そして夕方、私たちはコンビニでお菓子などを買い込み、メカブ子さんとモズク子さんが今夜泊まる旅館に向かう。
観光支部に訪れたリコリスは、DAが指定した宿泊施設で一泊する。宿泊先は、DAがダミー企業を通して契約した民間の大型旅館。一般客の目につきにくい上階の一室を、DAが年間契約で借り上げているのだ。ここ諸咲支部も、十与浜港近くの大きな旅館の、海の眺めが良い最上階の和室が、リコリス専用宿泊部屋となっている。
観光支部に招待された人物だけが泊まれる、豪華なお部屋。訪れたリコリスが安心して泊まれるよう、一般客の動線とは離れた場所にあるこの部屋は、安全確保のためDA設備部によって各部分が改修されている。
私たちの支部の旅館にあるリコリス専用の一室も、見た目は普通の和室だが、扉と窓には拳銃弾程度なら防げる特殊なフィルムが貼られ、部屋の入口の端には、リコリスたちの住み家の玄関先に設置されているのと同じ、高性能全方位カメラ付きの監視ネジが数本埋め込まれ、常に廊下側を警戒監視している。監視用ネジの映像は、DA本部のコンピューターに常時送信されていて、もし異常があればすぐに私たちのスマートフォンに連絡が届くようになっている。その他にも、昼夜問わず窓の外から中が見えない加工がされた窓ガラスや、内側からロックしてしまえば、受付のマスターキーですら開かなくなる部屋扉、そして私たちのスマートフォンや本部緊急連絡先につながるプッシュボタン付きの内線電話機など、宿泊するリコリスが安心してくつろげるよう、そして安全にくつろげるよう、DAが考えた様々なおもてなしの精神が、部屋のそこかしこに設置されている。
さらに旅館の従業員は、正社員からアルバイトの大学生にいたるまで、この特別な部屋に宿泊する客の情報を漏らさないよう教育され、そして何か異常を感じたらすぐに特別室専用の警備会社に連絡するよう教え込まされている。専用の警備会社とは、もちろんDAのことである。
とはいえ、ほとんどのリコリスは、宿泊施設の警備体制については、あまり気にしていない。支部内に棲む暴力組織に恨みを買われているリコリスは多いが、旅行先をつきとめてまで襲ってくる敵はまずいないし、万が一いたとしても、計画段階でDAが事前に察知し排除してくれるのだ。それゆえに旅行中の彼女たちは、DAの思いやりの籠った宿泊部屋の各種防衛設備を、むしろ日々の緊張感を思い出させる、有難迷惑な存在と感じている。どこまで遠くまで旅をしても、所詮私たちはDAの管理下に置かれている存在であることを、あの部屋に泊まることで思い知らされたと、旅の帰りにモブリコ寿司でつぶやいたリコリスのつぶやきを、私も何回か耳にしたことがある。
もちろん今回宿泊する歌島のお二人は、そのような繊細な人間ではない。それどころか、旅行前にDAからのメールで、宿泊施設の概要を知らされた時に、逆に喜んでいた程だ。なんだか秘密組織の隠れ部屋っぽくて、すごくワクワクすると私たちに語っていたメカブ子さんとモズク子さん。いや、私たちは秘密組織の構成員なんですよと、私と風待先輩はとりあえずツッコミを入れておいたが、普段は緩い歌島で生活している二人にとっては、このような特殊な設備に囲まれた部屋に泊まるのも、これはこれで新鮮な体験なのだろう。
そして今回、新鮮な体験をするのは彼女たちだけではない。私と風待先輩も、メカブ子さんとモズク子さんと一緒に、観光支部諸咲の指定旅館に宿泊するのだ。
本来ならは、観光に来たリコリスと観光地の支部員が一緒に宿泊することはない。私たちが旅行中のリコリスと接触するのは一度、彼女たちが帰る前に立ち寄るモブリコ寿司の店内でのみ、と厳重に規定されている。
これはどこの観光支部も同じで、支部員は旅行中のリコリスに観光案内をすることはないし、宿泊施設への中へも立ち入らない。風待先輩は諸咲に赴任して今年で三年目だが、支部内の指定旅館には、これまで一回も入ったことはなかったらしい。
風待先輩も冠典ゼリィ先輩も臥観手ルミナ先輩もセノカさんも、いままで一度も足を踏み入れることがなかった十与浜の旅館。しかし私は今回、DAや名古屋支部にわがままを言って、この旅館に入り込む権利を得た。
