モブリコ辺境暦   作:杖雪

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 かつて見た塔、電波塔。
 七色輝く、電気の明り。
 家族の死体、中に込め。
 今も私を、照らし出す。




8月 初めて人を殺した日 ⑩

 

 私の目の前に見える電波塔は、崩壊前の荘厳な姿をしている。

 

 一切の無駄を省き、ただ垂直に、どこまでも高く伸ばすことを目的とした、シンプルな建築。少しでも天に近づくことを目指した、シンプルな目標。

 

 その単純さゆえに、塔は美しい。

 

 11年前、私たち家族が遊びに行った電波塔。

 11年前、私たち家族がテロに遭った電波塔。

 11年前、私だけ生き残ってしまった電波塔。

 

 爆発で壊れてしまったはずなのに、なんで昔の姿をしているのだろう。

 東京に建てられているはずなのに、なんで海から生えているのだろう。

 二つとない建物だったはずなのに、なんで三つも建っているのだろう。

 

 まあいいか。

 まあいいや。

 きれいだから、まあいいか。

 

 支柱の一本一本まで丁寧にライトアップされた輝かしい姿。塔全体に散りばめられた、多彩な光。塔の上階、展望室の側面を踊るように周り走るLEDのイルミネーション。かつての私が見たかった、私が家族と見たかった、きれいな夜の塔。

 さすがに三基もあると、明るすぎる気もするが、これから私はヤクザたちを殺しに行くのだ。夜の暗さをかき消す照明は、多ければ多いほどいい。

 昼間のように輝く明りに囲まれて、私は立ちあがる。

 

 地面には、私が吐いたヘドと、私が殺したヤクザの死体。

 見たくもない私の落とし物も、電波塔の明かりは容赦なく照らし出す。これが罪だと照らし出す。

 

 私は、あおむけに横たわるヤクザの死体を、もう一度眺める。

 

 数分前までは生きていた、新鮮な死体。私が殺した、初めての相手。

 身動きが取れないままの窒息死という、苦悶の末の死。その断末魔の形相は、私への恨みで満ち溢れている。

 人が作り出した表情とは思えないほどの、苦痛と恐怖に歪んだ醜顔。

 私は、この顔を一生忘れることはないだろう。

 

 紐を首に食い込ませた時に、手に伝わってきた細かい痙攣。背中に押し付けた膝から伝わってきた、心臓の鼓動が止まっていく感触。

 私は、この感触を一生忘れることはないだろう。

 

 一生、忘れることはないだろう。

 一生、忘れることはできないだろう。

 一生…

 

 急に、胃が裏返る。

 私は、立ったまま嘔吐した。

 

 もはや、胃は空だ。吐いたのは、夕飯に食べた粥によって白濁した、わずかな胃液だけ。

 

 胃の中に残っているのは、自分自身への嫌悪感。人を殺した自分、残酷に人を殺した自分への、怒りにも似た嫌悪は、確かに胃のあたりに留まっているのだが、どれだけ吐いても、体外に出て行ってはくれない。内臓全体に絡まるようにしがみ付き、悔恨という名の棘片で肺腑に痛みを与え続けている。

 

 口から流れ落ちた半透明の胃液、一筋の涎が、地面と口を繋いでいる。

 長く伸びる粘液質の筋を、私は手で拭き払うと、道の奥に向けて歩き出す。

 

 もう人を殺したくない。心がそう叫んでいるはずなのに、体は道の角にいる新たなターゲットに向けて進んでいる。

 

 リコリスになるために受けた教育、リコリス候補生として育てられた10年間の年月が、半強制的に私の体を動かしている。

 どれほど殺人を拒否しようと、どれだけ殺人を嫌悪しようと、排除目標を前にすれば体が反応する。私たちは、物心ついた時から10年をかけ、人を殺す機械になるよう育てられた。逃げ場のない孤児であるがゆえに、拒否することも出来ず、人を殺す道具になった。

 

 しかし、本当に拒否することはできなかったのだろうか。

 

 拒否する方法は、実はあった。

 自殺すればいいのだ。

 

 実際に、人を殺したくなかった優しい仲間たちは、リコリスになる前に自殺している。

 私と同じ電波塔孤児たちも、人殺しのリコリスになる前に、方法は違えど皆が自分で命を絶っている。

 

 私も自殺すればよかったのか、無能な電波塔孤児として生きることを選択せず、夜中のトイレで首を吊っていればよかったのか。

 

