マラソン × アスロン × パトロン
失意と、それ以上の人間的成長を胸に、黄瀬光太ことグラス――いや、『リーノ』は一本釣り漁船を降りた。
港の潮風のなか、手渡されたのはフック船長が労働の対価としてくれた天空闘技場への航空チケット。
「……考えとくよ」
来年のハンター試験受験について、そう言い残し、リーノは初めて自分で稼いだ給料の重みに涙しながら、ハンターへの道を踏み出すべく空港へと向かった。
だが、世界のシステムは『出生記録もIDもない転生者(ゴースト)』に対して非情だった。
「はい、次の方。……え? パスポートは?」
空港の搭乗ゲート。受付の女性の事務的な声に、リーノは硬直した。
「いや、その、チケットはあるんですけど……」
「チケットだけでは飛行船には乗れません。身分証とパスポートの提示は国際法上の義務です。お持ちでないなら、お引き取りを」
マジかよ……! パスポートがないと飛行船に乗れねえのかよ! ハンターライセンスがあれば乗れたのに、、、。
「身動きが取れねェ」
リーノは手詰まりの状況に頭を抱える。パスポートがなければこの国から出ることもできない。
だが、前世の引きこもりニート特有の、向こう見ずな脳筋思考がすぐに閃いた。
待てよ。俺には念能力がある。それに、さっきの怪魚戦で服にオーラを纏わせる『周』を掴んだ……だったら、海を直接泳いで大陸まで渡ればいいじゃん!
彼は底なしのバカだった。バカの極みだった。
バカゆえに、ありえないクレイジーな結論にたどり着くのだった。
「その辺のノラ魚にできることが、俺にできないわけがねェ!」
という謎の自信。魚類と人類のちがいもわからないのだ。
ザバン港から天空闘技場のあるヨルビアン大陸までは、世界地図を対角線上に斜断レベルの超絶ディスタンス。
普通なら、普通じゃなくとも、狂気のデスロードだが、リーノは驚愕の目を向ける大勢の人々を尻目に、自信満々に海へと飛び込んだ。
「いくぜ、光速ドルフィ――ンッ!」
鱗状のオーラを全身の服に纏わせる。水の抵抗を極限まで軽減するカラダ。そして、推進力を生み出す人魚の尾ひれの如き足のオーラ。
リーノは魚雷となって海面を爆泳、驀進し始めた。海を貫く針のように泳いでいく。水しぶきはない。
◆ ◆
しかし――数百キロ進んだ時点で、リーノは真顔になった。もう夜になっていた。
「……いったい、いつになったら、ヨルビアンに、たどり着くんだよ」
体力的な限界ではない。外側のオーラ(器)はネテロすら戦慄する世界最高(ギフテッド)だ。
だが、どこまで行っても水平線しか見えない単調な景色の中、直線ダッシュを繰り返して海を渡る作業は、ニートの精神を摩耗させた。何より退屈で、猛烈にダルい。
飽きた。超飽きた。
泳いでカームベルト渡ったワンピースのレイリーとかマジで頭おかしいだろ。もう泳ぎたくねェ……。
そんなリーノの視界に、闇夜を煌々と照らす、都市のように巨大な豪華客船が飛び込んできた。揺れを一切感じさせないその超巨大な影を見つめ、リーノの目が輝く。
ラッキー。あのデカい船にタダ乗り(密航)して、大陸まで運んでもらおう!
助走を付けて、海面から弾丸のように飛び出し、甲板に降り立つ。
「ビショビショ、、、本物の豪華客船って感じだな」
船内の深部へと滑り込むリーノ。リネン室の奥、高級な食料が保管された倉庫に身を隠し、「ふぅ、これで快適な船旅だぜ」と胸を撫で下ろした。
だが、その安心は一瞬で粉砕される。
「――そこまでだ、密航者!」
冷徹な声と共に、倉庫の扉が爆破されたかのように開き、殺気立ったプロの念能力者たちが一斉に雪崩れ込んできた。
「ガキじゃん。ツェズゲラさん、まさか、こんなガキとは、、、」
その先頭に立つのは、鋭い眼光を放つシングルハンター、ツェズゲラ。
なんで!? この船に!? グリードアイランドにいるんじゃ、、、ゲームの外に出るのはバッテラとの定期報告くらいしか、、、まさか!?
この豪華客船に、あの大富豪バッテラがいるのか!?
「動くな。それ以上の抵抗は命の保証をしない」
プロの囲みがガチすぎる……!
中身は貧弱なニートのリーノは、圧倒的な実戦のプレッシャーにあっさり両手を挙げた。ボロボロの服、泥と塩にまみれた姿、そしてパスポートなし。どう見ても最悪の不審者として、リーノは船の主の前に引きずり出された。
「バッテラさん、つまみだしますか?」
やはりバッテラの船だったか。
ていうか、なんで、俺はバッテラのところに連れてこられたんだ? こんなの内々に処理することなんじゃないのか? ツェズゲラは何を考えている?
