モブリコ辺境暦   作:杖雪

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9月にいろいろ考えた ⑦

 

 あれは今思い出してもひどい任務だったな、と私は半月前の弐豊町の事件を思い出す。

 

 任務自体は成功した、まあ成功したのだが、いろいろと傷ついた私は、泣きながら諸咲の下宿に戻った。

 泣いている私を、風待先輩は扉の外で優しく抱きしめてくれた。人を殺したら泣きなさい、叫びなさい。身を切り裂くような罪悪感が湧きあがってくるうちは、まだ人でいられるから、そう言いながら、力強く抱きしめてくれた。

 

 泣き始めた理由は少し違っていたけど、その時の私は、先輩の優しさに甘えた。子供のように泣く私の体を、先輩は掌を使って優しく洗ってくれた。涙が止まらない私の心を、先輩は体を使って優しく慰めてくれた。

 

 そのおかげか、私の精神は、翌日にはかなり安定した状態に戻っていた。まだ胸に黒く重い何かが居座っている状態だったが、それでも普通に目覚め、普通に巡回任務をこなし、普通にモブリコ寿司のネタ場に立った。心は暗かったが、外に出て行動することで、内にひしめく黒さと重さから一時的に目を背けることができる程度には回復していた。

 

 これから先、人を殺すという日常に、少しずつ慣れていくのだろう。人を殺した時の罪悪感は、自分が人でいる限りはこの先も湧き上がり心を痛めつけるのだろうが、その痛みを無理やりに抑え込む術がやがて身につくのだろう。心を抑え込んだまま笑うことができる術をやがて身につけるのだろう。

 

 いつかは身につくのだろう。いつかは身についてしまうのだろう。いつごろなのかな。

 

 まだ気持ちが半分寝ている。思考が堂々巡りを始めている。このままだと、再び夢の世界に入っていきそうだ。朝のうたた寝、幻の中に現実の思考が入り混じる、浅い夢の世界が訪れてきそうだ。

 

 時間は6時15分、起床時間までは残り15分。私は布団の上で寝返りをうつ。

 軽く寝汗をかいたようだ。むき出しになった肌が薄く湿っている。早く起きて着替えれば、この不快感から逃れることができると知りつつ、私の身体は怠惰の枷によって布団に縛り付けられている。起床予定時間までは、この枷を外すことはできないだろう。

 

 掃き出し窓にかかるカーテンが、薄く光っている。外はもう朝なのだ。カーテンの底の光り具合を見ると、今朝の諸咲は、曇天らしい。

 掃き出し窓の枠が、カタカタと鳴っている。ガラス窓の鳴り具合を見ると、今朝の諸咲は、風が強いらしい。

 

 先輩のいるDA本部は、どのような天気なのだろうかと、私はぼんやりと考える。先輩は、今頃何をしているのだろうか。今日先輩は、どのような一日を過ごすのだろうか。

 

 近くにいても、遠くにいても、私は常に風待先輩のことばかり考えている。今日も一日、私は先輩のことを考えながら過ごすのだろう。先輩の声も聴けず、先輩の体に触れることもできず、先輩の肌の匂いを嗅ぐこともできないことに悶々としながら、一日を過ごすのだろう。

 

 そして風待先輩も、今日一日私のことを考えてくれているのだろう。過保護な先輩は、一人諸咲に残った私のことを心配しながら、一日を過ごすのだろう。

 

 もう人殺しの経験も済ませ、諸咲支部やモブリコ寿司を運営する知識も身につけている私を、先輩はいまだ新人であるかのような目で見ている。心配し過ぎている。

 

 今年で三年目のベテランリコリスである先輩から見れば、赴任半年目の私など、新人が少し知恵と経験をつけた程度の、いまだ危うい初心者に見えるのだろう、心配なのだろう。しかしそれにしては、過保護すぎだと思う。

 

 弐豊町の事件の後、所用で名古屋支部本館に行った先輩は、そこで私が無事に任務を終了できていたかどうか、DAが私にどのような評価をしていたか、こっそりと名古屋支部の臥観手ルミナ先輩に聞いたらしい。過保護すぎる先輩だ。

 

 かつての諸咲支部員、現名古屋支部長である臥観手ルミナ先輩は、忙しい身であるにもかかわらず、風待先輩の頼み事を断ることなく、持てる限りのツテを使い本部の噂話を入手し、その場でDAの内部情報を教えてくれたらしい。過保護すぎる大先輩だ。

