日輪の半龍人   作:倉田 創藍

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「小説家になろう」に最新話を、「カクヨム」にて同作を章ごとに、こちらへは定期的に更新していく予定です。


16話 戦い続ける者達、脅威の根源

 外から飛び込んだ野卑な怒声が、わぁ……んと屋内に木霊する。

 

「どこ行きやがった!?」

 

「もう何人も殺られてんだぞ! ルドルフさんに殺されちまう!」

 

「あんなガキ共に手ぇ取られやがって! とにかく探せ! 育ちの良さそうな二人だけは取りこぼせねえ! それこそルドルフさんに殺されるぞ!」

 

「チッ、手分けするしかねえ」

 

 更に、バタバタと地を蹴る音が響き、様々な方向へと散っていく。

 

「はっ、はっ……はぁ……はぁ~~~~……。心臓、止まるかと思ったよ」

 

 レイチェルは潤んだ瞳で膝をついた。

 

 此処(ここ)は、どこかの倉庫内。

 

 人身売買を行っているような武芸者――野蛮極まりないグリム氏族連中(追っ手)に目眩ましを食らわせて逃げ込んだ先だ。

 

 無事に隠れ(おお)せることだけは出来たラウラとソーニャ、そして『紅蓮の疾風』のディートフリートとレイチェルだが、疲労は色濃かった。

 

 都市中央から西側の倉庫街まで、殺気や陰気を背に殆ど止まることなく(ノンストップで)駆け続けたのだ。

 

 幾ら武芸者と云えど、その蓄積具合は並のそれではない。

 

 そのうえ、数名の命を確実に、更に十数名は負傷させたはずなのに、今も声や足音は減っていない。

 

 30数名だと思っていたが、動員された追っ手は想像以上に多かったらしい。

 

「はっ、はっ……しかし、ラウラと私を狙っているのは間違いないようだ。あの狐目の男、我々を知っているのか」

 

 浅く息をついて呼吸を整えたソーニャは、顎から滴る汗を拭いながら呟いた。

 

「はあ、はあ、はぁ……ルドルフ、だったか? アルクスのやつが調べに行ってるんだろ? どうすんだ?」

 

 ディートフリートも膝こそついていないものの、ガクガクと震える膝頭を握り締めつつ訊ねた。

 

「ふっ、ふっ、ふぅっ……ええ、彼らの拠点に忍び込んでいるそうです」

 

「カアー……」

 

「大丈夫ですよ、翡翠」

 

 ラウラは玉のような汗を流しつつ、心配して地面に降りてきた三ツ足鴉に微笑む。

 

 体力の消耗が予想以上に酷い。その理由はもうわかっている。

 

 俯かせていた首を上げ、神妙な顔で義妹と残りの2人を琥珀瞳に映す。

 

 ――アルさんは、いつもこんな重たいもの背負ってたんですね。

 

 思考に絶えず割り込んでくる存在感、背や肩にへばりついて踏み出す足さえも躊躇わせる――仲間の命という重み。

 

 たった一手決めるたびに神経が擦り減り、わけも分からぬ焦燥が身を焦がし、呼吸がどんどん辛くなっていく。

 

 叶うことなら荷を減らしたい。いや、そうじゃない。

 

 ――自分達を切り捨ててほしい。

 

 ラウラは整った呼吸と裏腹に、混濁した意識で思わずこう呼び掛けた。

 

「ディートさん、レイチェルさん。あなた方はおそらく、この件とは無関係です。今ならきっと逃げられます。だから――」

 

「それはイヤだよ、ラウラちゃん。わたし達だけ逃げるなんて、したくない」

 

 しかし、それは地べたに座り込んだままのレイチェルによって殊の外強く、想像以上にきっぱりと拒否された。

 

「レイチェルさん……」

 

 ディートフリートも決然とした顔で続く。

 

「そうだな。オレもあいつにお前らのこと頼まれてんだ。それに、こんなとこでお前らに背ぇ向けたりしたら……きっとオレは己の目指した武芸者(オレ)にゃなれねえ。だから、最後まで投げねえぞ」

 

「……っ」

 

 途端、ラウラは苦しそうに顔を歪めた。否、実際に苦しくてしょうがなかった。

 

 重くて、あまりに重たくて……座ったらもう二度と立ち上がれないような、そんな気さえしてくる。

 

 ――息が……できない。

 

 粘性の高い液体が思考にへばりつき、肺を満たして動きを鈍らせる。

 

 すると、歩み寄ってきたソーニャが唐突に彼女の頬を張った。

 

 ぱぁん! と、派手な音の割に痛みはない。

 

 ただ、衝撃だけがラウラの頭を強く揺らす。

 

 そのままソーニャは半ば胸倉を掴むような形で義姉の肩を掴んだ。

 

「お、おい」

 

 驚いたディートフリートの制止も構わず、彼女は淡々と説く。

 

「ラウラ、苦しいんだろう? アル殿に私達のことを託されて。重たいんだろう? 命が。

 

 だがな……そんなのは、当たり前だ。命は重くて、当たり前なんだ。

 アル殿はいつもそんな苦しそうな顔をして戦ってたか? ――違う。断じて違ったはずだ。

 何の為に私達は居る? アル殿が通った道を安全についていく為か? そうじゃないだろう? 

 

 アル殿はいつだって、私達を()()()()()()じゃないか。

 護ってくれてるだけじゃない。共に戦ってきた。〈ゼーレンフィールン〉でも、〈ドラッヘンクヴェーレ〉でも、〈ベルクザウム〉でも……そして今、此処でも。私の認識は間違いだったのか?」

 

 途端、ラウラはハッとした。

 

「背負い込み過ぎだ。私達の命は、私達で背負える。アル殿はラウラに私達を護れとまでは言ってない。違うか?」

 

 ソーニャはそう言って義姉の瞳を真剣に見つめる。

 

 強い意志の輝きを見せる萌黄色の瞳。ラウラはそれと真っ直ぐに視線を合わせ、やがてゆっくりと大きく息を吸い――

 

「…………うん、そう。そうだった。ごめんね、ソーニャ。ちょっと気を張り過ぎてたみたい」

 

 そして、頷いた。

 

 一党の支柱たるアルクスや、頼りになる魔族の仲間達がいないことで随分視野が狭まっていた。

 

 そうだ。彼は自分を鍛える際、常に広い視野を持つよう指導していた。状況を俯瞰できるように、と。

 

 ――良かった、戻ったか。

 

