190階クラスへの切符をかけた180階ステージ。そこに一人の怪物が立ちはだかる。
まだ洗礼(念攻撃)を受けておらず、車椅子にも乗っていない、五体満足の「神脚の天才格闘家」と呼ばれていた頃の――リールベルト。
リーノの午前・午後と続いた圧倒的な快進撃を見てもなお、リールベルトの顔から余裕が消えることはなかった。
それどころか、極めて高い戦闘IQを持つ彼は、200階クラスに上がる上で、急速に追い上げてきた新星(リーノ)が最大の障壁になることを本能的に計算し、楽しんでいるようでもあった。
……底が見えねェ。なんだあのリールベルトの余裕は。
リング上のリールベルトと視線が交錯した瞬間、リーノの胸の奥に、言葉にできない不気味な不安がよぎった。
「――まずは、前座から片付けようか」
リールベルトが冷酷に、そして、煽るように微笑む。
「あぁ?」
そして、運命の「ゴンズ VS リールベルト」の試合が、幕を開ける。
『始めっ!!』
リールベルトの間合いをはかるような美しくしなやかな回し蹴りが、ゴンズの目の前を横切る。
VIP席でそれを見たリーノは、胸の奥がキュッと締め付けられるような、どこか切ない感覚を覚えた。
そうか……。こいつ、200階クラスに上がって念の『洗礼』を受ける前は、こんなに綺麗な蹴り技を使う奴だったんだな……。
武を極めようとしていたんだ。
原作のリールベルトは、ギドやサダソと共に新人をハメる洗礼組の男のひとり。
電気が流れる二頭の蛇(ツインスネイク)を操る、車椅子の歪んだ念能力者。
その未来を知っているからこそ、今まさにリング上で見事なハイキックをみせた「五体満足の天才格闘家」としてのリールベルトの姿に、転生者としての複雑な感傷が湧いたのだった。
だが、そんな切なさは、一瞬で、血の匂いと共に吹き飛んだ。
「オラァッ!」と叫んで突進するゴンズの猛攻を、リールベルトは紙一重の美しいステップで全て完璧にいなしていく。
しかし、ついに、ゴンズのコブシがリールベルトをとらえる。リールベルトにまともにヒットした。石板の床に、思いっきり、カラダをぶつけて、ダウンする。
「ちょっと遅れてしまいましたか」
ウイングがリーノとパームの後ろの席にやってきた。このエリアは選手関係者しか入れないはずなのに、どうして??
「ウイングさん、チケットはどうやって?」
「さて、どうしてでしょう」
ウイングはイタズラっぽく言った。
「リーノ君。180階クラスと190階クラスの違いはわかりますか?」
「ううん」
「リーノ君は正拳突きをしたあと、どこに筋肉痛が来ますか?」
「えっと……腕? 腰?」
リーノは思い出す。脚だ。なぜか脚がいつも痛くなった。
「ちがう。脚かな?」
「心源流の正拳突きは大地を踏みしめて、その力を体幹を通して、拳まで伝えて、相手を貫く技です。大事なのは腕だけの力でも、乗せる体重でもありません。大地を踏みしめる脚力です」
拳の技だと思っていたのに、本質は『脚』なのか……!?
ゴンズはリールベルトを一方的に殴りつけて、リールベルトはそれをまともに喰らって、ダウンを続けている。そのたびに、大歓声が上がる。
ゴンズコールで、観客席は埋め尽くされている。
『また立ち上がったああああっ。リールベルト選手は不死身なのか!!』
「ゴンズの全力をまともに喰らって、なんでリールベルトはピンピンしていられるんだ?」
「体重を乗せて、ダメージが通るのが170階クラスまで。180階を境に、それは意味をなさなくなります。200キロの体重の打撃なんて、意味をなさないほどの純粋な肉体耐久力を持つ者たちのステージ。それが190階以上の領域です。技術云々ではない、圧倒的なフィジカルの壁です」
リールベルトは何度でも立ち上がる。
『またまたまたまた立ち上がったあああああっ』
実況の絶叫が、ウイングの言葉を証明していた。
ゴンズは肩で息をしている。渾身の一撃を何度もクリーンヒットさせているはずなのに、目の前の男は壊れない。平然としている。
次第に、会場は不気味な雰囲気に包まれていく。
『リーベルト選手、まるでダメージを受けていないかのようだ』
「今のリーノ君ならわかるはずです」
そんな、、、。
「この領域の戦いに、体格は関係ありません」
リールベルトは首をまわす。準備運動完了と言った雰囲気だ。
ゴンズがリールベルトに向かっていく。リールベルトの洗練された強烈な回し蹴りが、ゴンズの顎を打ち抜いた。
ドガッ!!!
