日輪の半龍人   作:倉田 創藍

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15話 それぞれの戦い

 背後から複数人の足音がバタバタと迫る。 

 

「逃がすんじゃねェぞ!」

 

 野蛮な胴間声が追い縋る背を叩く。

 

 ひゅうひゅうと吹き荒ぶ炎熱混じりの奇妙な風を切りながら、青年少女4名は倉庫街を必死で駆けていた。

 

「はあっ、はぁっ、はぁっ……!」

 

「く、しつこい……!」

 

 振り切れない。ほぼ同時に背後を見やった朱髪少女と騎士少女は、それぞれに整った相貌を苦々しげに歪める。

 

 ――追っ手は、私達が何者なのかまでは知らないはず。

 

 人狼青年と近接戦闘の稽古をしている義妹ほど落ち着いた息遣いは出来ないラウラだが、思考だけは高速で続けていた。

 

 自分達の身分が不用意に露見する(バレる)ような真似は常に避けている。認識票にでさえ、シェーンベルグとアインホルンの刻印はない。

 

 だとすれば――……やはりあのルドルフ・グリムが何らかの情報を掴んでいる、と考えるのが妥当だろう。

 

 直ぐ後ろを走る義妹もその可能性に行き着いたようで、眉間に縦線を刻んでいる。

 

 一方、彼女らと互い違いに並んで走る『紅蓮の疾風(はやて)』のレイチェルとディートフリートは声を発する余裕もないのか、息遣いが荒い。

 

 軽胸甲をつけているラウラより、この中では誰よりも重装甲なはずのソーニャよりも足取りが重く、調子(ペース)非道(ひど)く乱れていた。

 

 だが、それも致し方ない。

 

 何せ、逃れようとしている相手は本能任せの魔獣ではない。

 

 昏い悪意を以て武器を振るう――自分達と変わらぬ”人”。

 

 等級も近いか、己より上位の武芸(同業)者なのだ。

 

 幾ら鍛えていると言っても、ただ走るのとは訳が違う。同じなはずがない。

 

 腹を叩く戦闘状態の魔力の波動、皮膚に伝わる殺気が脳内で警鐘をがんがんと叩き鳴らし、それが極度の緊張となって余計に体力(スタミナ)消耗させる(奪っていく)

 

 思うように動かぬ身体を無理に動かしているせいで酸素も必要以上に消費し、それでも尚不足しているせいで手足が鉛のように重い。

 

 命を預けているはずの薙刀と二挺拳銃も身体を振り回す邪魔な重石(デッドウェイト)と化していた。

 

 ――これ以上は……!

 

 前を走る少女の疲弊ぶりを読み取った琥珀色の瞳が焦燥に彩られる。

 

 只でさえ今は頼りになる魔族組が居ないのだ。現状の打開策を見つけようにも、追っ手との距離が近いせいで深い思考に意識を割く余裕もない。

 

「ラウラ、二人が()たない! 倉庫の中に逃げ込もう!」

 

 殿(しんがり)を務めていたソーニャもやはり似通ったことを思ったらしい。

 

 飛来した矢をがつんっと盾で弾き落として義姉へ提案した。

 

 ――正直、我々も余裕が失せてきたしな……!

 

 普段、露払いや――特に殿(しんがり)はマルクガルムやシルフィエーラがよく務めているのだが、今のソーニャが殆ど単身で担うにはまだ荷が勝ち過ぎる。

 

「ええ! 二人とも、良いですね!?」

 

「っ、おう! 少しでっ、いいからっ……息をっ、整えてえ!」

 

「はあっ、はあっ、はあっ……はぁっ、うんっ!」

 

 すかさず、息も絶え絶えな声が返ってくる。

 

 ――これが六等級と五等級の()ってのかよ……!

 

 ディートフリートは喉からせり上がってくる血の味を呑み下し、薙刀を落とさぬよう柄を力いっぱい握り込んだ。

 

 ”鬼火”の一党はどうしてもド派手な魔族組が目立ちやすい。

 

 だが、今の自分達と較べても年下のラウラとソーニャの方が明らかに余裕がある。

 

 ――……いや、そうじゃねえ。そんだけヤベえ場数を乗り越えてきてんだ。

 

 知っているのだ、これと似たものを。

 

 ディートフリートはそれを察し、奥歯が砕けるほどに強く噛み締めた。

 

 アルクス(”鬼火”)みたいに成りたいと思っていた。だが、そうじゃない。

 

 ――()ずはこの二人だ。この二人に一歩も後れを取らねぇくらいに成らなきゃいけねえ。

 

「はぁっ、はあっ、はぁっ、はあっ……!」

 

 レイチェルは酸欠で倒れ込みそうになりながら、相棒に視線をやった。

 

 彼の息は大荒れで、頬を伝っていく汗も凄い。しかし、その瞳だけは今まで見た中で最もギラギラしていた。

 

 教えてもらわなくたって分かる。これこそが、彼の成長の兆し。

 

 置いて行かれるわけにはいかない。

 

 ――……ディーくんの相棒(となり)はわたしだから。

 

「ラウラちゃん、あそこっ! 開いてるよ!」

 

 ゆえに先頭で視線を奔らせ――逸早く火の手が廻っておらず、扉の開いている倉庫を発見するや、鋭い声を上げる。

 

「行きましょう!」

 

 扉に焦点を合わせたラウラも即応すると、ソーニャが足甲の踵をザ……ッと地面に突き刺して反転。

 

「『障岩壁』!」

 

 背後へ向けて魔術を発動。多めに込められた魔力が土砂混じりの壁を形成し、倉庫街の通路を塞ぐように薄く広く出現する。

 

「チッ、またかよ!? さっさと退()けろ!」

 

 数十(メトロン)後ろ――壁越しに苛立ち混じりの怒鳴り声。

 