 義姉の瞳に強い光が宿ったのを確認したソーニャは、強く頷き返してこう言った。

 

「うむ、構わん。それに、少なくとも私はラウラと一蓮托生だ。忘れたのか?」

 

「ふふっ、まさか。すぅ~、はぁ~……ディートさん、レイチェルさん、ごめんなさい。弱音を吐きました。今のは全部忘れて下さい」

 

 心中で義妹に感謝しながら、ラウラは頭を下げた。

 

「いや、あいつらくらいにオレらが頼もしかったら良かったっつうだけの話だ。気にすんなよ」

 

「あはは、そうだね。大丈夫だよ、二人とも。わたし達だって戦う決心はついてるから」

 

「はい、ようやく気付けました。全員で乗り切りましょう」

 

 ――もう大丈夫。戦える。

 

 ラウラはそう言うと、薄く微笑んだ。

 

「それで、どうする? 此処に居ればひとまずはやり過ごせそうだが」

 

 義妹が問えば、すかさず首を振る。

 

「搬入口が多数ある以上、包囲されたら抜けられない。彼らの拠点を目指します」

 

「拠点……ってぇと、あの楼閣か?」

 

「はい。あそこと彼らが海運業に使う貨物船の倉庫は近いはずです。人身売買なんてしているくらいですし、近い場所に大事なものを隠している可能性も低くありません。『もう全隻出た』とは言ってましたけど、それなりに証拠が残っていてもおかしくありませんし、凛華達は知らないかもしれません」

 

 すらすらと案が出てくる。ラウラは先刻(さっき)までの視野狭窄を自覚した。

 

「なるほど、合流を目標にしてグリム氏族の人身売買を暴くんだね?」

 

 レイチェルが鼻息を荒くしながら立ち上がる。

 

「はい。ロドリックさんや支部長さんが招集した方々と合流できれば、更に言うことなしです」

 

「そういうことか。了解した」

 

 ソーニャがいつものように胸甲をがつんっと叩き、

 

「オレも乗ったぜ」

 

「カアッ!」

 

 ディートフリートと夜天翡翠が威勢の良い返事を寄越す。

 

 ――不安もある。でも、それ以上に頼もしい。

 

 ラウラは、真に彼の気持ちが分かった気がした。

 

「では動きます。ですがその前に陣形を考えましょう」

 

「あー……陣形?」

 

 不思議そうに首を傾げるディートに頷いてみせる。

 

「はい。私達が数で不利なのはどうしたところで変わりません。ですが、あちらとて烏合の衆。軍隊じゃありません。それは先刻(さっき)のやり取りで分かりました。ですので一点突破する為の陣を組み、敵の一角を食い破って前進します。翡翠、あなたは先導役です」

 

「カアカア!」

 

 翼をばたつかせ、三ツ足鴉が「まっかせてー!」と啼く。

 

 淀みなく言い放つ義姉の様子に、ソーニャは思わず苦笑した。

 

 ――まったく、まるでアル殿の指揮だな。真似ない方が却って似るとは。

 

 数分後、ようやくの一致団結を見せた四人と一羽は決然と動き出す。

 

 

 ☆ ★ ☆

 

 

 その頃、マルクガルムと”荒熊”の妻グレースはマリオンが捕らえられていると思われる船倉への階段をゆっくりと降り切ったところだった。

 

「何とかなったようですね……」

 

 肩から力を抜いてホッとするグレース。甲板を地上一階だとすれば、船倉は地下二階から地下一階まで吹き抜け。

 

 また地下一階は吹き抜け部分をグルリと回るような構造になっているらしい。おそらく船員や武芸者が詰めているのだろう。

 

 ここに辿り着くまで発見はされなかったが遭遇は何度かあった。その都度マルクとグレースが瞬時に属性魔力や闘気を込めた拳や蹴りをお見舞いすることで事なきを得ている。

 

「ですね。マリオンの匂いは……?」

 

 マルクは人間態のまま問う。『影狼』はあれで『気刃の術』の応用魔術だ。魔力を使わないに越したことはない。

 

「この先のようです」

 

 グレースは面持ちに気合を込め、船倉の入り口から顔を覗かせた。そこには鋼鉄製と思われる太い格子に囚われた人々が数十名がいる。

 

 田舎から出てきたばかりといった風体の若い武芸者や町娘、怯えた目をしている子供達がいた。色んな土地からせっせと攫ってきたのだろう。

 

 中にはほとんど服も着ていないような酷い姿をした少女もいれば、思い切り顔を腫らしている武芸者や破れた服から血が滲んでいる子供も多数いる。

 

 そして檻の前には獣の調教用と思わしき鞭を手にした武芸者が立っていた。

 

「騒ぐんじゃねえぞ。ふぅむ、威勢の良いヤツがいれば楽しめるんだがなァ。おっ、なんだお前その眼は?」

 

 黄ばんだ歯を剥き出しにして男が難癖をつける。ただの憂さ晴らしだ。暇だから適当に弄んで檻に捨てればいい。そんな感情を隠しもしない。

 

「い、いえ私は何もっ!」

 

 目をつけられた少女はブンブン首を振る。瞳にはうっすら涙が浮かんでいた。それを見た男は余計ニヤニヤと笑って怒鳴りつける。

 

「生意気だなァ、丁度いい。お前を調教してやろう、前に出てこい!」

 

 ガン! と檻を蹴りつけられた音に攫われてきた人々はビクッと身体を竦ませ、少女はブルブルと小刻みに震え出した。

 

「わ、わたし……」

 

「あァ?出てこいっつってんだよォ! オリから出してやろうってんだぜ? ま、俺の言う通りにしてたら悪いことは起きねえさァ。ほら、出てこい! 俺の言うことが聞けねえのか!?」

 

 檻をガンガン蹴りつける男。少女が涙を溢しそうになった瞬間。

 

「聞きたくねえんだろ。『雷光裂爪』」

 

「あァ、ん……――べっ?」

 

 男の首が千切れ飛んだ。檻の中にいた人々が目を見開く。立っていたのは右腕だけ獣の腕をした若い武芸者らしき青年。鋭く長い爪からは稲妻を思わせる紫電が走っていた。マルクだ。

 

 目障りで耳障りな男は血を流すこともなくドサリと倒れた。

 

「胸糞悪ぃ野郎だ」

 

「ま、ぞく?」

 

 人間の腕へ戻ったマルクの右腕を見て誰かが呟く。そこにグレースが急ぎ足でやってきた。短剣の血を払った麗しい猫獣人は居ても立っても居られない様子で娘の名を呼ぶ。

 