ゴンズが立ったまま、フラフラしている。
、さらに、リールベルトは側頭部を、飛び蹴りで的確に打ち抜いた。
バキィッ!!!
「が、はっ……ごほっ!!」
脚、腹、と下から、リールベルトの蹴りがゴンズを崩していく。そして、斜め上から、リールベルトの蹴りが打ちおろされた。
自慢の怪力を何一つ活かせぬまま、ゴンズの巨体がリングに叩きつけられ、激しい血の霧が舞った。
骨の折れる鈍い音が会場に響く。
リールベルトは容赦のない連続蹴りで、ゴンズをさらに宙へと跳ね上げ、いたぶるように、再起不能寸前までめちゃくちゃに叩きのめしていく。
悲鳴が上がる。
「ゴンズーーーッ!!」
観客席のリーノの叫びが、激しい怒りと共に会場に木霊した。
何が車椅子の感傷だ。何が武道を失った切なさだ。
目の前で、この世界で初めて出来た大切な相棒が、ライバルが、ただのポイント稼ぎの獲物として蹂躙されている。
ドス黒い怒りが、リーノの全身の血液を沸騰させた。
リールベルト……ッ!! お前がその自慢の足でゴンズを壊すって言うなら……俺が二度と、その蹴り技を使えねぇようにしてやるよ……!!
格闘家としてのリスペクトも、原作の知識も全て消し飛んだ。
リーノは処分覚悟で、ゴンズを救うために観客席の手すりを乗り越え、リングへと乱入しようと、観客席の最前列に、身体を飛び出させた。
だが。
血まみれでリングに膝をついたゴンズが、乱入しようとするリーノを遮るように、その獰猛な瞳を真っ直ぐにこちらへ向けた。
おまえは、来るんじゃねぇ――っ!!
目が、そう語っていた。ゴンズはここでリーノが乱入すれば、資格剥奪などの重いペナルティを課されることを分かっていたのだ。
「ゴンズさんにとって、これがラストチャンスなんです。ここで引いたら、もう二度と、リーノ君とは戦えない。それを彼は知っているんです」
雄たけびをあげて、ゴンズは立ち上がった。その瞬間、リーベルトの回し蹴りが膝に入る。連続で飛び膝蹴りがゴンズのあごをとらえた。
リングに仰向けに倒れるゴンズ。
俺はゴンズのそんな気持ちを無視して、リングへと飛んでいた。
ゴンズと目が合ったような気がした。
ゴンズは、血と泥にまみれたリーノの相棒は、せめてリーノの未来だけは守るように、親指を立ててレフェリーに向け、はっきりと声を絞り出した。
「……まいった」
降参の宣言。
『勝者、リールベルトー!』
それと同時に、リーノはリングの上に降り立った。
『190階へ!』
会場が天才の勝利に静まり返っている中、リーノはリングでボロボロになっているゴンズに駆け寄る。ゴンズの脚が曲がってはいけない方向に曲がっている。
「ゴンズ?」
「悪りぃ。約束を守れなくて、ごめんな」
ゴンズは担架で運ばれていく。二度と戻らない、不器用な友の背中を見送る。
リング中央で、汗一つかいていないリールベルトが、そんなリーノの視線に気づいて傲慢に口元を歪めた。
「どうしたんだい? 海王殺しくん。次はキミの番だよ」
ゴンズの気持ちがリーノの中に流れ込んでくるかのようだった。
リーノはリング上の天才を、魂ごと呪い殺さんとするほどの凄まじい眼光で睨みつけた。
「リールベルトオオオオオオッ!!」
怒号が、天空闘技場の喧騒を圧して響き渡る。
「今、190階は空席。つまり、190階クラスはキミとオレの二人きり。勝ったほうが200階へ昇格する直接対決だ……!」
「必ず、おまえをそのリングの上で叩き潰す……!!」
その顔には、かつてチート能力に頼っていた頃の驕りは一切なかった。ただただ、相棒の仇を討ち、自らの力で高みへ這い上がるという、本物の格闘家としての狂気的な執念だけが燃え盛っていた。
リーノの怒りに満ちた凄絶な宣戦布告。
それを受けながらも、リールベルトはただ冷酷に、どこまでも美しい余裕の笑みを浮かべたままで言った。
「やれるものならね」