 追っ手とて、此処まで粘られるとは思ってもみなかったのだろう。

 

 焦れたような響きと共に武器を叩きつけ、術師が魔術を展開する。

 

 しかし、アルクスから直接魔術の手ほどきを受け、この年齢(とし)で数度も死線を潜り抜けた2人が障害物(通せんぼ)を立てただけで終わるわけがない。

 

 逃げるしかなかったあの頃とは、もう違う。

 

「『流転(るてん)烈震牙(れっしんが)』!」

 

 間髪入れずにソーニャが更に魔術を発動。

 

 途端、築かれていた『障岩壁』から禍々しい穿孔錐(ドリル)状の鋭い土砂牙が、ギュ……ボァッと幾本も伸びた。

 

「うがっ!? な、なんだァ!?」

 

「壁からトゲが伸びやがった!」

 

 魔術の()()()()()()()べくアルが創った補助術式『流転』。

 

 『蒼炎羽織』――『気刃の術』並に難度の高い術を変化させるのは応用技術だが、自分の魔力で発動した術かつ同属性であれば、真面目に鍛錬を熟してきた今の彼女には軽い。

 

「任せたぞ!」

 

 頼もしい義妹の声。

 

「『蒼炎掌(そうえんしょう)』!」

 

 すかさず、ラウラは杖剣をひゅっと振るった。

 

 次の瞬間、切っ先から蒼炎で象られた巨大な拳が出現。形状だけなら『裂咬掌(れっこうしょう)』に酷似しているが、それも当然。

 

 これはその蒼炎(バージョン)なのだから。

 

 だが、それだけじゃない。

 

「はあ……ッ!」

 

 ラウラは動きを止めぬままに杖剣を背後へ引くや、そのまま(くう)を抉るように突きを放った。

 

 直後、凶悪な螺旋牙を生やした『障岩壁』に『蒼炎掌』が着弾。

 

 初めから薄く張られていた土砂壁が瞬時に赤熱化し、岩漿(マグマ)のようにドロドロと熔けていく。

 

 その瞬間、蒼い巨拳がどっぱぁん! と爆ぜた。

 

 『気刃の術』の生成される超高出力の炎属性魔力と違って、触れただけで途轍もない物理威力を発揮するものじゃないので、着弾とほぼ同時に爆発するように改造してあるのだ。

 

「げ、ぐぁああああああ!?」

 

「うげえぇぇっ!?」

 

「ぎぃああああああッ!?」

 

 『烈震牙』に怯んでいた追っ手(グリム氏族)の武芸者らが破裂して無差別に飛び散った鋭い牙に貫かれ、更には熔岩の破片に身体を灼かれる。

 

 尋常じゃない高熱の炎に晒された人体は燃え出すわけでも、アニメのように黒焦げになるわけでもない。

 

 瞬間的に、その部位の皮膚や肉が削げるように溶け落ちる。燃えるのはそれからだ。

 

 追っ手の絶叫や、いっそ悲惨なくぐもった声が響く。

 

 起動最低魔力が『蒼火撃』の6倍以上もあるものの、杖剣による威力の増大、そして飛散した高熱の熔岩もあって二次被害も含めると、効果は6倍などと生易しいものではなかった。

 

 放った術者本人(ラウラ)でさえ、爆発の衝撃と熱波で身体を後退させられたほどだ。

 

 しかし、その結果を一顧だにすることもなく、

 

「今の内です!」

 

 声を張り上げて、再び駆け出す。

 

「行くぞ!」

 

 目眩ましが効いている内に! と、ソーニャも同じく駆け出していた。

 

「おっ、おう!」

 

「うんっ!」

 

 目を瞠る連携に驚いたのも束の間、ディートフリートとレイチェルも2人の後を追って目標の倉庫へと逃げ込むのだった。

 

 

 ☆ ★ ☆

 

 

 その頃、マルクガルムと”荒熊”の妻グレースは、(さら)われたマリオンが居ると思わしき中型船舶への侵入を無事に果たしていた。

 

 2人とも鋭く伸ばした爪や指の力を使って船体側面の僅かな窪みや溝に爪を引っ掛け、微かな音を立てて鋼甲板の縁に手を掛ける。

 

 共に顔を覗かせて、しゅるりと人間態に戻ったマルクが隣のグレースに向けて無言で顎をしゃくった。

 

 視線の先には、見張りらしき男。あれは船夫じゃない。どう見ても武芸者だ。

 

 ――どうします?

 

 灰紫の瞳が猫眼に問う。

 

 すると、身の熟しだけなら魔法を使った人狼族並の元二等級武芸者の猫獣人族は、船倉への降り口を無言のまま示した。

 

 ――なるほど、確かに無視が良いか。了解っす。

 

 此処で余計な音を立てるわけにもいかないし、仮令(たとえ)上手く気絶させられたとて倒れた武芸者を放置するわけにもいかない。

 

 何より見張りが居ないとなれば、船員らも活発に動き出すだろう。

 

 それだけは避けたい。此方(こちら)には2人しか居ないのだ。

 

 マルクはこくっと頷き、

 

「『影狼(かげろう)』」

 

 左腕に軽く力を籠めながら魔術を発動。

 

 すると、手首から肩口辺りまで全体的に彫られていた()()()()ザワ……っと逆立って揺らぐ。

 

 マルクは慣れたようにその墨色の()()()()()()、両足に纏わせた。

 

 この『影狼』こそ、アルが急ピッチで開発した人狼青年専用の新しい独自魔術。

 

 都市が荒れ始めた頃はまだ構想段階だった新術で――局所的に扱う、という点でどうしても『雷光裂爪』のような真言術式には出来ていない。

 

