日輪の半龍人   作:倉田 創藍

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10話 現れた氏族の長、ルドルフ・グリム

 場所は『黄金(こがね)の荒熊亭』、玄関前。

 

 そこの主人たる”荒熊”ロドリックは今、僧侶を彷彿とさせる柔和な顔つきに憤怒を浮かべ、仁王立ちのまま問い直した。

 

「なんだって? もう一度言ってみろ」

 

「そう怒ってくれるな、ロドリック。私はただ、留置場にいた愚かな部下の保釈金を払って、その足でここまで詫びを入れに来たんだ。裁判に持ち込まれると私の商売にも支障が出るのでね。なんとか示談に、と。居るのだろう? ”鬼火”と『紅蓮』の二党は」

 

 余裕綽々で応じたのは、魔猫の如き男。弓形(ゆみなり)に目を細め、ニンマリと笑うグリム氏族の長。三等級武芸者のルドルフである。

 

 彼の背後では保釈されたばかりと見える、荒々しい雰囲気の武芸者ら29名が(たむろ)していた。

 

 ほとんど全員が負傷しているのか、彼方此方(あちこち)に包帯が巻かれている。

 

 しかしながらその半数ほどが武器を担いでおり、隠す気もない粗野で野卑な空気を纏っているせいで一般客らはすっかり怯え、目をつけられぬよう遠巻きにしている。

 

 武芸者という存在がこれほど怯えられるのも、帝国広しと言えどこの鋼業都市〈アイゼンリーベンシュタット〉くらいであろう。少なくとも帝国南部ではここだけだ。

 

 大抵は憲兵や兵士の方がそういう目で見られる。暴力性が顕著なのはそちらだからだ。

 

 だが、この都市でだけは、武芸者のそれこそがより危険視される傾向にある。

 

 なぜなら――わざわざ述べるまでもないが”氏族”という互助組織が多数割拠し、幅を利かせているからだ。

 

 なんとなく入った店が氏族が溜まり場だった、会計しようとしたら「一般人はこっちの値段だ」と言われて初めてそこが氏族の経営する酒保であったことに気付いた――などなど。

 

 この都市ではよくある話だ。

 

 勿論、戦う力のない者に手を出すような、程度の低い(やから)は多くない。

 

 しかし、多くないというだけ。居るところには居るし、地元民の間で「近寄っちゃいけない」と言われている地域も少なくない。

 

「ほら、お客も怯えているぞ。営業妨害のつもりはこちらもない。店に入れてくれんかね?」

 

 薄暗い金髪を後ろに撫でつけてルドルフがせせら笑う。

 

「去れ」

 

 ”荒熊”はにべもなく強硬な一言を投げ返した。

 

 元は二等級の武芸者だ。木っ端武芸者が幾ら凄もうが、数に威圧されるような男ではない。大木の如くどっしりと構えて睥睨し返していた。

 

「ロドリック。私は何も部下にもう一度事を荒立てさせよう、などと思ってはいない。ただ、襲われた新米武芸者へ、彼らを率いる長として詫びを入れさせに来ただけ。筋を通しにきただけだ」

 

 ルドルフが大仰な仕草で、諭すようにのたまう。

 

「大人数を引き連れてか? うちで脅迫でもやる気か、ルドルフ?」

 

 ロドリックが激情でさらに目を細めれば、

 

「ならば私に一人で来いと? それこそ脅迫だろう?」

 

 グリム氏族の長は、薄い笑みを絶やすことなく言い返した。

 

 『黄金の荒熊亭』の従業員は、ほとんどが元武芸者達だ。そのことを言っているのだろう。

 

「何度も言っているが、部下を焚きつける気はないんだ。ご覧の通り、首謀者は大怪我をしてるし、実力差も嫌と言うほど理解したろう。話が済めば直ぐにでも退散しよう。なに、ケジメというやつさ。武芸者同士ならよくあること。そちらも元武芸者なら理解しているはずだろう?」

 

 そう聞いた途端、ロドリックは心底から嫌そうに息をついた。

 

 この”ケジメ”というやつが面倒極まりないのだ。

 

 荒事の多い武芸者は一般人より揉め事が多い傾向にあるので、その(たび)に裁判をやったりなどしない。双方の話し合いで示談を結ぶ。

 