周囲の護衛たちが「それとも海の藻屑にしますか?」とバッテラに進言する。
しかし、椅子に深く腰掛けた老富豪は、護衛たちを静かに手で制した。そして、眼鏡の奥の目で、リーノをじっと見据えて、不敵に笑った。
「いや、その必要はない。……この豪華客船に入れたというだけで、キミが特別だということはわかる」
これはバッテラがゴンとキルアに初めて出会ったときのセリフだ。
バッテラはこの状況がいかに異常かということを理解しているようだ。おそらく、ツェズゲラも。何か目的があるんだ。俺に対して。
十代の少年が、豪華客船に忍び込んだ。そのルートも不明。ありえない状況だ。
「どうやって、この船に忍び込んだ?」
「ヨルビアン大陸まで泳いでいる途中で、この船をみつけたんで、あいのりさせてもらおうかなって」
俺はヒッチハイクしちゃったみたいなテンションで言った。
「ふざけるな!」と護衛のひとりが怒鳴った。
「俺、IDなくて、飛行船に乗れなかったんだよね。だから、ちょっとヨルビアンまで徒歩で行こうと思って」
静寂がおとずれる。俺が何を言っているのか、理解できないと言った空気だ。
「あっはっはっは」とバッテラは笑い出した。「この年齢になって初めてだ。そんな真顔で、そんなふざけたことをいうこどもをみたのは、、、ずいぶんとボロボロの服だな」
「泳いでるときに、ゴミがかすってさ。ひどい目にあった」
護衛たちの顔が引きつり出した。得体の知れないものを見る目に変わる。
「おもしろいこどもだ。名前は?」
「リーノ」
バッテラは最愛の恋人を救うため、グリードアイランド(G.I)のソフトだけでなく、それを攻略できる優秀なプレイヤー(念能力者)を死に物狂いで探している。
もしかして、バッテラは俺をプレーヤーとして、雇うつもりか?
ツェズゲラもそれを見越して、俺をここに連れて来たのか?
「なぜヨルビアン大陸へ向かっていたんだ? この海を制したかったからか?」
「天空闘技場へ行こうと思って」
まわりのプロ集団の顔が、完全に、ラクガキ顔に変わった。
「なるほど。なぜ天空闘技場へ?」
「ハンターにはなるためには強さが必要だから。本当の強さを手に入れるために」
「ハンターか、、、ツェズゲラ、この子をどう思う?」
「入っても、すぐにゲームオーバーでしょう。物腰が完全にド素人です。だが、天空闘技場で、実戦経験を学べば或いは」
バッテラは満足そうにうなずいた。
「リーノ、取引をしよう」
まさか!?
「キミの身元は私が保証し、天空闘技場へのチケットも出す。その代わり、グリードアイランドのプレーヤーとして、キミを雇いたい」
「グリードアイランドとは念能力者だけが挑戦できるMMORPGだ。プレイヤーは特殊なハードを使ってゲームの世界に魂ごと引きずり込まれてプレーする。ゲーム内の死はリアルな死を意味する。文字通り、命がけの魔境だ」とツェズゲラが説明した。
グリードアイランドのことはよく知っている。
バッテラがバックについてくれるのはありがたい。
「……だが、すぐに私の依頼をこなしてもらうわけではない。あの『ゲーム』は参加人数に限りがあって、一度入れば簡単には出てこられない命懸けの魔境だからね。まずはオーディションを受けてもらう。キミがグリードアイランドをプレーするに値する人材かどうか」
バッテラは指を三本立てた。
「条件は、『天空闘技場の200階クラスで、3勝すること。ただし、不戦勝は除く』。その間の生活費や滞在費は、すべて私が投資(パトロン)として全額出してやろう。キミにとって悪い話ではないはずだ」
なんだよそれ、完全に至れり尽くせりのボーナスステージじゃん!!
そうか。これがいわゆる青田買いってやつか。今の俺なら、安く買いたたけると。グリードアイランドのクリア報酬とか、莫大だったもんな。
パスポートの壁は消え去り、衣食住まで手に入った。リーノのニート特有の全能感と傲慢さが、再びMAXまで跳ね上がる。
「オッケー、その条件乗った! 200階での3勝なんて、一瞬で終わらせてくるよ」
◆ ◆
バッテラの豪華客船、プライベート飛行船と乗り継ぎ、大陸へ入国したリーノは、悠々と天空闘技場へと到着したのだった。
カラフルな気球が飛び交っている。天空闘技場の上層階からみたら、これは絶景だろうな。さすが、パドキア共和国の有名観光地。ザバン港とは出迎えのインパクトの桁がちがう。
俺は聳え立つ天空闘技場を見上げる。
「高っけェな。変なデザイン。天空闘技場、、、まるで世界樹だな」