 まるまる一夜掛けてその課題を検討した結論が、アルの胸の『八針封刻紋(はっしんふうこくもん)』と同じく術式を()()()()()――腕の刻印術式(入れ墨)だ。

 

 両足に墨色の影を纏ったマルクは素早く甲板に着地し、次いで跳び上がったグレースを背中に担ぐと、そのまま全力で駆け出した。

 

 鋼甲板である以上、走ればしっかり音も出るし、振動も発生する。通常であれば、あっさりと見張りに気付かれるだろう。

 

 しかし、誰一人として彼らに気付かない。

 

 なぜなら、足に纏った『影狼』が音や振動の一切を()()()()()()からだ。

 

 2人は誰に勘付かれることもなく船倉への降り口から階段を降りていき、武芸者や船員らしき匂いが薄らいだところで「もう大丈夫だろう」と、動きを止めて階上(うえ)を見上げる。

 

「やはり、魔術というものは便利なシロモノですね。あれだけバタバタ走っていたのに、手前の耳でもちっとも足音を拾えませんでした」

 

 何とも奇妙な気分です。と、人狼青年の背からするりと降りたグレースは礼を言いつつ、不思議そうな顔で首を傾げた。

 

「そういう魔術だからってだけっすよ。不都合もしっかりあるっすから」

 

 マルクは苦笑を返す。

 

 『影狼』の場合であれば、『性能が優秀過ぎる』という点だ。

 

 なまじ『気刃の術』と同じ要領で生み出されている”影”なせいか、あらゆる(エネルギー)を相殺してしまう。

 

 猫獣人族のグレースが”バタバタ走っていた”と表現したのもそのせいである。

 

 本来であれば、加速に利用できるはずの()()()()()()()()()相殺して(消して)しまう。

 

 ゆえに実際、マルクは不格好に――限りなく前傾姿勢を執って、倒れるように無理矢理(バタバタと)走っていたのだ。

 

 彼の言う”不都合”とは、このことである。加減が全く利かない。

 

「そういうものなのですね。王国出の獣人なので魔術にあまり馴染みがなく」

 

 感心したような声音の猫獣人に、

 

「便利っちゃ便利っすけど、使い方次第っすよ。万能な魔術なんて此の世にゃ存在しないそうなんで。ともあれ上手いこと潜入出来たっぽいし、とっととマリオンを探しましょう」

 

 応えたマルクが足の”影”を左腕に戻して、階下(した)に眼を向ける。

 

「ええ、そう致しましょう」

 

 グレースも表情を引き締め、2人は大きな船倉へ繋がる階段をそろそろと降りて行った。

 

 

 ☆ ★ ☆

 

 

 同刻、そこから少し離れたもう一隻の船舶上にて。

 

 凛華とシルフィエーラも船体に取り付き、船尾を登るまでは順調。障害らしい障害もなかった。

 

 が、転落防止柵の()()()ひょっこりと顔を出して甲板を覗く彼女らの表情は、獣の嗅覚を持つ2人組とは対照的なまでに曇っていた。

 

 ()ぐ目前を見張りらしき武芸者と船員らが行き交っている。

 

 忙しそうな雰囲気はない――が、引っ切りなしではある。

 

「やっぱり……一気に凍らせちゃうのが手っ取り早くないかしら?」

 

 この量相手にこっそりなんて無理よ。と、凛華がいっそ断言すれば、

 

「うう~ん……でも船倉(した)にも人、居るんじゃない? 敵か味方かも判んないし」

 

 風の精に音を吹き流してもらいながら、エーラが真っ当な反論を口にした。

 

 数がこう多いと、誰にも気付かれずにというのはさすがに至難の業だ。

 

「そうよねぇ」

 

「せめて木製ならどうにかなったかもだけど」

 

 すすす~……っと、2人して顔を引っ込めると、唸ったり、船体を軽く叩いてみたり。

 

 鋼甲板からも分かる通り、この船は帆のついた総鉄製。

 

 一見すれば帆船に見えるが帆はあくまでも航行補助用。

 

 実際には古い型の――魔導機関とは形式の異なる、原始的な推進装置を利用した帝国で最も多い型の船である。

 

「……面倒ね。いっそ斬っちゃいましょうか」

 

「斬るって船体を? さすがにムチャじゃない?」

 

「こう、ぐる~って廻りながら甲板(うえ)船倉(した)で切り離すのよ。あたしとあんたなら出来なくもないでしょ?」

 

 と、凜華が脳筋寄りな提案をする。

 

 『冰鬼刃(ひょうきじん)』と『燐晄(りんこう)』――少々過剰に過ぎる属性魔力の威力に頼れば、確かに可能だ。

 

「そうかも――……や、ちょっと待って? それやってる間に人質、取られたりしない?」

 

 刹那、賛同し掛けたエーラであったが、はたと思い止まった。

 

「あっ……」

 

 想定してみたのだろう、白い美鬼の顔にも理解の色が浮かぶ。

 

「それに、マルクとグレースさんの方も全然終わってないと思う」

 

「じゃダメね。う~ん、何か良い手ないかしら?」

 

 凜華はあっさりと己の案を棄却し、もう一度甲板上を睨みつけた。

 

 エーラも新緑色の瞳をきょろきょろと彷徨(さまよ)わせ、もう一隻の貨物船をなんとなく注視する。

 

 彼我の距離はそこそこ。豆粒とは言わないが、船員も相応に小さく見える。

 

 そのまま船体を見渡し、水面に近い下部を目にすると同時に「っあ!」と閃いた。

 

「どしたのよ?」

 

「ねね、この船にもあっちのみたいに積荷入れる口っぽいの、あるよね?」

 

 濃い小麦色のほっそりした指が船体側面を示す。

 

「うん?」

 

 凛華も小器用に身を乗り出し、エーラの言う通り――搬入口と思わしき幅広い長方形型の溝が刻まれているのを確認した。

 

