諸咲紅座の千社札。赤色の札は重大事件。
千社札の裏に書かれた番号を確認する。私と風待先輩は、この千社札を渡した相手、日時、札番号、これら全てのデータを記憶し共有している。
この番号は、8月に諸咲役場で渡した札だ。ということは、私の下宿の前に訪れた二人の男は、諸咲役場の職員だろう。
その二人は、まだ下階の空き地にいるのが、気配でわかる。緊急の要件、役場でではなく、この場ですぐに接触したいようだ。
ほんの一瞬だけ、血の気が引いた。
どうしよう、札を持つ手が、少しだけ震えた。
今、この場には、私一人しかいない。
風待先輩は、はるか遠くのDA本部で検診中だ。先輩がいない間は、この諸咲には、私一人しかいない。私一人で、すべて対処しなければいけない。
予定外の突発任務。私一人で、できるのだろうか。
怯えに似た逡巡が、私の背中に走る。それは、逃げ出したくなるような、助けを乞いたくなるような感情を伴い、私の全身を覆う。
ここから逃げ出したい、先輩に助けを乞いたい。正直な話、私はそう思った。
しかし、そう思ったのは、わずかな間だけだった。次の瞬間には、私は怯懦を恥じた。
弱い心、後ろ向きになった自分を、叱りつける。心に宿った怯えを、気合で吹き払う。
私は、リコリスだ。赴任初日、この地の平和を守ろうと、自らに誓ったリコリスだ。
たとえ先輩がいなくても、私は守る。たとえ一人でも、諸咲を守る。その程度の意地と矜持が無くて、なんの諸咲リコリスだ。
急いで部屋着を脱ぎ、リコリスの制服に着替える。サッシェルバッグを背負い、部屋を出る。助けを求める人がいるのだ、一秒たりとも時間は無駄にはできない。階段を駆け下りた私は、空き地に停めた車の前に立つ二人の下に向かう。
足音で推測した通りの、20代の二人の男。共に白地のワイシャツにミディアムグレーのスラックス、黒色のビジネスシューズの事務職スタイル。職員証は下げていないが、見た目だけで公務員だと推測できるほどの、堅実な姿。
私はこの二人を知っている、この二人を、見たことがある。
8月に私と先輩は諸咲役場を訪れ、任務中の現場に一般人が紛れ込むことが無いように、近所の人たちにそれとなく注意喚起していただくよう、町長さんにお願いをしたことがある。その時に町長室に集まった何名かの役場職員、そのうちの二人だ。
あの時は、課長クラス4人、役職無しの若手2人の計6人が町長室に入って来た。今空き地に立つのは、その時の若手2人。帰り道で先輩が語ってくれたところによると、彼らはどちらも、今年入ったばかりの新卒社会人らしい。去年までは、美濱の大学生として億陀近辺を歩いているのを見かけたことがあるわねと、先輩は言っていた。
将来を期待されているはずのこの二人、おそらく経験を積ませるために上司が送り出したのだろう。新人時代には、少しでも多くの場数を踏ませることが今後の糧となる。諸咲を守る町役場職員として、必ず知っておかなくてはならない、リコリスとの相互協力体制。その付き合い方の距離感を肌で感じ、感覚で理解するためには、若いうちから現場に立たせ接触させた方が良い、上司はそのように考えたのだろう。お互い4月から赴任の若手同士、今後ともよろしくと、私は心の中で挨拶をする。
二人の前に立つ私。緊張と不安で今にも泣きだしそうな顔をしている二人のうち、右側の男性が口を開く。
「ええと、あの、本来ならば役場までお越しいただくのですが、今回は急ぎの要件でして……」
「伊川津さん、私に直接話しかけないで下さい」
おずおずと切り出された会話を、私はさえぎる。
話しかけてきた男性職員の口が、開いたまま固まる。なんで自分の名前を知っているの? 固まったままの顔に、そういう疑問の色が浮かぶ。
今、この二人は、
しかし、私は彼らの名前を知っている。知ったのは4月。私が諸咲に赴任した初日、風待先輩に町役場に連れられ、町長さんに挨拶をした時のことだ。
その時私は、町役場の中にいた職員すべての顔を記憶していた。職員証を下げていた職員や、名前を呼ばれていた職員は、名前や役職も記憶した。あなた達はすでに忘れているようだが、あの時一階の住民課カウンター奥で、
