須佐能乎。
リヴァイアサン。
人ならざる巨神と巨龍が、リングとその上空で向かい合った。
俺にこの巨獣の水平移動は無理だ。
この水量を押し切るだけのオーラパワーはない。
上から下へ。
この形しかない。
だから落とす。重力ごと、質量ごと、俺の『発』で噛ませる。
足りないオーラは、圧倒的水量で埋める。
長大な胴が空中でぐるりとねじれた。渦を巻く。螺旋を描く。龍の姿を保ったまま、激流そのものが一本の牙へ収束していく。
狙うのは須佐能乎じゃない。
その奥。
青い炎の巨体に守られた、アシュラ本体。
須佐能乎を切り裂いて、一点突破する。水で喰らいつき、炎の熱を奪う。あの青い炎を維持するために必要なオーラ供給を断つ。
そうすれば、最後は生身だ。
完全な人型を保った巨人と、二十トンの激流を喰らった水龍。
肉弾戦じゃない。小細工でもない。
念能力と念能力の、真正面からの押し合いだ。
「喰らえ! 水龍リヴァイアサン! ドラゴンストライク!!」
螺旋をまとった水龍が、天井からリングへ、須佐能乎めがけて喰らいついた。
轟音。
激流の牙が、青い炎の肋骨へ突き刺さる。
火花のようにオーラが散り、須佐能乎の巨体がきしんだ。
喰い破れ――!
水龍はそこで止まらない。
回転を増す。渦を深くする。噛みついたまま、青い炎の表層を削り取り、骨格の継ぎ目へ無理やりねじ込んでいく。
熱い。
だが、熱いだけで終わるか。
水が、炎の熱を奪う。オーラの供給を止める。
ぶつかった端から蒸気が爆ぜる。
白煙が視界を埋める。
それでも水龍は牙を緩めず、須佐能乎の胸郭をこじ開けるみたいに食らいつき続けた。
割れろ。
そのまま本体まで届け。
だが、その瞬間だった。
須佐能乎の下半身で、青黒い炎が爆ぜる。
ぞわりと総毛立つ。
骨が伸びる。
膝が生まれる。
脛が形を取る。
足首が繋がる。
そして――足が、地を踏んだ。
冗談じゃない。
まだ、完成してなかったのかよ。
青い巨神に、足がある。
人の形を取るだけでも異常だ。それを実戦で動かすなんて、常識外れもいいところだ。
完全な人型を保ったまま、立とうとしている。
こんなもの、立っていいはずがない。
カストロの分身ですら、あれほどの負荷を要した。
それを、あの巨大な質量と出力のまま戦える骨格として成立させた。
だが、本当にまずいのはそこじゃない。
脚だ。踏みしめる脚がある。
感謝の正拳突き。
あれはただ拳を突き出す技じゃない。
大地を踏み、下半身で支え、体幹を通して、その力を拳に伝達する技だ。
力は腕だけで出すものじゃない。
地を掴む脚があり、支える腰があり、捻りを通す胴があり、最後に拳へ届く。
武の威力は、その連なりで決まる。
だからわかる。
アイツに立たれたら終わる。
あの須佐能乎は、ただ巨大なだけじゃない。
完成した人型として、脚力を使える。
踏み込みが乗る。
支えが生まれる。
打撃も圧力も、一段階どころか別物になる。
ネテロの百式観音ですら、自ら戦場を闊歩することはなかった。
歩かせる必要がなかっただけかもしれないが、全盛期ならその領域に存在していたのかもしれない。
目の前のそれは、今、完全な人型として立ち上がり、その武の理にまで触れようとしている。
こんなの……ありかよ。
転生者。
次の瞬間、須佐能乎が立ち上がった。
石板のリングが悲鳴を上げる。
青い炎の巨体が地を踏みしめ、その反動ごと腕へ力を通す。
まずい。
リヴァイアサンが、押される。
螺旋をまとった水龍が軋む。
喰らいついた牙が、青い炎の腕力と脚力に押し返されていく。
このままじゃ砕かれる。
俺の右手だけじゃ足りない。
なら、左手も使う。
左手に纏わせるのは、ただのオーラだ。
黄金じゃない。
誰もが持つ、ごく普通の念。
新しい力じゃない。
今まで積み上げてきたものを、ここでひとつに組み直す。
水を増やす。
液体を吸着する。
吸着した水を操る。
形にする。
そして、水の分子運動を弱める。
ひとつひとつは、もうできる。
基礎を繰り返し、磨き、考え続けてきた。
だったら、それを同時にやるだけだ。
「白銀のオーラ――フルオーラ!!」
オーラの大きさじゃない。必要なのは強さだ。リヴァイアサンの顎だけに集中!!
