「あたしの可愛い弟子、み〜つけたわさ♥」
ヒソカの気配が去ったと思った次の瞬間、今度は背後から、少女みたいに高くて甘ったるい声が飛んできた。
振り返った俺は、思わず目を疑った。
フリルのついたゴスロリ衣装。金髪ツインテール。小柄な体つき。どう見ても、どこかの可愛いお嬢様みたいな見た目だ。
けれど、そんな外見に騙されるほど、俺は鈍くない。
この女、やばい。
見ただけでわかる。いや、わかってしまう。ヒソカとはまた別の方向で、絶対に逆らっちゃいけない種類の化け物だ。
変化系かよ。いや、変化系か。
具現化系と放出系みたいに、強化系と変化系は相性良いんじゃなかったのかよ。
少女は大きな瞳をきらきらさせながら、俺をじっと見つめていた。
「あたしはビスケット=クルーガー。ビスケちゃまって呼んで」
「……嫌です」
反射で口が動いていた。
同時に、脳裏にウイングさんの言葉がよみがえる。
――リーノくん、私なんて全然鬼じゃありませんよ。師範に比べれば
その瞳だよ。怖い。今ならわかる。たぶん、いや確実に、目の前のこいつのことだ。あのウイングさんが子犬みたいにぷるぷる震えて怖がってた師範って。
「てか、弟子ってなに……?」
「あんたは本来、あたしが教育するはずだったんだわさ。ちょぉ~っと忙しくてウイングにお願いしてたんだけど……今日から、いや、今から、このあたしがみっちりしごいてあげるわさ!」
ビスケの瞳がまぶしい。それは俺の不幸を意味している。
「嫌です」
即答した。
転生したら、ビスケに修行をつけてもらって……そんなことを考えることもあった。それは転生前の話だ。実際に、この世界に来たら、話は別だ。
ウイングさんより厳しいかもしれない相手に、今からみっちりしごかれる。そんな未来、想像しただけで背筋が寒い。
絶対に嫌だ。修行なんて嫌だ。俺は楽して最強になりたいんだ。
俺はじり、と後ずさった。
「こらこらこらこら〜。逃げるんじゃないわさ!」
逃がさないとばかりに、ビスケが俺の腕をぎゅううっと掴んできた。
「ウイングさん助けて! 襲われる、拉致される~~~っ!」
本気で逃げようとした、その時だった。
「――待ってください! お願いします、僕を、僕をあなたの弟子にしてください!」
通路の陰から飛び出してきたのは、眼帯に手に包帯という中二病ファッションの少年――アシュラだった。
アシュラはそのままビスケの前にひざまずいた。
プロポーズするんじゃないかという勢いだ。
俺は一瞬、ぽかんとした。
一昨日、会ったときとキャラがちがうぞ。ヒソカを煽りまくっている宣伝動画ともちがう。だが、気持ちはわからなくもない。相手は原作でも名の知れたネームドキャラだ。転生者なら食いつく。
この食いつき方を見ればわかる。こいつもたぶん、俺と同じだ。
でも、その必死さを見ていると、胸の奥がざらついた。
こいつは、俺が泥臭く這い上がるのを、ずっと遠巻きに見ていたはずだ。俺を見下して、嘲って、勝手に優越感に浸っていた。
俺とアシュラの対戦日の設定がそれを物語っている。
俺に対する圧倒的な敵意。
そんな俺のまわりに、今さら関わろうとしている。それが無性に気に食わなかった。
「今度の試合、僕がリーノに勝ったら……! 僕が勝ったら、僕の師匠になってください!」
顔を真っ赤にして叫ぶアシュラを、ビスケは嫌そうに見下ろした。
「嫌よ」
「どうしてですか!?」
「だって、リーノのほうが弱いもの」
「――え……?」
固まったのは、たぶんアシュラじゃなくて俺のほうだった。
胸の真ん中を、刃物でざっくりえぐられたみたいな感覚が走る。
俺のほうが弱い。俺のほうが弱い。俺のほうが弱い。
その言葉が、頭の中で何度も反響した。
俺はアシュラに勝つつもりだった。絶対に勝つつもりだった。俺に屈辱を刻んだコイツを、叩き潰してやるつもりだった。
それなのに、ビスケはあっさり言った。
俺のほうが弱い、と。
「それなら尚更! 勝つほうの僕を選ぶべきだ! 誰よりも強くなれるのは僕だ!」
アシュラは食い下がった。
ビスケはため息をつくと、さっきまでの甘ったるい雰囲気をすっと消した。
空気が変わる。
