イエローボックス倉庫には、ヒソ力とエル、それに僕と僕の念獣死神レムの4人しかいない。
倉庫の中央に立つヒソ力の顔には、両頬にマークが描かれている。スペードと涙の雫。悪趣味なペイントだ。
無機質な床の上に、ひやりとした空気が落ちている。
死神レムがゆっくりとノートに書き込んでいる。アイツの名前を。
「書いたぞ」
黒々とした文字が、デスノートに大きく刻まれている。
ヒソカ=モロウ。
勝った。
思わず口元がゆるみそうになるのを、僕は必死にこらえた。
まだだ。まだ笑うな。書き終えてから40秒。ヒソカが死ぬまでは、何があるかわからない。あの男のトランプが俺の喉笛を裂くかもしれないし、悪あがきで相打ちに持ち込まれる可能性だってある。
それさえなければ完全勝利は動かない。
レムは僕が具現化した死神。人間の名前を見抜く死神の眼を持ち、デスノートに名を書けば、裁きは必ず成就する。
そういう能力。
原作デスノートとは違う。魅上照じゃない。死神自身に書かせたんだ。名前をまちがえようがない。ノートがニセモノということもない。
そもそものゲームバランスが崩れているんだよ。
これが神の異能力だ。
除念でもしないかぎり、逃れようもない。しかも40秒以内に。そんな芸当、できるはずもない。
ヒソカ。おまえの死は、もう運命になった。
そのときだった。
「大丈夫です。ヒソカさん。あなたは死にません」
静かな声だった。
自称プロハンターのエルだ。ひょっとこの仮面をかぶった、薄気味悪い男だ。プロハンターなら選挙編でもいたはず。でも、ヒソカに狙いたいとも思われなかったクソ雑魚ハンター。
みればわかる。その貧弱なオーラ。
そんなモブハンターが何を言っている。
僕は思わず眉をひそめた。
レムが名前を書いたんだぞ。発動条件は満たされた。それを見たうえで、なお死なないと言うのか。
強がりか。ハッタリか。除念でも使えるのか?
だが、だからどうした。
エルは制約と誓約で僕を攻撃できない。ヒソカが死ねば、こいつはただの無力な観客だ。
「あぁ、そうだ。よくやった、レム。名前を書いてから、何秒だ?」
「35、36、37……」
レムが抑揚のない声で秒を刻む。
その数字が、勝利へのカウントダウンに聞こえた。
「ヒソカ! エル! 僕の勝ちだ!」
「40」
その瞬間だった。
ドュックンッ!!!!!!
ヒソ力が、目を見開いた。
胸を押さえ、呼吸を止めたみたいに硬直する。
あは……来た……。
そのまま奇術師ヒソ力の身体がぐらりと揺れ、床へ倒れ込む。
やった。
やったぞ。
僕は、本当に――
ヒソカに勝ったんだ。
◆ ◆
奇術師ヒソ力が床に横たわっている。
やった。
ついにやった。
「夜神月。あなたがキラです」
エルの声は、驚くほど静かだった。
ひょっとこの仮面の奥に、動揺は微塵もない。
まるで、面倒な手順がひとつ終わったとでも言いたげな、やれやれとした気配すらある。
……なんだ、その態度は。なんだ、その余裕は。
「あぁ、そうだよ」
「自白しましたね」
「あぁ」
おかしい。
ヒソカは死んだ。
レムが名前を書いた。発動条件は満たされた。完璧だ。
なのに、なぜエルはそんな顔をしていられる。
だが、それもここまでだ。
「ふ、ふはは……ははははははははは……そうだ。僕がキラだ」
笑う。
笑ってしまえばいい。
もう勝ったんだ。何も心配はいらない。
「いいか。僕はキラ。そして、この新世界の神だ。たった今、神となったんだああああああああああああああああああああああ!!」
笑い声が倉庫に反響する。
ヒュー――――っと風が吹き抜けていった。
「くっきゅっきゅ♦」
背筋が冷える。
「……!?」
ありえない。転がっているヒソ力から、声がしたように聞こえた。
「くっきゅっきゅ♣」
ヒソ力が、ゆらりと身体を起こす。
まるで何事もなかったみたいに、ゆっくりと立ち上がった。
「なん……だと……!?」
どうなっている!? なぜ生きている!?