 手っ取り早いところで金銭。この都市であれば、氏族の有する権利や店や倉庫の権利書などを天秤に掛けて落とし前をつける。

 

 誰が始めたのかもわからぬ、古くからの習わしだ。

 

 だが、面倒なのはここからで――氏族と云う連中は兎角(とかく)、この”ケジメ”や”落とし前”に拘るのだ。

 

 欲しい利権なんかを奪うためなら、わざと諍いを引き起こして抗争にまで発展させるのだから極道者とそう変わらない。

 

「……首謀者とお前だけなら入れてやる。他のは帰らせろ、客の邪魔だ」

 

 しばしの沈黙を終えてロドリックが厳かに告げると、

 

「やはり頭の回転が速い者は助かる。話が早い。礼を言わせてもらおう」

 

 ルドルフが薄い笑みを象らせていた口角を更に吊り上げる。その笑みは化生(けしょう)の類が浮かべるそれと同じで、非道(ひど)く不気味だ。

 

「お前に感謝などされたくない。さっさと済ませて帰れ」

 

「ふ、嫌われたものだ。ああ、護衛を数人ばかり残しても構わないかね?」

 

「護衛だと?」

 

「最近は物騒でね」

 

「好きにしろ。但し、五名以下だ」

 

「ふむ、承知した。ならばそこの五名はここで待機。残りは帰るといい。養生しろ」

 

 ルドルフは無造作に5人を指さし、この騒動の首謀者――顔全体を包帯でグルグル巻きにされている六等級のチンピラ武芸者の背を押すのだった。

 

 

 * * *

 

 

 事の経緯はこうだ。

 

 およそ5日前。

 

 ”鬼火”の一党と『紅蓮の疾風(はやて)』は、氷塊(ひょうかい)にした襲撃者共を引き摺って〈アイゼ()ンリー()ベンシュ()タット()〉へと帰参した。

 

 護衛対象であるアウグンドゥーヘン社の記者カーステンとミリセント・ヴァルターは当然ながら無事。依頼も達成だ。

 

 しかし――武芸者同士の諍いを起こした、というのは案の定問題になった。

 

 何せ、死人まで出たのだ。捕らえたグリム氏族の29名を引き渡すだけ、とはいかず。

 

 憲兵による取り調べに加えて、協会支部から似たような内容の喚び出しを食らい、委細を説明させられ、現場の実況見分まで付き合わされた。

 

 根無し草の武芸者と都市大手の氏族がぶつかったのだから、憲兵による取り調べが些か厳しいのも致し方ない。

 

 ないのだが、アルクスとディートフリートにとって苛立たしく、鬱陶しいことに変わりはなかった。

 

 心底から辟易している顔も隠さなかった頭目らであったが、巻き込まれた依頼者カーステンとミリセントの非常に協力的な証言があったこともあってお咎めはない。

 

 真実が明るみになった結果、むしろ護衛対象を連れた状態で32名中29名を殺さずに打倒したことの方に驚かれた。

 

 また、帰ってきた当日の夜遅くに『黄金の荒熊亭』へ帰参すると、主人ロドリックや彼の妻グレース、古株の従業員ライモンドは心配そうな顔で出迎えてくれた。

 

 訊けば、グリム氏族の長が厭味ったらしく探りを入れに来たのだと言う。

 

 左肩に包帯を巻いたディートフリートと右手に癒薬帯を貼られたレイチェルを見た彼らは、襲われたのだと直ぐに察して激怒した。

 

「――と、こんな具合です」

 

 彼らの様子から『情報が抜かれたのは、ここからじゃないな』と判断したアルが手短に説明すると、

 

「徒党を組んで依頼者ごと新米を襲うなんて、見下げ果てた奴らだ……! 性根が腐ってる」

 

 ロドリックが”荒熊”の異名を感じさせる怒気を発して吐き捨てる。

 

「そうでございますね。これじゃ王国に屯っている武芸者崩れのならず者と何ら変わりゃしません」

 

 グレースも辛辣な顔で、毛を逆立てた黒猫のように瞳孔を縦に細めた。

 

「情報が逐一洩れてたみたいだからな。うちの従業員はまず以てねえとは思うが……」

 

 ライモンドが”鬼火”の最も危惧している懸念を口にすれば、

 

「それはないだろう。宿泊者名簿や重要書類は夜間、金庫の中だ。例外もない。それに、開けられるのは私とグレースだけだ」

 

