生涯グロック21しか握ることのない分校リコリスとは違い、私たち本部リコリスは、多種多様な銃火器を扱うことができるよう訓練されている。
敵の持つ銃火器を奪って戦えるよう、敵の持つ銃火器の性能を肌で覚えるよう、DAが世界中からかき集めたありとあらゆる銃を使い、各武器の射撃や分解清掃を学んでいる。
射撃訓練に使用した武器の数は、武器名を書き並べるだけで小さなノートが埋まるほど多い。例えば旧軍の拳銃ならば、ルフォーショーの一番型蟹目拳銃や二番型中折拳銃から始まる正式拳銃の系譜だけではなく、濱田杉浦稲垣日野小室、北支十九式など様々な種類の拳銃を実際に撃っている。試製甲号拳銃といった、どうやって入手したのか想像もつかない銃すらも、実際に試し打ちしている。
任務に必要な知識や経験としてはあまり意味のない、どちらかといえば趣味の範疇でしかないオールドガンだけでも、これだけの数を手にしているのだ、現用拳銃に至っては、私たち本部卒は現在流通しているすべての種類に触れていると言っても過言ではない。
多くの種類のグリップを握った手、多くの形式の引き金を引いた指が、グロックという拳銃の個性を感じている。普通の拳銃とは違う、グロックのトリガータッチの特徴的な感覚を、わずかな触感の差として指先に伝えている。
指の皮膚が、引き金と一緒に引かれるトリガーセイフティーの微妙な引き具合の差を感じる。
指の筋肉が、トリガーを絞っている途中で、内部セイフティーが外れる僅かな抵抗を感じる。
指の骨格が、途中までは滑らかなストライカーの重さと、途中から突然発する衝撃を感じる。
訓練中に、標的相手に何百発何千発も撃ってきた引き金の感触。もはや体が覚えた、グロック独特の感触。
私はこれからも、この拳銃の引き金を引くのだろう。
生きた人間に銃口を向けて、引き金を引くのだろう。
グロックには、外部から手で動かす安全装置はない。安全装置は全て、銃の中に組み込まれている。
グリップフレームが樹脂で作られたポリマーオートのためか、引き金を絞ると同時に解除される安全装置の存在は、トリガーフィーリングの一部として手のひらで感じることができる。
この弾丸の目標は私の目の前、口を大きく開けて固まっている三下ヤクザ。距離は10メートル、外す方が難しいほどの近距離。
秒速260メートル。一直線に翔る金色の
口の中央を狙って撃ったはずだったが、わずかに上に逸れていたようだ。14.9グラムの弾丸は、丸顔のヤクザの口部の上側に着弾する。黄色く汚れた前歯が、無精髭の生えた上唇とともに、細かな破片となって夜空に飛び散るのが、リアサイト越しに見える。
口の中を通過し喉奥に命中した弾頭は、後頭部にめり込むと同時に
人間を効率よく破壊できる変形弾頭は、本部卒リコリスの基本武装だ。本部リコリスは、グロック21もクリスベクターも、すべて同じ弾頭がはめ込まれた弾薬を使用している。分校リコリスが使用する、鉛製の弾芯表面に銅を圧成したフルメタルジャケットは、私たち本部卒は一部の特殊な作戦以外には使わない。
少し前までは、バナナピール現象による内部破壊を狙い、先端に切れ込みを入れただけの弾頭を使っていたというDAの拳銃弾は、ここ最近急激に凶悪さを増したという。平和社会維持のため、毎年巨額の予算がつぎ込まれるDA研究部は、この小さな弾頭にも、多額の費用と最先端の技術を詰め込んでいる。
この弾丸に注ぎ込まれた科学の名は、
45口径ハイドロショック弾。すり鉢のように抉れた弾頭の先端に、小さな
最高の技術と最低の悪意が詰め込まれた弾丸。人体を破壊し、生命を奪うという目的のために、莫大な予算がつぎ込まれた小さな弾頭。
私が撃った銃弾、殺す意思を込めて撃った銃弾は、ヤクザの頸椎を破壊し、即死させる。痛みも感じない、撃たれたことにも気がつかない、文字通りの即死。おそらく彼は、自分が死んだことすら気がついていないだろう。
広く平たく変形した弾丸は、破壊した後頭部の骨組織と体組織を吹き飛ばしながら、勢いよく体外へ抜け出ていく。
