「……アタシは外で待ってるわさ」
ビスケが民族衣装の除念師の女性を促して部屋を出ていき、パタンと防音性の高いドアが閉まる。
途端に、広すぎる病室へと、耳が痛くなるほどの完全な静寂が戻ってきた。
「よし。――なら、この代償も完璧に報われたな」
一人になった俺は、ベッドの上に上体を起こし、不敵な笑みを浮かべた。
右肩の断面から、じくじくと、焼けた鉄を押し当てられているような熱が立ち上っている。
俺は躊躇なく左手を伸ばすと、その断面を幾重にも覆っていた純白の包帯を、一気に力任せに引きちぎった。
ブチブチと不穏な音が響き、赤黒い断面が露わになる。
次の瞬間、全身の神経が沸騰した。
強化系の自己治癒能力を強化した――『超速再生』。
それは細胞の暴力的なまでの反逆だった。
断面の肉が、まるで意思を持つ独立した生き物のように猛烈にのたうち、蠢き始める。
千切れた血管が急速に触手を伸ばして互いと結びつき、新造された赤い肉繊維が網の目のように複雑に編み上がっていく。
ミシミシ、ベキベキッ!!
病室に、骨格が急膨張する凄絶な「破壊と創造」の音が鳴り響いた。
肩の関節から、白磁のような太い上腕骨が矢のように突き出し、肘、前腕、そして五本の指の骨へと一瞬で枝分かれしていく。
骨に巻き付くようにして筋肉の束が恐ろしい密度で形成され、最後に、薄桃色の新しい皮膚が津波のように腕全体を覆い尽くした。
ぶわり、と。
急激な代謝の熱によって部屋の温度が跳ね上がり、俺の右半身から白い水蒸気が立ち上る。
アシュラをハメ殺すために、右腕をまるごと『絶』にして差し出すという狂気の博打。
それが可能だったのは、この悍ましくも絶対的な復活の確信があったからこそだった。
わずか数十秒。
俺は新しく生え揃った右手の指を一本ずつ折り曲げ、拳を固く握りしめた。
神経は完全に繋がっている。
髪をかきあげ、棚に用意されていた新しいコスチュームに着替える。
黒を基調に、濃い緑と胸元の大きなオレンジのエックスが目立っている。
俺は両腕を悠然と振って病室の重いドアを押し開けた。
「えっ……!? リーノ君、キミ、腕が……!?」
「嘘でしょ!? さっきの民族衣装を着た女性って、もしかして凄腕の治療師だったの!?」
「す、すごい……ッ! あのアシュラ選手の黒炎で、完全に跡形もなくなったはずの右腕が、もう完璧に治ってるなんてッ!」
なぜか俺の病室の目の前の廊下にたむろしていた天空闘技場の看護師スタッフたちが、一斉に目を見開いて腰を抜かさんばかりに驚愕している。
周囲の人間からすれば、この奇跡はすべて「ネテロ会長が手配した、ハンター協会お抱えの最高峰の治癒師が、その底知れない秘術によって肉体を再構築した」ようにしか見えないだろう。
俺自身の持つ隠し札である超速再生の存在を隠匿するカモフラージュとしては、これ以上ないほど完璧だった。
200階クラスの特別病棟エリアを抜けて、190階以下の病棟エリアに入った。
そこに、190階で俺に敗北した神脚のリールベルトがいた。
目が合うと、リールベルトはすぐに目を反らし、そのまま去っていく。
「心配してたみたいだわさ」
除念師はいなくなっていた。帰ったみたいだ。
「アイツが? リールベルトが?」
ビスケは微笑んだ。
「知り合い?」
「190階で戦った」
「そう。アンタって、対戦相手の思考を読んだり、揺らしたり、相手のことをいっぱい考える。心を交わすような戦い方だわさ」
ビスケは去っていくリールベルトをみつめる。
「それが楽しかったんじゃないかしら」
楽しかった? 俺との戦いが?
「それとはちがって、自分との対話を大事にするのが心源流だわさ」
「自分との対話!? ビスケも自分との対話を大事にしているの?」
「アタシはそれだけじゃ極められないと思ってる。とは言っても、アタシの言葉より、あのエロじじぃの言葉のほうが強いわさ。今はね」
そういえば、ビスケは相手を見ることを何より重視していた。
あれもまた、ビスケなりの到達点なのかもしれない。
「アンタは心源流にとらわれなくていいわさ。アンタはネテロじゃない。さぁ、行くわさ」
俺たちは病棟エリアを出る。
「あっ!? リーノだ!」
「最高の試合だったぞ! 賭けは外しちまったが、1ジェニーも惜しくねェ!」
「最後のパンチ。あたし感動しちゃった!」
「試合、マジでヤバかったよな……」
「アシュラをここまで追い詰める14歳がいたなんてな……」
「歴史に残る大金星だぜ!」
大金星って、俺は負けたんだけどな。
みんながあのバトルを喜んでくれている。なんだか、それが嬉しかった。
「あぁ、あの子!」
観戦者のお姉さんがビスケを指さす。
「試合中、モニターに映ってた謎の美少女よ」
「嘘! リーノ君、やっぱり彼女いたの!?」
「なんとなく、ショック」
ビスケがまた謎に美少女モードしている。やめろ、それ!
「ちげェよっ!」
なんで、俺がババァをカノジョにしないといけねェんだよ。
背後から俺の頭がパコンとひっぱたかれた。
振り向くと、ビスケは目を吊り上げ、完全に美少女モードをやめていた。
「なんで、叩くの」
「なんとなくだわさ」
「あっ、あれはカノジョの距離じゃない」
「でも、なんかモヤモヤする」
次々と観戦者や闘士たちから肩を叩かれ、熱っぽい声が飛んでくる。
興奮の混じったざわめきが、廊下の空気をじわりと熱くしていた。
俺はそれらの声を苦笑いで受け流しながら、中央の吹き抜け広場へと続く大廊下を歩いていた。
ふと、広場の中央の展示スペースに視線をやると、俺の足がピタリと止まった。
そこには、異様な存在感を放つ「鉄の塊」が鎮座していた。
俺が戦闘中に破壊した、あの貯水総量20トンを誇る、スプリンクラーの巨大な給水タンクの残骸だ。
かつては頑強な円筒形を誇っていたはずの厚い鋼鉄の装甲は、中心からひしゃげ、凄まじい内圧で引き裂かれたように外側へとめくれ上がっている。
鉄の破断面はギザギザと鋭く尖り、底部の太い高圧配管は、まるで巨獣にへし折られた骨のように不自然な角度でねじ切られていた。
そんな生々しい破壊の爪痕の前には、これ見よがしにライトアップされた、真面目くさった観光地風の案内板が立てられている。
『――水龍リヴァイアサン、孵化の跡――オークション予定!』
「展示してんじゃねえよ! ただの器物破損だろ! しかも、オークションって誰が買うんだよ。こんなゴミ!」
思わず口から鋭いツッコミが飛び出していた。
運営め、早くも激闘の証拠として飾っていやがる。
弁償しろって言われたらどうしよう、と胃がキリキリと痛んだその時、タンクの影から一人の男が静かに姿を現した。
仕立てのいい黒いスーツ。整えられた髭。
大富豪バッテラ氏が雇用するハンターであり、プロの一ツ星ハンターのツェズゲラだ。
心臓が跳ね上がる。
な、なんでここにいるんだよ!?