6月も下旬に入り、もうそろそろ本格的に陽射しが増してくる7月になろうかという頃。
武芸者協会〈トルバドールプラッツ〉支部に珍しい人物がやってきていた。
豪奢というよりは
肩にかからないほどのウェーブがかった蜂蜜色の髪にほんの少しだけ垂れた眦、そして鼻筋の通った細面。
その整った外見に、支部内の人々の視線が一斉に集まる。
しかし、その人物はそんな視線には一切頓着することなく真っ直ぐに依頼管理を行っている職員の元へと歩みを進め、辿り着くや否や優雅に口を開いた。
「もし、ごめんあそばせ。指名依頼を出したいのだけれど、少し込み入った事情があるのよぉ。支部長か副支部長を呼んで下さらないかしら?」
「は、はいっ! ただいま! しょ、少々お待ちください!」
呼びかけられた職員は飛び上がらんほどに背筋をピィンと伸ばし、一目散に階上へと駆け出す。
「アラぁ、そう急がなくっても良くってよぅ……? っと、行っちゃったわねぇ」
依頼人は年若い受付職員の様子が可笑しかったのか、口を押えてクスクスと優雅な笑みを溢した。
すると程なくして駆け下りてきた職員が、
「こ、こちらへどうぞっ! 第一会議室で副支部長が対応致します!」
と言って案内するように階段の方へ手を向ける。
「ありがとう。助かるわ。アナタ新人さん?」
「え、えとっ、はい! 今年で二年目になります!」
「そう。初々しいと思ったわぁ。でもあんまり仕事で遅くなってはダメよぅ? せっかくの綺麗な肌がくすんじゃうものぉ」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
新人受付嬢が思わず赤面する。
「うふふ、やっぱりたまには来るべきねぇ。ウチの子達とはまたちょっと違う良さがあるもの」
上機嫌の依頼人を連れて受付嬢が第一会議室に入ると、いつもより更に背筋をビシッと伸ばしたアポテーカー副支部長がいた。
机には客人用の高い茶杯と紅茶が湯気を立てている。
「副支部長、依頼人の方をお連れ致しました」
「ああ、ご苦労。もう持ち場に戻って良いぞ」
労うような視線を向けたアポテーカー副支部長に新人受付嬢は内心で「ありがたや~」と何度も礼を述べつつ、
「では失礼致します」
とバタンと扉を閉めて下がっていった。
依頼人は彼女に軽い会釈をした上で早速とばかりに口を開く。
「お久しぶりねぇ、アポテーカー副支部長。ところで支部長は今日どうされたのかしら?」
アポテーカー副支部長は受付嬢が足早に去っていく音を聞いて一拍、そして腰を軽く折った。
一般人が目上の者へとする帝国への略礼だ。
「お久しぶりです。支部長は協会南部の会議に出ております」
「鋼業都市の件かしら?」
「は、仰る通りです。あれから氏族への対応策の為、帝国の協会では全面的に監査をを実施するそうで、その為の会議に駆り出されているのです」
「なるほど。まぁ、コトがコトですものねぇ。あ、ところで貴方、少し固いわよぅ? 知らない仲でもないんだし、もう少し砕けた態度で話してちょうだい」
依頼人はそう言って優雅な動作で席につく。
アポテーカー副支部長はしっかり依頼人が席に着いたのを確認してから着席し、ややあって口を開いた。
「……ではそちらも普段通りの言葉遣いでお願い申し上げます、
アポテーカー副支部長がそう言った途端、依頼人の優美なしゃなりしゃなりとした動作が唐突に
「ああ、君はそうだったな。すまん、普段の癖が出た。しかし、そんなに変だったかね?」
線の細さは変わらないが声にハリが漲り、
同じ顔で声質とて変化はないのにまるで別人だ。
「いえ、知っている人物に別人が憑りついたのかと疑うほどでした」
アポテーカー副支部長はあからさまに息をつく。
「ふっはははっ! それは何よりの誉め言葉だ」
ディヒター卿と呼ばれた依頼人の名前はオスヴァルト・ディヒター。
この地を治める伯爵家の人間で当主。つまり芸術都市〈トルバドールプラッツ〉を治める領主である。
「して、此度はどのような依頼を? しかも、指名依頼とは一体……?」
アポテーカー副支部長は呟くように問い訊ねた。
武芸都市の領主と違い、オスヴァルト・ディヒターと武芸者協会はあまり関わり合いがない。
と言っても仲が悪いというわけではなく、単に用向きがないだけである。