 船底側には太い蝶番(ヒンジ)もついている。それが計2箇所。

 

「じゃないかしら? こっちとあっちの船、よく似てるもの」

 

「だよね? それならさ――……」

 

 エーラは悪戯っ気のある笑みを浮かべると、ごにょごにょと作戦を話してみせた。

 

「へぇ、あたし達っぽくて良いわね。その案でいきましょ」

 

 訊き終えた途端、凛華もニッと不敵に笑った。

 

「そんじゃ、少しの間待機だね~」

 

「そうね、座ってましょ」

 

 頷き合った少女らが小器用な動きで転落防止柵の真下――浅い窪みに並んで腰掛ける。

 

 動くのは確定だが、今直ぐにじゃない。

 

 2人は僅か数十秒の電撃作戦を成功させるべく、息を殺して絶好の(チャンス)をじっと窺う。

 

 

 ☆ ★ ☆

 

 

 一方、そこから少し離れたグリム氏族の拠点――5階建ての高楼。

 

 アルと、彼に救出された新米記者ミリセント・ヴァルターは2階の探索もとい物色を終えたところであった。

 

「……この階にそれっぽいものはありませんでしたね」

 

 一番見つかりにくそうな配膳台(カウンター)裏の材料置場(バックヤード)に一旦戻るや否や、落ち着き払った様子のアルが左眼を閉じながら呟く。

 

 2階は(ほとん)ど溜まり場として機能しているらしく、抜き足差し足で見て廻ったところ、すっかりもぬけの殻だった。

 

 あるのは食料の残骸や硝子杯(グラス)ばかり。

 

 酒保と繋がらぬ小部屋も化粧室(トイレ)洗い場(シャワールーム)、仮眠室、種々雑多なものが詰め込まれている倉庫であった。

 

 当然、怪しげな海運取引の証拠もない。

 

 精々得られた(というか回収した)ものは、倉庫の暗がりに投げ置かれていたミリセントの荷物くらいだろう。

 

「ごくんっ……そうみたいですね~。となるとぉ、上の階……でしょうか~?」

 

 その彼女は樽に腰掛け、むぐむぐと頬張っていた塩漬け肉(ハム)を嚥下すると、独特な口調で首を傾げた。手には酢漬け(ピクルス)の瓶もしっかり握られている。

 

 助けにも来てもらえたし、荷物も取り返せたことで空腹を思い出したらしくひもじそうにしていたので、探索がてらアルが失敬してきたものである。

 

 そのおかげか、顔色も随分マシになった。

 

「おそらくは。兎に角、行ってみましょう。階上(うえ)の様子がどうなってるのか分かりませんし、俺から離れないようにして下さい」

 

 と、言って左眼を開けたアルがささっと装備を確認。

 

「当然ですよぅ。もう捕まるのは御免ですから~」

 

「もう行けますか?」

 

「はぁい。あ、これだけ」

 

 最後に、ミリセントが酢漬け(ピクルス)をヒョイっと口に放り入れる。

 

 酷い目に遭いかけた割に心的外傷(トラウマ)もなさそうで、平素の活発さを取り戻し掛けているのは彼女の芯が思いの外強いのか、はたまた楽観的なのか。

 

 密かに胸を撫で下ろしつつ、アルは材料置場(バックヤード)の扉を開けた。

 

「此処からは、しーっですよ」

 

 こくこく。ミリセントが両手で口を押さえながらついてくる。

 

 アルは先導するようにゆっくりと階段を上がっていき、しかし途中でぴたりと足を止めた。

 

 ――居る。四人……くらいか?

 

 此処に居て、と身振りで背後に示す。

 

 再び、こくこく。ミリセントが素直に頷く。

 

 抜き足、差し足。徐々に並の調子(ペース)で。

 

 驚異的な五感を持つ種族の”隠密”と違い、”隠形”に於ける最も重要な点は音を立てぬこと――ではない。

 

 それだと気配の察知に長けた相手は、潜むことで発生する妙な()()に違和感を覚える。

 

 正解は、場の空気に融け込むこと。

 

 ゆえに呼吸は深く、しっかりと。そこに居て当たり前のように。

 

 アルは己を馴染ませながら、するすると階段を上がっていく。

 

 ミリセントはその背を見ながら考えていた。

 

 彼は何者なのだろうか? と。

 

 背丈こそ変わらぬが、氏族の拠点に単身で忍び込んで己を救い出せるほどの実力者。

 

 そのうえ、さっさと逃げ出すこともせず、怪しいから調べようとする胆力と冷静さまで兼ね備えている年下の青年。

 

 ――そしてあの……四等級()の認識票。

 

 彼の胸元に見えた金属片、そして幾度となく目を通した『月刊武芸者』の記事が残像(フラッシュバック)となって脳裏を掠める。

 

 彗星の如く現れた、帝国南部で有名な新人一党。

 

 数々の功績を挙げ、然れど個別取材を絶対に受けない謎の6名。

 

 また、その派手な戦いぶりから一党の全員が二つ名を持っている。

 

 知っているのはそれだけ。精々、二つ名から髪の色を推測できるくらいだろう。

 

 だが、なぜか非道く気に掛かる。

 

 ――お兄さんは”灰髪”じゃないのに。

 

 顔も知らぬ憧れの一党の頭目と、己を助けてくれた青年が重なってしまう。

 

 しかし、そうなると新たな疑問や確認したい事柄も湧く。

 

 なぜ、自分が”鬼火”の一党に執心していると言った際、彼らは自分達のことだと言わなかったのか?

 

 そして、格下と云えど30名を越える武芸者集団を相手にして、一般人を守りつつ命を奪うことなく蹴散らせる新米武芸者が南部に一体どれほど存在するか?