ドラゴンストライク! 硬!!
リヴァイアサンが須佐能乎を食い破った。
巨大な念獣に、オーラを無駄に分散し過ぎなんだよ。これじゃ、ただのでかい的だ。ハリボテだぜ!!
「ガ、ハ……オ、オーラが……!? 一気に熱が奪われる……水が生き物のように……なんなんだ、おまえは!!」
アシュラが喘いだ。
青い炎の巨神が揺らいだ。
骨格をつなぎ止めていた出力が痩せる。
巨体を覆っていた禍々しい炎が、みるみる剥がれ落ちていく。
押し潰せ――!
水龍がさらに深く喰らいつく。
肋骨を裂き、胸郭をこじ開け、その奥にいたアシュラ本体へ牙を届かせた。
「ぐ、あぁぁぁぁッ!!」
ついに、青い炎の鎧が砕け散る。
生身になった。
今だ。
これを逃せば終わる。
リーノはリヴァイアサンを解いた。
支えを失った水塊が蒸気と飛沫になって崩れ落ちる。
その瞬間にはもう、リーノ自身が天から矢のように降下していた。
重力。
舞空術の推進。
オーラを全部、右脚へ。
硬!!
「おおおおおおおおッ!!」
空気が裂ける。
上空から振り抜かれた一撃が、一直線にアシュラへ落ちる。
鬼師匠直伝。
「スカイウイングッ!!」
渾身の一蹴が、アシュラの胸を撃ち抜いた。
ベキベキベキッ!!
骨の軋む音が響く。
アシュラの身体が石板のリングへ叩き落とされ、衝撃が放射状に走った。
『アシュラ選手、ダウン! ダウンです! カウントが取られます!!』
「はぁ……はぁ……」
アシュラ。
立つな。
そのまま寝てろ――!
◆ ◆
避難の足を止め、ウイングは、リングの上のリーノを見つめたまま、静かに息を吐いた。
――あの頃とは、もう違う。
出会ったばかりの頃のリーノは、強い相手がいれば正面からぶつかることしか知らない子どもだった。
考えるより先に踏み込み、ただ己の力を信じて拳を振るう。
危うくて、見ているこちらが何度も肝を冷やした。
けれど今は違う。
リーノは、相手の力をただ受け止めるのではない。
その構造を見て、弱点を探し、どう崩すかを考えている。
戦術を組み、駆け引きを読み、武の理を身体で理解しようとしている。
戦術会議で見せた考察力も、今このリングで見せている戦い方も、偶然ではない。
反復し、磨き、考え抜いてきた。
誰かに与えられた奇跡ではない。
リーノ自身が、自分の足で一歩ずつ積み上げてきたものだ。
ウイングは、あの日のことを忘れていない。
リーノから、黄金のオーラが奪われた瞬間を。
あれは、単に力を失ったというだけではなかった。
あの黄金は、リーノにとって誇りであり、拠り所であり、自分自身を支える大切なものだった。
それを、存在の芯ごと引き剥がされるように失った。
普通なら、立ち上がれなくてもおかしくない。
それでもリーノは、立ち上がった。
特別な力を失ったあとに残されたのは、誰もが持ちうる、ごく普通の念。
黄金のような華やかさも、奇跡のような力もない。
それでも、リーノはそれを捨てなかった。
失敗しても、考え、磨き、また積み上げた。
その時間のすべてが――今、目の前にある。
ウイングは、リーノを包むオーラを見つめる。
黄金ではない。
奇跡でもない。
生まれ持った才能だけで輝いているものでもない。
――白銀。
静かで、強く、揺るがない輝き。
それは、失った黄金の代わりに手に入れたものではない。
リーノ自身が、何もないところから積み上げてきた証だ。
才能は奪われた。
けれど――努力は誰にも奪えない。
失ったものを嘆くのではなく、残ったもので組み上げ直す。
覚醒と呼ぶなら、きっとこういうものなのだろう。
この短期間で、ここまで組み替えるとは。
才能だけでも届かない。努力だけでも辿り着けない。
その事実が、ウイングの胸の奥に静かに響く。
うれしい。
誇らしい。
そして、ほんの少しだけ寂しい。
かつて自分が手を差し伸べ、守り、導いていた子どもは、もう自分の手の中だけに収まる存在ではなくなりつつある。
いつの間にか、自分の足で立ち、自分で考え、自分の力で先へ進もうとしている。
その成長を、止める理由などない。
ウイングは、もう一度だけリーノを見つめた。
今、あの子を覆っているのは、失われた黄金ではない。
積み重ねた時間と、折れなかった意志と、誰にも奪えなかった努力が形となった――白銀のオーラだった。