モブリコ辺境暦   作:杖雪

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4月 モブリコ寿司にようこそ ⑨

「風待先輩。座って下さい」

 

 有無を言わせぬ、まじめな表情でじっと風待の顔を見つめるスギナ。

 その真剣さに押されるかのように、風待はスギナの正面に正座する。

 

「えーと、なんでしょうかスギナさん?」

「私、本部では人見知りが激しいってよく言われました。実際、自分でもそういう性格だなって思っています。昨日まで本部の教育課程で過ごしてきましたが、仲間はできても親友はできませんでした」

 

 実力がすべてというDAの理念は、実習も座学も常に底辺を彷徨っていたスギナにとっては大きな負担だった。

 どれだけ努力しても成績が伸びない事への虚無感と、成長していく仲間たちへのコンプレックス。

 これらを無理に隠し通してきた彼女の心は、いつの間にか歪められ、内向的で人付き合いが苦手な性格へと変容していた。

 

「昨日の夜は全然寝られませんでした。明日から一緒に暮らすリコリスと打ち解けることができるのか、好きになることができるのか、友達になることができるのか。一緒に笑って、一緒にご飯食べて、一緒に戦って、そしてお互いに理解しあえることができるのか…わたし、そういうことがとても苦手で…いえ、苦手というか、仲良くなりたいんだけど、そうなれない性格というか。一緒に仲良く暮らしていける自信がなかったんです。二人なかよく生活するってイメージが、今の自分の性格を考えるとどうしても立ち上がってこなかったんです」

 

 話したいことが多すぎて、伝えたい感情が多すぎて、だんだんと一番話したい要件から離れていくような気がしてきたスギナ。

 

 さっきから寝っ転がっていないで一度考えを整理すればよかった。

 文章化して推敲して、手紙にでも書けばよかった。

 けど、文章にしたとしても、このままでは長編になりそうだ。

 

 スギナの脳裏に、モブリコ寿司の金庫にあった、超大作あらたまの君へが入った大封筒が思い浮かんだ。

 ああ、あれを書いた人も、多分こんな感じだったんだろうなとスギナは心の隅で思った。

 

「けど、風待先輩と出会ってから今まで、わたしにこんな悩みがあったなんてこと、すっかり忘れていました。このお部屋に入って、お風呂入っているとき、先輩とわたしがなかよく生活している風景、想像できたんです。これから一緒に、この諸咲支部で暮らしていく自信ができました。これも皆、風待先輩のおかげです」

 

 とりとめもないスギナの独白を、対面で正座しながら、静かな微笑をたたえて聞いてくれる風待。

 このまま勝手に話し続けてよいか不安だったスギナだが、その笑顔に背を押された気がして、意を決し本題に切り込む。目をギュッと閉じ、言葉に力を込める。

 

「今日一日で、風待先輩のことが好きになりました。だから、私は先輩のことがもっと知りたいです!だから、だから、先輩の下の名前、今すぐ教えてください!」

 

 目を閉じたスギナの耳に入る、気まずい静寂。

 

 今日何回も尋ねたのだが、その度にはぐらかされてしまった質問。

 言いたくないことを無理に聞き出そうとするスギナに、風待先輩は怒ったかもしれない。

 

 けど、これから二人で生活していくうえで、お互いの名前を知ることは大事なことだ。

 

 静寂はまだ続いている。

 先ほどから聞こえてくる冷蔵庫や時計の音、そして外から繰り返し聞こえる謎の音。

 それらのわずかな音が、なぜか大きく聞こえる。

 

 風待先輩は怒っているのだろうか。スギナは暗闇に怯える小動物のような心境で、ゆっくりと目を開ける。

 

「あー、そういえば、その話ね…。うん、あったわね、そういうの…」

 

 スギナの目の前に見える風待は、体をくねらせていた。

 

 試験で赤点をとってしまった学生の様に、恥ずかしさと居たたまれなさに顔をあからめ、片手で頬を押さえている。

 もう片手は何をしているのかというと、正座した太腿の上に、人差し指でぐるぐると渦巻き模様を描いている。

 