 元ニ等級武芸者とその妻が「有り得ない」と、(かぶり)を振る。

 

「となると……客か。武芸者かそうじゃねえかは、あくまで俺の目で判断してるだけだからな。そういう()()()まで消されてたら判らんぞ」

 

「手前も気付きませんで。申し訳ございません」

 

「ああ、すまなかった。まさか君らが依頼に出た日時や出て行った方角まで洩れているなんて思いもよらなかった」

 

 旅籠の代表としてロドリックが立派な上背を折ると、

 

「いえ。匿ってくれと頼んでたわけでもありませんし、謝罪は要りませんよ」

 

 と、アルが少しばかりホッとした顔で頭を振ってみせ、他の7名もその返答を支持するように頷く。

 

 そんな彼らをロドリックとグレースの娘――半獣人の少女マリオンは、不安そうに尻尾を揺らしながら見守っていた。

 

 

 

 そして現在。すっかり客のいなくなった『荒熊亭』の食堂。

 

 ”鬼火”の一党と『紅蓮の疾風』――両党の頭目として座すアルとディートフリートの、長卓を差し挟んだ向かいには、ルドルフと包帯まみれのチンピラ武芸者が座していた。

 

 グリム氏族の長は余裕を感じさせる笑みを浮かべてゆったりと腰掛け、それとは反対に、チンピラは顔色こそ判らぬが落ち着きなく身動(みじろ)ぎしている。

 

 少し離れたところに、マルクガルム、凛華、シルフィエーラ、ラウラ、ソーニャ、そしてレイチェル。

 

 頼んでいないが、ありがたいことにロドリックとライモンドも居る。

 

 『紅蓮の疾風』にとっては勿論のこと、”鬼火”の一党にとってもこういった後始末は初めてだ。

 

「やあ、”鬼火”の――……アルクスくん、そして『紅蓮の疾風』のディートフリートくん……だったね。私はグリム氏族の長、ルドルフ・グリムと言う。此度(こたび)はうちの部下が大変失礼な真似をしたということで、詫びを入れに来た」

 

 ――似たような糸目でもロドリックさんとは何もかも違うな。

 

「謝罪の件で来たことは理解しました。ですが、どうしてその男がいるんです?」

 

 胸中で気味の悪い男だと呟きつつ、表に出さぬままアルが問う。

 

 赤褐色の瞳が向けられたのは、当然ながら隣のチンピラ武芸者。衛兵に引き渡し、留置場の檻の中にいるはずの男だ。

 

「……っ」

 

 ディートフリートは一言も発せず、場の雰囲気に呑まれて手汗をそっと拭った。

 

 彼の直感がひしひしと告げている。目の前に座る糸目の男は危険だ、と。

 

「うん? 謝罪なのだから、主犯に詫びを入れさせるのが物事の筋というものだろう?」

 

 ルドルフが不思議そうに、すっとぼけたような薄ら笑いを浮かべて応じる。

 

「そうじゃありません。なぜここにいるのか、と訊ねてるんです。経緯はどうあれ、民間人を襲った賊でしょう」

 

 鋭く細められた赤褐色の瞳に、チンピラ武芸者は怯えたようにぶるりと身動いだ。刻まれた恐怖が甦ったのだろう。

 

 だが、そうされるだけの理由がある――つまり、アルの指摘は全く以て正しいのだ。

 

 拘置所に入れられていたのは刑の確定を待つため。更に被害者も生存しており、証言までしている。

 

 有罪確定の犯罪者が憲兵も連れず、この場にいる理由をアルは追及しているのだ。

 

「ああ、なるほど。そういうことか。いやなに、私は仕事が忙しくてね。大事な部下を失うのは痛手だろう? だから保釈してもらった。これで良いかな?」

 

 途端、ディートフリートが素っ頓狂な声を上げる。

 

「は、保釈だって!? どう考えたって犯罪者だろ!?」

 

 賊として捕らえられた時点で有罪確定。それが常識である。ひっくり返ることなどそうない。襲われた側が生きているのだから、覆ることもない確定事項のはずだった。

 

「ふむ……? 何やら、不幸な行き違いがあったようだ。部下は(みな)、氏族の面子(めんつ)を保つべく()()()()に向かったと言う。その場に民間人がいたのは事故。そう訴えられたら、私も長として一肌脱がねばならん。そうではないかね?」

 

 だが、ルドルフは悠然とのたまった。

 

 ――この野郎、何が果たし合いだ! わかってて言ってやがる!