「こちらは片付いております! マリオン、マリオン! どこにいるの?」

 

「お、かあさん?」

 

 グレースの声に反応した10歳にもならない半獣人の少女は顔を上げた。目立った外傷はないようだ。

 

「ああっ……よかった、よかった……! マリオン……っ!」

 

「ぐすっ、こわかった……こわかったよぉ~」

 

 檻越しに再会した親娘を見て微笑んだマルクは「よしっ」と気合を入れた。

 

「助けが、来てくれたの……?」

 

 囚われていた誰かの言葉が急速に伝播する。ざわつきはじめた船倉にマルクは通る声を発した。

 

「ああ、そうだ。助けに来た。けど、船に乗ってる連中を全員始末したってわけじゃねえ。バレたら面倒になる。少しの間辛抱しててくれ」

 

 そのハッキリした物言いに檻の中にいた人々が歓喜の表情を浮かべつつコクコクと頷いてみせる。

 

「すぐ開けますからね、マリオン」

 

「うんっ!」

 

 グレースは娘に微笑むと立ち上がり、太い格子扉を確認した。獣人の己では闘気を用いても半端にしか開けられない。

 

「鍵を探し――」

 

「要らねえっすよ。『雷光裂爪』」

 

 マルクはグレースの言葉を遮ると、再度『部分変化(へんげ)』で右腕を狼腕へ変異させ、狼爪を束ねる。紫電を纏った狼爪は一本の短剣ほどの長さへと変わった。

 

「ちょいとどいてな」

 

「はっ、はい」

 

 格子扉の近くにいた町娘っぽい女性を下がらせたマルクは何気ない動作で蝶番と鍵を斬り裂く。爪を束ねている分、普段の『雷光裂爪』より熱量も破壊力も上だ。

 

「よっと」

 

 ジュッという音と共に外れ、倒れ込んできた格子扉をマルクはアッサリ受け止めた。

 

「流石でございますね」

 

 気がそぞろでも誉め言葉を忘れないグレースは肩を竦めるマルク。

 

「ほ、ホントに出られるんだ……!」

 

「良かった。良かった……ずずっ」

 

「母さんに会いたい。もう、ダメだって……母さんに会いたいよぉ」

 

 檻から出てきながら涙ぐむ人々を見て、マルクは胸を撫で下ろしつつホッと笑う。するとマリオンがタタッと走り出てきた。

 

 グレースは見逃さずパッと抱き寄せる。

 

「おかあさぁんっ! ぐずっ、おかあさんの匂いだ……! おかあさん、ぐすっ、こわかったよぉ……」

 

「良かった。マリオン、本当に良かった。心配してたんですよ」

 

 マリオンは母の胸に飛び込んだまま涙を流し、グレースもまた気付けば涙が溢れていた。

 

「よぉし、全員出たな。怪我してるやつとかいるだろうがすまねえ。敵が残ってるからおいそれと『治癒』をかけられねえんだ。動けなさそうなやつは周りの誰かが肩でも貸してやってくれ。ここを出るぞ」

 

 マルクはそう言って視線を巡らせる。囚われていたのはマリオンを含めて36名。檻にはもう誰も残っていない。今は全員が希望を取り戻しかけた顔をしている。

 

 ――思ってた以上に多いな。どうやって陸に戻す?

 

 マルクは己に問うた。彼女らにグレースのような動きを期待するのは難しい。顔色を見ればわかるが健康状態だって良い方でないのは間違いない。運河に放り込んでも岸まで泳げるかどうか。

 

 思考し続けるマルクは「あっ!」と閃いた。

 

 ――そうだ。この貨物船、あの二人がいる船より奥側だよな?

 

 同型と思わしき貨物船は一隻が運河の下流方面に、マルクとグレースがいる一隻と凛華とシルフィエーラがいる一隻とほぼ並んでいる。船渠(ドック)に近いのは彼女らがいる船だった。 

 

 ――ならあの手が使える。けどちゃんと聞こえるかねぇ。

 

 マルクは視線を巡らせて目当てのものを探す。

 

「あった。たぶんあれだ」

 

 見つけたのは船尾にある搬入口だ。船尾全体が大きく開く型《タイプ》のようで、凛華とエーラが潜入しているはずの貨物船とは少々違う。こちらの船の方が少々小さいのだ。

 

「全員船の後ろの方へ行ってくれ。グレースさん、後ろを頼みます」

 

「ええ、任せて下さい」

 

 そう言うとマルクは先導してスタスタ歩いて行く。囚われていた人々は置いて行かれまいと慌てて後に続いた。

 

 大して時間もかからず辿り着いた船尾は当然ながら閉じている。長方形型の大きな金属の一枚扉は吹き抜けの最上部まで達していた。

 

「えーと、どういう構造してんだ? あれがああで……」

 

「あ、あの……」

 

「ん?」

 

 扉の開閉構造を調べていたマルクに囚われていた若い女性武芸者が声をかける。

 

「た、たぶんそれを使って開けるんだと思う……。積み込み作業やってたあいつらがあれで開けてた」

 

「どれだ? あ、これか。なるほど、見落としてたな」

 

 マルクが見てみると開閉扉の支柱らしき部分に回転式のハンドルが埋め込まれるようについていた。平時には蓋をする仕様のようだが粗忽者が多いのだろう。こちらは完全に開いているし、もう反対側のは半開きだ。

 

 どうやらこれを回せば、支柱を通る太い鎖が巻き上げられて閉まるらしい。極々単純な造りをしているのは耐久性を重視しているからだろう。

 

「何にせよこれなら楽に開けられる。助かったぜ」

 

「い、いいえっ」

 

 マルクが素直に礼を言うと女性武芸者は顔を赤らめてブンブンと首を振る。ワイルドな見た目なのに素直で、捕らえられた自分達を救い出せるほど強い。半ば惚れかけていてもしょうがないと言えるだろう。

 

「んじゃ、開けるか。っと、その前に――」

 

 マルクは囚われていた人々へ向き直った。自然と視線がマルクに集まる。

 

「今からここを開ける。けど見りゃわかる通りこんなデケえ扉開けりゃどんなバカだって気付く。それにわかってるだろうがもうこの船は出ちまってる。当然すぐ下は水だ。

 

 それでも、俺が『行け!』っつったら迷わず岸まで()()んだ。出てすぐ右側が陸だ。いいな、出てすぐに右だ。振り返ったり、止まったりするなよ? いきなりで難しいだろうけど信じてくれ。いいな?」

