「天空闘技場のネットアーカイブ……便利だよねぇ♦」
ヒソカが俺の隣りで、ソファに座りながら、声をかけてくる。
ノートパソコンに、リングの上に立つアシュラが映る。黒い炎。細い体。気取った立ち方。なのに、次の瞬間には相手が吹き飛んでいた。
「……こいつ、炎を使ってる……?」
思わず漏れた声に、ヒソカが口元をゆるめる。
アシュラは相手に手も触れていない。
それなのに、左目の眼帯をスタイリッシュにめくると、空間から爆ぜるみたいに炎が噴き出して、対戦相手を包み込んでいた。変化系か。具現化系か。放出系か。いや、どっちにしてもおかしい。スロー再生に切り替えても、どこからどう火が生まれているのかが見えない。
ヒソカが、ほとんど肩を触れそうな距離で画面を覗き込んだ。
「ふふ……不可解だねぇ♣」
耳元で笑われて、思わず奥歯を噛んだ。
近いんだよ。
気色悪い。
なのに、カラダを離したら離したで負けみたいな気がして、それも腹が立つ。
映像の中で、アシュラの炎がまた相手を呑み込む。
おかしい。
17歳で、この練度はおかしい。制約も見えない。炎の性質が出来すぎている。ただの念能力として考えるなら、不自然なくらい完成しすぎていた。
変化系であそこまでやれるか。具現化系だとしても同じだ。
放出系だとしても、説明がつかない。
念のルールの中で組み上げた能力というより、先に結果だけがそこにあって、理屈のほうが後ろから追いかけている感じがする。
まちがいない。アシュラはやはり転生者だ。
俺が画面を睨んでいるあいだも、ヒソカは楽しそうだった。
アシュラを見て笑っているようには見えない。
その炎の奥にある何かを、いや、もっと正確に言えば、それを見ている俺の反応を面白がっているようにしか見えなかった。
こいつは、アシュラなんかどうでもいいんだ。
ただの雑魚。
答えの出てる相手。
興味の対象ですらない。
それなのに、俺の隣にはいる。
俺がどこまで考えるか、どこまで気づくか、それだけを見たくて、ここに座っている。
俺を計っているんだ。
「どう思う? リーノ♥」
甘ったるい声が落ちてくる。
俺は画面から目を離さなかった。
「……気持ち悪い」
「ふふ♣ それ、ボクのこと? それとも、あの子の炎?」
どっちもだよ、と思った。
けど、口には出さない。
映像の中で、また黒い炎が揺れた。
理屈が見えない。
手順が見えない。
なのに結果だけは、目の前ではっきり出ている。
アシュラの不気味さがじわじわと輪郭を持ち始める。
モニターの中で、黒い炎が相手闘士を焼いていた。
逃げ場なんて最初からないみたいに、黒い火は対戦相手を呑み込み、悲鳴ごと削り取っていく。相手闘士の拳はアシュラをすり抜ける。念も通らない。近づいた瞬間に焼かれ、距離を取っても視線ひとつで終わる。
どうしろってんだよ、こんなの。
俺は膝の上で拳を握った。爪が掌に食い込む。痛みがあるのに、全然現実味がなかった。画面の向こうで暴れているのは、根性とか工夫とか、そういうものを笑い飛ばすためだけに生まれてきたみたいな理不尽だった。
魔術師アシュラ。
転生前の俺が一度は夢見たことのある能力。その完成形。身体を炎に変え、物理を通さず、触れれば焼き、見れば殺す。
喉が渇く。
勝ち筋が、一ミリも見えない。
当たり前だ。
そのとき、隣でパチ……と乾いた音が鳴った。
トランプだった。
さっきからずっとそうだ。パチ、パチ、パチ、と、一定のリズムでカードの端を鳴らしている。
なのに、ヒソカはモニターを見ない。
一度もだ。
いままさにアシュラが相手を焼き尽くしたその瞬間ですら、液晶の青白い光を横顔に浴びながら、ヒソカは画面に一瞥もくれず、ただ俺の顔だけを見ていた。
意味がわからなかった。
なんで見ない。
なんで、あの怪物じゃなくて、俺を見てる。
「リーノ……♠」
甘い声が耳を撫でた。
やわらかいのに、ぬめるみたいにまとわりついてくる声だった。
「……何」
なんとかそれだけ返すと、ヒソカは口元だけで笑った。
助言をくれる気配はない。危機感もない。警戒もない。目の前に無敵の怪物の映像が流れているっていうのに、まるで退屈な余興でも眺めているみたいな、いや、違う。眺めてすらいない。ただ俺の反応だけを愉しんでいる顔だった。
その無関心さが、異様だった。
俺にはわかる。あれがどれだけ反則じみた能力か。転生前の知識があるからこそ、身体を炎に変える無敵がどれほど面倒で、どれほど理不尽か、嫌というほどわかる。
欲しかった能力だ。
喉から手が出るほど。
だからこそ余計にわかる。あれは強いなんてもんじゃない。正面からまともにやり合う相手じゃない。
なのに、ヒソカは見向きもしない。
まるで、もう答えが出ているみたいに。
まるで、最初から興味の対象ですらないみたいに。
パチ……と、また一枚、トランプが鳴った。
「カラダが炎になっても、五感は残ってる♣」
「……え?」
思わず振り向く。