 

 ミリセントはこれでも頭が良い方だ。

 

 勿論、アルの従妹――イリス・シルトのように貴族らしい英才教育を受けて育ったわけではないが、アウグンドゥーヘン社の面接に一発合格する程度には教養もあれば、魔導列車の売り子をお喋り(トーク)の片手間に行える程度には機転も利く。

 

 俗に言う、頭の回転が速いというヤツだ。

 

 だからこそ、魔力感知や戦闘技術を一切持たず、また顔写真が出回っているわけでも、詳細な見た目が載っているわけでもない『月刊武芸者』の記事から、その推論にまで辿り着いたのである。

 

 ――そういえば最初に会った時、お兄さん、凄く慌ててたような……?

 

 聞いてみるべきか否か1人悩んでいると、件の青年が戻って来た。

 

「もう大丈夫ですよ。四人くらいかと思ってたけど奥に何人か纏まってて」

 

 手間取っちゃいました。と、事も無げに言う。

 

 その声音に苦労した風な響きは――やはりない。掛かった時間も数分程度。

 

「あのぉ……殺しちゃったん、でしょうか~?」

 

 今直ぐにでも訊ねてみたい衝動に駆られたミリセントであったが、最も気になったのはその点であった。

 

「殺しちゃいませんよ。ビリッとやって気絶させてます。何かしらの犯罪行為は働いてそうな連中でしたけど、何にどう関わってるか不明ですし」

 

 俺も今は不法侵入の真っ最中ですからね。と、掌にパリッと雷棘を生じさせたアルが平然と言ってのける。

 

「ほっ……そうでしたかぁ~」

 

 ミリセントは安堵すると同時、己の裡で疑念が(いや)増したのを自覚する。

 

 此処に詰めていたのは間違いなく武芸者のはずで……それをいとも容易く無力化した。しかも、おそらく気付かれることなく、だ。

 

 ――あ、怪しいぃ~……!

 

「さ、行きましょう」

 

 しかし、青年はさっさと歩いて行ってしまった。

 

「あっ、は、はぁい」

 

 訊けそうな好機(タイミング)を逸したミリセントは慌ててぱたぱたとついていく。

 

 

 

 高楼3階は、有り体に言えば事務室のようだ。

 

 あまり整頓されていない机が部屋ごとに雑然と並び、整理棚にはとりあえずといった(てい)で取引記録(ファイル)が突っ込まれている。

 

「えー……魚に果物、鉱油、鋼材。って、思ったより少ないな。最近の記録もぺらっぺらだし、字も汚いし」

 

 アルは整理棚から引き抜いた記録をバサバサと景気良くひっくり返しながら呟いた。

 

 もっと物々しい――それこそ武器や爆弾の大量取引なんかを探していたのだが、一向に見つからない。

 

 こういった場に監査の手が伸びるかどうかまでは知らないが、表向きは真っ当な商売なようだ。

 

 ちなみに感電させた(眠らせた)武芸者らは邪魔だったので、縛り上げて休憩室らしき場所に転がしてある。

 

「う~ん……私もよく知りませんけどぉ、記録と言えば資料保管室とか~、あっ金庫! 知られちゃマズいものなら金庫とかに仕舞ってあるんじゃないでしょうか~?」

 

「なるほど。あ、でもそんな部屋あったっかな……? この階、こんな感じの部屋が二つあるくらいで、あとは給湯室とか――部屋自体あんまり大きくないんですよ。金庫っぽいものも見てませんし」

 

「となると、やっぱり更に上の階とかでしょうか~?」

 

「ですかね? 此処見終えたら、行ってみましょう」

 

「わっかりました~、私もお手伝いしますね~」

 

「助かります」

 

 視線を資料や紙束に向けたまま、そのようなやり取りを交わしながら手当たり次第に蒼炎で鍵を熔かし、棚や引き出しの中身を重点的に物色していく。

 

 完全に犯罪行為である。

 

 だが、2人の手つきには躊躇いの一片もなかった。

 

 何せ果たし合いの名目で襲撃、更に誘拐まで行った連中の巣窟だ。そのうえ、今日に限って都市内で見かけていないのに、拠点にも居ない。

 

 見過ごすには、あまりに怪しい。

 

 ――……こっちは外れっぽいな。上階(うえ)に行ってみるか。

 

 と、内心で呟いたアルが持っていた積荷目録をポイっと捨て置き、声を掛けようとした時だった。

 

「あのぉ、お兄さん。これ~、なんかちょっとおかしくないですか~?」

 

 ミリセントの方が先に呼び掛け、厚めの記録を開いて見せる。

 

「どこです?」

 

「この輸送記録なんですけど~……わざわざ王国に直接向かったり、かと思えばほんのちょっと先の北部で下ろしたり~。しかも、荷の量に比べて期間も曖昧なんですよ~。ほら、他のはこれの半分の日数で往復しちゃってますし~」

 

「此処から王国って、陸路が一番早いんじゃないんですか?」

 

「ですね~。それこそ魔導列車で帝国を横断して、その先の都市から海を渡った方が早いです~」

 

 此処から行こうと思ったら、一度北海まで出て、そこからぐる~っと遠回りする必要がありますねぇ。と、元魔導列車の売り子が言う。

 

「確かに、変かも。その時の積み荷、何だったか判りますか?」

 

「それが~……何かの略語? 品番? っぽくてちっとも~。重量もまちまちみたいです~。すっごい重いのもあれば、軽いのもあるみたいです~」

 

 彼女の言う通り、輸送記録に載っている情報はどこか奇妙だ。何ともチグハグな感覚を受ける。

 

 また、売上を減らされている部分があったが、その理由も()()()()()()()

 

 欠品や処分は理解できる。

 