 

 コクコクと全員が頷いた。中には「出てすぐ右、出てすぐ右」と呟く者もいれば、「”走る”ってどういうこと……?」という疑問を浮かべている者もいる。

 

 マルクはマリオンの後ろにいるグレースと目を合わせ、頷き合った。

 

 ――ここからは、正真正銘出たとこ勝負。

 

 マルクは大きく息を吸い、「ふぅ~~~っ」と吐き、ニヤリとしながら後ろを振り返る。

 

「やるぜ。あ、そうそう。ちっと離れてな、たぶん恐ろしいだろうからな」

 

 そう言ってゆらりと『人狼化』した。

 

 背後にいた人々は驚愕に目を剥く。人狼族。そうそういないが魔族の中でも戦闘民族に属する強者。この青年が凶暴そうな人狼。

 

「『雷光裂爪』。そらよっと! そんでもういっちょ!」

 

 ギャリリリリリリリリィィィィィィィ!

 

 ハンドルなんぞ回さず、支柱の中を通っていた鎖を熔断したおかげで金属同士が擦れ、火花の散る音が盛大に鳴り響く。

 

 しかし、その代わりに重そうな搬入口の開閉扉は一気に開き切った。

 

「耳塞いでろ! アオォォォォォンッ!!」

 

 すかさずマルクは警告を発し、魔力を込めて遠吠えを発する。ビリビリと発せられた音波が水面すら波立たせた。

 

「わぁっ!?」

 

「うっ!?」

 

「ひいっ!」

 

 一応指向性は持たせてあるので魔力を込めてはいてもアルの龍哮のように周囲の者の三半規管を揺さぶるようなことはない。それでも身体を竦めるほどには驚かせてしまったらしい。

 

 甲板上の匂いや音が激しくなった。船員や武芸者達に気付かれたらしい。しかし、気づいて欲しいのは彼らにではない。

 

 ――頼む、気付いてくれ。

 

 マルクはジッと匂いを探る。すると、俄かに水面が凍てつき始めた。ざわつく背後の人々。

 

 ――上手くいった。

 

 マルクがニヤリと笑みを深くすると同時、カカーンという音が聞こえた。見れば水面、いや冰上に誰かが立っている。

 

「失敗しちゃったの?」

 

 ひゅうっと音がしたかと思えば、エーラが短外套に風を掴ませて頭上からゆっくり降りてくるところだった。

 

「してねえよ。逃がそうにも数が多かったから道作ってもらおうと思ってな」

 

「えっ! 終わっちゃったの? やば、急がなきゃ!」

 

 エーラはマルクの背後にいる36名を見て慌てだす。まるっきり予想外だったのだ。

 

「は? ちょ、ちょっと待てお前ら終わってねえのか?」

 

「忍び込むのは難しそうだから待ってたんだよ! ちょっと急いでくるね! 凛華ー! マルク終わっちゃったってー!」

 

「あたし達も急がなきゃいけないじゃない!」

 

 冰上では凛華とエーラがわたわたし、急いで隣の貨物船へ走っていく。マルクは唖然としかけ、

 

「じゃねえ! 凛華! 冰だけでも張ってくれ! もうこっちバレちまってんだよ!」

 

と慌てて叫んだ。凛華は「あっ!」という顔をした後、

 

「すうっ……ふぅぅぅ~~~~~~~っ!」

 

 と冰気を吐き出す。凍てついた吐息が運河の流れなどお構いなしに凍てつかせ、冰で出来た細長い滑り台(ウォータースライダー)のような道を作り出した。急いでいるからこれが精いっぱいなのだろう。

 

 ――思ってたのと違うが問題はねえか。

 

「急げ! これで滑っていくんだ!」

 

 時間がない。気絶させた武芸者や船員は一応隠したが近くに突っ込んであるだけだ。見つけようと思えばすぐに見つけられる。

 

「は、はい!」

 

「ちょっと怖いかも」

 

 躊躇いつつもここでもう一度捕らえられるよりはマシ。そう判断した比較的元気な武芸者や町娘、物怖じしない子供達が少しずつ滑っていく。

 

「見つけたぞ!」

 

「あいつら脱走しようとしてやがる!」

 

「捕まえろ! バレたら国中でお尋ね者になっちまう!」

 

 船に乗っていた武芸者達が武器を手に必死の形相で走って来た。

 

「ちっ! 来やがった! 行け!」

 

「わひゃあっ!」

 

 マルクは躊躇っていた子供の背を押すとダン! と、集団を飛び越えて武芸者達の目の前に着地する。

 

「こ、コイツは――ゲバぁっ!」

 

「うおぉお――ギャアッ!?」

 

 突如降ってきた人狼に慌てて武芸者達が対応しようとするも相手は魔族。乱れた剣閃なぞ掠りもしない。

 

 マルクは一人の顎を蹴り砕き、突っ込んできたもう一人の目を引き裂いた。しかし武芸者達も人身売買はマズいと理解しているせいかドンドン降りてくる。

 

「このヤロウ、どきやがれえええっ――くかッ!?」

 

「商品を取り返せ! 捕まえろ!」

 

「させっかよ!」

 

 人数が多い。武装していた連中は軒並み降りてきたと錯覚させるほどの人数にマルクは容赦を捨てた。

 

「げっがァッ!?」

 

「いぎっ!」

 

「ギャアッ!?」

 

「ば、化け物おぉぉぉ――ぎっ、あがっ!」

 

 ワインレッドの人狼が船倉を駆け抜け、武芸者達の首を裂き、腕を落とし、骨を砕いていく。

 

 ――神殿騎士共に較べりゃ柔らかいもんだ。

 

 心中でそう溢しつつ視線を向けるとほとんど全員が逃げ果せているように見える。残っているのは数名と彼女らを守っているグレースだけだ。マリオンもまだ逃げていない。

 

「わらわらと! 鬱陶しいんだよ!」

 

 マルクが更に一人の膝を折り砕き、船尾へ駆けようとした瞬間だ。

 

「これだけの人数がいてこの体たらくとは。やはり所詮人間だな」

 

 その言葉と共に人影がグレースへ飛び掛かった。

 

「なっ!? マリオン! 逃げなさい!」

 

 グレースは間一髪でマリオンを押しやり、腕を十字に組んで急所を守る。そこに砲弾のような勢いで飛び蹴りが入れられた。

 