観光支部の一員として、支部内の宿泊施設の警備状況を知るために、一度だけでいいので、分支部の皆と一緒に宿泊させてください。昇進ポイントはどれだけ引かれても構いません。嫌というのなら、また弐豊町の霰弾乱殺現場の画像を送りつけますよ。このような丁寧なメールを、私はDA本部に送り、必死にお願いをしたのだ。
8月の任務は、諸咲と歌島の両支部の協働により成功しました。共に成果を祝い、今後も共に伊勢湾の平和を守らんと誓い合うための場を設けたいので、一度だけでいいので、分支部の皆と一緒に宿泊させてください。昇進ポイントはどれだけ引かれても構いません。嫌というのなら、また本館ロビーで中指立てて威嚇しますよ。このような丁寧なメールを、私は名古屋支部に送り、必死にお願いをしたのだ。
私の身勝手でわがままな願いを、DA本部や名古屋支部の事務職員さんたちは、こころよく聞き取ってくれたようだ。多少の昇進ポイントは引かれたが、変則的な接待任務という名目で、私と風待先輩の宿泊を、分支部リコリスが観光客である今回に限り、特別に認めてくれたのだ。
いっぱいのお菓子と、いっぱいの喜びをお買い物袋に詰め込んで、初めて支部内の旅館の入り口をくぐった私たち4人とこけしさん。展望の良い海側最上階の和室、4人泊まってもまだ広い豪華なお部屋、窓から歌島が見えるぞと言ってはしゃぐメカブ子さんとモズク子さんとこけしさんの姿を見た私は、思わず涙ぐんでいた。歌島リコリスと諸咲リコリス、そしてこけしさんが一つの部屋で一泊できること、それをメカブ子さんもモズク子さんも、そしてこけしさんも風待先輩も喜んでくれていることが、すごく嬉しかった。私がDAや名古屋支部を相手に、横紙を破りまくって横車を押しまくった甲斐があったと、胸が熱くなるほどの満足感と達成感に包まれていた。私は窓辺で騒ぐ彼女たちを見ながら、今回ご尽力頂いた職員の方々に、心の中で静かに頭を下げ、感謝の意を表した。そしてお願いのメールの中に、ほんのちょっとだけ脅し文句を加えていたことを、心の中で謝罪した。DAと名古屋支部の職員の皆さん、どちらも予想以上に怯えていたので、あと数回はこのネタで脅せるなとほくそ笑みつつ、とりあえず謝った。
アパートから徒歩10分程度しか離れていない海沿いの旅館。アパートに忘れ物があったら気軽に取りに帰れる程度の距離。しかし私と先輩は、この程度の小さな経路、支部内での僅かな移動の中に、旅の情緒を感じ取っていた。長い長い道程を経た果てに、ようやく得ることができる旅の開放感というものを、支部という檻の中でも見つけることができた奇妙さに、私も先輩も戸惑ったものだ。
毎週のように訪れるリコリスが、任務と人生の疲れを癒す宿。私たち諸咲と歌島のリコリスは、ここで人生はじめての旅泊を満喫した。
皆で広い温泉にゆっくり浸かった。浴衣姿で畳部屋に寝そべり、ごろごろとくつろいだ。お夕食は海の幸のフルコース、大きな船盛りや大きなエビフライ付きの、豪勢なお食事を味わった。そしてもう一度温泉に入った後、部屋の窓から見える伊勢湾の夜景を見ながら皆で語り合った。いっぱいのお菓子と、隠し持ってきた缶ビールや日本酒を、皆で分け合った。先輩だけでなく、実はメカブ子さんとモズク子さんも、お酒はいける口のようだった。私も今夜だけは目くじらを立てることなく、少しだけお酒をいただいた。いつもは苦いだけのお酒が、なぜかこの夜はすんなりと飲むことができた。皆で酒を呑み、皆がほろ酔い加減になった私たちを、窓辺から静かに見守るこけしさん。そんなこけしさん相手に、缶ビール片手の風待先輩がはじめたおままごとに、皆が付きあった、皆で盛り上がった。
おままごと、家庭生活の疑似行為。家族のない私たちは、どれほど望んでも手に入ることの無い一家団欒へのあこがれを、おままごとという幼稚な行為で解消する。半月前に初めて人を殺した私、これまで三桁の人を殺した風待先輩、二人共同で人を殺したこともあるメカブ子さんとモズク子さん。血に染まった私たちの手によるおままごと。夜遅くまで続いた儚い代償行為を、明治の初めに作られた優しい顔のこけしさんは、静かに受け入れてくれた。この夜、歌島のこけしさんは、私たち4人のお母さんだった。