目の前にいるのは、可愛い少女なんかじゃない。たぶん、本物の強者ってのは、こういう顔をするんだ。
「あんたは、それ以上は強くなれない」
「……っ!」
アシュラは息を呑んだ。けれど、次に出された条件を聞いた瞬間、その目の色が変わった。
「才能の壁にぶつかった男に興味ないんだわさ……どうしてもって言うなら、条件をあげるわさ。3ヶ月以内に、この天空闘技場でフロアマスターになりなさい。そうしたら、弟子にしてあげるわ」
「フロアマスター……! 3ヶ月で……!? それだけでいいんですか? たったそれだけで」
アシュラの顔がぱっと明るくなる。
「それだけでいいわさ。ただし、リーノとの再戦を避けないこと。そして、リーノに負けたら、この約束はなし」
「問題ありません! 約束は必ず守ってください。必ず僕はあなたを手に入れてみせます」
なんかこいつの言い方、気持ち悪っ。
てか、再戦って、俺、負ける前提かよ。
アシュラは俺を一瞥した。
その目に、一瞬ぞっとする。
本気で刺してきそうな目だった。
けれど次の瞬間、アシュラはビスケのほうを見て、今にもスキップしそうな足取りで立ち去ろうとした。
「アシュラ!」
気づけば、俺は呼び止めていた。なんで声をかけたのか、自分でもよくわからない。けど、ここで何も言わなきゃ駄目な気がした。
「……何?」
「無茶だけはするな。無理もするな。この世界は、そんな甘くない。こんな約束より、命のほうが大事だ」
「何を言ってるのか、さっぱりわからないな。キミと僕じゃ、見えているものが違う。これが才能の差なんだろうね、凡夫君」
そう言い残して、アシュラは立ち去っていった。
アシュラは3勝しかしていない。
あと3ヶ月でフロアマスター!? そんなの無茶だろ。今の200階クラスがどれだけ魔境か、身を置いてる俺がいちばんわかっている。ヒソカ、ウボォーギン、カストロ、それに――アイツまでいる。
俺の宿敵。天空闘技場の申し子。破面流のツバサ=スカイウォーカー。
怪物みたいな連中がごろごろいる場所で、そんな短期間であと7勝を積み重ねるなんて不可能だ。
「あの……アシュラの条件、さすがに厳しすぎだと思うぜ?」
思わずそう聞くと、ビスケはふんと鼻を鳴らした。
「嫌よ。あの子には、これっぽっちも興味ないんだわさ」
あっさりした声だった。
そこには迷いも、ためらいもない。
できるかできないかを見極めたうえで、もう切っている。
そんな響きだった。
原作では見せない顔だ。いや、違うな。ゴンやキルアには見せない顔、と言ったほうが正確か。これが本来のビスケット=クルーガーなんだ。
好き嫌いが激しくて、嫌だと思ったらすぐ切り捨てる。
変化系かよ。いや、変化系か。
アシュラ、操作系っぽいな。イメージ的に、変化系と操作系は相性悪いから。マチとシャルナークみたいに。
「それにあの子は、あんたの忠告を無視した。見込みがないのよ」
ぞくりとした。
ビスケの中では、もう結論が出ている。
可能性がないと見た相手には、二度と振り向かない。
今の一言には、そんな冷たさがあった。
「さ、行くわよ!」
「えっ!? うわあああ! 放せえええ!」
次の瞬間、俺の体が宙に浮いた。
いや、おかしいだろ。柔道着の重さも加えれば、百キロ超えてるんだぞ、俺。なのに子犬みたいに軽々と引きずられてるんだけど。
文字通りドナドナされながら、俺はウイングさんの待つ個人トレーニングルームへ連行された。
◆ ◆
部屋に入るなり、ビスケはウイングさんに向かって、今日からは自分が見るだのなんだのと、ものすごい勢いでまくしたて始めた。
ウイングさんは眼鏡の位置を直しながら、深いため息をつく。
「師範……。あなたは才能がないと見限った人間には『纏』しか教えない。飽きると、すぐに放っぽり出す悪癖がある。ハンター協会からもクレームが入ってるでしょう!」
ビスケの目が、わかりやすく泳いだ。
「師匠失格ですよ」
「ひよっこウイングが言うようになったわね」
ビスケはぐぬぬと言葉に詰まった。痛いところを突かれたのは間違いない。けど、それで本気で腹を立てる感じでもない。むしろ、少し口元が緩んで見えた。
「リーノくんを見放さないと言えるんですか?」
纏しか教えない!?