「町役場の皆さんにとって私たちは、絶対に関わってはいけない存在です。だから、たとえ周囲に誰もいなくても、役場職員である限り、決して私に話しかけてはいけません。私はここから離れた場所に立っていますので、伊川津さんは隣の立馬崎さんと雑談をして下さい」
どのような小声でも、私には聞こえますので、と言い捨て、私は二人から離れ、アパートの壁のそばに立つ。年上の男の人相手に、少し冷たい話し方をしてしまったのを悔いながら、腕を組み目線を逸らす。
しばらくの間、二人は呆然として私を見ていたが、やがて思い出したようだ。私が先輩と役場に出向いた時の、演劇めいたやり取りを思い出したようだ。
「いやあ、最近とみに暑いですねえ、立馬崎さん」
「え、ええ。まったくですねえ、伊川津さん」
たどたどしい言葉で、会話を始める二人。8月の私のような、下手な演技。
私たち諸咲リコリスが役場や企業にお願いをする時、直接会話はしない。依頼する相手の目の前で、雑談のふりをした説明をするのだ。ただ雑談が聞こえてしまった、この体裁さえ守れば、リコリスと社会との距離は、決して縮まることはない。
役場や商工会などが、私たち諸咲リコリスにお願いをする時も、やり方は同じだ。一般社会人の会話を、偶然聞いてしまった。この体裁さえ守れば、リコリスと社会との関係は、永遠に交わることはない。
だから私は、二人と直接話すのを避けた。たとえ誰も見ていない空き地でも、両者の距離は守らなくてはならないのだ。
私たちを知る上司に教えられてきたのだろう、車の前に立つ二人の職員、伊川津さんと立馬崎さんも、その距離感の大事さは知っていたようだ。空き地の隅に立つ私の存在など忘れたかのように、同僚相手に雑談という名の説明を始める。
「いやあ本当に暑いですなあ。これなら諸咲フェリー乗り場も、かなり暑いでしょうなあ」
「暑いことでしょうね伊川津さん。そうそう、諸咲フェリー乗り場といえば、その隣に建てられた諸咲観光ビルが、今大変なことになっていましてね」
「ほう、それはなんでしょうか立馬崎さん。詳しく教えてくださいな」
演技は下手な二人だが、頭の回転は速いようだ。たった数回のやり取りで、すぐに本題に入っている。
「実は最近、この観光ビルに悪質なクレーマーが来るようになったのですが、今日は仲間を連れて来たんです。その仲間というのが……」
諸咲観光ビルに訪れるクレーマー。その言葉に、私の身体が反応する。思わず目線を、二人の職員に向けてしまう。
今日午前の巡回で、話し好きのおばさんから聞いた話だ。おばさんのパート先に最近よく現れるという、クレーマー。チンピラなのかヤクザなのかはわからない。わからないが、どちらでもいい。どちらも同じ、社会のクズだ。分別不要の、ただのクズだ。
問題は、そのようなクズが諸咲で騒いでいることだ、仲間を連れ、おばさんの勤め先で騒いでいることだ。
私の視線を無視するかのように、車の前の職員二人は、状況説明を続けている。即興にしては的確、そしてよどみなく話を続けている。雑談を装う演技は下手だが、要点はきちんと押さえている。話下手な私より数段上の会話構築、さすがは諸咲の明日を担う若手職員だ。
彼らの話によると、そのクレーマーが仲間を連れて諸咲観光ビルに入ってきたのは、今から30分ほど前。ヤクザ者のテンプレめいた、黒色の大きな車を観光ビルの裏口前に停めて乗り込んできたらしい。
いつもならば一人で怒鳴りこんでくる、クレーマーの若い男。しかし今日は、背後に2人の男がいたという。一人は、黒色のスーツを纏った、いかにもヤクザと言った雰囲気の大男。そしてもう一人は、紋付き袴の、古い任侠映画の大親分のような雰囲気の太った男。どちらの男も、あまりに悪役のコスプレめいた姿格好だったが、その目つきの凶悪さに、ビルの中にいた観光客たちの口からは、悲鳴の声こそ上がれど、失笑の声はひとつとして漏れなかったという。