「ぐっうぅっ!?」

 

 そのまま吹き飛んでいく。

 

「お母さんっ!」

 

「グレースさん!? どけてめえら!」

 

 悲鳴のように響くマリオンの声。マルクは急いで駆けつける。他の貨物へ突っ込んでいったグレースはパラパラと木屑を落としながらよろよろと立ち上がった。

 

「だ、大丈夫です。しかし、まさか貴方がいるとは」

 

「グレースさんの知り合いか?」

 

 マルクはグレースの損傷(ダメージ)から致命傷はないと判断しつつ問う。

 

「ええ、といっても昔一度誘いを断っただけですが」

 

 マリオンを庇うマルクとグレースの前にいるのは獣人。それも猫獣人(グレース)と同じ純血の獣人族だった。

 

 そして一言。

 

「弱くなったな。やはり人間と交わったせいだ」

 

 マルクは男を観察した。

 

 グレースと同じネコ科っぽい種族のスラリとした獣人だ。歳はグレースよりかなり上のようだが、雰囲気は洗練された戦士のそれ。

 

「手前が弱くなったのは戦いから退いていたせいです。そちらこそ相も変わらぬ純血主義でしょうか? まるで成長しておりませんね」

 

 吐き捨てるように返したグレースの言葉にマルクは思わず訊ねる。

 

「純血主義?」

 

「その通り。あの者は黒紋豹人族のヤニク、三等級武芸者です。我々獣人族が他の種族と血を交えることを忌み嫌う根っからの純血主義者。人間と懇意になった黒紋豹人族(同胞)を裏切者だと処断したことすらあると聞いております」

 

「は? 裏切者? 血が交わるとなんでダメなんだ?」

 

 わけのわからない感覚にマルクは嫌悪した。

 

「弱くなるからだ、人狼族の若人よ。それに(われ)は吾と同じ種族が他種族と血を交えるのが嫌いなのではない。他種族同士で血の縁を持つことを忌むのだ」

 

 ヤニクはグレースと同じ縦長の瞳孔を細める。グレースがマリオンの前で臨戦態勢をとった。

 

「弱くなる?」

 

「左様。しかしそれは魔族(きさま)らとて同じことだろう? 半魔族など寡聞にして知らん。生まれても役に立たぬ弱者ゆえ表に出てきておらんのか、消されるのか――どちらにせよ、使えん。

 

 そのような意味では魔族は純血主義を貫き、強者であるという地位を確立することで自らの種族を守っている。実に合理的だろう? 吾ら獣人族がトチ狂っているのだよ」

 

 ヤニクが同意を求めるように朗々と語る。マルクは沈黙を返し、

 

「…………じゃあマリオンみたいな半獣人はどうなる? いや、どうする気なんだ?」

 

 と訊ねた。ヤニクは半獣人の娘へジロリと視線を送り、溜息をつく。

 

「生まれる前であれば母子共に葬ってしまったが、生まれてしまったモノは仕方がない。吾らで使えるようにするまでのこと」

 

「使える?」

 

「左様。子を成す役目は与えられんが身の回りの世話くらいならできよう。従者として育てれば良い」

 

 それは奴隷と同義だ。

 

 あんまりな物言いにグレースは歯をギリッと食い縛り、

 

「そんなことを言う貴方がまさかルドルフ・グリムの下僕をしているとは、焼きが回りましたね」

 

 冷ややかな声で嘲った。するとヤニクは片眉を吊り上げる。

 

「あの者の提案に乗ったまで。勘違いしてもらっては困る」

 

 そんなヤニクへグレースは問うた。

 

「それで、これからどうするつもりでしょうか? たとえ一線を退いたとはいえ元二等級武芸者の手前、そして人狼の四等級に収まらない強さを持つ若者。強さくらい嗅ぎ取れるはずでありましょう?」

 

 追手として降りてきていた武芸者のほとんどはマルクとグレースで倒している。

 

 数で圧倒できない以上、木っ端武芸者が数人加勢したところで太刀打ちできない。

 

 結局ヤニク対グレース、マルクという構図になる。 

 

 グレースは冷静にそう指摘した。

 

「ふむ。戦う必要はないかもしれんな」

 

「どういう意味でありましょうか?」

 

「人狼族の若人よ、吾と手を組まんか? そちらとて純血魔族。その魔法も脈々と人狼族の中で培われてきた血統による武器――貴様はそれを行使しているのだ。ゆえに吾と貴様は種族こそ違えど手を取り合える同類。……違うかね?」

 

 ヤニクは黄褐色の長髪を靡かせて楽し気に問う。

 

「っ!?」

 

 グレースは戦慄した。

 

 人の良いこの青年が純血の魔族であったことを思い出し、ヤニクが初めから己の手を汚す気がなかったと気付いたのだ。

 

 しかし、マルクは静かにグレースヘ告げる。

 

「グレースさん、マリオンと一緒にさっさと逃げちまって下さい。ここは俺が食い止めるんで」

 

「な、何を仰ってるんです?」

 

 グレースはそこで初めてマルクの――灰紫の瞳が怒気を孕んでいることに気付いた。

 

 次いでザワリと怖気が立つ。彼の魔力がいつの間にか渦を巻いていた。

 

「ヤニクとか言ったな? 俺の答えを言ってやる。てめェと手を取り合うなんざ、死んでも御免だね。反吐が出る。言ってることも何一つ共感できねえし、したくもねえ。

 

 血が交われば弱くなるだ? 俺ぁ将来子供が出来たって、もしその子供が魔法使えなくったって、何も思わねえし、心無い言葉をぶつける気もねえ。親父やおふくろが可愛がってくれたみたく愛せる自信がある。気色の悪い価値観を押し付けてんじゃねえぞ、猿山の大将風情が」

 

 マルクの返答が予想外だったらしくヤニクは目をパチパチさせる。次いで笑い出した。

 

「クハハハハハッ! 猿山の大将とはまた大きく出たな小僧! 見た目通りの年齢と見受けるがそうであろう? 吾はこれでも貴様より長く生きている。その経験を話しているのだ。

 

 純血種より強い者などおらん! 貴様とてそうであろうが? 混血種に負けたことはあるのかね? もっとも半魔族の知り合いがおればの話だが」

 

 高笑いしてニヤつくヤニクにマルクは眼だけは激情に彩られているが白けた表情を向けて答える。

 

「あるさ、何回も。喧嘩して勝ったり負けたり。稽古して勝ったり負けたり。それこそ両手、両足の指じゃ数え切れねえくらいに」

 

 その答えにヤニクは虚を衝かれたようにピタリと笑いを止め、グレースはハッとした。

 

 マルクの所属する一党。魔族が四名に人間が二名。

 

 人狼族の彼と鬼人族と森人族の少女、そして――……。

 

 グレースはもう一人の、頭目をやっている青年の種族を聞いたことがない。

 

 ――”鬼火”(アルクス)の種族は?