 

 前諸咲支部長、冠典ゼリィ先輩の薫陶を受けた臥観手先輩と風待先輩、共に暮らした期間こそないが、難物で珍妙な前支部長のお守をしていたという仲間意識からか、その結びつきは私が思っているよりもはるかに強いようだ。おかげで私は、末端リコリスが本来ならば知ることのできない、任務終了後の状況を、ある程度知ることができた。

 

 もっとも、知らなかった方が良かったかもしれない。

 

 弐豊町の住宅に乗り込んで、そこのご主人を猟銃で撃ったチンピラども。私はそいつらが持っていた猟銃を奪い、彼ら三人の顔面に散弾を撃ち込んで殺害した。

 DAの介入を悟らせない隠蔽工作、仲間同士の殺し合いに見せかけるために、彼らが持参した猟銃を使用したわけだが、チルド散弾による射殺は、あまりにも見た目がエグすぎた。報告書に添付する画像を撮った時、自分でもドン引きしたほどの、射殺死体、惨殺風景。

 

 それは通信役の事務方が、なんでここまでしたの? ひどすぎるよ! という私見を一次報告書受取文の末尾に思わず書いてしまったほどの、酷い画像だった。こんな画像を見せられた事務方も、災難だっただろう。本当にごめんなさい。

 

 ルミナ先輩が風待先輩に伝えた情報によると、その後DA本部では、私のことをこう呼んでいるらしい。諸咲の霰弾乱殺者と。

 ひどいあだ名だ、ひどすぎるあだ名だ。私は後に警察大臣になるだろう、只今は勉強中なのだろう、いずれスギナ革命暦が未完のまま上下巻で出版されるだろう。

 

 その他にも、DA本部内で飛び交った私の噂を、風待先輩は逐一私に教えてくれた。

 それらのほとんどは、私の残虐超人っぷりを、根も葉もない想像で飾り立てただけの、七十五日で忘れ去られる程度の他愛もない無駄話の類であったが、その中に一つだけ、気になる話があった。

 

 リビング内でチンピラたちと対峙した時、その場に居合わせた女性がいた。彼女はこの家の若奥様であり、チンピラ達を招き入れてしまった張本人であり、優しい旦那様を殺されてしまった被害者であった。

 彼女は、チンピラによって旦那様が殺されるところを目の当たりにし、直後に部屋に上がり込んだ私がチンピラ達を射殺するのを目撃し、そのあまりの悲惨さに途中で気絶してしまっている。

 

 その後警察に保護され、救急車で搬送された彼女は、目が覚めてからしばらくの間、酷い錯乱状態に陥っていたそうだ。

 現在も入院中だが、状態は回復に向かっているという悲劇の奥様。しかし私は彼女の病状よりも、錯乱中に喚いていた言葉が強く気になっていた。

 

 彼女は、見たという。

 

 旦那が殺されてから、しばらく呆然としていた彼女は、玄関から大勢の人影が入ってくるのを見たらしい。

 いや、それは人影ではなく、黒い人間たちだったという。真っ黒な人間たち。人型に切り取った闇のようだったという。

 

 たくさんの黒い人。たくさんの真っ黒い頭が、リビングにいた生者を睨み付けていたらしい。

 真っ黒な顔には、光って見える二つの白目。すべてが黒い中、目だけが白く輝いていたそうだ。黒目はなく、白目だけだったそうだ。

 

 そいつらが、リビング内に大挙して入って来た。黒い人間たちに相応しい暗い衝動をもってチンピラたちを虐殺した。そのようなことを彼女は病院の一室で叫んでいたという。

 

 一時的に正気を失っていた奥様の、常軌を逸した妄想。病院の医師もDAの職員も風待先輩も、そう思っているだろう。今は奥様本人すらも、狂乱の末に見た幻覚だと思っているだろう。

 

 しかし、私にはわかる。彼女が見た光景は、ただの妄想ではない。

 

 8月のあの日、初めて人を殺した日、私も見ているのだ。たくさんの黒い頭を見ているのだ。黒い頭に光る白い目が、私を見ていたのだ。

 

