白い部屋。
壁も床も天井も白い。どこまで行っても何もなさそうな空間の真ん中で、ステイシアだけがいつものように涼しい顔をして立っている。
「それで、どうしますか?」
そんなの決まってるだろ。
考えるまでもない。
『HUNTER×HUNTER』の世界に行くなら、半端な能力にする意味なんてない。どうせやるなら最強だ。最初から最後まで、圧倒的でいい。
「決めるに決まってるだろ。自分の能力は、自分で」
口にすると、それだけで少し気分がよくなった。
そうだ。こういうところだ。こういうところが『HUNTER×HUNTER』はちがう。
力は与えられるものじゃない。自分で考えて、自分で選び取るものだ。
神さまに都合よく授けられる奇跡なんかじゃない。自分の欲望とか、見栄とか、願望とか、そういう生々しいものから生まれる。だからいい。だから本物だ。
俺はずっと『HUNTER×HUNTER』のそういうところが好きだった。
ジャンプを読んでいたのだって、半分くらいは『HUNTER×HUNTER』のためだった。ゴンもキルアもクラピカも好きだ。あいつらはちゃんと前に進む。自分で選んで、自分で背負って、自分で戦う。
だから俺も、そうする。
「どんな能力にするか、もう決めていますか?」
「だいたいな」
だいたいどころか、ほとんど決まってる。
速くて、強くて、派手で、無法で、初見殺しで、ヒソカがどう頑張っても攻略しきれない能力。
そういうのがいい。
「悪魔の実、ゾオン系」
「へぇ」
ステイシアが少しだけ目を細めた気がした。
「意外?」
「少しだけ」
「時代遅れなんだよ。単純な分類で考えるのは」
ゴムゴムの実が、実は別物だった。だったら、名前なんていくらでもひっくり返せる。発想ひとつで、見え方なんかどうとでもなる。
「ヒトヒトの実、幻獣種」
「ずいぶん大きく出ましたね」
「最強って言っただろ」
「モデル名は?」
俺は少しだけ間を置いた。
それから、言う。
「モデル伊右衛門」
口に出した瞬間、しっくりきた。
これだ。
これしかない。
黄瀬光太なんて冴えない名前とは違う。もっと鋭くて、もっと強くて、もっと特別なものがいい。そのための名前であり、そのための能力だ。
「悪魔の実、ゾオン系、ヒトヒトの実、幻獣種、モデル、イエモン」
ステイシアが復唱する。
「能力構築の核にするのは、その自己像でいいですね」
「自己像?」
「あなたが、何者になるつもりなのかってことです」
そんなの、決まってる。
黄瀬光太じゃない。
現実でくすぶって、世界を斜めに見て、何もしないまま暗い部屋の中に閉じこもっている、あんなやつじゃない。
俺はもう、あれをやめるんだ。
「俺はグラスだ」
言うと、胸の奥が少し熱くなった。
俺は自分で、その名を選んだ。
誰かにもらったんじゃない。自分で決めた。自分の名前だ。だから意味がある。
「『HUNTER×HUNTER』の世界では、そう名乗る」
ステイシアはうなずいた。
「わかりました。それでは、その前提で構築しましょう」
その言葉を聞いて、喉の奥で笑いそうになった。
いい。
いいじゃないか。
力も、名前も、これからの自分も、全部ここで決める。そうやって新しくなるんだ。
「それで、いつからにしますか?」
「原作開始の一年前」
「わかりました」
「その年のハンター試験でヒソカと接触する。戦いが無理なら、その後に天空闘技場で待てばいい」
「最初からヒソカ狙いですか」
「当たり前だろ」
雑魚専だとか何だとか言われてるけど、結局はそこだ。あいつを倒せるかどうかで、この世界で通用するかどうかが決まる。
だったら最初にやるべきだ。
俺の能力が本当に最強かどうか、あいつで試せばいい。
「ヒソカを倒した暁には、あなたのどんな願いもひとつ叶えましょう」
「えっ!?」
そのとき、部屋の扉が開いた。
白しかない空間に、ひどく場違いな黒が入ってくる。
黒い服。黒いコート。背中には、黒と青の剣。
なんだあれ。
黒すぎるだろ。
見た瞬間、頭に浮かんだ呼び名はひとつだった。
ブラッキー。
「誰?」
俺が訊くより先に、そいつはこっちを見た。
視線が合う。
値踏みされた気がして、少しだけムカついた。
「黄瀬光太君か」
その瞬間、こめかみがピキッた。
「……は?」
なんでその名前を知ってる。