 

 思わず、ディートフリートが怒りの形相で立ち上がり掛け――。

 

「っ!」

 

 然れど、アルがその肩を掴んで無言で制止。少々冷えた眼差しで訊ねる。

 

「忙しい、とは? 大規模な依頼でも抱えてるんですか?」

 

「ああ、そういう意味ではないよ。我々氏族というのは、互助組織。彼らに有利な依頼や纏まりやすい組を宛がう。その代わり運営資金として、彼らから毎月ほんの少しずつ金を納めてもらっている。しかし、そんな微々たる金では組織運営など、とても出来はしない。そうは思わないかね?」

 

 グリム氏族の長が朗々と謡うように述べる。

 

「…………」

 

「……そういうもんか」

 

 対して、アルが「続けろ」という視線を送り、座り直したディートフリートは納得したように一言返した。

 

「そういうものなのだよ。我々、グリム氏族の構成人数は現時点で二百と余名。とてもじゃないが人手も金も足りていない。だから事業をやっているのだよ」

 

「……事業、ですか?」

 

 アルが注意深く問い返す。

 

「そう、このアイゼンリーベンシュタットの西端には大河が流れているのは知っているかな?」

 

「ええ」

 

「結構。我々はそこで海運業を営んでいてね。依頼のない日は、部下の彼らもそこで働いてくれているんだが――……この時期、まあ季節の変わり目だ。当然、何かと入用で忙しい」

 

「その人手が足りないから保釈して、示談を申し出てきたわけですか」

 

 確認するようなアルの質問に、ルドルフが表情だけは好々爺のように穏やかなものを作って口の端を吊り上げる。

 

「ふむ、君は頭が回るようだ。話が早い」

 

「…………」

 

 一方、ディートフリートはもう成り行きを見守ることにした。

 

 余計なことを言って(こじ)れたくないし、頭の中で今も警鐘が鳴り響き続けている。得体が知れない、という感覚がどんどん増していく。

 

「それで、そちらの提案は?」

 

 アルは静かに訊ねた。

 

 普段、こういう交渉では出来うる限りもぎ取ってやろうとするが、どうにも気が乗らない。なにせ、この男の()()()()()()()()()()()のだ。

 

 強そうにも、弱そうにも見える。何とも判然としない。不気味なほどに不明だ。

 

「ふうむ。示談金を”鬼火”の一党一人につき六十万ダーナ、『紅蓮の疾風』の二人には怪我もさせてしまったということで七十万ダーナ――しめて五〇〇万ダーナ。それで手討ちにしてくれないかね?」

 

 わざとらしく顎を擦ったルドルフが両手で数字を示す。その十本指の根元には、同型の地味な装飾の鉄輪(かなわ)が嵌っていた。

 

 それらが煌めいてパチンと指が鳴る。

 

 すると、チンピラ武芸者が卓の下から引き出した革鞄を開けた。

 

「七じゅっ――うおっ!?」

 

 鞄の中にたっぷりと入った大金貨に、ディートフリートが飛び上がらんばかりに驚く。

 

 六等級が目にする光景ではない。本当に500万ダーナあるのだろう。

 

 だが、アルは無言で首を横に振った。

 

「足りないかね? こちらも部下を三名ほど喪っていてね」

 

「っ!?」

 

 隣の友人頭目が身を強張らせる。

 

 ――……今度は当て(こす)りか。厭味(いやみ)なヤツだ。

 

 アルは薄ら笑いを浮かべたままのルドルフを睨みつけた。

 

「な、なあ。もうこの金額で――」

 

 後ろめたかったのだろう。ディートフリートが見せ金を前に話を纏めようと口走るが――やはり、アルがさせない。

 

「その示談金とやらを受け取ったとして、後で回収に来る可能性はどれくらいありますか?」

 

 そう問うと、化性の如き男は今にも口の端が切れそうなほどにニイッと嗤った。(さなが)ら魔猫の嘲笑だ。

 

「くく……いやはやそんな発想、私には出来なかったな」

 

 ――ウソだ。

 

 直感的にアルは悟った。

 

「それで、どうなんです?」

 