 絢爛豪華たる電波塔の、閃電紫電の灯下に蹲踞していた、黒い頭たち。これらもまた、電波塔の幻と一緒に、私についてきたのだろうか、今もついてきているのだろうか。

 常に私の前に姿を現している電波塔と異なり、黒い頭たちは常に私の背後にいるのかもしれない。気持ち悪い。気持ち悪いが、なぜか怖くはない。逆に親近感を覚えるのは、何故だろうか。

 

 また出てくるのかな、また出てこないかな。そのようなことを延々と考えているうちに、時計は6時半を指す。起床時間だ。

 

 布団の上で、私は大きく背伸びをする。背伸びをしたまま、水揚げされたばかりのクルマエビのモノマネをする。横たわったままの全身を大きく波打たせ、布団の上で跳ねる大技。長の惰眠によって弛緩していた全身の筋肉が、適度な運動によって心地よく引き締まっていく。

 

 ここ最近、カニ系のモノマネを極めた私が、次のステージに進むべく選んだ、エビのモノマネ。特にこのクルマエビのモノマネは、私の自信作だ。これから秋の旬を迎える諸咲のクルマエビ、常に旬である私の9月のニューモード、いずれはモブリコ寿司でもご披露することになるであろう。

 

 今は風待先輩にしか見せていないが、評価は上々だ。表情がエビによく似ていると、お褒めの言葉を預かっている。

 

 人間の尊厳を捨て、しばらくエビになりきっていた私。エビフライやエビせんべい、エビの握りにエビの天ぷら、ありとあらゆるエビの生涯を余すところなく布団の上で表現していた私だが 数分で飽きてきたので、おもむろに起床する。私は人間だ、人としての品格を捨ててまでエビになってどうする、そう呟きながら起き上がる。

 

 やはり一人でやるモノマネは、つまらない。今度名古屋支部に行ったら、その辺にいる分校リコリスを無理やり路地裏に連れ込んで、たっぷりと見せつけてやるか。分校連中と円満な関係を築きたい優しい私は、そのようなことを考えながら部屋のカーテンを開ける。

 

 空は灰色だ、灰色の曇り雲だ。夏の名残を多分に宿した9月の空は、重い灰色によって塗られている。

 空が低く見える。雲が重いのだ。重い雲、重い灰色を含んだ重い天蓋が、自らの重さに耐えられず、地上に迫っているのだ。

 海が黒く見える。伊勢の海原を眩いばかりに輝かせるはずの朝陽が、朝の厚い雲によって遮られているのだ。

 

 風が強い。重い雲がどんどんと流れていく。部屋の窓をどんどんと鳴らしている。

 

 遠く太平洋から吹く風に身を悶えさせながらも、一向にかさの減らない暗い雲。空の果てから、どこまでも続く雲の列、海の果てから、どこまでも続く波の列。

 

 私は、ベランダに続く掃き出し窓を大きく開ける。

 

 薄白色の化繊糸を縦横に編んだ網戸を擦りぬけ、風が部屋に入る。強い風だ。思った通りの強い風だ。

 

 多量の湿気と、海の匂いを含んだ生暖かい風が、私の立つ畳部屋の中で一回転する。

 入ってきたのは、風だけではない。普段より強く鳴り響いている波の音も、風音に負けじと私の部屋に入り込む。室内に発生した風の渦によって換気扇が空回りする音、トイレの扉が細かく鳴る音、壁に吊るした制服がはためく音、様々な音が波音と競り合うかのように歌いだす。出だしも合わない、ピッチも合わない、音階も合わない、しかしそれでいて楽し気な音。新人同士のユニゾンのような、乱雑な中からいずれ調和が芽生えてきそうな、期待感のある音たち。私はしばらくの間、部屋の中から聞こえる基礎音楽演習を聞きながら、網戸越しに見える黒い海の果てを見つめていた。

 

 今日の海岸線は、黒色と灰色が混ざり濁り、霞んで見える。晴れた日にはよく見える三重の街並み山並みは、今朝は遠い世界に沈んでいる。

 

 混濁の果てから吹くのは、ただ風、澱み湿った風だけだ。

 その果ての果てのはるか先の太平洋上には、台風がある。今年一番の巨大な台風が、鈍重な足取りで日本に近づいて来ているという。

 

