような浮かれた行動はできない。今は水溜まりの中に思いを巡らすよりより、ヤクザたちをどう殺すか考える方が重要だ。

 

 結局、釣果は無し。損失は冷蔵庫の中にあった魚肉ソーセージが一本。明日の昼食の焼きそばの具材に使おうと、大事に取っておいた魚肉ソーセージを海中にまき散らしただけの、散々な釣果。

 偵察のカモフラージュとはいえ、少しは何か釣りたかったなと思いながら、私は先輩と一緒に胸壁から降りる。

 

「スギナ、あいつらの顔は覚えた?」

 

 明日の焼きそばの具は、キャベツだけになるなとぼんやり考えていた私に、先輩が語りかける。 

 

「はい、人着から動きの癖まで、全部覚えました。声だけは周囲の音が邪魔で聴くことができませんでしたけど…」

 

 糸を外したのべ竿を納竿する先輩に答えながら。私も釣り具を片付け、撤収の準備に入る。

 

「今夜の任務は視認してから殺せばいいだけだから、声は知らなくても特に問題はないわ。声で相手の位置を突き止めなければならないほど、暗い場所でもないしね」

 

 背後の国道側には、距離は離れているが街路灯が等間隔に並んでいる。今夜は11時ならまだ月も出ている時期ということもあり、夜間任務としての難易度は低い。夜目も利き、夜間戦の訓練も十分に積んだ本部卒リコリスならば、確かに問題はない。

 

「あいつらの話を聞いていたけど、どうやら彼ら、取引の30分前にここに来るらしいわよ。そして11時になったら、背の高いスーツのヤクザが護岸壁の上に立って、懐中電灯を振ってゴムボートを誘導するんだって」

 

 よく聞こえましたね、と素直に感心する私に、先輩がちょっとだけ得意顔になって答える。

 

「今回の任務は、ただの暗殺じゃなくて他のヤクザ組織への見せしめって意味もあるの。だから今夜は、11時の取引が始まる直前にあいつらを全員殺すこと。DAは清掃部隊を出さないそうだから、死体や車はそのままにして撤収。楽な仕事よ」

 

 先輩の説明によると、取引直前のタイミングでDAが処刑の刃を振り下ろすのは、他のヤクザ組織への警告以外にも、取引相手である麻薬組織への牽制も兼ねているという。

 

 麻薬を積んだゴムボートを乗せた石炭専用船は、今夜10時過ぎ、伊良湖水道航路管制信号所を右手に見ながら、三河湾に入る予定だそうだ。船は湾内を北に進み、依浦港に入る少し前、大亥港と豊岡港の中間辺りで一時停船する。ジブクレーンを起動させ、ゴムボートを下ろす専用船。黒色の海上に降り立ったゴムボートは、暗い夜の闇に身を隠しながら、海岸からの合図を待つ。

 

 しかし、海岸からの合図の光はこない、いつまで経っても合図はない。当然だ、合図役を含め、海岸で待つヤクザたちは皆、私が殺すからだ。

 

 大抵の麻薬組織は、受取側の連絡が途絶えると、そのまますぐに撤収するという。それもそうだろう、少しの異変や異常を感じたら、即座に取引を止めて逃げるくらいの小心さがないと、大胆な密輸というものは成功しないのだ。

 

 今回の密輸相手も、おそらく直ぐに貨物船に戻るはずよ、と風待先輩は言う。

 

 一度海上に降ろしたゴムボートを、ジブクレーンで再び船内に戻す作業は、降ろすだけの作業より大変で時間がかかるという。しかし、大切で高額な商品である麻薬を積んでいる以上、放棄するわけにもいかない。麻薬組織に買収されている貨物船の船員たちは、仮検疫済証の発行確認の遅れを言い訳にしながら停船を続けつつ、必死にゴムボートを回収することだろう。

 

 秘匿性優先のため、ライトも使えない夜の中で、潮流、波、うねりといった外力に翻弄される中で、なんとかゴムボートを回収した貨物船。乗り込んだ密輸組織の男たちは、船内で安堵のため息をつくことだろう。しかし、彼らには、それ以上の平安は与えられない。