いや、それより。
なんでその名前で呼ぶ。
「ハンター試験は甘くない」
落ち着いた声だった。別に偉そうというほどじゃない。でも、最初からこっちの考えを否定するつもりでいるやつの声だった。
「本試験に辿り着くことと、合格することは別だ。念能力があればどうにかなるほど、ハンター試験は簡単じゃない」
「ちょっと待てよ」
「まして、ヒソカを相手にするならなおさらだ」
「待てって言ってんだろ」
俺はそいつを指差した。
「まず一個、訂正しろ」
「何を」
「俺は黄瀬光太じゃない」
「黄瀬光太君だよね?」
「グラスだ」
そいつは、少しも動じなかった。
「名前を変えても、キミはキミだ」
カチンときた。
「別の世界に行っても、別の自分になれるわけじゃない」
こいつ。
よりによって、そこを言うのか。
「ふざけんなよ」
声が少し低くなったのが自分でもわかった。
「なるんだよ。別の自分に! 新しい自分に!」
「そう思いたい気持ちはわかる」
「わかってねェよ」
「だが」
「わかってねェっつってんだろ! ブラッキー!」
ブラッキーは、ブラッキーと呼ばれても特に気にした様子はなかった。否定も訂正もしない。ただ、その名前を懐かしむみたいに一瞬だけ目を細めて、それで終わりだった。
それがまた気に食わない。
こっちは必死で名前を名乗ってるのに、こいつは人の呼び方なんかどうでもいいって顔をしていやがる。
「キミはヒソカを甘く見ている」
「見てねェよ」
「見ている」
「見てねェ」
「自分の能力も、ハンター試験も、戦いそのものもだ」
「うるせェな」
何なんだ、こいつは。
説教しに来たのか?
せっかく、これから始まるんだぞ。ようやく、自分で決めた能力で、自分で選んだ名前で、前に進めるところなんだ。それを、なんで初対面のよくわからない黒いやつに否定されなきゃならない。
「じゃあ、やってみるか?」
気づいたときには、そう言っていた。
「何を」
「俺が、甘いかどうかだよ」
ブラッキーは少しだけ沈黙した。
「やめておけ」
「逃げるのか?」
「違う。キミが負ける」
その言い方が、決定事項みたいで腹が立った。
「上等だよ」
俺はオーラを練る。
ここで証明してやる。
黄瀬光太なんかじゃない。グラスだ。俺はここから変わるんだってことを。
一歩踏み込む。
消えるように超加速する。
視界の端で、ブラッキーの黒いコートが揺れた。
遅い。
もらった。
そのまま一気に回り込む。背後。完全に背中を取った。
「おい、ブラッキー」
勝ちを確信した笑いが漏れる。
「背中、ガラ空きだぜ」
そのまま叩き込もうとして、喉元に細い冷たさが止まった。
レイピアだ。
いつの間にか、ステイシアがそこにいた。
「そこまでよ」
「は?」
思わず声が出た。
今までの事務的な声じゃなかった。
けど、次の瞬間にはどうでもよくなっていた。
いや、どうでもいい、こんなの。
だって俺は、取ったんだから。ブラッキーの背後を。
勝負はついてる。
横から女が止めただけだ。
「……情けねェな」
俺は鼻で笑った。
「女の手ェ借りるのかよ、ブラッキー」
ブラッキーは何も言わない。
図星か。
だろうな。
「今の、俺の勝ちだろ」
「違う」
「違わねェよ。背後を取った」
「その先がない」
「あるに決まってんだろ」
「ない」
「ある」
ステイシアがまたいつもの事務的な声で割って入る。
「あなたは彼の背後を取ることには成功しました」
「だろ?」
「ですが、その時点であなたの攻撃は止められています」
「だから、それがおかしいって言ってんだよ」
「これは確認です」
「何のだよ」
「あなたが、どの程度の相手に通じるのかという確認」
ムカつく言い方だ。
でも、そんなのはどうでもいい。
大事なのは、背後を取れたってことだ。
つまり、通じる。
ブラッキー程度には通じる。なら、あとは能力が本格的に乗ればもっと上まで行ける。ヒソカだって殺れる。いや、ヒソカごとき一捻りだぜ。
「女の手ぇ借りなきゃ終わってた。それが答えだろ」
俺が言うと、ブラッキーは静かにこっちを見た。
「そうか、光太君」
「グラスだ」
「いや。キミは光太君だ」
こいつのこういうところが気に食わない。
「光太君。ヒソカを倒すためのヒントをあげよう」
「なんだよ?」
「ヒソカを愛せ」