 そうすれば、ここまで苦しむことはなかったはずだ。そうすれば、今頃はあの世で家族と一緒に暮らせたはずだ。静かなあの世で、お母さんに絵本を読んでもらっているはずだ。

 

 意識が混乱する。足がもつれる。

 それでも、私は前に進む。七色の光に囲まれて、私は進む。

 

 ソーラーパネルの区画の角を曲がり、ヤクザたちが車を駐車している、胸壁が延びる細い路地に出る。

 三基の電波塔が投射する明りに照らされた3人のヤクザたち。その姿が、夜の輝きに陰影を強く残しながら私の目に入る。

 

 胸壁の上に座り、懐中電灯を点灯したまま夜の海を眺めている、サラリーマンのような背広姿の、ひょろ長い体格のインテリヤクザ。

 車の横でぼんやりと立つ、弛んだ上半身を露わにした、小太りな護衛モドキ。

 そして、車の中でふんぞり返る、小さな組に相応しい小さな度量の、態度だけは尊大な組長。

 車は前方を奥に向けて停まっているため、車内にいる組長ヤクザは後頭部しか見えないが、残り二人のヤクザの顔は、はっきりと私の目に映った。

 

 人着、2名確認。これより排除する。

 吐き気を堪えながら、私は彼らに近づく。

 

 驚いたことに、路の真ん中を歩く私に対して、ヤクザたちは誰も視線を向けてこない。護衛役の小太りヤクザですら、阿呆のような面を夜空に向け、阿呆のようにたたずんでいる。

 本当に阿呆だ。護衛役が、周囲を見ずにどこを見ているのだ。車のアイドリング音や波の音が、偵察用ドローンの飛翔音にでも聞こえているのか。任務中に星の数を数えている護衛など、世界中を探してもお前だけだ。

 

 私は、背負ったサッシェルバッグから、拳銃を取り出す。グロック36、シリーズの中では軽量な部類に入る、装弾数6発の、私の愛銃(タッパーウェア)

 初弾は既に装填済み。手動安全装置(マニュアルセーフティー)のないグロックは、後は引き金を引くだけで発砲可能だ。ファイヤーパワーは少し頼りないが、素人ヤクザ3人ならば、6発で事足りる。万が一の時は、予備弾倉も持参している。問題はない。

 

 グロックを構えようとしたとき、また吐き気が襲う。耐え切れない、耐えようとしても、耐えられない。立ったまま、また吐いてしまう。

 

 右手に構えた拳銃を下ろし、左手で腹を押さえ、私は吐く。立ったまま吐く。

 ガマガエルの鳴き声のような音を胃の奥から出しながら、何度も嘔吐する。

 

 ガマガエルの鳴き声。5月の夜、諸咲近辺の田んぼで聞いた鳴き声。風待先輩と二人で聞いた、変な鳴き声。

 

―ガマガエルってさ、天使の名前でありそうだよね。

 

 意識が朦朧としている。5月の散歩中に駄弁った、風待先輩とのどうでもいい会話に出てきた、風待先輩の心底どうでもいい言葉を思い出す。こんな時に思い出す。なんでこんな時に。邪魔しないでください風待先輩!

 

 やがて、胃液も妄想も吐きつくす。口のなかに残った胃液を吐き捨て、私は前を見る。

 二人のヤクザの目と、私の目が交差する。二人の目が、私を見ている。

 

 驚いた顔だ。呆然とした顔だ。

 当たり前だ、見張りがいるはずの角から、突然拳銃を持った少女がふらふらと出てきたのだ。そして自分たちの目の前で突然ゲロを吐いたのだ。訳が分からないことだろう、本当に意味不明だろう。

 

 まあ世の中というのは、意味不明なことばかりだ。私自身も、なんでリコリスになり、人を殺す任務に就いているのか、いまだに訳が分からないのだ。

 

 コンクリートの頑丈そうな胸壁に座るインテリヤクザは、長い顔に付属した長細い目を大きく見開いて、私を見ている。驚いた表情が、顔面の上で固まっている。

 知恵者というのは、予想外のことが起こると固まってしまうものだ。何かのきっかけで再起動しなければ、しばらくそのまま動くことはないだろう。

 

 単純な頭をした、丸顔の護衛役ヤクザは、私を見て何か叫んでいる。活舌が悪く、何を言っているのかは分からないが、威嚇しているということだけは十分わかる。

 実際に、意味のあることは叫んでいないのだろう。威嚇している、脅している、それだけが相手に伝わればいい、そう考えているのだろう。

 