なにせオスヴァルト・ディヒターはこの地を治めると同時に、自身の所有する
「指名依頼と言ったが、指名すべき武芸者を知らなくてな。君に相談しに来たのだ」
劇団長と領主の兼任。普通なら深い隈を作っていてもおかしくないのだが、オスヴァルトはで茶杯を傾け、「旨い」と評すと涼しい顔でそう言った。
「ふむ……”指名すべき武芸者”、ですか。依頼内容は何でしょう?」
クイッと眼鏡を指で押し上げたアポテーカー副支部長が問うと、
「我が劇団員の護衛だ」
「詳しく伺っても?」
「無論だ。私が劇団の長をしているのは知っているな? まぁ出資もしているのだが」
「存じております。というか帝国南部で知らぬ者はいないでしょう。芸術都市の税率が低い理由でもありますから」
オスヴァルトが率いている劇団は趣味やお遊びのものではない。ガチもガチなのだ。
彼がまだ次期領主――子爵時代になけなしの私財を投資して創った演劇団は、いまや芸術都市随一と呼ばれるほど規模も大きく、興行収入も高い。
そこで得た利益が大きい為、ディヒター家の家計を支える分の税収がいらないと言っても良いほどだ。
そういった理由で領民に課す税金が最低率なのである。
もっとも、ディヒター家は代々何かしらの芸術によって生計を立てているので元々税率は南部でも低い方だったのだが、彼が当主を継いでからは帝国南部でも一、二を争う税率の低さとなった。
「今度、帝都で舞台をやるのだ」
「ほう。興味がありますな」
「君も好きな歴史物――と言ってもとある小国の悲恋が題材なのだが、歴史考証はきちんとしているから戦記物としても楽しめるぞ」
「益々、興味がありますな」
アポテーカー副支部長は本心からそう述べた。彼の唯一の趣味は演劇鑑賞。それも帝国勃興期のもの。ドンピシャだった。
ちなみに妻と子供も連れて行くことがあるのだが、どうしても哀しみや悲しみを表現する戦記物が多いので「喜劇が良い」だとか「難しくてよくわかんない」だのと評判は悪い。
「ふ、機会があれば観に来ると良い。券は渡せずとも席の確保くらいなら融通できるぞ」
貴族と一般市民という立場だが、演劇を愛する者としてオスヴァルトは友人のように接するように気さくに笑った。
「それは有難い話ですな。……それで劇団の護衛についてなのですが、指名するほどのことがある、と?」
ここからが本題だ。オスヴァルトが表情を引き締める。
「実は、その舞台の主演を務める女優がとある貴族家の三女でな」
「ふむ、そういうことですか。しかし、劇団員に貴賤はないのでしょう?」
アポテーカー副支部長にオスヴァルトは強く頷いた。
オスヴァルトが長を務める劇団の劇団員は貴族出だろうと庶民出だろうと関係ない。完全な実力主義だ。
なぜなら観客は驚くほどに素直だからである。
コネで主役をとった役者の演目は人気がない。そういう者は芝居に感情ではなく、我を乗せるので客がつかないのだ。
後援者となった貴族の言いなりになって落ちぶれていった劇団など幾らでもいる。
「勿論だ。
「なるほど。しかし帝国令嬢とは言え、指名で護衛が必要だとは……」
指名依頼は普通より高くつく。しかも今回は事前のアポもなければ武芸者のアテすらない。請けてくれるかどうかすら不明なのだ。
金の心配は無用だろうが徒労に終わることも多いとアポテーカー副支部長は指摘しようとした。
「いや、それが今回は事情が違うのだ。本来であればいつも通り警備を雇う。しかしその主演女優の家から茶々入れが入っていてな」
「茶々入れ、ですか」
「ああ。どうも彼女の姉、子爵家なのだがその次女が当主の命を拒否して自由結婚したのだ」
「はぁ……。それは、申し訳ありません。あまり実感が湧かず……」
「良い。私とて妻とは見合いだが、その後好き合って結婚したのだ。今時政略結婚など帝国では流行らん」
ちなみにその妻は「あなたは喋り方がお堅過ぎるでしょう? 劇団員さんが話しやすいように口調を変えてみてはどうですか?」と言った張本人である。
おかげで領主で劇団長のオスヴァルトは、創設メンバー以外の劇団員達から「前より話しやすくなった」と親しまれるようになった。
「申し訳ありません。それで、そのことがどう影響してくるのでしょうか?」
「ああ、問題はそこの当主が今度は三女を使って政略結婚を企んでいるということだ。すでにかの子爵家の使いが来たらしくてな。彼女が嫌がっているのを見た劇団員達で追い払ったと報告があった」
