存外の存在
カサコソ、カサコソ。
カラスに荒らされたのか、散乱する生ゴミ。その隅を黒光りしているそれの長い触覚がうごめく。
くちゃり
それが誰かが吐き捨てたネバつくガムに絡めとられた。
「ざまぁねェな」
ポツポツ……天空闘技場がそびえ立つアベルシティに、雨粒が落ちはじめる。
「さて、闘ろうか……っていうか」
初手王手! 円展開!!
「スタープラチナ! ザ・ワァーーーーーーーーーールドッ!」
時が止まる。
かかった!
そして、決着だ!
オレの目の前には、ヒソカが投げたトランプが数十枚空中に浮いて、静止している。その先には、驚愕の表情のヒソカがいる。
完全決着だ。
原作の世界とちがって、現実はドラマチックな展開など起きない。時を止められたヒソカはなすすべなく敗北するのみ。ヒソカ最強説など幻想だ。
戦いははじまる前から決していたのだよ。
オレは最初から、ヒソカとまともに、やり合うつもりなんてなかった。これは魅せる戦いじゃない。オレがヒソカを一方的に蹂躙するだけの、ただの暴力だ。
なんという全能感!!
ハンターハンター世界最強のヒソカを、このオレが、このオレが倒したんだ!
こんなにも、カンタンに!! いともたやすく!!
ヒソカを倒すということは冨樫の頭脳をも越えたことを証明する。
時を止める能力がズルだとか、卑怯だとか言うなよな。ズルとか、卑怯とか、そういう反論をすることが、そもそも冨樫の頭脳の限界ということなのだから。
最強と言っても、所詮はこの程度。俺の天才的な頭脳の前では無力! 無力! 無力なんだよ!!
異能力バトルで、相手が時を止めて、攻撃してくるかもしれないと想定するのは基本中の基本だよ。ハンターハンターの世界ではそういう基本がないのかもしれないけどな。念能力者なんてバカばかり。こんな単純な戦術で、倒せてしまうのだから。
ヒソカには聞こえてないのが残念だ。
「我ながら、この能力は、ぶっ壊れ性能だな」
円で包んだテリトリーの時を止める能力。
これがオレが考えた最強の能力だ! この世界で、俺に勝てる能力者なんていない。何といっても、時を止められるんだから。オレから逃れる術はない。
あとはこのベンズナイフで、ヒソカの皮膚に何ヶ所もかすり傷を負わせれば終わり。だが、用心深いオレはそんな生ぬるいことでは終わらない。ヒソカの頭と胴体を切り離し、絶対に、二度と復活できないようにしてから、時を動き出させる。
首が斬り落とせないなら、ベンズナイフを目に突っ込んで、脳みそグリグリしてやるぜ。
完璧すぎる。オレは油断しない。ヒソカのリアクションがみたいとか、そんな気持ちは起こさない。実は生きていましたなんて、そんなオチもオレは許さない。
オレはヒソカが投げたトランプを交わしながら、確実に、ヒソカに近づいていく。
「動けなければカウンター攻撃することもできないだろう? 無力だな。ヒソカ」
ダメだ。まだ笑うな。だが、こらえ切れない。あのヒソカに勝てたという喜びが止められない。
「ヒャーーーーーッヒャッヒャァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
この世界はオレのものだあああああああっ!! 今、この時より、オレはハンター世界の神となる!!
くちゃり
「んっ!? ……んっ!?」
地面から、足が離れ……ない……???
「えっ!?」
オレはバランスを崩して、そのまま前のめりに、べちゃりと地面に倒れ込んだ。
何かねっとりとベタついたものが、カラダにまとわりつく。気持ち悪い。ねっとりとしている。
はがれねぇ!? なんだこれ!? なんだこれ!?
なんだこれえええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!?
もがけばもがくほど、カラダにネバネバが付着する。まるで、ゴキブリが、罠にかかったかのようだ。ふざけるな。このオレがゴキブリ扱いだと!?
ちょっと待て!? スタープラチナで、時を止めているときは念能力が使えない! これ、ガチでやばくないか!?
身動きが取れない……。
ガチで、逃げられない……。
ウソだろ?
これはバンジーガム!?
ヒソカ! ヒソカ! ヒソカァーーーーーッ!!
ヒソカ、やりやがったな!!
時を止めても、バンジーガムのガムの能力は発動している。
ふざくんな! このパーフェクトな時止めの能力がバンジーガムなんかにやられてたまるかよ!
オレは世界最強なんだ。雑魚専ヒソカのこんなヤケクソ攻撃にやられてたまるかよ。
取れねぇ! 動けねぇ! やべェよ!
ヤベヤベヤベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベ……。
おちゅちゅけ。まず落ち着くんだ。冷静ぇんなれ。時は止めてある。時間はあるんだ。落ち着くんだ。
ベンズナイフを投げて……ダメだ。バンジーガムに絡まって、どうにもなんねぇ!
能力を解除したら、いや、確実に、やられる……。
そうだ。話術で、なんとかならねェか? ヒソカを俺の話術で……。
いやいやいや……能力を解除すれば、俺の念能力が使えるようになるじゃないか。バカか。俺は……。
念能力が使えるようになれば、圧倒的オーラでバンジーガムから這い出ればいい。そこから逆転すればいい。完璧な作戦じゃないか。
大丈夫だ。何も問題ない。
スタープラチナ! ザ・ワールド解除!
「ヒソカ!」
さぁ、ヒソカ、オレの絶望的! 圧倒的! オーラをみるがいい!!
「なぜ、ボクがキミの能力に気づいたのか? 気になっているようだね?」
えっ!?
「キミの円には時を止める能力があるのは降り出した雨がキミの円に触れた瞬間に止まったことからわかったよ。キミが円を展開した途端に、キミは絶の状態になった。これで確信した。キミの円には特殊な能力があるとね♣」
ヒソカの頬が気色悪い朱色に染まって、にんまりと笑っている。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
「だから、ボクはキミの円の展開スピードを考慮して、トランプを投げて、キミをその場所に誘導した。この歩道に、バンジーガムの絨毯を敷いてね♠」
ヒソカが長い舌で、ぺろりと唇を舐めた。
「さすがに、あの瞬間に、一面にバンジーガムを敷き切ることはできなかったからね♣」
ヒソカ、こいつは何を言ってるんだ? いったい、オレに何を説明しているんだ?
「絶の状態のキミは凝を使うことができない。だから、どこにバンジーガムが敷いてあるかわからない。よって、キミが取れる選択肢は二つに絞られる。円を解除して、逃げに転じるか、もしくはバンジーガムに絡みとられてから、円を解除、身体強化して、このバンジーガムから逃げようとするか。今のキミのようにね♦」
ヒソカは、まさか、頭を使って、戦っているのか?
頭脳戦をしているのか?
一瞬だぞ? 円を展開するなんて、一瞬の出来事だぞ?
その一瞬で、オレのスタープラチナを分析し、考察し、攻略方法をみつけて、実行したっていうのか?
ありえねェだろ? そんなのありえねェだろうがよ! 人間技じゃねェだろうがよ!
思考の反射じゃねェかよ。意味がわかんねェことすんなよ! 理解できないことすんなよ。
「さぁ、ボクのバンジーガムから抜け出してごらん❤」
「言われなくても! オーラ! 全開だぁああああああああああああっ!!」
ぶしゅーーーーーっと、俺の四肢から血しぶきが立った。四肢が切断されていた。
「うぎぃああああああああああああああああっ!!」
なんで!? なんで!? なんで!? なんで!? なんで!?
「大きな念能力を使ったあとは、当然、オーラは弱まる。ましてや、絶になるほどの制約と誓約を付けていれば、オーラが復活するまで、タイムラグが生じるのは必然♣」
俺の知らない俺の能力の弱点を……。
「ボクはそこを狙った♠」
ヒソカは的確に……。
「そんなことも知らなかったのかい?」
明らかに、ヒソカは見下すような目を俺に向けている。
「切られたことにも気づかなかっただろ?」
こんなのアリかよ。ここまですべて読み切ってたのか? 俺は時を止める能力の弱点なんて、考えもしなかった。考えても、わからなかった。それをあの一瞬で!?
こんなのに勝てるわけがねェ。
圧倒的な読みの早さと、読みの深さ。バトルの……天才かよ……。
「ヒソカ、ズルすんなよ。正々堂々と戦いやがれ。この卑怯者が!!」
ヒソカは俺に冷めた視線を向ける。
「特質系はバトルに向かないよ? 特に、キミの時を止める能力は欠陥能力だ♦」
――ぶっ壊れ性能なんでね。キリ!
これじゃ、俺、無様じゃないか。カッコ悪すぎじゃないか。
「キミの念の系統は強化系にみえるのに、なぜ特質系を選んだのかな?」
なんで、オレの系統が強化系だとわかった??