「お、おい。”回収”ってなんだよ?」

 

「こんな大金、普通預けに行くだろ。そこを不意討ちでもされれば」

 

「示談金が丸々返ってくるってか? そんなのアリかよ」

 

 じわじわと理解の色が浮かんだディートフリートが青褪め、

 

「払い終わった金を俺達が()()()()()()()()なんて関係ない。そう言いたいんでしょう? わざわざ現物を持ってきたのもそれが狙いですか?」

 

 チンピラ武芸者が身を強張らせる。

 

 ――やっぱり図星か。

 

「いやいや、私はそんなこと考えもしていなかったがね。そう言われると、なるほど。確かに部下の中には惜しいと思う者もいたかもしれない」

 

 ――この狐野郎。

 

 アルは心中で毒づきつつ、提案金額を蹴り飛ばすことにした。

 

「これ以上、そちらの氏族からの関り合いを無くしてくれるというのならその金額の半分、いやその更に半分でも構いません」

 

 それより此方(こちら)()()()()()べきだろう。

 

「半分の半分? まさか……一人十五万で構わない、と?」

 

 ルドルフは驚いたような仕草を執った。だが、わざとらしいにもほどがある。品定めでもしているような視線だ。

 

「そちらの氏族の武芸者が俺達に干渉しない、もしくは視界に入らない。と、約束して頂けるなら」

 

 アルは真っ直ぐに見つめ返して、もう一度言った。

 

「ふうむ。しかし、これでも我々は氏族の中では大規模でね。まったく視界に納まらないというのも難しいな。ほら、仕事があるだろう?」

 

「では主犯格だけでも我々の前に出てこないようには? チラつかれても目障りです」

 

「なるほど……『紅蓮』の方も同意見かね?」

 

 水を向けられたディートフリートがたじろぐ。

 

「えっ? ええっと、オレは……っつぅ!?」

 

 慌てふためく彼の後頭部に軽い殺気が刺さった。

 

 びくりとしてそちらを見れば、マルクが殺気を当ててきたらしい。視線で「なんだ!?」と問えば、灰紫の瞳がレイチェルの方に向けられる。

 

 こちらを見つめてソワソワしている相棒。少女の姿を視認したディートフリートは浮足立っていた己を自覚し、遅まきながら現実味を取り戻した。

 

「どうしたのかね?」

 

「あ、いえ」

 

「それで、君も”鬼火”と同意見かな? 十七・五万ダーナ――つまり、十七万と五〇〇〇ダーナだが……?」

 

 ルドルフの細く引き絞られた(まぶた)の隙間から覗く瞳がこう言っている。

 

 70万をドブに捨てるのか? 端金(はしたがね)で満足か? と。

 

「は、はい。オレも”鬼火”と同じ条件にしてほしいです」

 

 だが、ディートフリートはそれで良い――否、それが良いと望んだ。

 

 一瞬、金額に目が眩んだがたったの70万ぽっちの為に、己とレイチェルの命が脅かされるのでは天秤が吊り合わない。

 

「そうかね……うーむ、だがそれは困った。この部下は担当箇所が中央――まぁ要はここらへんでね。支部でもよく見かけたろう? 経理もわからぬから事務仕事も務まらぬし、かと言って力仕事もそれほど得意じゃない。これでは、君らにケジメがつかんな。どうしたものか」

 

 ルドルフが()して困ってなさそうに顎を擦る。

 

 アル側の意見としては、これ以上この武芸者に因縁を吹っ掛けられたくないだけだ。

 

「…………っ」

 

 チンピラの六等級が居心地悪そうに身動ぐ。

 

 何かを訴えかけているように見えるが、顎までぐるぐる巻きに固定されているのか、ロクに口も開かないらしい。

 

「配置を変えれば良いのでは? 荷運びとか」

 

 アルは話の流れが見えぬまま提案した。

 

 都市の中央を河岸にしていなければ頻繁に出くわすこともない。運河を使った輸送業ならいくらでも肉体労働があるだろう。一理ある……はずだった。

 

 しかし、ルドルフの出した結論は、この場にいる誰もが思ってもみないものであった。

 

「ふうむ、なるほど。だが、荷をちょろまかされても困るのでね。いっそのこと、消えてもらうとしよう」

 

 ――は?