観光ビル1階、お土産コーナーにいた従業員たちは、事が大きくならないよう慎重に彼ら乱入者に対応しつつ、室内に残る観光客を正面口から避難させたらしい。その騒ぎを聞いて下階を覗き込んだ2階の鮮魚売り場の従業員は、1階の緊迫した空気から非常事態と判断、すぐさま警察と商工会に連絡する。一般客の避難誘導と通報、これらがスムーズに進んだのは、観光ビル職員の質の高さもあるのかもしれないが、日頃来るクレーマーの悪質さに、いつかはこのような事態になるのを想定していたのかもしれない。
緊急の連絡先に、警察と商工会を選んだのは、どちらも非常時に投入できる戦力があるからだ。警察ならば警察官、そして商工会は私たち諸咲リコリス。
私たちが諸咲支部内の中小企業に支援を要請した際に、お礼として渡す千社札。受け取った各企業はその千社札を、諸咲の商工会や商工会議所へ、年会費免除と引き換えにすべて渡しているらしい。諸咲商工会は、商工会議所が受け取った分も含めたすべての千社札を一元管理し、リコリスの助力が必要な時に適切に使用している。小さなお店が個別に千社札を持つよりも、大局的に運用できる組織が取りまとめ運用した方が、諸咲の中小企業や小規模企業のためになる、そういう考えのようだ。実際に諸咲商工会の経営支援制度の一つに、リコリスの巡回というのが含まれているという話も聞く。私たちは特に大した考えもなく、ただ協力への感謝のしるしとして千社札を渡しているだけなのに、大人の世界というのは、複雑かつ合理的だ。
諸咲内で一番多くの赤札青札を有する、商工会。しかし諸咲紅座の千社札を地域のために効率よく活用している商工会にも、ひとつの問題があった。
運用に、時間がかかるのだ。
地域の中小企業から集めた千社札は、公正に使われる。使用要請が来た場合は、必ず会議にかけ、他の企業に不利益が出ないか、地域の安全のため正当に使われるのかを見極めたうえで使用される。各中小企業や小規模企業が、正しく公平に使用してくれると信じて商工会に預けた千社札だ。どのような事例であろうと、一度会議にかけるという原則は覆してはならないのだ。
突如発生した今回の事態。自分たちの組織では、対応に時間がかかると理解していた商工会会長は、すぐさま諸咲役場に架電し経緯を説明する。商業施設へのヤクザの乱入、ここで足踏みをしていては、大事件につながりかねないと理解した上での連絡、正しい状況判断だ。
ちょうどそのころ、諸咲役場にも、観光ビルの騒動の連絡が届いていたらしい。連絡者は観光ビル3階、諸咲郷土資料館に隣接した、町役場出張所の女性職員。彼女もまた下階で聞こえた怒鳴り声を聞きつけ、1階まで降りて状況を確認しに行ったという。
彼女が見たのは、お土産コーナー入口に立つ3人のヤクザと、頭を下げて退去を願う観光ビルの従業員たち。ヤクザどもの姿格好は、従業員が商工会に電話した内容と同じだったが、役場出張所の職員は、それに加え、あるものを見たと報告した。
低頭し続けるお土産コーナー担当者たちに罵声を浴びせる若い男と、それを見ながらニヤニヤと笑うだけの紋付き袴姿のヤクザ。その二人の背後に立つ、品のない黒いスーツに、品のない黒いサングラスをかけた、いかにも護衛風の大男。その男の背広の奥から、ショルダーホルスターと拳銃のようなものが見えたというのだ。
緊迫した連絡に、騒然となる諸咲役場。そこにかかってきた商工会からの緊急の電話。商工会会長は電話先で、時候の挨拶や婉曲な比喩表現を全て切り捨て、要件のみを端的に伝えたという。電話を受け取ったのは、諸咲町長、彼もまた即座に状況を理解し、挨拶もなく電話を切ったという。一秒をも無駄にしない、簡潔なやり取り。DAの盗聴を警戒し、二人のトップは会話にリコリスという単語こそ出さなかったが、それでも諸咲町長は、町のトップが今やるべきことを明確に理解していた。
町長は離席可能な役場職員たちに、諸咲観光ビル周辺の警備に向かうよう指示を出す。
拳銃を持ったヤクザが発砲する事態に備え、観光ビルの周囲に観光客や一般人が立ち入らないよう、同じく現場に向かっている商工会と商工会議所の職員たちと連携し、周囲の立入規制と動線誘導をすること。さらにはビルから避難してきた観光客の保護と、駆け付けた地元の警察官への協力など、的確で適切な指示を矢継ぎ早に出す。