「うん、その話ね。スギナには最初に話そうと思っていたけど、いままで会話に出ていなかったから、すっかり忘れていたわぁ。こういうのって、聞かれないと、言うタイミングもないしねぇ…」

 

 いや何回も聞きましたよ。という言葉を必死でのみ込むスギナ。

 

「わかったわ。スギナがそこまで言うのなら、また明日の夜に教えてあげるわ」

「そこまで引っ張るようなネタでもないでしょ!」

「そうね…仕方ないわね。まあ、いつかはわかることだしね…」

 

 気落ちした顔で俯く風待。それでも言いたくないのか、しばらくの間指先で太腿に渦巻き模様を書いていたが、やがてその指が止まる。

 

 俯いたままの風待の口が開く。

 

「風待…ウメ」

 

 再び静寂が八帖間に訪れる。

 

「風待、ウメ、です!」

「ウメ…さん、ですか」

「そう!風待ウメ!松竹梅の梅、梅桃桜の梅よっ!本当はサクラなのにっ!ウメになりましたっ!」

 

 何か思い出したのか、恥ずかしさで赤らんでいた風待の顔が、今度は怒りで赤くなっていく。

 同じ赤ら顔でも意外と色が違うんだなと、スギナは風待のきれいな顔を見つめながら思った。

 

 目の前にいるスギナの両肩を、風待ががっしりと押さえつける。怒りで興奮しているのか、力はかなり強めだ。

 

「聞いてよスギナ!本当はねっ、私は風待サクラなの!風待サクラだったの!」

「聞きます!聞きますから落ち着いてくださいウメ先輩っ!」

 

 肩を掴まれ、激しく揺すぶられるスギナ。

 風待の激情に身を任せ、怒りが落ち着くのを待つ。

 がくりがくりと、スギナの頭が前後に揺れる。

 

 そろそろ酔いそうだなと思ったころに、揺すっていた手が止まった。

 スギナの肩に両手を置いたまま、風待が声を絞り出すかのように語りだす。

 

「他のリコリスたちと同じように、私も孤児になってすぐにDA本部に連れてこられたの。3月6日のことだったわ…」

 

 下を向いて、ぼそぼそと話し始める風待。

 その声は、スギナに説明しているというよりは、自分の過去を追憶しているような感じだった。

 

「本部に連れられてくる孤児って、いつもは1日に1人程度なんだけど、その日は珍しく3人連れられてきてね。私もその中の一人だった。で、まずはリコリスとして新しい名前を付けられることになったの」

 

 DAに送られた初日に与えられるコードネーム。今までの名前を捨てるという行為は、一般社会との決別を意味している。

 スギナも、新しい名前を付けられた時のことはよく覚えている。

 

「その時の生活担当官がね、ちょうど春だし、3人なかよく春の花にしましょうって言って、それぞれウメ、モモ、サクラって名前にしたの。安直よね。けど、私は書類番号が3番目だったから、サクラになったのよ、かわいい名前だったから、幼心にも嬉しかったわ。それを…それを…」

 

 スギナの両肩に置かれた手に力が入る。

 ミシリと肩の骨が鳴る。痛い。

 

「書類番号1番の子、ウメって名付けられた子がそのときギャン泣きしたのよ!ウメはいやだぁ!サクラがいい!ってね。生活担当官も一発殴って黙らせればいいのに、めんどくさかったのかこう言ったのよ!じゃあお前がサクラ、お前はウメに変更って!」

「うわぁ…最悪ですねその子」

「でしょう!しかも私の名前奪ったサクラってやつ!その後も反省するどころか毎回私に言うのよ、おい梅婆ぁとか梅干女とか!」

「同情します。ウメさん」

「あいつが煽る度に毎回大喧嘩になって、モモが止めなければ殺していたわ!教育課程修了して、お互い北海道と諸咲に異動するまでは、いつもイライラしていたわ」

 

 幼いころに理不尽な目にあい、なおかつ毎日その相手と顔を付き合させて生活していたら、確かに怒りは長引くだろう。

 ましてや、一生ものの名前を奪われたのだから、その闇はかなり深そうだ。

 