 恫喝の手段としての罵声。善良な一般人相手なら、かなり有効な手段だ。

 

 しかし、今夜のこのシチュエーションでは、何の効果もない。相手が殺意を持ち、相手が武器を持っている場合、単なる声による威嚇など、何の意味もない。

 普通の護衛ならば、無駄な脅迫などせずに、即座にズボンに挿している拳銃に手をかけるだろう。優秀な護衛なら、即座に銃を抜き、警告代わりに私の足元目がけて発砲の一つもするだろう。いや、手に武器を持ったリコリスが眼前に現れているのだ、プロならば、直接発砲も辞さないはずだ。 

 

 先ほどまで楽し気に弄んでいた拳銃を握らずに、自分たちが得意とする威嚇と恫喝で追い払おうとする護衛ヤクザ。状況に合った手段を選択する頭脳がない、無能な護衛役。

 無人の周囲に響く大声で、山猿のような絶叫を放ち続ける護衛ヤクザ。私をか弱い少女と見くびっているのだろう、聞き取りにくい濁声をリスニングしてみると、ほぼ意味のない叫び声の中に、暴力的かつ女性を貶めるような単語がふんだんに盛り込まれているのが聞き取れる。

 今まで、このような罵声で弱者を脅していたのだろう。職場や役場の窓口で、このような大声でクレームをつけてきたのだろう。

 

 おまえのような奴が一人でも減れば、それだけ社会は静かになる。

 おまえがこれまで気持ちよく叫んでいられたのは、皆が優しかったからだ、配慮してくれていたからだ。

 

 リコリスは犯罪者に優しくはしない、DAは犯罪者に配慮はしない。

 

 だから、死ね。

 

 電波塔が非難の声をあげる中、私はグロックをヤクザに向ける。

 サイレンサーは装着しない。周囲に人はいないのは先ほど確認しているし、もしいたとしても、聞いていないふりをしてくれるはずだ。この国の人たちは、皆がその程度の賢さを有している。

 

 銃口を向けられるとは思ってもいなかったようだ。威勢よく迸っていた、獰猛な獣のようなヤクザの声が、消音ボタンをクリックしたかのように止まる。口を開いたまま、腫れぼったい目が見開かれる。

 凶悪そうな見かけをしていても、しょせんはヤクザだ。目の前の相手が、殺しを選択することができる相手だと知ると、途端に怖気づく。殴る度胸はあっても、殴られる度胸のない、腐りきった性根。

 

 撃ってはダメだと、心の奥で私が泣いている。光が届かないほど深い部分で、リコリスになる前の私が泣いている。心とは、胃の部分にあるのだろうか、罪悪感と後悔に喘ぐ私の内臓が、胃を中心にして引き攣れるように痛む。

 リコリスになる前の私。私の良心。その姿は、まだ2歳か3歳のころの姿。目一杯おめかしをして、お気に入りの絵本を抱いている、可愛らしい姿。家族で電波塔に遊びに行った日の姿、私がまだ私であった頃の、幸せな姿。

 

 あの頃の私は、幸せだった。優しい家族がいて、明るい未来があって、世界は輝いていた。

 その頃の私が、泣いている。泣きながら、訴える。

 

 人を殺してはダメだ。人の生命を軽んじてはダメだ。ヤクザにも人生はある、その人生を揶揄し、嘲笑してはダメだ。無為なものと決めつけ、殺す理由にしてはダメだ。どれほど悪い人でも、殺していいなんて思ったらダメだ。幼児の形をした良心が、見た目に合わない理路整然とした正論で、私の行為を止めさせようと絶叫しながら訴える。

 

 しかし、私の表層意識は、奥底から湧き出る訴えを無視している。DAの本部生としての精神教育が、DA直属訓練生としての技能教育が、そしてリコリス候補生としての洗脳教育が、幼い姿をとって現れた私の本心を暗闇に蹴りとばし、私の体を支配する。

 

 まだふらつく両足を大股に開き、少し腰を落とし気味にして重心を定める。 

 三基の電波塔が激しく輝くと同時に、私は、口を開けたまま立ちすくむヤクザの顔面に銃口を向け、グロックの引き金を引いた。

 

 

 生きた人間を撃つのは初めてだったが、引き金を引く私の指の動きは、機械のように滑らかだったのが、自分でも意外だった。

 

 

 

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