ヒソカはやっぱり画面を見ていなかった。視線はずっと俺に貼りついたままだ。俺がどんな顔をするのか、その変化を待ち望むみたいに、ねっとりと。
「彼は世界を見なきゃいけないし、音を聴かなきゃいけない♦」
指のあいだで、トランプがくるりと回る。
「炎と同化してるつもりでも、情報を拾うところまで消えるわけじゃない♥」
背中を、冷たいものが走った。
五感が残る。
目がある。耳がある。感覚がある。身体を炎に変えたところで、世界を受け取る器官まで消せるわけじゃない。見なきゃ動けない。聞こえなきゃ反応できない。外部の情報まで、無効化してるわけじゃない。
だったら、穴はある。
無敵なんかじゃない。
そこまで思いついた瞬間、息が止まった。
弱点があったからじゃない。
こいつが、それを画面も見ずに、当たり前みたいに言ったことのほうが、ずっと怖かった。
俺にはアシュラしか見えていなかった。どうやって倒せばいいのかわからない、理不尽な怪物。けど、ヒソカにとっては、そんなもの、視線を向ける価値すらないらしい。
「……なんで、見ないんだよ」
気づけば、口からこぼれていた。
「ん?」
「アシュラだよ。あんな能力、普通はもっと警戒するだろ」
ヒソカは少しだけ目を細めた。
嬉しそうだった。
「だって、もう見えてるから♣」
「は?」
「答えの出てるオモチャを、いつまでも眺めてるのは退屈でしょ♦」
心臓が、どくんと鳴った。
アシュラが。
あの無敵の怪物が。
ヒソカの中では、もうその程度で片づいている。
強いとか弱いとか、そんな話ですらない。ただ、退屈かどうか。その程度の基準でしか見られていない。
ぞっとした。
アシュラが怖いんじゃない。
アシュラを怖がる必要すらないと思っている、この男が怖い。
俺が欲した能力なのに。
「特質系はハズレが多い。応用が効かないから♦」
パチ、パチ、とトランプの音がまた響く。
「キミは違うけどね♠」
甘く笑う。
やさしい声だった。
それなのに、腹の底が冷えた。
「キミがどうなるかは、まだわからない♣」
その視線が、まとわりつく。
見定めるように。育つのを待つように。熟れる時期を測るように。
助けてるわけじゃない。
期待してるわけでもない。
ただ、自分がいちばん愉しめる瞬間のために、俺の可能性を眺めているだけだ。
いつか、いちばん美味しいところで壊すために。
呼吸が浅くなる。
モニターの中では、まだ黒い炎が揺れていた。
けれど今、俺の目にはもうアシュラのほうがぼやけていた。
輪郭がはっきりしているのは、目の前の男だけだ。
人間じゃない。
同じ形をしているだけの、別の生き物だ。
そう思った。
「……なぁ、ヒソカ」
張り詰めた沈黙を破って、俺は口を開いた。
ヒソカはトランプを弄ぶ手を止めて、ゆっくりこっちを見る。
「ヒソカは、自分が最強だと思う?」
一瞬きょとんとしたあと、ヒソカはふっと笑った。
「うん♦」
あまりにも軽かった。
今日の夕飯は何にするのって聞かれて答えるみたいな気楽さで、こいつは自分が最強だと言った。
「……どのくらい強いの」
「どのくらい?」
「例えば、ウボォーギン選手の渾身の右ストレートは小型ミサイル並みの破壊力があるんだってさ。そんなウボォーギン選手を90点としたら、ヒソカは何点くらいなの?」
ヒソカは、へえ、という顔をした。
80点くらいが妥当だろう。盛って、100点とか言い出すんだろうか?
それから、面白い遊びを思いついた子供みたいに、口元をにぃっと歪める。
「53万♣」
「へっ!?」
危うく吹きそうになった。
何だそれ。
53万?
あまりにも雑な最強アピールすぎて、逆に感心する。小学生かよ。いや、小学生でももう少し考えるぞ。
1000でもありえない数字だぞ。それを53万!?
ヒソカは肩を揺らして笑っていた。
完全にふざけてる。
数字のデカさで相手を煙に巻く、安っぽいホラ話そのものだ。
「盛りすぎだろ。ゼロ何個つける気だよ」
「クックック♣ だって、少ないと夢がないでしょ♦」
軽っ。
ノリが完全にホラ吹きのそれだった。
そういえば、性格診断だと変化系は気まぐれで嘘つき、だったか。
ぴったりじゃねェか。
どう見ても冗談だ。まともに受け取るほうが馬鹿らしい。
……馬鹿らしい、はずなのに。
俺の頭は勝手に計算を始めていた。
ウボォーギンの超破壊拳が小型ミサイル級。ウボォーギンを90点とするなら、53万はその約6000倍。
いや、待て。
規模感がおかしい。
単純換算でも、核――いや、下手をするとそれ以上の領域に片足を突っ込む。
そこまで考えて、俺は自分で自分に突っ込んだ。
あるわけねえだろ。
変化系の嘘つきピエロが、調子に乗って適当こいただけだ。
53万って何だよ。宇宙の帝王かよ。
「クックック♦ 500万のほうがよかったかな?」
「はいはい」
もういいわ。
ヒソカは、こっちの反応だけを見て、おもしろそうに笑っていた。