そして町長は、8月に私たちリコリスと対面した二人の若手職員を呼ぶと、懐から赤い千社札を出し、手渡す。
諸咲役場に渡した赤色の千社札は、8月に渡した一枚だけ。小さなお願い事しか託せない青札に比べ、大事件の鎮圧にも使うことができる赤札は、ずっと手元に置いて置きたい、大事な札のはずだ。一枚しかないのだから、なおさらのはずだ。
しかし今回、町長はいとも簡単に、赤札を手渡した。これでリコリスを召喚せよと、手渡した。
すべてのモノには、使うべき時というものがある。この町の町長は、それを理解していたようだ。
商工会会長は、立場上、独断では千社札は使えない。商工会の千社札は、諸咲の中小企業すべてのものだからだ。
ならばこの緊急時、使える立場にある者が札を出す。それは当たり前のことだ。諸咲の町長は、そのような表情で、赤札を手渡したという。
即断即決。緊急時に置いては最も必要な、トップが持つべき才である。赤札を受け取った職員二人、諸咲役場の職員たち、そして諸咲市民は、よいトップを得ていたようだ。
赤札を手にした二人の職員、伊川津さんと立馬崎さんの運転する車が、私のアパート横の空き地に到着したのは、諸咲観光ビルからの緊急電話があってから14分後。諸咲役場から、私たちの住む十与浜までは近距離とはいえ、なかなかに早い。この事件、猶予はない、だからこそ一分一秒を無駄にしない。商工会の方々を含め、すべての職員さんたちがそう認識しているからこその早さだろう。
ならば、私も急がなければならない。今この間にも、ヤクザたちは観光ビルの係員たちを恫喝しているのだ。善良であるがゆえに、悪党どもの言葉の暴力にただ耐え続ける一般市民の苦悶を思うと、私も時間を無駄にはできない。
二人の間の雑談という体で終わった状況説明。不安そうに私を見つめる二人に、私は軽くうなずくと、アパート横に停めてある自転車に手を置く。
自転車に乗ろうとする私、その体が、わずかにためらいを見せる。
間に合うのだろうか。
私の住むアパートから、諸咲観光ビルまでの距離は、たしか5キロほど。台風前の強い海風が吹く海沿いの道を自転車で走った場合、どれほど時間がかかるのだろうか。
十与浜漁港から、コミュニティバスに乗るか。しかし待ち時間や停車時間を考えると、自転車で行くより時間がかかりそうだ。
普段はあまり気にしていなかった、十与浜と諸咲との距離。たいていの田舎リコリスが悩んでいる、配属人数に比べカバーする範囲が広すぎるという問題に、私は突然直面した。
広い支部内に、少ない交通手段。今の最適解は、やはり自転車しかない。
しかし、間に合うのだろうか。
私の脳裏に、数週間前の弐豊町の事件が浮かぶ。
あの時も、遠かった。
猟銃を持ったチンピラどもが、現場へと移動中との報を受けた私は、遠い弐豊町まで電車を乗り継ぎながら向かった。
あの時は、間に合わなかった。
駅から降りて現場の家へ走る最中、銃声を聞いた。
私が遅れたから、死人が出た。善良なご家庭の旦那様が、猟銃で撃たれて死んだ。
死ななくてよい人だった。死んではいけない人だった。
私の心中には、一般市民に犠牲者が出てしまったことへの悔恨の思いが、今でも傷跡のように残っている。人を殺した痛みよりも強い後悔の念が、埋火のように残っている。
弐豊町は遠かったから仕方ない。
言い訳だ。
間に合わなかったから仕方ない。
言い訳だ。
今回もまた、私が現場に着くのが遅れたせいで惨事になるかもしれない。
今回もまた、私が間に合わなかったせいで市民が殺されるかもしれない。
そうはさせない。遅参の過ちは、二度と繰り返さない。
全力で、自転車を漕ごう。全力で、現場へと向かおう。
しかし、間に合うのか。
自転車のハンドルに触れている手が、震えているのがわかる。
背後に立つ役場職員さんたちの、不安そうな視線が、背中に突き刺さる。
ダメだ、私の躊躇が、二人にまで伝わっている。
出発前から、弱気になっていてはダメだ。距離なんかに負けるな、急げ、急ぐんだ。
私は意を決し、自転車に飛び乗ろうと―