魅上照じゃない。レムなんだ。死神レムが名前を書いたんだぞ。デスノートのすり替えなんてあるはずがない。能力が発動していない? いや、それこそありえない。
発動条件は満たされた。死神の眼で名前を知り、デスノートに書いた。そこに曖昧さなんてあるはずがない。
なのに、なぜ立っている。
「何をした!? 何をしたんだ!? ヒソカアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「さて、どうしてでしょう♣」
わからない。
レムが裏切った? いや、それこそない。断言できる。レムは僕が具現化した死神。僕の念能力そのものだ。僕が操作された? それもない。制約と誓約で、この勝負はヒソカとのタイマンに限定されている。外から干渉される余地はない。
「今、デスノートで、ボクを殺すことはできない♠」
「そんなはずがあるか! そんなこと、ありえない! 絶対にありえないんだ!」
「冥土の土産に覚えておいて……奇術師に不可能はないの♣ 無駄な努力ご苦労様❤」
何を言っている。意味がわからない。
デスノートで殺せない?
そんな馬鹿なことがあるか。
次の瞬間、ヒソ力が右手を振るった。
「バンジーガム♠」
粘ついた何かが、僕の顔面に叩きつけられた。
「んげこ」
口も鼻も塞がれる。
息が、できない。
苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。
視界の端で、ひょっとこ仮面がすっと後ろへ下がった。
エルは、ヒソ力の陰に隠れるように位置をずらしている。
僕ではない。
あいつが見ているのは、僕じゃない。
ヒソカだ。
まさか――こいつ、最初から……?
「キミに生かす価値はない★」
くぐもった声が、至近距離で響く。
レム!
ヒソカを攻撃しろ!!
僕の心の命令に応じて、レムがヒソ力へ襲いかかった。
勝てる。まだだ。まだ終わっていない。レムがあいつを殺せば――
だが、その腕はヒソ力の眼前で止まった。
「……なっ」
レムの身体に、ひびが入る。
黒い輪郭が崩れ、砂みたいにぼろぼろと剥がれ落ちていく。
灰の中に、デスノートだけが残った。
死神の制約と誓約――!
人の寿命を伸ばすために動いた死神は、死ぬ。
こんなところで。こんな、くだらない場面で。こんなはずじゃ――
その瞬間だった。
ヒソ力の身体のどこかが、ぶるりと震えたように見えた。
嫌な予感がした。
本能だけが、逃げろと叫ぶ。
だが、顔を覆うバンジーガムのせいで、声も出ない。息も吸えない。
ヒソ力が、片手をこちらへ向ける。
軽い仕草だった。
あまりにも軽すぎて、何をされるのか理解が追いつかない。
次の瞬間。
衝撃が、来た。
破裂音にも似た、だがそれとは明らかに違う暴力の塊が、真正面から僕を打ち抜いた。
ただ殴られたんじゃない。
ただ弾かれたんでもない。
圧縮された何かが、至近距離で一気に解放された。そんな、おぞましい一撃だった。
倉庫の空気が揺れる。
床が砕ける。
頭の奥まで白く染まっていく。
なんだ、今のは。
今のが、本当にバンジーガムなのか?
ゴムの反発で、こんな威力が出るはずがない。
じゃあ、あれは何だ。
ヒソカは、いったい何を――
「あなたは神ではない。あなたはただの人殺しです」
遠くで、エルの声がした。
「そして、このノートは史上最悪の大量殺戮兵器です」
視界の端で、エルがデスノートを拾い上げる。
炎が揺れた。
黒い表紙が焼ける匂いがした。
…………何が、何だか、わからない…………。
なぜデスノートが効かなかったのか? 神を欺いた方法とは?
写輪眼を使って読めば推理の必要もありません