 

 アルがそう思ったのも束の間。

 

 ルドルフは袖からザッと出現させた何かを部下の後頭部に当て、何の躊躇もなく()()()()()()()

 

 パァン! と乾いた音が食堂に響く。

 

 一拍置いて、チンピラ武芸者は包帯の隙間から見える眼を大きく開いて長卓に突っ伏した。その後頭部からは赤黒い血が流れている。

 

「な゛っ!? あんたっ!」

 

 ぎょっとしたアルがルドルフの手元を見ると、短銃が握られていた。

 

 レイチェルが持っているような機構(ギミック)のついた拳銃ではない。掌に収まるほどに小さく、一発だけ撃てれば良い――そんな雰囲気の短銃だ。

 

 有効射程もおそらく短いだろう。それこそ、銃口を密着させるほどの至近距離用。

 

「なっ、にを……!?」

 

 現役三等級武芸者の抜き手も見せぬ発砲に、まだ六等級の友人が反応出来るわけもない。

 

 遅ればせながらディートフリートも声を上げた。その顔は混乱の極地と云った色で彩られている。

 

「なにとは? ケジメだよ、初めから言っていたはずだが? 君らの言う条件を呑むには、これしかなくてね」

 

「……っ、だからって!」

 

「これが氏族の落とし前をつける、というやつだ。さ、金を渡そう」

 

 我に返ったディートフリートの抗議もまるで響かない。

 

「うん、これで丁度だ。話も済んだことだし、私はロドリックに嫌われていてね。とっとと退散することとしよう。四名も欠けたおかげで尚のこと忙しくなるだろうからね」

 

 何でもないことのように革鞄から金額を取り出していき、ぴったり125万ダーナを置くと優雅にさえ見える仕草でルドルフが立ち上がる。

 

「ふむ……なるほど、面白い。では新米武芸者の諸君、()()会おう」

 

 咄嗟に女性陣の前に飛び出していたマルク、グレースの前で腕を構えていたロドリックとライモンドを一瞥し、不可解な言葉を残して去っていった。

 

 バタン、と玄関扉の方で音がする。

 

 後に残ったのは、物言わぬ哀れな死体と金。

 

「な、何なんだよアイツは!」

 

 怒りと困惑を同じだけ滲ませたディートフリートの声。

 

「まさか、あんな大昔の銃を忍ばせてるなんて……」

 

 レイチェルも困惑頻りで呆然と呟く。

 

「グレース、マリオンがここに立ち入らないように頼む。それと、店を閉めてくれ。私は憲兵のところへ」

 

「はい、お前様。道中、お気を付けて」

 

「ああ、行ってくる」

 

 ロドリックは険しい顔つきのまま、『荒熊亭』の外へ出て行った。

 

「悪い、アル。香水の臭いがキツ過ぎて火薬の匂いに気付けなかった」

 

 マルクが警戒を解きつつ、申し訳なさそうに謝る。

 

「……いや、たぶん最初(はな)っからコイツを消すつもりで来たんだ。しょうがないさ」

 

 アルは哀れな屍を見下ろし、眉間に皺を寄せたまま(かぶり)を振った。

 

「妙だとは手前でも思っていたのですが……」

 

 店の看板を下ろして戻ってきたグレースも難しい顔をしている。

 

「あの外道が……! 店汚しやがって、畜生」

 

 ライモンドが怒りも露わに、大きな拳を握り込む。

 

「アルはあんな意味で言ってたってわけじゃないのに……後味悪いことしてくれたわね」

 

 凛華がふんっと鼻息も荒く言えば、

 

「しかしアル殿……あの男は”また”、と言ったよな?」

 

 ルドルフの視線と残した台詞が気に掛かっていたらしい、ソーニャもむっつりとした顔で確認を取った。

 

「言った。安全を買おうと思ったけど、最後の最後で有耶無耶にされた」

 

 アルも淡々と頷く。

 

 やられたと気付いたときには、件の氏族の長は去ってしまっていて取れる手段もない。

 

「あの男、まだ何か企んでいるのでしょうか?」

 

 形の良い朱眉を(ひそ)めたラウラが問うと、

 

「……かもしれない」

 

 アルは表情を動かさぬままに顎を擦って、左眼を閉じた。感情を排して思考を優先するも――。

 

「やっぱり狙いがハッキリしないとどうにもないよ、アル」

 