長いおままごとも終わり、皆でこけしさんにおやすみなさいと言った後、広い畳部屋に布団を敷き横になる。それでも夜はまだ終わらない。顎を枕の上に乗せ、うつ伏せになって繰り広げられる、夜を徹しての無駄話。先ほど食べた豪華な夕食の話題からモブリコ寿司の新メニューの話題、日々の話題に任務の話題、今の各支部の話題からかつての支部員の話題、道端で小さなサワガニを捕まえた話から、伊勢湾で大きなクジラを見た話まで、ありとあらゆるお話が枕の上を飛び交う。初めて聞く話、何度も聞いた話、どちらも楽しい、どんな話題でも楽しい。聞いていても楽しいし、話していても楽しい。候補生時代は無口だった私、会話が苦手だった私。それが赴任後たったの半年で、これほどまでに饒舌になるとは思いもよらなかった。浴衣姿になって布団に寝転がって、とりとめのない話を延々と続けるだけのことが、身悶えするほど楽しいとは思ってもみなかった。このまま朝まで語り合い、楽しもう。こんな幸せな時間を、睡眠などで費やしたりはしない、眠りの神よ去れ、今夜は絶対に眠らない、私はそう決意したほどだ。
寝落ちによって脱落する、深夜の無駄話レース。最後まで完走しようと意気込んでいた私だが、初めての酔いによって弛緩していた精神と、美食と温泉によって弛緩した身体は、私の決意をあっさりと打ち砕いた。会話途中に寝てしまったのだろう、ふと気が付けば、もう朝だった。あとから聞いた話によると、どうやら私は、会話中に真っ先に寝落ちしていたらしい。
脱落者の一番手になってしまったのは屈辱だったが、それでも熟睡した甲斐もあり、目覚めは爽やかだった。他の三人は、あれからまたこっそり酒盛りでもしたのか少し疲れた顔をしていたが、それでも早朝の浜辺を散策し朝風呂を浴びるとすっきりしたのか、旅館の朝食が卓上に並ぶ頃には全員が復活していた。
地元産の焼き魚や季節の小鉢などが並べられた朝食を、私たちは夕食と同じくらいの食欲でいただいた。お代わりのご飯が入ったお櫃が空になるまで、美味しくいただいた。心もお腹も満ち足りた私たちは、楽しかった思い出をそれぞれの胸にしまい旅館を出る。
アパートに戻る前に、朝の十与浜漁港に立ち寄り、モブリコ寿司で使用する昼の食材を皆で選び購入する。一泊旅行で諸咲に訪れたリコリスは、この地を離れる前に、必ずモブリコ寿司に立ち寄らなければならない規則になっている。DAが褒賞としてリコリスに与える各観光支部への旅行は、実際は単なる観光旅行なのだが、建前上は研修の一環としての地方支部視察旅行となっているため、だれであろうと最後はそこの支部で暮らすリコリスと形式的に面会して、そこで手書きのレポートを提出する必要があるのだ。
ちなみに、店内で受け取ったレポートは、毎回名古屋支部経由でDAに送付しているのだが、提出したリコリス本人に、後日書き直しとかやり直しとかの通知が来たことは一度もないらしい。それなりの体裁で、ある程度の文字数さえ満たしていれば、どのようなテンプレ文でも受理してくれているようだ。地方支部視察のための研修旅行であるという名目さえ保てればそれでいい、だからレポートの内容もいちいちチェックしないし、毎回同じ文章でも無視して収受している。そんなところだろう。
メカブ子さんとモズク子さんは、諸咲に来る前にレポートは書き終えていたようだ。少しでも長く私や風待先輩と遊びたいから、時間のかかるレポートは歌島で済ませて来たと、得意気な顔をしていた二人。私も文面を見せてもらったが、ひらがなばかりでただ読み辛いレポートだった。というか、DA相手でもひらがなで押し通している二人のマイペースさがなんだか怖かった。
荷物や食材をアパートに置いた私たちは、一息つくこともなく諸咲観光に出発する。コミュニティバスで内箕駅まで行き、そこから電車に乗り億陀駅で降りる。
日差しは強いが、まだ朝の爽やかさの残る美濱地区。私たち4人は、緑生い茂る木々の間を通る車道を、陸側に向かって歩く。