「操作系、具現化系、特質系はネタが割れれば、どんな攻撃を仕掛けてくるか、だいたいわかるし、無力化できる♣ 戦闘と言えば強化系。戦闘において、もっともバランスが取れているから、あらゆる念能力に対応可能。キミはバトルというものを何も理解していないようだね」
ヒソカは「クク……」と軽く、本当に軽く笑った。知り合いとの雑談中のちょっとした冗談のように。
昼下がりのコーヒーブレイクのように。
「バトルのパートナー(相手)が時を止める能力者かもしれない。そんなことを想定するのは基本だよ♣」
ぐぬぬぬぬ……。
「キミは本当のバトルというものをしたことがないようだね。これ以外は何もいらないという狂おしいほどのバトルを」
ヒソカはいつも言い方がアレなんだよ。変態的なんだよ。
「ヒソカ、次戦うときは、オレはもっと強くなる」
「キミには未来を感じない♦」
「は?」
ヒソカは俺の存在をバッサリと切り捨てた。
カストロは生かされたのに、俺はカストロ以下だってのか?
ふざくんなよ。俺はチート能力持ちなんだよ。ギフテッドなんだよ。選ばれし者なんだよ。このハンター世界の神になる存在なんだよ。
俺は世界最強なんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!
「残念でした♠」
ヒソカは死の宣告をするように言った。
あぁ、俺、ここで、死ぬ……だがな!! 俺には神がついている。
「なんなんだよ! なんなんだよ! おまえは!!」
「ボクはヒソカ♦ 奇術師さ♣」
ヒソカは自分が最強だと理解している。
これはそれを否定する者の物語……だったはずなのに……。
そうだった。原作でも、ヒソカの戦闘スタイルは敵の念能力を分析し、ウィークポイントを導き出し、バンジーガムでカウンターを与える。
これがヒソカの基本戦術。
応用力が効くとは、相手に付着させられるとか、高速で移動できるとか、そんな意味じゃない。相手の念能力に合わせて、変幻自在のカウンターを決められる。それがバンジーガムが応用力が効くという本来の意味。
警戒すべきはバンジーガムじゃなかった。ヒソカ自身だったんだ。
「キミの能力は完全な補助能力。後方支援能力。なのに、なぜか単独でボクに戦いを挑んできた。ボクに命を狙われる覚えはないんだけどな。デートを申し込まれる覚えもね♣ なぜだい?」
ヒソカはオレの背景を探っているようだ。
「それだけが謎なんだ」
「俺は死に戻り――」
◆ ◆ ◆
白い部屋だった。
壁も、床も、天井も白い。どこまでも続いているようで、どこにも繋がっていない空間。その中央に浮かぶモニターだけが、外の世界を映していた。
雨に濡れた歩道。
四肢を断たれ、転がる男。
その傍らに立つ、ヒソカ。
「死んでる……♠」
ヒソカが、つまらなさそうに呟く。
「口封じかな?」
興味があるのは死体そのものじゃない。
その向こう側だ。
「誰かの念能力で縛られていたのかもね♣」
雨の中で、倒れた男を見下ろしながら、ヒソカがわずかに首を傾げる。
「何かが動きはじめているようだ」
そこで、ふっと笑った。
ぞわりと、背筋が粟立った。
「これは彼ひとりの告白じゃない」
ヒソカは、倒れた男から視線を外した。
「キミがやらせたんだろ?」
その言葉に、胸の奥が、すうっと冷えていく。
軽い。
軽いのに、逃げ道だけはきっちり塞いでくるような……。
「罰ゲームかな? 悪趣味だね♠」
そこで、誰もいない場所を見る。
「告白する本人より、後ろで見てる方がずっと醜いんだよね♦」
ひやりとした。
ヒソカの視線が、ゆっくりと雨の歩道の誰もいない空間をなぞる。
いや、最初から、見えていない誰かに向かって話している。
「そこに隠れて見てるんだろ?」
息が止まった。
その声は、誰に届くともなく投げられたようでいて、まっすぐだった。
「キミが直接会いに来なよ?」
ヒソカの口元が、わずかに吊り上がる。
「勇気が出ないのかな?」
軽い。軽いのに、声が鼓膜のすぐそばで鳴ったような錯覚がした。
「友達と一緒じゃないと無理かな?」
そして、笑う。
ヒソカが、ふいに振り返る。
こちらを見たわけじゃない。
見るべきものは、そこにはない。
なのに。
ヒソカの視線が、画面の隅の何もない一点に触れた気がした。
「ボク、そういうの……いちばん嫌いなんだよね♦」
目が合った、と思った。
ありえない。
ありえないのに、ヒソカはそこに何かあると感じ取ったみたいに、じっと動かない。
やがて、ゆっくりと、唇の端が持ち上がる。
狂気の笑み。
見つけたわけじゃない。
それでも、届いたとわかる笑みだった。
たまらず、モニターを切っていた。
白い部屋に沈黙が落ちた。
暗くなったモニターに、ヒソカの狂気の笑みが張り付いた気がして、思わず目を閉じた。
ゆっくりと目を開ける。
もう何も映っていない。
それでも、まだ手が震えていた。