「まあいつまでも根に持つ私も悪いのかもしれないけど…。何回もあいつと殴り合って、あいつの歯を何本もへし折っても、まだ怒りが消えないの。誰もわかってくれないと思うけど…私、自分の名前を思い出すたびに、いつも暗い怒りがわいてくるのよ…」

 

 一通り話して、気が落ち着いたのか、スギナの肩を掴んでいた手の力が抜ける。

 

「…わかりますよ。風待先輩」

 

 肩を掴んでいた腕をそっと握りしめて、スギナが答える。

 

「自分の名前に納得いかない先輩の気持ち、私にはわかります。私だってこんな…雑草の名前つけられていますし」

 

 スギナが孤児として本部に来た日、担当官たちはスギナにあまり興味を示していなかった。

 

 事前に行われた各種試験の結果もあまり良くなく、今後の伸びしろもほとんどないと判断されていたため、名前も季節の植物から適当に選ばれた。

 

 杉菜(スギナ)。ツクシが生える植物だから可愛らしくていいだろうという、それだけの理由だった。

 おそらく名前を付けた生活担当官は、植物の知識に疎かったのだろう。

 

 杉菜が皆から嫌われる雑草だとスギナが知ったのは、数年後のインターネット学習の時だった。

 

 何重にもフィルタリングされた、DA独自の検索エンジンがインストールされた情報処理教室のパソコン。

 情報処理系の授業があった日の夜は、復習の名目で教室内のパソコンを使用することができる。

 DAが厳重に閲覧制限をしているとはいえ、リコリスとしての教育に問題のない画像や映像ならば、ある程度は自由に検索することができるその時間は、スギナたちリコリス候補生にとっては楽しいひと時だった。

 その日も、日本各地の風景や猫の動画などを楽しんだスギナだったが、最後にふと思いつき、何気なく自分の名前を検索してみた。

 

 そこに出てくるキーワードに、スギナは愕然とした。

 

 スギナ 厄介な雑草。

 スギナ 庭から駆除。

 スギナ 根絶させたい。

 

 ただ同じ単語というだけなのだが、スギナには、そのモニターの画面が、世界が自分を排除したがっているかのように見えた。

 

 教育課程の同年生たちもスギナの名前を検索してみたのだろう、翌日から、スギナは自分の名前でからかわれることが多くなった。

 狭い世界に住むリコリス候補生にとって、揶揄されることはイジメへの第一歩である。人付き合いが上手ではないスギナは悩んだ。

 

 幸い、訓練中に名前の由来をからかわれているのを見かけたあるファーストリコリスが、その場で同年生たちを一喝してくれたおかげで、その後スギナが名前で弄られることはなくなった。

 

 その恩人であるファーストリコリスも、本部に来たときは期待されていなく、適当な植物の名をつけられたらしい。

 しかし、絶え間ない鍛錬と負けず嫌いな根性で、ファーストまで登りつめた努力の人だと知ったのは、それからしばらくしてのことだった。

 

「名前でからかわれるんなら、そうさせないくらい立派なリコリスになりゃいいんだ、名前なんかに負けるんじゃねえ、ってそのファーストの方は言ってくれました。その言葉を聞いて、私もがんばろうって思ったんですけど…ダメでした。いっぱいがんばったんですけど、結局は初日の担当官の見立て通り、最底辺レベルのサードにしかなれなかったんです。私は華にはなれない、雑草だったんです」

 

 スギナの肩が小さく震える。泣き出したくなるのをこらえ、必死に話すスギナを、風待の大きな瞳が見つめている。

 

「けど、風待先輩は華です!華があります!梅の花、きれいじゃないですか!私は先輩の名前、全然変には思いません!逆に一周回ってカッコいいと思います!そして先輩は、名前に負けていない、きれいな梅の花にふさわしい、立派なセカンドリコリスです!」

 

 言葉を出し切ったスギナが、呼吸を整える。

 数百メートルを走り切った時のように、息が荒い。

 