億陀駅から続く、緑の道。いまだセミの鳴き声が青空に響く、夏の道。セミの声以上に騒がしい、夏の私たち。
2キロほど歩くと、目的地の神社が見えてくる。昨夜、皆で話し合って決めた本日の観光地、恋愛の水神社。
縁結びの神社として知られる美濱地区の名所。私たちも気にはなっていたが、巡回任務の際にたまに通り過ぎるだけで、きちんとお参りをしたことがなかったこの神社を、今回観光の目的地としたのは、メカブ子さんとモズク子さんが旅館で語った一言からだった。
―私たちが今回諸咲に来られたのは、スギナたちが追い払った船が歌島に流れ着いた縁からだ。諸咲と歌島が、双関のように結びついていたからこそ、8月の任務はお互いに満点の成功を収めることができたのだ。縁結びの神様は、男女の縁だけを取り持つわけではないはずだ。これからも諸咲と歌島のご縁が太く永く続くよう、美濱にある縁結びの神社にお参りしたい― 訥々と語る二人の言葉に、私と風待先輩も賛同した。私も先輩も、末永く歌島の二人とご縁を結び続けたかった、これからもずっと、大切な仲間であり続けたかったからだ。
神社の前で横一列になって手を合わせ、諸咲支部と歌島支部のご縁が末永く続きますようにと祈ったあと、私はそっと、自分の願いも付け加える。これからもずっと、風待先輩と恋人同士でいられますようにと。
先輩は、ついでに何かお祈りしましたか? と尋ねる私。先輩はそんな私に可愛らしい笑みをひとつ返したあと、スギナと同じことを祈ったわよ、と答えてくれた。私が何をお祈りしたのか、まだ何も言っていないのにこの返答。先輩は大人だなと思う。
メカブ子さんとモズク子さんは、ついでに何かお祈りしましたか? と尋ねる私。特にこれから新しく縁を結びたい相手はいないが、できればもう一度、座礁した船の中で出会ったあの黒服の男二人に会いたいと祈ったぞ。気持ちのいい奴らだったから、一度ゆっくりとお話してみたいと思ってな。それにあいつらは別れのあいさつも無しに消えてしまったから、きちんとお礼も言いたいしな。そんなようなお話を、帰路でしてくれた歌島の二人。スモークバイザーのフルヘルメット姿で、顔を見ることができなかったから、どんな顔かも知りたいからな、と笑いながら話す二人の姿は、私の目にはとても大人びて見えた。
私はまだ、同年代の男の子とは、お話しできる勇気はない。4歳年上のメカブ子さんとモズク子さんは、やっぱり大人だなと思う。
ここの神社はよく願いが叶うというから、もしかしたらその二人にすぐ会えるかもしれないわよ、といってからかう風待先輩。だといいな、と言って笑う歌島の二人。帰り道の話題は、私たちには一生縁のない、異性の話で盛り上がった。
たった二人で、密輸船を制圧した男たち。声からすると、彼らはどうやら私たちと近い年齢の少年らしい。どんな人物なのだろうか、私も少し興味がある。一度でいいから見てみたいな、ちょっとだけお話してみたいなと、私は神社でついでにお願いしなかったことを悔やんだものだ。
ちなみに、すぐ会えるかもしれないと言っていた風待先輩の予想は外れた。帰り道では、それらしい少年の二人連れを見ることはなかったのだ。
まあお賽銭も入れずに祈ったから仕方ない。リコリスは、たとえ5円や10円でも不明瞭な支出があると、DAから厳しく追及されるので、お賽銭などレシートを貰えない行為にお金を出すことはできないのだ。
お金をケチったからか、それとも罪深いリコリスにはご利益はないのか、その日恋愛の水神社からの帰路で私たちが出会った若い男性は、アパートの同階に住む二人の少年だけだった。午前の長距離ランニングが終わったのだろう、汗まみれになって帰って来た男二人のいつもの姿。私と先輩は、いつも見ている連中にしか会えなかったことに、信心が薄いとご利益は無いものねと、ため息をつきつつ笑いあったものだ。
そういえばあの男二人、私の横に立っていたメカブ子さんとモズク子さんの姿を見て、すっごく驚いた顔をしていたな。多分、歌島リコリスの余りのモブ顔に、びっくりしていたんだろうな。本当に失礼な奴らだ。