 しかし、乱雑な字で『衰弱の為返品、後に廃棄』と書いてあったものが似たような取引に必ず数回。

 

 予想だにしなかった内容に、2人は思わず顔を見合わせた。

 

 ”衰弱”。そんな単語、およそ生物相手にしか使わない。

 

 つい先刻まで監禁されていたミリセント、そしてアルの脳裏に同じ単語が浮かぶ。

 

 人身売買。帝国はおろか大陸でも全面的に禁止されている違法行為。

 

「ひとまず、これはミリセントさんが持っておいて下さい。上の階も探ってみましょう」

 

「わ、わかりましたぁ~。でも、そのぅ、大丈夫でしょうか~……?」

 

「攫われてたミリセントさんが命からがら持って帰ったってことにすれば、たぶん立派な証拠になりますよ」

 

「そういうことじゃないんですけど~……」

 

 これ持ってたら追われたりするんじゃあ……? と、縋るような顔をしたミリセントであったが、彼はもう部屋の外。

 

「う、うぅ~……や、やってやりますよぉ~……!」

 

 慌てて後を追うと、アルは既に階段から4階の様子を探っていた。

 

 視線の先には唯一、魔導燈(まどうとう)の光が漏れている部屋。他に気配は殆どない。

 

 ――先に此処を潰すか。

 

 するりと階段を上がり、扉の横にぴたりと身体をつける。

 

 直ぐにミリセントがそろり、そろりと階段を1段ずつ上ってきた。

 

 ――ゆっくりで構いませんから。

 

 と、アルは合図を送り、こくこく頷きながら彼女が横にぴたりとつくと、右手を腰の大型短剣(ダガー)へ。

 

 ありありと緊張を浮かべる彼女に一つ頷いて、取っ手を握り――……。

 

 ばんっ! と、勢いよく扉を開けた。

 

「うおっ!? え――な、なんですか!? って誰です!?」

 

 中にはひょろりとした若い男が一人。驚いた表情で誰何した。

 

 無駄な脂肪がない痩せ型な印象ながら、戦闘職らしさはない。

 

 どちらにせよ、グリム氏族に関係している者だろう。

 

「騒ぐな。その金庫(そいつ)に用がある。開けろ。そうすれば危害は加えない」

 

 アルは殺気をぶつけて男が怯んだ隙に、大型短剣をぴたりと突きつけて顎でしゃくった。

 

 示した先は男の背後――分厚そうな扉の金属箱が置いてある。

 

 幅は男の肩幅より少し大きく、高さは腰にも満たない程度。十二分に大きな金庫だ。

 

 現金を入れている可能性もあるが、違法な商売の証拠になりそうなものの紛失や盗難を恐れて厳重保管している可能性もある。

 

 何にせよ空振り(外れ)続きの中では、最もそれらしい保管場所だろう。

 

「ご、強盗っ!?」

 

「違う。お前達のやってる後ろ暗い商売の証拠を掴みに来た」

 

「は!? 後ろ暗い商売なんて知らない! 大体、僕はただの雇われ――」

 

「騒ぐなと言った」

 

 勢い良く(かぶり)を振った男の首筋に大型短剣の刃が食い込む。

 

「う……!?」

 

「開けろ」

 

「ひぃっ、わ、分かったから……!」

 

 諸手を上げてしゃがみ込んだ男が焦った様子で回転数字盤(ダイヤル)式金庫をカチチチチっと解錠した。

 

「あ、あ、開けたぞ」

 

「ミリセントさん、すいません。確認お願いします」

 

 これでお目当ての物じゃなければこの男から情報を聞き出さねばならない。アルは大型短剣を突きつけたまま、そわそわと扉の方を気にしていた同行者に指示を出した。

 

「りょ、了解です~」

 

 いそいそと寄ってきたミリセントは金庫の中に鎮座していた幾ばくかの金塊に目をくれることもなく、革の装丁が施されている分厚い大判の帳簿を「とりあえずこれですかね~……?」と、引っ張り出した。

 

 紐で括られている紙束も一緒に落ちた。紙の劣化具合から言って相応に年代の幅が有りそうだ。

 

 そのままミリセントは帳簿に目を通し始め――……みるみる内に顔色を変えた。

 

「え……えぇ~と」

 

「何が書いてあるんです?」

 

「人身売買の取引先、それと扱うときの符丁……? みたいです~……」

 

 思っている以上にしっかりとした証拠が出てきたらしい。

 

 アルが『やっぱり』と眼を細め、ミリセントが蒼褪める。

 

 その時、階段をドタドタと慌てて駆け上がってくる音が聞こえてきた。数は複数。明らかに急いでいるらしき足音。

 

「マズい、気付かれたか」

 

 気絶させて転がしていた連中が見つかったのだろう。

 

「えぇぇ~っ!? どっ、どどどどどうしましょ~!?」

 

 ミリセントが盛大に狼狽する――のはまだ分かる。だが、アルの眼には、なぜか男の方も焦っているように映った。

 

「おい! こっちの部屋だ!」

 

 声が近付いてくるや、大した間も置かずにバンっと戸が開かれた。

 

 果たして、入ってきたのは武装した武芸者ら10名ほど。

 

 その内の1人――髪を丁髷(ちょんまげ)のように後頭部で括っている武芸者は黎髪の侵入者に目を止めると、いやらしい笑みをニタリと浮かべた。

 

「テメエは……! ハンッ、餌に食いつきやがったか。ルドルフさんの言った通りだ」

 

 5階の社長室でルドルフから直接命令を受けていたグリム氏族の古株だが、当然アルは知らない。

 

「あんた誰だ? 会ったことないぞ」

 

 ゆえに発せられた無礼極まる誰何。

 

「こっちは何度も見てんだよ。しっかし、その女を助けにマジでのこのこ現れやがるとは……『月刊武芸者』通りの”良い子ちゃん”らしいな」

 

 丁髷武芸者が(わら)(じわ)をいっそう深くする。

 

 ミリセントは思わず、己を庇って立つ青年の背を凝視した。

 

 ――『月刊武芸者』通り……? それじゃお兄さん、やっぱり……!