ウイングさんのその言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中で何かがぴたりとはまった。
待てよ。
才能がないやつには、纏しか教えない……?
原作の記憶が、一気につながる。
長年ネットで謎扱いされてた話がある。レオリオに念を教えた師匠は誰なのかってやつだ。ヨークシン編の時点で、レオリオは基礎中の基礎である纏しか覚えていなかった。
そんなバカなことがあるか? どうしてそうなった!? ありえないだろ。
いろんな議論がなされたが、結論は出なかった。
もしかして――いや、これ、ビスケなんじゃないか?
纏しか教えないくせに、裏ハンター試験の試験官やプロハンターの進路相談みたいな立場を任されてもおかしくない実力者。そんなわがままが許されるプロハンターなんて、俺の知る限りビスケくらいしかいない。
長年の謎が、ウイングさんの愚痴ひとつでつながってしまった。
俺が一人で勝手に考察の海に沈んでいると、ビスケが目の前でパンッと手を叩いた。
「で、あんたのこれからのスケジュールはどうなってるわけ? ……ふんふん、一週間後にアシュラ戦ね。さっきの子か。言っておくけど、あの子は手ごわいわよ」
その言葉に、さっきの一言がまた胸を刺した。
俺のほうが弱い。
悔しさで拳が勝手に握られる。
「アイツにだけは、絶対に勝ちたい。……アイツは、俺をコケにしたんだ!」
口にした瞬間、自分でも驚くくらい声に熱がこもっていた。
キメラアント編のユピーに無視されたシュートの気持ちを思い出した。
俺をゴミみたいに見ていた目。あの見下し方。あれが、どうしても許せなかった。
すると、ウイングさんが静かに目を細めた。
「はい。知っています」
「……どゆこと?」とビスケが小首をかしげる。
ウイングさんは落ち着いた声で言った。
「アシュラくんは、リーノくんを対等な相手として見ていません。絶対的な格下として見下している。それを公の場で暗に示した。キミが本当に腹を立てているのは、そこでしょう」
図星だった。
俺は息を呑んだ。
勝ちたい理由はひとつじゃない。コケにされたから。見下されたから。いろいろある。けど、いちばん腹が立っていたのは、あいつが俺を敵としてすら見ていなかったことだ。
ビスケが腕を組み、鼻で笑う。
「なるほどね。あの子があんたを敵と見てないことに、あんたは腹を立ててるわけね」
一拍おいて、ビスケは続けた。
「……でもね、リーノ。現実問題、今のあんたとの実力差はかなりあるわさ」
反論したかった。
けど、できなかった。
俺はまだ自分の能力を完全には制御できていない。それどころか、全貌もよく理解できてなかった。
それにアシュラの能力は調べてすらいない。
アシュラ戦まで、あと5日。
短すぎる猶予が、ずしりと肩にのしかかった。