 

「フンッ、世迷言を」

 

 ヤニクが嘲笑ったがマルクは鼻で笑い返す。

 

「ハッ、だから猿山の大将だっつってんだよ。てめェは何もわかっちゃいねえ。狭い世界に何年引き籠ってやがったんだ?」

 

 そう言ってマルクは心底馬鹿にしたような顔で『()()()()()()()

 

「何のつもりだ? 小僧」

 

 ヤニクが目元を引き攣らせて問う。

 

「てめェに魔法は()()()()。魔法ってのはもっとヤベえときに使うもんだ。引き籠りの耄碌ジジイの相手なんぞ、生身で充分事足りる」

 

 マルクはグレースに『さっさと行け』と手振りで示し、

 

「ほれ、さっさと来な。ダチを馬鹿にされた俺の怒りと本当の強さってヤツ、てめェに教えてやんよ」

 

 額に青筋を立て、怒りの形相でヤニクを挑発した。

 

 バッとグレースがマリオンを抱えて貨物船の外へ飛び出すのと、ヤニクがマルクへ拳は叩きつけたのはほぼ同時。

 

「その程度で調子に乗ってやがってたのか!? 笑えるぜ!」

 

「小僧おっ! 貴様っ!」

 

 マルクの感情が大いに乗った声を背中で受け止めつつグレースは冰上をザアッと滑っていく。

 

 ――ダチ……やはり”鬼火”は、半魔族?

 

「マルクお兄さん……」

 

「マリオン、大丈夫。きっと彼は勝ちます」

 

 娘を抱きつつグレースは冰上を滑り下り、即座に立ち上がると駆け出した。

 

 

 ☆ ★ ☆

 

 

 グレースがマリオンと共に冰上の細い通路を滑っている頃、凛華とエーラは大慌てで違法奴隷を乗せたもう一隻を襲撃していた。

 

「凛華ー! 大丈夫ー! そっち斬っても問題なーい!」

 

 隣がうるさいのだからもうバレてるだろうとエーラは潔く大声を出す。ちなみにいるのは帆柱 (マスト)の上だ。

 

「はいはーい、行くわよー! 『百華ノ冰女(ひめ)下駄』!」

 

 カコーン!と冰を張った大河の上に凛華は着地し、

 

「『流幻冰鬼刃』! でぇえええあああっ!」

 

 貨物船の側面に冰の足場を作り出し、『冰女下駄』で一気に滑りながら鬼気から生成された冰気を纏わせて船体を斬り裂いていく。

 

「もう一回! だあああああっ!」

 

 往復することで船体側面を楕円型に斬り抜いた。ガッコンと側面の金属が剥がれ、落ちて来る。

 

「よっと! エーラ、良いわよ!」

 

 あまりの荒業にポッカリと空けられた船倉内から武芸者や船員、そして違法奴隷として捕らえられていた人々は口を半開きにしている。

 

「はいなー! いっくぞぉ!」

 

 凛華の呼び声に答えたエーラは帆柱(マスト)からヒョイっと落ちながら風の精霊を呼び込み、短外套《ケープ》を広げて滑空しながら複合弓を構え、

 

「よぉーし…………そこっ! 『燐晄縫駆・枝垂柳(しだれやなぎ)』」

 

 反対の側面へ向けて絶技を放った。放たれた『燐晄』を帯びた矢がエーラの狙い通りの箇所で収束。砕け散った矢が花が開くように一気に咲き、風に靡かれた柳のように船体を細かく穿つ。

 

「「「「うわああああああっ!?」」」」

 

「「「「「きゃあああああっ!?」」」」」

 

 弾雨のように側面を叩いたエーラの矢が船体を傾かせ、船内からは悲鳴が上がっているが二人は気にしない。こういうのは下手にお行儀良くやるより大胆にやった方がうまくいくものだ。

 

「さっすがエーラ! ふぅぅぅぅぅぅぅ~~~~っ!」

 

 凛華は快哉を上げながら押し上がった方の側面へ滑り込んで凍てつかせる。

 

「「「「「ひゃああああああっ!?」」」」」

 

 船倉にきちんと固定されていた檻の中で囚われていた人々は悲鳴を上げながら格子にすがりついた。

 

「おわああああっ!?」

 

 船内にいた者の中にはそのまま落ちていく者もいたが、それはつまり自由に動けるということ。敵だということだ。

 

「邪魔よ」

 

「おげェッ!?」

 

 ドボン。助けるどころか戻ってきた凛華に尾重剣で吹き飛ばされた武芸者が大河へ落ちた。

 

 貨物船さえ問題なく航行できる深度はある大河だ。武器や装備の重量物を身に着けた武芸者が落ちれば這い上がるのには相当苦労するだろう。

 

 もっとも這い上がったところで凛華が斬るかエーラが射掛けるのだが。

 

「凛華、坂お願い!」

 

 風を自在に操って滑空してきたエーラはストッと着地するや否や複合弓を構え直して頼む。

 

「わかってるわ! ふぅぅぅぅ~~~~っ! あたしも慣れたもんね」

 

 船体側面から綺麗に大河を凍らせた冰上へ伸びる坂を形成した凛華は出来栄えにうんうんと頷いた。ここからはエーラの仕事だ。

 

「『燐晄縫駆』!」

 

 カァン!と文字通り矢継ぎ早に放たれた『燐晄』が檻の留め具を正確に射貫く。

 

「「「「「「ひゃ、ひゃあぁぁぁぁっ!?」」」」」

 

「「「「「きゃあああああああああっ!」」」」

 

 船体の傾斜によって檻がズレていき、やがてザアアアアアッと滑ってきた。

 

「ほいっと」

 

 凛華は造作もなく冰上へ坂を生み出し、滑ってきた檻の勢いを相殺させる。

 

「『冰鬼刃』は……――いらなそうね。てやあっ!」

 

 止まった檻の格子扉を豆腐のように斬り裂く凛華。何が何やらわからぬまま色んな方向に振り回された中の人々は這う這うの体で檻から抜け出し、周囲を見渡して呆然とした。

 

「た、助けてもらえたの……?」

 

「うそ……」

 

「酷い目にあうんだって……思って、ぐすっ……」

 

 状況を理解し始めた元囚われの人々へエーラは笑顔を向けてマルクとグレースが助け出した人々を指す。彼女らは細長い滑り台を滑り終えて走っていた。

 

「助け出したからもう大丈夫だよ! ほら、あそこ! 走ってる人達見えるでしょ? あの人達についてって! すぐ陸だから!」

 

「泣く前に急ぎなさい! 連中はまだ残ってるわ!」

 

 凛華が船で転げ回っている武芸者達を指さして警告すると、

 

「は、はい!」

 

「ありがとう……ありがとう!」

 

 囚われていた人々は覚束ない足取りながら走り出す。

 

 その瞬間。

 

 

 ドォォォォン!