 

「人身売買やってるような悪党からすりゃあ、大抵の武芸者は良い子ちゃんばっかりだろうさ」

 

 アルがせせら笑って革装丁の帳簿を指す。

 

「テメエ、そいつは!」

 

 途端、武芸者らは焦りを見せた。

 

「あああああっ、すいません! 剣突きつけられて、脅されて、仕方なく! 殺さないで下さい! ごめんなさい!」

 

 ”雇われ””と言っていた男が丁髷武芸者に縋り付く。

 

「誰だテメエ!? 触んじゃねえ!」

 

「雇われたばかりの事務方ですぅっ! 書類整理やっとけって言われてあの、あのホントすいません! そんな大事なモノだとは思いも――」

 

「この大ボケ野郎が! 金庫に入れてたモン引っ張り出す馬鹿がどこに居やがんだ!」

 

「おぶっ!? のわああぁぁぁっ!」

 

 雇われ事務員はすげなく一発殴られ、他の武芸者からも邪魔臭そうに蹴りたぐられて部屋の外へ転がっていった。

 

「へぇ、盗られちゃヤバいものらしいね。悪いな、貰ってくよ」

 

 アルが憎たらしい笑みを浮かべれば、

 

「誰がやるか。言ったろ、”餌”だって。その女をボロ雑巾みてェにしちまうでも、商品にしちまうでもなく閉じ込めてたのはテメエらを呼ぶ為さ。ハッ、飛んで火に入る夏の虫とはよく言ったもんだぜ。大物の()()が釣れやがった」

 

 丁髷武芸者が苛立った様子で応じる。

 

 ――害虫……? まさか……こいつら。

 

 アルはその単語に(まなじり)をぴくっと吊り上げた。

 

「俺達を誘き寄せなきゃいけなかった理由は何だ? お礼参りってわけでもないんだろ?」

 

「テメエが知る必要はねェ」

 

「アイツの指示か?」

 

「害虫風情が知る必要はねェつってんのが分からねェか」

 

 問答が続く間にもバタバタと騒がしさが増していく。 

 

「あ、あ……」

 

 ミリセントはまともに声も出せず、戸口の方を見て怯えていた。

 

 増援だ。既に当初の倍以上。部屋に収まりそうもなく、そのうえ全員が物々しく武装している。

 

 万事休す。

 

 しかし、敵意を一身に受けているはずのアルは涼しい顔で、

 

「ふうん。なあ、”飛んで火に入る”……なんて言ってたけど、お前ら程度の用意した半端な炎に俺が焼かれるとでも? 本気でそう思ってるのか?」

 

 煽るや否や、獰猛に笑って魔力を一気に昂らせた。

 

 

 ゴォォォオオオオオオ……ッ!!

 

 

 異常な濃密さに陽炎が揺らぎ、暴力的な魔力の渦が一室の中を荒れ狂う。

 

 周囲の調度品や壁、扉が軋みを上げ、ビリビリと震えた。

 

「ひょえ~……」

 

 ミリセントは思わず間の抜けた声を上げ、

 

「う……!?」

 

「ぐくっ……!」

 

「こ、コイツ……!」

 

 グリム氏族の武芸者らが気圧されて喉から絞り出したように呻き、冷や汗を流す。

 

「この化け物が……!」

 

 何を相手にしているのか心底から理解させられたのだろう――丁髷武芸者が憎々し気に吐き捨てると、

 

「ハッ、人でなしよりマシだね」

 

 アルは一言返すや、左手を己の心臓の上へ。

 

 カチ、カチ、カチ、カチ、カチ……と5針解除した。

 

八針封刻紋(はっしんふうこくもん)』が3時を示すと同時――変化が訪れる。

 

 黎かった髪が灰色へ。赤褐色だった虹彩が緋色へと。

 

 ミリセントはぽっかーんと口を開けてそれを見ていた。

 

 ――”灰……髪”。それじゃ、やっぱりお兄さんが……あの”鬼火”。

 

 次の瞬間、きゅっと窄まった縦長の瞳孔――龍眼が敵を射貫く。

 

 荒れ狂う魔力に”灰髪”を靡かせたアルは、ぼそっと何事か紡いで右腕に蒼炎を出現させた。

 

 魔力の嵐の中でもハッキリと分かるほどに濃密に凝縮された魔力の塊。

 

「テ、メエ! 何しやがる気だ!?」

 

 本能的な警鐘も鳴り止まぬまま、総毛立った自身を自覚しつつ丁髷武芸者が叫ぶと、

 

「決まってる。爆発させるんだよ」

 

 平然とした声が返ってきた。

 

「そんな魔力でやればテメエだって巻き込まれる! ハッタリだ! 見え透いた手を使いやがって!」

 

 丁髷武芸者が必死になって喚き、後退りしかけていた武芸者らが『それもそうか』と考え直すも――……。

 

「自前の属性魔力(ほのお)で怪我してたら世話ないだろ。自分の保護は初歩の初歩だって、知らないのか?」

 

 だが、アルは心底から馬鹿にするように鼻で笑う。

 

 丁髷武芸者らが戦慄した――次の瞬間。

 

「じゃあな」

 

 隙を与えず、蒼炎を()()()()腕が大きく後ろに振りかぶられた。

 

「「「「う、うおおぉぉっ!?」」」」

 

「「「さ、下がれぇええっ!」」」

 

 顔を真っ青にした武芸者らが反射的に後退。

 

 それを見て、ニヤリと笑ったアルは直前で軌道を変更し、()()()()()腕を振り下ろした。

 

 

 ドッゴオオオオオ……ン!!