もしこのヤクザを背後から観察している人間がいたならば、頭の後ろで小さな爆発があったかのように見えただろう。後ろに飛び散る脳幹や後頭骨の破片断片、後頭部に大きく開いた貫通孔も相まって、頭部に仕掛けられた小型爆弾が爆発したかのように見えたことだろう。
しかし、彼の派手な最期は、誰にも見られていなかったようだ。胸壁に座るインテリヤクザは、私の姿を見て固まったままだったし、車内にいる組長ヤクザは、今の銃声でやっと周囲の状況に気が付いたらしく、後部座席から背後を見ようと、必死に首を回している最中だ。
今まで暴力で注目を集めていた護衛役ヤクザ。彼の最期は、それよりも巨大な暴力、銃撃による死だった。そしてその死は、仲間のだれにも注目されないまま訪れた。残り二人のヤクザが、胸壁の上と車内の中から私を見つめる中で、口と後頭部を大きく開けた護衛役ヤクザは、弛んだ体を前後にゆっくり揺らしながら立ちすくんでいる。
延髄を撃ち抜いたので、まだ体は死んだことに気が付いていないのかもしれない。機能が停止した頭を上に乗せたまま、しばらくぶらぶらしていたヤクザだったが、やがてバランスを崩すと、のけ反るような姿勢で背後に崩れ落ちる。
支えを失った頭の大穴から血を噴き出しながら、乾いた地面に倒れるヤクザの死体。硬い地面と硬い後頭部がぶつかった割には、その音は小さかった。特殊弾頭が開けた大穴が中身を掻きだしたので、頭が軽くなっていたのか。それとも元々、大して頭の中身が詰まっていなかったのか。
護衛役ヤクザが倒れる音に重なるように、神経質そうな男の悲鳴が浜辺に響く。胸壁の上で呆然と私を見ていたインテリヤクザが、発砲音によって我に返ったようだ。
点灯したままの懐中電灯を浜辺に投げ捨て、逃走体勢に入るインテリヤクザ。胸壁から降りて逃げようと、慌てて手足をバタつかせているのだが、その動きは緩慢だ。どうやら頭の回転が速い分、体の動きは鈍いらしい。
しかし、ズボンに差し込んだ拳銃に頼ることなく、すぐに逃走を選択したのは、さすが組一番の知恵者である。ろくに訓練もしていない素人ヤクザの射撃など滅多に当たるものではないし、走って逃げるという手段は、最も完成された護身でもある。たとえ相手が拳銃を手にしていたとしても、逃走しながら遮蔽物や夜の闇に紛れてしまえば、その場で抵抗するより命の危険は少なくなるのだ。
最初の選択は正解だったインテリヤクザ。しかし彼は、次の選択でミスをしてしまう。
次の選択問題は、胸壁から降りる場所。海岸側に降りるか、作業路側に降りるかの二択問題。
海岸側に降りれば私の弾丸からは身を守れるが、胸壁から真下の礫浜まではかなりの高さがある。
通路側に降りれば私の弾丸が襲ってくる危険はあるが、即座に逃走する体勢に移ることができる。
どちらを選んでも、一長一短ある二択問題。しかし彼は、その二つ以外の選択をしてしまう。
ほんの数秒間だけなのだが、どちらに降りるのが正解なのか、胸壁の上で考え込んでしまったのだ。
たとえ数秒とはいえ、ターゲットが固まってくれるのは、撃ってくださいと私に言っているようなものだ。
常に考え、常に完璧な正解を模索する几帳面な性格が、裏目に出てしまったようだ。彼は今、ただの動かぬ標的になっている、ただの生きた標的になっている。
ここは頭を使わずに、瞬時の判断で決断するのが正解だった。どちらの側に降りようが、即断さえすれば両方とも正解だったのだ。それ以外の解答は、すべて禁忌肢だったのだ。
なまじ頭が良いばかりに、人生の最後の最後で
首を忙しく振って、海岸と通路を何度も何度も見渡した末に、通路側から逃げることを決断したインテリヤクザ。その数秒間の間に、私は彼の頭を、フロントサイトとリアサイトの中心にとらえる。
痩せた長身を不格好に翻し、胸壁から飛び降りるヤクザ。着地する直前、私の方を振り向いた瞬間を狙い、グロックの引き金を引く。
暗い空間に再び閃くマズルフラッシュ。この一瞬だけは、電波塔の光りもかき消える。鮮烈な朝暉に吹き飛ばされる、蒙昧の夢魔たちのように消滅する。
幻覚も幻想も打ち砕く正気の弾丸は、インテリヤクザの眉間に着弾する。私から見て右側に向け跳んでいたところを撃ったため、眉間中心から少しだけ左側にズレた場所に命中する。