 現在の予報では、本州に上陸するのは、明日の夕方あたりだという。現在の予想進路は、三重南部を抜けて智多に上陸するという。予報進路の中心線は、諸咲の下宿の直上を通っているという。ありていにいうと、直撃というやつだ。ツイていない。日頃の行いが悪いのか。まあ悪いのだろう、日頃から人を殺しているようなリコリスに、ツキなど来ないのだろう。

 

 せめてものツキ、不幸中の幸いなのは、雨が降るのは今日の夕方ごろからという気象予報だ。諸咲リコリスとしての今日の任務、朝のトレーニングや午前午後の巡回を、雨空の下で行わないだけでも、今の私にはありがたい。先輩のいない寂しさに加え、単身雨に濡れながら支部内を歩く寂しさが重なってしまったら、繊細な私の心は到底耐えられないだろう。

 

 DAの天気予報通り、しばらく雨は降らないようだ。しかし、風は強い。下着姿の私の肌を弄りはするが、一向に寝汗の引かない湿気の多い風。台風前独特の重苦しい風に飽いた私は、そっとガラス窓を閉める。これ以上この風に部屋を晒すと、米びつの中のコメや引き出しの中の乾物やお菓子、居間に置いている図書館で借りた図鑑などが湿気てしまうように思えたのだ。

 

 とりあえず部屋の換気はできた。少しだけ海の香りが強くなってしまったが、部屋に充満していた私の身体のにおいは外に追いやった。押し入れに布団をしまい、洗面と歯磨きを終えた私は、部屋の中で軽く柔軟体操をすると、タンスから夏用のトレーニングウエアを出す。

 

 白色のシャツに紺色のショートパンツの、DA指定の夏用運動着。肌への密着具合が異なるだけで、普段の部屋着とそう変わらない、露出度の多い運動着。腕や脚が剥き出しになりすぎな気もするが、少し動くだけで体に熱が籠り汗が出るこの季節、運動中はできるだけ肌を開放したほうが良い。

 

 寝起きのため、まだ体の芯が熱い、寝汗もかいている。まずはシャワーを浴びようかなと寸時考えたが、そのまま着替える方を選択する。どうせ今日は一人なのだ。どうせ運動すれば汗をかくのだ。シャワーはランニングの後にしようと横着な段取りをつけ、私はシャツに腕を通す。

 

 4月の赴任時にに支給されたDA指定の運動着は、ここ最近私の身体には合わなくなっている。それでもなんとか腕や脚を通し終えた私は、外に出る前に冷蔵庫から麦茶の入ったポットを出し、コップに多めに注ぐ。冷えた麦茶が胃の中に入っていく感触を楽しみながら、ゆっくりと朝の一杯を飲む。

 麦茶ポットとコップを持ちながら、台所に立つ私の姿が、玄関脇に置かれた鏡に映っている。身だしなみチェック用に置かれた鏡の中の私と、実存する私の視線が交差する。

 

 調理台の上にポットとコップを置くと、私は何気なく鏡の前に近づく。外出前に全身の身だしなみを確認するための、細く長い姿見。台所の真横にある狭い玄関脇に備え付けられた古い鏡の前に立ち、今の自分を、9月の筑詩スギナを観察する。波音と風音が響く、光量の少ない朝、停滞した空気漂う田舎の下宿の一室で、私は私を確認する。私は私と見つめ合う。

 

 扉の上の彩光窓から降る曇天の朝光が、私の身体に陰影を付ける。先ほど窓を開けた時に噴いた風によって浮遊した、玄関先の僅かな埃が薄い光を反射し、私の周囲を小さな輝きで飾るかのように舞い踊っている。

 

 私の身体は、この半年で大きく変化している。赴任時に来ていた制服が着れなくなるほど、背が伸びている。

 

―あなたたちはまだ成長期なのだから、任地で制服の丈が合わなくなってきたらすぐに交換するように。あなたたちが着ている本部リコリスの制服は、今の背丈と体格に合うように採寸された一品物です。いままでは成長するごとに本部の被服製作班(サルトリア)がすぐ交換してくれましたが、赴任後はそうはいきません。これからしばらくの間、1年か2年ほどは、毎日自分の成長と体形の変化をきちんと観察しながら、早めに採寸の予約を心掛けるように。特に地方支部に行く本部生は、クチュリエが常駐する大支部に行く機会があれば、その都度採寸と交換をお願いしなさい。大変でしょうが、身体の形にフィットしない服を着ていることほど見苦しいものはありません。あなたたちは栄誉ある本部リコリスなのです。分校生たちの範となるよう、身だしなみは常に整え、制服姿は常に美と共にあるように、日々心掛けなさい― DAの本部候補生課程を卒業し各地の支部に赴任する私たちに、生活担当の指導官が言っていた言葉を、私は鏡の前で思い出す。