 

 

 何かが爆発するような音と共に目の前の貨物船に大穴が開き、破片が飛び散った。

 

「「「「きゃあああっ!?」」」」

 

「何なの?」

 

「あれだ! ボクらのことに気付いて撃ってきたんだ!」

 

 凛華が視線を巡らせると射手の勘を働かせたエーラがもう一隻残っていた同型貨物船を指さす。先程までは運河の流れに対し平行だったのに、今は垂直に回頭していた。

 

「やっぱりあれも敵だったってわけね」

 

「みたいだね」

 

「エーラ、あたしは船で大暴れしてくるわ。時間稼いでちょうだい」

 

 尾重剣を担いだ凛華に変化が起こる。

 

 朱色の隈取が消えて薄青紫のアイシャドウが、ちょんとついていた口紅が薄紅の唇全体へ。肌と同じ色をしていた二本角の先端が淡い露草色に変化し、額にも紐のついた華のような紋様が浮かび上がった。

 

 『無垢の相』から『修羅桔梗(おにききょう)の相』への切り替えだ。

 

「うん、あの人達には指一本触れさせないよ!」

 

 応えたエーラの瞳が鮮緑に輝く。ついでギュルリ複合弓が変わった。速射重視の洋弓型から精密・長距離射撃を熟せる和弓型へと。

 

「任せたわ!」

 

「そっちもね!」

 

 凛華とエーラは阿吽の呼吸でダッと駆けていく。

 

 

 ☆ ★ ☆

 

 

 戦闘が激化しつつある運河と時を同じくしてアルも激しい戦闘を繰り広げていた。

 

「ちょこまかすんじゃねえ!」

 

「お前が鈍いだけだろ」

 

 グリム氏族の拠点、高楼の4階にて殺気を漲らせた武芸者達に冷たいアルの声が響く。

 

「どっ、お……!?」

 

 闘気を込めた蹴りが鳩尾にクリーンヒットした武芸者が倒れ込むと同時にアルはそいつの首根っこを掴んでフルスイングした。

 

「あがっ!?」

 

「クソがぁ!」

 

 怒り心頭に発する武芸者の渾身の一太刀は、哀れなことにアルがついっと一歩下がったことで壁にぶち当たって引っ掛かる。

 

 その隙を見逃すアルではない。ヒュッと出現させた雷の苦無を一気に投げつけ感電させた。

 

「ちくしょ――びがッ!?」

 

「害虫が! さっさと死ねえッ!」

 

 倒れた武芸者を飛び越え、丁髷のように後ろ髪を纏めた武芸者が短剣を突き出してくる。

 

「断る」

 

 龍眼を発動していいるアルにはその動きは遅すぎた。

 

「ギっ……――がぐッ!?」

 

 引っ掴んだ椅子を投げつけるように叩きつけて短剣の持ち手ごと打ち払い、怯んだ隙に跳び上がって頸動脈へ痛烈な蹴りを放って沈黙させる。

 

「終わったか……?」

 

 アルは身動ぎ一つせず気配を探り、襲撃者を全員打ち倒したことを悟った。

 

「ふうっ。ミリセントさんと合流しないと」

 

 独り言ちて歩き出した、そのとき。気絶させていた武芸者の身体がぶくりと膨れ上がる。

 

「なんだっ!?」

 

 アルが飛び退(すさ)った瞬間、()()()

 

 衝撃と鋭い痛みが殺到する。

 

「がっ!?」

 

 壁面に叩きつけられたアルは首を振った。

 

「ぐっ……いっつぅ」

 

 ジクジクとした頬の痛みに手をやるとスパッと紙で切ったような傷がついている。

 

「まったく、留守も守れんとは……。やれやれ使えん連中だとは思っていたがこれほどとは。君もそう思わんかね? ”鬼火”」

 

 そう言って階下から歩いてきたのはグリム氏族の長ルドルフ・グリムだった。

 

「…………」

 

 ――今こいつは何をした?

 

「ほう、だんまりかね? それならば私もそれ相応の対策を取らせてもらおう。君は今、盗人だ。私は抵抗されたことにして、君を殺してしまおう」

 

 ルドルフがそう言いながら指輪の嵌まった手を軽く動かすと同時、アルの周囲を殺気が取り囲む。

 

「ち、いっ!」

 

 アルは転げるように殺気の包囲網から抜けて、即座に駆け出した。

 

 パァン! と、空気を叩く音が背後で聞こえる。

 

「やはり良い勘をしている。殺すには惜しい」

 

 窓の外へ逃げ出そうとしたアルの進行方向の扉が斬り裂かれた。

 

 ――こいつはさっきから、一体どんな攻撃をしてる?

 

 アルは壁を蹴って動きまわりながら更に上への階段へ足を掛ける。誘導されているのはわかっているが対処の仕様がない。

 

 ルドルフが扱っている()()()()()()()のだ。

 

「ふッ!」

 

 上りかけた階段の中腹から蒼炎を吐き出す。しかし、ルドルフの眼前に到達する前に散り散りに消え去った。再びの殺気。手摺がズパッと切り飛ばされる。

 

「くっそ!」

 

 アルは悪態をつきながら高楼最上階へと走った。上り切ってすぐに周囲を見渡すと、明らかに他の階層と造りや雰囲気が違う。

 

 この階すべてが一室と呼んでも差し支えなさそうだ。置いてある調度品もギラギラしているわけではないが金は掛かっていそうに見える。

 

「ようこそ、歓迎しよう。小さいながらも良い部屋だろう? 一国一城の主というやつさ」

 

 悠然と現れたルドルフは薄気味の悪い笑みを浮かべて楽し気に紹介した。バッと距離を取ったアルは、

 