前頭骨を貫通した特殊弾頭は、ターゲットの脳内を粉砕しながら、蕾が大輪の花に変わるかのように変形する。頭蓋骨の中で拡張した弾頭は、直進するための運動エネルギーを人体の破壊のための力に振り分ける。
DA謹製のハイドラショック弾は、内部破壊力だけでなく貫通力も優れている。ヤクザの大脳全てを液状になるまで攪拌した弾丸は、勢いを落とすことなく頭の後ろから抜け出る。変形した弾頭は、ヤクザの後頭骨を吹き飛ばし、硬質な高笑いとともに夜の先に消えていく。
飛び出た弾丸を追うかのように、かつてインテリヤクザの脳内にあったものが、一直線に噴き上がる。かつて脳みそだった、白と赤の液体。かつて頭蓋骨だった、白色と灰色の欠片。心の座、魂の座を周辺にまき散らしながら、衝撃で半回転するインテリヤクザ。
疲れた人間が布団に倒れ込むときのように、白い地面にうつ伏せに倒れるインテリヤクザ。脳髄を噴出させた後頭部の空洞が、電波塔の光に照らされる。
私は数歩、前に進む。次の相手、最後の相手である、黒い車の後部座席に乗った組長ヤクザを殺すため、前に進む。
二発、撃った。
二人、殺した。
射殺は、絞殺より簡単だと思っていた。
直接接触しないから、気が楽だと思っていた。
実際は、違った。
グリップフレームを握る私の手を通して、死の感覚が伝わって来た。
トリガーを引く私の指を通して、敵の断末魔の感覚が伝わって来た。
照星と照門を通して見る私の視線の先に、恐怖に歪む表情が見えた。
吐き気が、する。
めまいが、する。
電波塔が、泣く。
うるさい。
海からそびえる電波塔に文句を言おうと、口を開く私。
しかし、喉から出たのは、声ではなくゲロだった。
慌てて下を向き、嘔吐する。
苦い胃液、風待先輩が作ってくれたお粥が混じった、白く半透明な胃液が、少しだけ地面に落ちる。
地面の先には、胸壁から落ちたばかりのインテリヤクザの死体。見たくないのに、視界に入ってしまった、私の新作。
背広を着てうつ伏せに横たわる死体。中身が全て吹き飛んだ後頭部は、夜の闇より深い大穴となり、無機質な頭蓋骨の内側を夏の澱んだ空気に晒している。
生前は様々な知識を詰め込んでいた脳髄は、今は液状になり地面にまき散らされている。かつてこの男は、地面に広範囲に散らばる脂質とタンパク質の塊で、何を考え、何を感じていたのだろうか。どのような過去を記憶し、どのような未来を思い描いていたのだろうか。
横たわる大人の男性、裂けた頭蓋骨。中身のない頭の穴。
どこかでみたような死体。
どこかでみたような光景。
最後のターゲット、車の中にいる組長ヤクザの挙動に注意していなければいけないのに、私の目は、すでに排除の終わったインテリヤクザの死体から離れることができない。
考えてはいけないのに、考えてしまう。別の事を、考えてしまう。
あれはいつの事だったか、私は考える。
私の脳内に、警告音が響く。電波塔から、警告音が鳴る。任務中だから当然だ。敵を前によそ見をするリコリスなど、この世にはいないだろう。
それでも、私は考えてしまう。過去に見た風景は何だったのか、考えてしまう。
警告音が、更に高くなる。
警告音は、二種類。敵から目を離すなという警告と、過去を思い出すなという警告。
思い出した、思い出してしまった。
この死体は、お父さんが死んだときの姿に似ているのだ。
電波塔の爆発に巻き込まれた、お父さん。
私をかばい、爆風を一身に浴びてしまったお父さん。
爆発時の破片を後頭部に受け、大きく割れてしまった頭蓋骨。優しかったお父さんの頭の中身は、スプリンクラーの水がすべて洗い流してしまった。
からっぽになったお父さんのあたま、からっぽになったインテリヤクザのあたま。
いや、これはインテリヤクザの死体ではない。お父さんの死体だ。
なんでお父さんの死体がここにあるんだろう。
だれがお父さんの死体をもってきたのだろう。
答えの代わりに、三基の電波塔が、私にスポットライトを浴びせる。
ああ、そうか。
電波塔が持ってきたのか。
私は納得する。
いや、違う! 納得するな! 不自然すぎる! 私の理性が警告する。