 

 ディーゼル機関によって生み出されるエネルギーが再びスクリュープロペラを回し始める直前、貨物船は海上で突然の臨検を受ける。

 

 夜の闇から突如現れた、黒く塗られた2台の水上オートバイ。自動小銃を背に担ぎ、黒いダイビングスーツを身に纏った男二人が、船上に向けて投縄(ラリアット)モードで打ち込んだ拘束ワイヤー射出器の極細ワイヤーを上昇ロープのように使い、海上はるか上の甲板に飛び移る。

 彼らは突然の奇襲に固まる密輸組織の人員たちを制圧すると、貨物船の船長に銃口を突き付け、依浦港に接舷するよう指示。抵抗できない船員たちは、密輸組織と関係していた証拠を隠滅する暇もなく港に入港、待ち構えていた東海北陸厚生局の麻薬取締官たちによって身柄を確保される。

 

「…という段取りになっているのよ」

 

 大仰な身振り手振りを共として、炎天下の熱気よりなお熱い、迫真の話術で説明する風待。ただの説明にここまで力を入れる必要はないはずなのだが、おかげで講談を聞いているかのような感じで流れは理解できた。

 

「船の上に飛び乗るんですか。なんか派手ですね」

 

 どこの所属なんですかその人たち? と私が質問すると、風待先輩は首をかしげる。

 

「それがね、作戦文書にはどこの誰かについては何も触れていないのよ。DA以外の別組織ってのはわかるんだけど、法令を無視した銃撃戦前提の臨検なんて海保も水警もやらないでしょうしね…」

「6月の新近城作戦の時に、隣の橋の下にいたっていう二人かもしれませんね。私は見えなかったですけど、確かその時も、黒い服で黒い水上バイク乗っていたんでしたよね」

 

 6月の雨の夜、近城埠頭を完全に封鎖するために送り込まれた、DAとは異なる組織の二人。DAの守備範囲外である海上の封鎖任務を受け持った彼ら二人は、埠頭の内外で配置につくリコリスたちとは接触せずに、名古屋と埠頭をつなぐ橋のひとつである近城西橋の下で待機していた。

 

 その時、私と先輩は隣の近城橋にいた。サードリコリスの私の視力では、夜の闇と橋の影に隠された二人の姿を見つけることはできなかったが、セカンドリコリスである先輩は、黒塗装の水上バイクと、黒いダイビングスーツ姿の二人の姿が見えていた。顔までは見えなかったそうだが、シルエットや動きからすると、二人とも若い男のようだったという。

 

 先輩が言うには、彼ら二人が所属する組織は、かつてDAと仲が悪かった組織らしい。互いに協力し合うどころか、互いを敵対視するほど険悪な状態だったその組織がDAと仲直りしたのはつい最近、延空木占拠事件後だったという。

 

 モブリコ寿司の噂話、あるいは名古屋支部の臥観手ルミナ先輩経由で風待先輩が得た情報によると、延空木制圧の最中、DAとその組織は、何故か一触即発の状況に陥ってしまったらしい。

 

 延空木の事件については、今だDA内でも緘口令が敷かれているため、私たちには詳しいことはわからない。先輩もそれ以上のことは聞き出せなかったようだし、私は当時訓練生だったため、事件の詳細はほとんど知らされていなかった。作戦中に意識不明の重傷を負いながらも生還し、都内の病院でリハビリをしていた指導官役の先輩をお見舞いに行ったとき、そのセカンドリコリスの先輩から聞かされた、よくわからない武勇伝が唯一のファーストハンドだった。

 

 だから何故それが起こり、どのように収束したのかはわからないが、ともかくDAとその組織は、敵同士でないにも関わらず、あやうく同士討ちになるところまで行き、寸前のところで回避されたらしい。

 