 シルフィエーラの言う通り、情報が足りていない。

 

「え、は? まだ何かあんのかよ?」

 

「ラウラちゃん達は――お金とこの人の命でケジメがついちゃったせいで、グリム氏族が私達に手を出さないとは確約してない、って言ってるんじゃないかな? だよね?」

 

 レイチェルが困惑顔の相棒に応えつつ、確認を取る。

 

「はい。アルさんが『主犯を近づけるな』と、言いましたよね? たぶん、そちらに主軸をズラして示談に持ち込んだんだと思います」

 

「それも結局、口約束だしね」

 

「だからその約束自体も守られるかわかんない、ってことよ」

 

 三人娘はさすがに冷静に状況を理解していたらしく、そう応えた。

 

「マジかよ……なんだってんだ、アイツら。なんでそんな風に持ち込んできたんだよ」

 

「それがわかりゃあ、苦労しねえ。どっちにしろ警戒に越したことはねえな。ディート、レイチェルと外出るときは気ぃ付けてた方が良いぜ」

 

「わかってるよ、ちっくしょう。そのつもりで示談金四分の一にしたってのに」

 

 物をあまり知らなくても頭の回転そのものは速い方らしい。マルクの忠告に薙刀遣いの青年は険しい顔つきのまま、素直に頷いた。

 

「お前さんら、本当に気ぃつけんだぞ。あのルドルフってクソ野郎は、二十年近く前からずっとあんな陰険なヤツだったからな」

 

 ライモンドが苦々しさに心配の色まで混ぜた奇妙な表情で言う。

 

 この感覚に似たものをアルは知っている。面倒事の気配だ。

 

「ひとまず、単独行動は禁止だ。特に外を歩いてるときは。良いな?」

 

 用心に越したことはないだろう。

 

「おう」

 

「ん、わかった」

 

「了解よ」

 

「わかりました」

 

「承知」

 

「カアッ!」

 

「翡翠、悪いけどアイツらが出入りしてる建物を探ってきてくれ。見つかりにくい夜に行くんだ。なんとなくだけど、あの男はお前のことも知ってる気がする」

 

「クカ? カアッ!」

 

「気を付けろよ。絶対、朝方には帰って来い」

 

「カアッ!」

 

 アルは「了~解!」とばかりに啼いた使い魔をひと撫でした。

 

「このまま何事もなく終わってくれりゃあ御の字なんだけどな」

 

「そんな気がしない」

 

「だよな。キナ臭え」

 

 ”鬼火”の一党の男衆がげんなりしつつやり取りしていると、ディートフリートも『紅蓮の疾風』の頭目として緊張感を滲ませながら訊ねる。

 

「こっちも同じようにはするけどよ、お前らどうするんだ?」

 

 なにせ、こんなことに巻き込まれたことなど一度としてないのだ。

 

「どうもこうもねえよ」

 

「情報収集くらいしか打てる手がない」

 

 返答は端的。それでも、新米の彼にとってはありがたい。方針があるだけマシだ。

 

「なんかボク、あの時のこと思い出したよ」

 

「あの連中を相手してた時ね。ほんと、やな感じ」

 

 耳長娘と鬼娘の言う”あの連中”とは、聖国の神殿騎士共のことである。このジワジワとした不穏な気配には馴染みがある。

 

「アルさん、どうしますか?」

 

「正直、とっとと都市を離れたいっていうのが本音だね」

 

「うむ、それには同感だが……この件で足止めを食らいそうだぞ」

 

 ソーニャが屍を指しつつ、厭な空気を振り払うように首を振る。

 

 事情聴取からようやく解放されたかと思えばまたこれだ。今度は民間人もいない。

 

 諍いを起こした武芸者の一人が都市内で殺された。何もやましいことをしていないのに逃亡するわけにもいかない。

 

「だろうね。ひとまず、今は休もう」

 

 溜め息混じりにアルがそう締めたことでこの場は一旦お開きとなり、8名は足取りも重く部屋へと引っ込んで行った。

 

 

 

 その翌日からだ。

 

 都市を覆い始めていた暗雲が得体も知れぬ触腕を伸ばし始めていく。

 

 それがじわじわと混乱に発展し、遂には鋼業都市〈アイゼンリーベンシュタット〉全域にまで波及してしまうことを、この時の彼らは予想だにしていなかった。

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