侵入症状だ! 警戒しろ! 心的外傷の再体験が始まってしまう、回避しろ! 私の理性が絶叫する。
なんでこんな時に! スイッチは入っていないのに! 私の理性が困惑する。
突然の侵入症状。しかし、私の心の奥のトラウマは、すでに露呈していたのだろう。なぜか海から生えていた電波塔。なぜか三本も生えていた電波塔。思い返せば、もうこの段階で侵入症状は発現していたのだろう。
発症のトリガーとなる、爆発音と雨の音。この二つが長時間重なることがなければ、侵入症状は発生しないと思っていた。
しかし、今夜は発症に至る引き金の感度が高かったようだ。少しだけ雨の音に似た礫浜の波音だけで、たった二発の射撃音だけで、思い出したくない過去の扉が開いてしまった。
原因は、ヤクザたちの死だろう。彼らを何人も殺したこと、平穏な浜辺に死をまき散らしたことが、私の心の奥底で、過去の電波塔での殺戮劇を想起させたのだろう。
一方的な殺害、一方的な殺戮。今夜の私は、あの日のテロリストたちと何ら変わらない。電波塔も生えるはずだ。電波塔も怒るはずだ。
私の横で倒れているお父さんの死体。私が撃った頭の大穴が、電波塔の明りに照らされる。
遠くに見えるのは、お母さんの姿。お兄ちゃんの体を抱えて、何かを探している。ソーラーパネルの下をのぞき込んで、何かを探している。
お母さんは、何か言っている。つないでください、つないでくださいと言っている。
なにをさがしているのだろう。なにをつなごうとしているのだろう。
世界が、歪んでいる。
時間も、歪んでいる。
ソーラーパネルの連なりは、いつしか商品棚の残骸に変わっている。電波塔の中のお土産屋さん、爆弾で壊されたお土産屋さんの、無残な姿。
波の音は、もう聞こえない。
聞こえるのは、散水を終えたスプリンクラーから、わずかに滴る水の音。
海のにおいは、もうしない。
周囲に広がるのは、セムテックスと硝安油剤、そして人体の焼ける臭い。
世界が、変わっていく。
時間が、逆流していく。
フラッシュバック、過去の出来事が再び起こっているように感じる解離症状。
こんなときに、なぜこんなときに、と私の心が焦る。
しかし、私の心には、今の状況を喜んでいる私もいる。
もう、人を殺さなくていい。
何度もゲロを吐くような辛い現実から、逃げることができた。
今度こそ、絵本を探しに行こう。絵本を探して、過去に帰ろう。
さて、どうしようか、私は考える。
はて、どうしようか、私はその場に立ちすくむ。
混濁した意識下では、なかなか思考がまとまらない。
とりあえず、お母さんのところに行こう。そう考えて、一歩足を踏み出したその時。
左こめかみに、衝撃が走った。
視界が回転する。夜空と地面が交互に回り、地面に激突する。
脳が揺れる衝撃と激痛、思わず叫んだ口から、胃液が漏れる。
右手に握った拳銃が私の手を離れる。宙を舞う
何か固いもの、おそらくは銃の
顎を引き、曲げた後ろ足から尻、背中の順で倒れ、後頭部が地面に接触するのを回避する。DAで習い覚えた受け身技、無意識のうちに体が動くほど反復練習した体術が私の頭部を守ったが、意識が半分過去に向かっていた私の体でできた動作は、それが限界だった。
普段なら、転がるように後方に体を移動させ、その勢いで起き上がり反撃するのだが、今の私にできることは、地面に打ち付けられた背中の痛みに耐えることだけだった。
背負ったサッシェルバッグの中の備品が、肩甲骨や肋骨、背骨に食い込む。激痛で、呼吸ができない。
胸部が数回痙攣した後、やっと横隔膜が動くようになる。息を吸い込もうとしたその時、私の脇腹に誰かの靴先がめり込む。
砂埃を巻き上げ、地面を転がるように一回転。再び呼吸ができなくなった私は、涙で霞む目を見開き、上を見る。蹴った相手を確かめる。
私の視界に入ってきたのは、ヤクザの組長の姿。
そいつは、倒れている私の横で、拳銃を構えて立っていた。
実際に拳銃を撃ったことがあるのだろう。両手でM649を握り、私の額に照準を合わせている組長ヤクザ。一部の隙も無い姿で立っているその姿は、地面から仰ぎ見る私の目には、一本の高く黒い塔のように見えた。