「あー、なんだか今日はいい天気だなあ! こんな日に仕事なんかしたくないよな! そうだろ、立馬崎!」
「全くだ! こんなにいい天気なんだ! 仕事クビになってもいいから、今日は休もうぜ、伊川津!」
私の動きを止めたのは、背後で再び始まった二人の会話だった。
「よし! 今日は仕事終わり! オレたちは自由だ!」
「じゃあ、ドライブでも行こうぜ! どこかで女の子ナンパしてさ!」
稚拙で棒読みな演技。緊張で上ずった声を張り上げながらの会話に、私は思わず振り返る。二人の職員さんの顔を見る。
「お、かわいい女の子発見!」
「ヘイ彼女! 今から俺たちと、ドライブ付き合わない? 好きなところに連れて行ってやるぜ!」
「オレたち今日はオフなんだ。仕事から離れて、休日をエンジョイしている最中なんだ!」
「こんなにいい天気なんだから、女連れて諸咲観光ビルまで遊びに行きたくなったんだぜ!」
白と灰色に塗られた雲に覆われた、気が滅入るような曇天と、湿気を存分に含んだ風が絶え間なく吹く、天候不順な空の下、二人の諸咲役場職員、伊川津さんと立馬崎さんは声を張り上げる。今日は仕事を休んだ、だから今の自分たちは公務員ではなく、ただの私人。職務から離れた私人が勝手に私をナンパし、諸咲観光ビルまでドライブしただけのこと。それならば問題はないはずだと、私に下手な寸劇で訴える。
確かにそれならば問題ない。私たちがリコリスであることを知らなかった一般市民が、私たちをナンパしたり遊びに誘おうとすることは、よくあることだ。リコリス側がそのような一般人を利用し、事件解決や任務遂行の一手段にするというのも、まあよくあることだ。
問題は、お互いの服だ。ビジネスカジュアルなワイシャツにスラックス姿の伊川津さんと立馬崎さん、リコリスの制服姿の私、どう見ても仕事中の服だ、互いに私的な時間に身を置いていないのが一目でわかる服装だ。
どれだけお二人が休暇中だと叫ぼうと、世間は信じてくれないだろう。そのような姿の二人が、たとえどれほど緊急であろうと、勤務中にリコリスを乗せて移動したという事実が、今後の彼らの公務員人生にどのような悪影響を及ぼすか、本人たちが一番よく理解しているはずだ。
私は、二人の目を見る。正面から、見つめる。
慣れない寸劇、それもナンパなどという、真面目そうな二人には初めてであろう演技に顔を赤らめている二人。しかしその目だけは、しっかりと私を見ていた。私の目線から顔を背けることなく、しっかりと見つめていた。
彼らは、本気だった。
諸咲市民の命が救えるのならば、自分たちの経歴などどうなっても構わない。彼らの目は、本気でそう語っていた。
まだ入庁半年目の新人、まだ大学生気分の残る若造。しかしその目は、すでに諸咲役場の歴戦の職員たちと全く同じ色だった、大きな責任を背負う大人の眼だった。
二人が、私の目を見つめる。正面から、見つめる。
「ヘイ彼女! 悩んでいるヒマはないぜ! オレたちと、ドライブいこうぜ!」
「ヘイ彼女! ハイスピードでかっ飛ばすぜ!」
ヘイ彼女だのドライブ行こうぜだの、聞いているこちらが恥ずかしくなるような、あまりに昭和すぎるナンパの口説き文句を、顔面を真っ赤にして叫ぶ二人。どちらも情けない顔だが、私にはその顔が、すごくかっこよく見えた。なぜかは分からないけど、すごく頼りがいがあって、すごく男らしい、すごくかっこいい顔に見えた。
非常時の最適解を即座に導き出したその頭脳、土壇場でアドリブができるその度胸、恥を堪えて任務を果たすその根性。
この二人は、いずれ良い社会人になるだろう。諸咲を守る、良い公務員になるだろう。
そのような二人に、今ここで出会えたことは幸甚だ。そのような二人に、ドライブに誘われた私は幸せ者だ。
私は両の踵を付け、お二人に深々とお辞儀をする。よろしくお願いします! と頭を下げる。
立場こそ違うが、共に諸咲を守る私たち三人。共に一台の車に乗った私たちの心は、共に一つだった。
この事件、何としてでも被害を食い止める。危険に晒されている人命を、必ず守る。私たち三人の強い意志を乗せた車は、諸咲観光ビル目指して走り出した。