―その後にトップ同士が話し合って、DAとその組織は、すこしだけ和解したんだって。で、仲良くなった一環として、お互い協力できるところは少しずつ協力し合おうって話になったらしいわね。今回の作戦は、この協力体制の初めてのテストケース。互いに接触せずに、陰でフォローするという形で作戦に応援参加するみたいよ―

 

 あの日の夜、雨の中で風待先輩が語っていた言葉が脳裏に浮かぶ。

 

「今回も別々に行動しながら協力するんですから、やっぱりあの時の二人だと思いますよ」

「そうかもしれないわね。ま、海の上のことは私たちの守備範囲外だから、船はそいつらにまかせちゃいましょうね。スギナはあのヤクザたちにだけ集中して、しっかりと仕留めなさい」

 

 竿やバケツを自転車の荷台にまとめ終えた先輩が、話もまとめ終える。

 

「はい、今夜の仕事については、問題ないと思います。それじゃあ下宿に帰りましょう、ちょうどペットボトルの水もなくなりましたし」

 

 同じく荷物をまとめ終えた私は、自転車のサドルに腰を下ろす。

 

 下調べが終わった以上、もはや油照に灼かれるこの海岸に留まる必要はない。空から落ちる熱線と、海から吹く熱風、地面から立ち昇る熱気が三重に連なるこの場所から、一分でも早く逃れたい。一秒でも早く下宿に帰り、震えるほど冷たいシャワーを浴びたい。凍えるほど冷えたエアコンの風を浴びながら、冷凍庫内で凍っているアイスを、背骨の芯まで冷えるほど食べつくしたい。冷えて乾いた涼しい部屋で二人で裸になって、風待先輩の温かい体を抱きしめて昼寝したい。

 だから早く帰りましょうと目線で訴える私に、先輩は黙って首を振る。

 

「スギナ、私たちはまだこれから行くところがあるわ。それまでは、シャワーもアイスもおあずけよ」

 

 暑い季節の中、風待先輩の言葉だけが冷たい。どこか寄りたいところがあるんですかと、私は思わず不満の声をあげる。

 顔中に汗をかきながらも涼し気な表情の風待先輩は、私の不満に首を横に振る。

 

「今から行くところは大事なところ。この諸咲で事件が起こる前に、必ず行かなければならないところよ」

「どこに行くんですか。こんな暑い中なのに」

 

 まだ不満げな声が出てしまう私の問いに、先輩は静かに、そして簡潔に答える。

 

「諸咲町役場よ」

「役場?」

 

 思わず言葉が詰まる私。その驚きの表情が気に入ったのか、先輩は微かに笑みを浮かべる。

 

「スギナが諸咲に赴任してから、もう4カ月経つわね。この間、スギナには諸咲支部で代々受け継がれてきた慣習や、地元との非公式な付き合い方のノウハウを色々教えて来たけど、これから見せるのは、私が伝える最後のローカルテクニックよ」

「最後…ですか」

「そ、最後。このやり方を覚えたら、長きに渡る私の講習はこれで終了。スギナは明日からは新人ではなく、田舎支部ならではの裏技、辺境支部ならではの流儀を身に着けた、一人前の諸咲リコリスになれるのよ」

 

 風待先輩の言葉に、下宿に帰って涼みたいと言う私の思いは消え去った。

 

 新人ではない、一人前の諸咲リコリス。

 先輩の横に立つに相応しい、立派なリコリス。

 目指していた目標、憧れていた目標が、ついに目の前に来た緊張感が、私の背筋を走る。

 

「わかりました。先輩の最後の講義、きちんと受けさせてください」

 

 思わず、堅苦しい返事を返してしまう私。

 

「そんなに緊張しなくてもいいわよ。やることはそう難しくないし、冷たい麦茶も飲めるから、早く涼みたいっていうスギナの望みも叶うわよ」

「…具体的には、町役場で何するんですか」

 

 先輩は私の問いには答えず、ストームフラップ裏の隠しポケットから、一枚の厚紙を出す。

 

 それは、厚ぼったい唐紙に刷られた、赤い千社札だった。

 

 

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