 

 その時は、候補生課程を卒業し施設の外へ出て行く不安感と、知らない世界に赴任するということへの高揚感に心が翻弄されていたため、記憶の隅に留めておいただけで済ませていたこの言葉を、私は諸咲に着任して以来幾度も思い返している。

 

 DAで暮らしていた頃は、衣類は組織が勝手に与えてくれるものだった。生活班、教育班の大人たちが、日々成長していく私たち候補生に似合った衣服を、常に準備してくれていた。

 今は違う、日常の衣類は各自購入しなくてはならないし、制服は成長するごとに申請し交換してもらわなければならないのだ。

 

 私の身体は、まだ成長を続けている。壊れかけの兆候を見せている心とは裏腹に、体は健やかに伸び続けている。

 特に最近は、身長の伸びと体の変化が著しい。諸咲の水がやっとなじんできたのか、4月5月はさほど変化のなかった背と体が、その遅れを取り戻そうとするかのように、この夏の間で変わり始めてきたのだ。

 

 8月と9月の二回、私は名古屋支部で制服を交換してもらった。

 本部卒リコリスの制服交換とは、ただ背丈に合わせた新服に作り替えるということではない。制服の個別パーツや全体のディテールを、各自の年齢や成長した外見に合うよう細かく再調整し、無個性の制服に個別の美を与える芸術的領域の作業だという。確かに新しく仕立ててくれた制服は、少し大人びた雰囲気、風待先輩や名古屋支部で見た先輩リコリスたちと同じような、上級生のような空気が縫い込まれているように感じた。たった半年ではあるが、私も着実に成長しているという実感が湧いて、少しだけ誇らしげな気分になったものだ。

 

 交換するのは制服だけではない。制服の下に着るブラウスも、交換の際には古い制服とともにすべて提出している。そして新しい制服とともに、制服に似合った新しいデザインのブラウスを受け取っている。

 かつて私が着ていたブラウスは、襟の剣先が丸まっている、可愛らしい雰囲気のラウンドカラーだったが、今支給されているブラウスは、風待先輩のブラウスに近い、バリモア寄りのレギュラーカラーだ。このブラウスを着て、その上に再調整された制服を着ると、スタイルもフェイスラインも引き締まった感じに見える。新人から脱却した、新進気鋭の若手リコリスに見える。デザインというのは、本当に素晴らしく、そして恐ろしいものだと思う。

 

 身長も伸び、少しだけ見栄えもよくなった私。風待先輩の評価も上々だが、それでもほんの少しだけ、昔の私に未練もあるらしい。先輩はたまに、これ以上身長が高くならないように、座っている私の頭頂部を指先でぐりぐりするのだ。結構本気でぐりぐりするのだ。

 身長が高い部下ばっかりだった冠典ゼリィ先輩の気持ちもわかるわ、と愚痴をこぼしながら、暑い夏の晩に冷たいビールをあおる先輩。しかしいずれは先輩の横に並び立つのにふさわしい、実力も背丈もあるリコリスになりたい私は、その愚痴を軽く受け流している。先輩も本気でそう言っていないことは、かすかに笑っている目元でわかるからだ。

 

 9月の初め、弐豊での事件後に交換してもらった制服。しかし、せっかく再デザインしていただいたこの制服も、来月あたりには返品になりそうだ。背丈が伸びたからではない、胸がきつくなってきたのだ。

 

 身長とともに、体の輪郭も少しずつ変化している。特に乳房は、毎日のように先輩に揉まれていたからだろうか、成長度合いが著しい気がする。春先にはまだ幼さの残っていた身体が、季節の移り変わりとともに人並みの少女の身体に変化しているという驚き、成長というものが内包する神秘性と、日々変化していく女体の精密さを、私は胸に手を置くたびに実感する。そして私の女性性が、風待先輩の日々の愛撫によって美しく磨かれ、綺麗に整えられていくことへの深い感謝と喜びを同時に感じている。この体は、風待先輩が作り上げてくれたものだ、風待先輩の愛が籠った体なのだ。