「人身売買で儲けたのか?」

 

 と訊ねる。ルドルフは裂けたように笑みを深くした。

 

「ほう、知ってしまったのかね? それは実に残念だ。更に君をここから逃がすわけにはいかなくなってしまった」

 

 お道化て言うルドルフ。どうでもよさそうにすら見える。アルは目を細めた。

 

 ――やっぱり、こいつはただの犯罪者じゃない。

 

 そこで更にもう一歩踏み込んだ問いかけをしてみることにする。

 

「あんたの部下、ミリセントさんを餌だって言ってたけどあれはどういう意味だ?」

 

「ふぅむ。困ったものだね、部下のお喋りにも」

 

 ルドルフは薄ら嗤いを消さない。アルは警鐘を鳴らし続ける直感をねじ伏せて核心に触れる。

 

「それともう一つ。あんたは()()()()()()()()()()?」

 

 今度こそルドルフの口が裂けた――ようにアルは錯覚した。

 

「どうしてそう思ったのかね?」

 

 今にも嗤い出さんばかりのルドルフにアルは淡々と答える。

 

「あんたの部下、魔族(おれ)を害虫って呼んだぞ。そんな言い方をするのは聖国のやつらだけだ」

 

「なるほど。しかしアレの口が悪かった。それだけだという可能性もあるのではないかね? ほら、我々は荒事を生業とする武芸者だろう」

 

「確かに。けど目が違った」

 

「目?」

 

「余計なことを暴きに来た生意気な武芸者――に向ける視線にしては感情が乗り過ぎてた。初対面であんな視線を向けてきたのは、俺の経験してきた限りじゃあの連中くらいしかいない」

 

 アルがそう言うと、

 

「くくく……はっはっは! あの連中とは、君達が倒したあの落ち目のディーノ・グレコ率いる神殿騎士共かね?」

 

 ルドルフは嗤いながら問うた。アルは緋色の目を細める。

 

「あんた、やっぱり聖国の――」

 

「その通り、間者だよ。いやはや凄いものだ」

 

 ルドルフはパチパチと拍手した。

 

「狙いは何だ?」

 

 アルは刃尾刀の鯉口に手をかけ、臨戦態勢をとる。

 

 ――あの準聖騎士(あいつ)とは役者が違う。

 

「特に何も、と言ったら信じるのかね? 上層部(うえ)から『河岸を変えよ』と命令を受け、放っていた密偵からとある共和国令嬢の保護に失敗したという報告を受けた。

 

 その少し後から頭角を現してきたのが年若い魔族四人と人間の少女二人が所属する君達”鬼火”の一党。繋げられない方が無能というものだよ。

 

 だから、軍需工場のあるこの鋼業都市を荒らし、人身売買で最後にひと稼ぎしたうえで、ついでにラウラ・シェーンベルグとソーニャ・アインホルンの確保をしておこう。そうすれば本国での私の地位も向上するやもしれん。そう考えただけさ。これで満足かね?」

 

 ルドルフは詠うように告げた。

 

「餌の意味がわかったよ」

 

 アルは刃尾刀を抜き放つ。つまり、ルドルフという聖国の諜報員はアルや魔族組が厄介だから分散させたのだ。ミリセントはその為の生餌。

 

「私としても彼女は想定外だったのだがね。予想以上にうまくいって驚いているよ」

 

「あの二人はあんたが考えてるよりずっと強いぞ」

 

「だとしても、君達がいなければ百名を越える神殿騎士を退けるような奇跡は起こり得ない。部下達は頭の足らない武芸者だがね……――犯罪者としてはなかなか優秀なのだよ」

 

「……あんたを倒してさっさと出ていかせてもらう」

 

 アルが刃尾刀の切っ先ルドルフに向けて構えた。昂った魔力が高楼最上階を吹き荒らす。

 

 しかし、ルドルフはニタッと嗤った。

 

「言っただろう? 私はここの主。君はもうとっくに私の巣の中に入り込んでいるのだよ」

 

 ピィンと張った何かが煌めく。

 

 ――なんだ!? 鉄線!?

 

「くっ!」

 

 横っ飛びに躱すとアルがいた空間を何かが薙ぎ払った。ズタズタに引き裂かれた壁紙がパラパラと舞い散る。

 

「鉄――じゃない! 鋼糸ってやつか!」

 

 八重蔵に聞いたことがあった。薄く薄く引き伸ばしていった糸のように細い鋼。視認し辛く、張った場所に相手が飛び込むだけでも傷を負わせられる暗器の類だったはずだ。

 

「御名答!」

 

 トンと跳び上がったルドルフは()()()()()()()加速した。その手には身幅の太い短剣が逆手に握られている。

 

 ――迅い!

 

「ち、いいっ!」

 

 刃尾刀と短剣が火花を散らした。

 

 振り下ろされた短剣をなんとか防いだアルが見たのはルドルフの瞳。正確には瞳孔だ。

 

 その()()()()()()()()()()()には見覚えがある。

 

「つっ!? でぇあああああっ!」

 

「おっと」

 

 アルは魔力任せに闘気を用いて刃尾刀を振った。

 

 クルリと敏捷な動きで宙返りをしたルドルフは至る所に張り巡らされた鋼糸に乗ってこちらを見下ろす。

 

 その様子に危なっかしさは微塵もない。驚異的な体幹だ。

 

 だがアルには納得がいった。

 

「あんた、四半獣人だったのか」

 

 ベルクザウムの熟練武芸者レオナールと同じ、半獣人と人間との混血。魔力は人間とそう変わらないか多少少ない程度で、獣人族由来の優れた感覚を持つ種族。

 

「またまた御名答。君ほど頭の回転が良い部下がいれば私の苦労も減るのだろうね」

 

 獣人の扱いが酷いと聞く聖国に所属する四半獣人の諜報員。アルには事情などわからない。むしろ困惑気味だ。

 

「ふむ……やはり惜しい。”鬼火”の、やはり私と手を組まないか? シェーンベルグの娘二人を手土産にすれば祖国でも君を受け入れてもらえるよう掛け合ってやれる」

 

 ルドルフは魔猫を彷彿とさせる表情で誘《いざな》う。

 

 しかしアルの答えは変わらない。

 

「誰がッ!」

 

 吐き出された蒼炎混じりの拒絶が本格的な殺し合いの合図となった。

 

 共に人間の血を持つ魔族と獣人は火花を散らしてぶつかり合う。

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