 静かな部屋に響く自分の息の音、冷蔵庫の音、時計の音、そして外から生真面目なほど規則的に聞こえてくる謎の音。

 

 スギナの息が収まったころ、風待が口を開く。

 

「スギナ…ありがとうね。私の名前に華があるって言ってくれて」

 

 風待の両手はスギナの肩に置かれたままだ。

 しかし風待は、その手を降ろそうとせず、近い距離のままスギナに話しかける。

 

「自分の名前がイヤってこと、普通の人には絶対話さないことにしていたの。どうせ適当に同情されるだけだってわかっていたからね。私が胸の内を明かしたのは、スギナ以外には2人だけ。」

「2人だけ、ですか」

「そう、おととし赴任してきた時にここにいた先輩と、去年ここに半年だけいた後輩、そのふたり。どっちもいい人でね、私の愚痴をしっかり聞いて、私の心を理解してくれて、そのうえできちんと慰めてくれた。適当にあしらわず、親身になって接してくれたの」

 

 険が消えた顔に微笑みを浮かべ、優しく語る風待。

 

「まあ、初日から尋ねてきたのは、スギナが初めてなんだけどね。スギナって、結構強引なところあるんだね」

「それは…その…」

 

 ごめんなさい、と小さな声でスギナが謝る。

 風待先輩の顔が近いのが、どうも恥ずかしい。

 

「いいのよ、隠し事していた私も悪かったしね。実は私も、少し怖かったの。今日来る新しい後輩が、この支部のこと好きになってくれるんだろうか、モブリコ寿司のこと好きになってくれるんだろうか。そして、今までいた先輩と後輩の様に、私のことを理解しようとしてくれて、私のことを好きになってくれるんだろうか、って」

 

 人付き合い上手そうな風待先輩も、私と同じようなことを考えていたんだ、とスギナは意外に思った。

 

 それよりも、風待先輩との距離が気になる。

 気のせいか、だんだん顔が近づいてきている気がする。両肩に置かれていた風待先輩の腕が、滑る様にスギナの背後に回り込む。

 

「さっきスギナが言ったこと、おぼえている?今日一日で、風待先輩のことが好きになりました。だから、私は先輩のことがもっと知りたいです、って。私もスギナのことがもっと知りたい。だから、これからの生活の中で、少しずつ、お互いに理解していきましょうね」

 

 力強く、しかし優しくスギナの体が引き寄せられる。思わず目を閉じるスギナ。

 

 唇と唇が触れ合う感触。

 

 隠微なその刺激は、目を閉じていた分、鮮やかな感覚となって脳髄に響いた。

 

 はじめての感触にスギナの体が、反射的にビクンと震える。

 

 固まるスギナをそっと押し倒し、寝間着のボタンをゆっくりと開けていく風待。

 

「じゃあ私も、スギナのこと、いろいろと教えてもらうわね…スギナは、こういうのは好き?」

 

 服を剝かれたスギナの体。まだ湯の匂いの残る胸元を、風待の手が這い回る。

 

 手のひらで触れられるたび、熱く痺れるような感触が肌の表面にはじける。

 

「…好きかどうかは…わかりません。こういうのされたこと…なかったんで」

 

 本部での生活は監視が厳しいというのもあったが、深い付き合いを避けてきた奥手なスギナにとって、このような経験は全くなかったし、これからも無いものとばかり思っていた。

 

「そう…たぶんだけど、明日から好きになると思うよ。たぶんね」

 

 指と舌による風待の愛撫に、スギナの理性が水に落ちた砂糖菓子の様に溶けていく。

快楽によって朦朧とした意識の中で、スギナの聴覚だけは相変わらず周囲の音を拾っていた。

 

 冷蔵庫の音、時計の音、先輩の息遣い、自分の心臓の音、漏れ出た自分の声、外から聞こえる謎の音。

 

 何の音だろう?と、スギナは初めてその謎の音を意識した。

 

 

 寄せては消えるその音。

 

 引いては消えるその音。

 

 繰り返し、繰り返し、単調に繰り返されるその音。

 

 

 ああ、そうか。

 

 

 …波の音なんだ。

 

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