 もっとも、執拗に磨かれ過ぎて、いろいろ敏感な部分ができてしまったことは問題だと思うのだが。

 

 成長した私の身体。制服は毎月の小まめな交換で、私服は先輩のお下がりをもらったり、小まめに買い替えをしながらなんとかなっているが、問題が一つある。運動着だ。

 

 私たちが各赴任先でのトレーニング中に着る運動着もまた、制服と同じようにDAが一律指定している。各自の好みに合ったトレーニングウエアの購入を認めていないのは、日々の自主トレーニングもリコリスの重要な任務の一つであると位置付けているからだろう。任務であるならば、任務に相応しい統制された格好で。生活管理の厳しいDAならば、考えそうなことだ。

 

 DA指定とはいっても、特殊な生地で縫製された制服とは違い、普通にその辺で売っているような、普通の生地のショートパンツとランニングシャツである。わざわざ大支部まで直接交換に行かなくても、本部宛にメール一本送信すれば、今の背丈に合った運動着セット数着を、DA配下の配送業者が各地に届けてくれるので、自分で購入するより楽なくらいだ。

 

 しかし、楽に頼めるがゆえに、つい油断してしまった。

 もう9月も半ばだし、そろそろ朝とか気温下がるかもしれないから、夏物じゃなくて春秋用の運動着を頼んだ方がいいわよという風待先輩の言葉を信じた私は、何も考えずに、つい先日に長袖長ズボンの運動着を申請してしまったのだ。

 

 風待先輩に罪はない、私も間違えた選択とは思わない。あの時の私たちは、合理的考えに基づいて春秋用を選んだ。それだけの事だ。

 問題は、今年の残暑が長いということだけだ。未だ長袖に腕を通す気にはなれないということだけだ。

 

 おかげで私は、今日も夏用の運動着を着ている。成長前の私にはぴったりの、成長後の私には小さすぎる夏の運動着を、無理やり身につけている。

 

 少し恥ずかしい、この姿。

 ボディラインが水着のように出すぎている、お腹が数センチほど見えている。育った胸が強調されている。

 遠目ではあまり目立たないと思うが、姿見の前でじっくり観察すると、少しだけ、いやかなり恥ずかしい。

 

 昨日か一昨日か、私は朝のトレーニング前に、この姿をどのように思うか、風待先輩に問うたことがある。

 心配げな私に、先輩は親指を立てて、なにも問題はない、おかしくないと答えてくれた。

 とっても素晴らしい姿よ、写真撮りたいくらいだわ、今日一日この姿でかまわないわ! いえ、この姿でいなさい! と興奮気味に答えてくれた。

 

 先輩が問題ないというのなら、問題はないのだろう。しかしそれでも、気恥ずかしい。他人の目が、気になる。

 

 まあ、人気の少ないランニングコースを走るだけなのだから、人目は問題ないのだろう。出会うとすれば、アパートを出る時に、毎回なぜか同じタイミングでランニングに出る、角部屋の男二人くらいなものだ。

 

 そう言えば、最近あの少年二人は、私が運動着に着替えて外に出ていると、露骨に目を逸らせるようになった。

 夏用の運動着、薄手の生地によって強調された胸や四肢を露出した姿は、男どもには刺激が強すぎるのだろうか、あいつらは私の姿を視界に入れるたびに、大袈裟なまでに顔を逸らしている。

 

 顔を赤らめ、ぎこちない動きで私たちの横を通る少年たち。背の高い男二人が、身を縮こませるようにして立ち去る姿に、私は自分の身体が女として見られていることへの羞恥心と、その奥に微かに燈る熱のようなものを感じたものだ。

 

 その少年二人は、今朝は不在だ。昨日風待先輩と同じ時間にアパートを出発したまま、未だ帰ってこない。

 あの二人には、今日は会わないだろう、今日は会えないだろう。

 

 少年二人の顔を思い出した私は、姿見の前で苦笑する。

 

 まったく、男というのは度し難い。

 

 どうやらあの少年二人は、同性同士で愛し合っているにもかかわらず、異性の身体にも興味があるらしい。性欲が強すぎるというのも考えものだな。まったく恥知らずな連中どもめ。

 

 笑いとともに洩れた私の吐息が、浮遊を諦めた埃の欠片を再び宙に揺らし、朝日に反射する光の微粒子へと変化させた。

 

 

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