 

 

 重い轟音が響き、部屋を揺さぶる。

 

 アルが叩きつけたのはマルクの『影狼』と同じく、『気刃の術』で生み出した超高圧縮・高密度の蒼炎。要は範囲を絞って現出させた『蒼炎羽織』だ。

 

 それを一直線に階下(した)へ向けて伸ばすと、一体どうなるのか?

 

 結論はこうだ。多少堅牢に作られた程度の床や建材なら簡単に熔かしてぶち貫く。

 

 黒煙を上げて床にぽっかりと開いた大穴――それが2階層ほど貫通しているのを確認したアルは直ぐに振り返ると、ミリセントに帳簿を持たせてそこいらの椅子に座らせた。

 

「へっ? えっ? お、お兄さん……?」

 

「ミリセントさん、良いですか? 俺の仲間か、ロドリックさん――”荒熊”に助けてもらうんです。ついでにそれも見せて下さい。そうすればたぶん分かりますから」

 

 直後、指示をテキパキと出す。

 

「ちょ、ちょっとお兄さん!?」

 

「死ぬ気で走って下さい。足留めは何とかやっときますから。それじゃ、よろしく!」

 

 事態についてこれぬ彼女を置き去りにして言い切ると、椅子ごと大穴に投げた。

 

「お兄さんは、どうす――……へっ? ひっ、ひゃああああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 青年の身を案じていたミリセントはふわっと身を包んだ感覚に視線を真下へ。ぽっかりと開いた穴が存外深いことに気付くや、顔色をサッと青褪めさせ、悲鳴を上げて落ちていく。

 

「ふぎゅうぅぅぅううっ!?」

 

 が、途中で止まった――否、勢いが緩やかになった。アルが『念動術』で椅子に掛かる質量を軽減したのだ。

 

 そのまま緩やかに降りていき、数拍もせぬ内にカツンと硬い感触がした。

 

 ミリセントは此処を知っている。

 

 先刻(さっき)探索したばかりの2階だ。

 

「ミリセントさん、屋根伝いでも何でも良いから逃げるんです! 走って!」

 

 直後、上から”灰髪”が顔を覗かせた。

 

 刹那呆けていたミリセントは咄嗟に胸に抱きしめていた帳簿に視線を落とすと、一拍置いてからわたわたと鞄に押し込む。

 

 そのまま椅子から飛び降り、あまり運動が得意そうでない動作で慌てて駆け出した。

 

「い、急がないと~っ!」

 

 アルが侵入の際に使った窓まで走り、たったそれだけの距離でつんのめった鈍い己を叱咤する。

 

 ――お兄さんが、あの”鬼火”。私、”鬼火”に頼まれたんだ。

 

 おっかなびっくり屋根の上へ降り、僅かな段差をもたもたと伝って、結局「ふぎゃ!?」と尻もちをつきながらも何とか地面についた。

 

「いったたたぁ……うぅ~っ、でも走らなきゃ~っ!」

 

 彼は足留め役を買って出たばかりか、己に真実を託したのだから。

 

 何としても伝えなければならない。それが記者たる己の本分なのだから。

 

 その想いを胸にミリセントは走る。

 

「クソったれがあ! 追えっ! あの女から帳簿を奪い返せ!!」

 

 丁髷武芸者が癇癪気味(ヒステリック)に叫んだ。

 

「お、おう!」

 

「分かってんよ!」

 

「チイッ、一気に降りて行きやがった!」

 

 血相を変えた武芸者らも階段へ急ぐ。

 

 しかし、そうは問屋が卸さない。

 

 どっかあああん! と、轟音と共に行く手が蒼い火と黒焦げの破片で塞がれた。

 

「どこに行く気だ? 害虫は此処だぞ?」

 

 アルだ。ゆらゆらと揺れる蒼炎を片手に煽る。

 

「チッ、殺せえっ!! ガキを殺して女ァとっとと捕まえに行きやがれ!!」

 

 青筋を浮かべた丁髷武芸者が指示を飛ばす。

 

「このガ――」

 

 近くにいた武芸者が斧槍を両手に突き入れた。しかし、ここは屋内。間合いの遠い長物を自由に振り回せるはずもない。

 

「ギャあッ!?」

 

 あっさりと軌道を見切られ、やりにくそうに振り上げた時には、ボンッと顔面に蒼炎を叩き込まれていた。

 

「ご……おッ!?」

 

 次いで、闘気で関節部を強化した重い蹴りを食らって壁にめり込む。

 

「バカが! 何やってやがる!?」

 

 粗野な怒号が飛ぶ。

 

「捕まえてみなよ」

 

 アルは敢えて刀を抜かず、縦横無尽に4階を暴れ回ることにした。

 

 三角跳びの要領で壁を蹴りつけて跳躍。

 

「コイツ――……がぶるぇッ!?」

 

 1人の顔面を蹴り飛ばし、

 

「っの野郎おおぉぉぉぉあっ!? あぢぢぢぢっ……ほバッ!?」

 

 蒼炎をボォォォ――ッと、噴射。服に燃え移って暴れるもう1名の頭に花瓶をがしゃんと叩きつける。

 

 続いて椅子、文机をだだんっと駆け上がって跳躍。左手で刃尾刀を鞘ごと引き抜きながら、右腕で天井を殴りつけるように押して反転。

 

「ふ……ッ!」

 

「お、お、お、あ、あぼボッ!?」

 

 こちらを見上げていたもう1人の顔面に鞘尻を、鎖骨に(かかと)を叩きつけて引き倒す。

 

 ――時間を稼がないと……!

 

 挑発するような表情を貼り付けたまま、冷徹な思考を以てアルは戦い続ける。

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