「……何とも面倒な御家ですな」
「その通りだ、まったく。王国かぶれの北部貴族が」
「北部……やはり
「帝国領の北と王国との間には海と谷が跨っている。そのせいで王国の羨ましい噂ばかりを耳にしているのだ。そもそも人とは己の望む情報を取得しやすい生き物。この国が興った理由も忘れおって、北部の馬鹿共が。北東部の貴族は相当だそうだ」
憤然やるかたなしといった様子でオスヴァルトが鼻息を荒くする。
「相当……ですか。妻と子を北部に連れて行かぬよう肝に銘じます」
「ああ、それが良かろうな。行くとしても北西部にしておくが良い。あちらはまだ帝国貴族の矜持を保っているらしいからな」
「そう致しましょう。あ、失礼致しました。お話の続きを」
「いや、そう気にするな。――それでだ、阿呆な子爵家の当主が憐れな家人を寄越す程度ならこちらも問題なかった。が、そうもいかぬ報告を聞いてな」
細く整った眉を吊り上げてオスヴァルトが虚空を睨む。
「と、言いますと?」
「大して金もないのだろう。良からぬ輩を雇って攫おうとしたらしい」
「何ですと!? 愚かな……!」
アポテーカー副支部長は思わず立ち上がった。女優の誘拐。幾ら実家の使いだろうと犯罪だ。
「手を出しては来なかったらしいが、劇団員達の女子寮の前で張っていたらしい。軟派を装っていたらしいが何日も前から見ていたらしく、すぐに人を呼んだそうだ」
「……杜撰ですな」
「子爵家の当主としては来て当たり前なのだろう。よっぽど小国時代に戻りたいと見える」
「閣下の前で言うのもあまり気は進みませんが、愚かな貴族もいたものです」
「まったくだ。今に不敬罪を復活させようなぞと寝惚けたことを言い出すぞ」
そもそも不敬罪は帝国では一度も発布されていない。どころか適用した貴族は潰すと初代皇帝が言い放ったほどである。
「それほどですか。閣下は今度の帝都入りでかの家の使いが手を出してくると?」
その為の護衛依頼。
「いや、もう少し事態は厄介な方向に進んでいる」
「もう少し? どういうことでしょう?」
「君も協会の繋がりで聞いたことはあるだろう? 非合法の傭兵組合があると」
「〈ゼーレンフィールン〉や〈ドラッヘンクヴェーレ〉の件で暗躍していたと見られる組織ですか」
厭な予感を覚えつつアポテーカー副支部長は確認をとった。
「その通り。実際に防がれてはいるが伯爵家の令嬢を誘拐し、
とある筋――言葉を濁しているがディヒター家お抱えの密偵といったところだろう。
「最悪ですな」
「ああ。だが領軍を私有化して連れ動かすわけにはいかん。あれは領地を守る為の軍だ。かと言って雇える警備も、何をやってくるかわからぬ件の連中に対応できるかは不明。そもそもその中に連中が紛れ込んでいたら大惨事になる。だから指名依頼として武芸者を雇いたいのだ」
すっかり事情を話し終えたオスヴァルトはぬるくなった紅茶をすする。
「なるほど。お話は理解致しました」
アポテーカー副支部長はそう言って眼鏡をクイッと上げた。
「君の――……いや、ここにそういった武芸者はいるかね?」
「まずは閣下の希望をお聞きしたく。大勢がよろしいでしょうか? それとも少数精鋭が望ましいでしょうか?」
「少数精鋭の方が望ましい。移動には魔導列車を使うし、私自身把握できない武芸者を劇団員に近寄らせるのは恐ろしい。難しいなら大勢でも構わぬ、警備に混ざってもらうからな。ただし、金で流れぬ者が大前提だ」
「なるほど。少数精鋭の場合、具体的には何人までなら問題ないでしょうか?」
「相応に実力がある前提で、最大でも十名。警備を雇わないわけではないからな」
「……なるほど」
「どうだ? いるか? 難しい依頼なのは理解しているが」
無表情に見えるアポテーカー副支部長にオスヴァルトは『やはり難しいか』と眉間に皺を寄せる。
「それならば、次善の――」
そう言い掛けたオスヴァルトを遮るようにしてアポテーカー副支部長は口を開いた。
「おります。八名」
「いるのか。等級は?」
「個人、一党ともに五等の二名構成、及び個人で三等四名、四等二名の四等級一党がおります」
「実力は確かに申し分なさそうだが、信頼はできるのか?」
「その点についても問題ありません。他の都市に問い合わせても問題なしと返ってくるでしょうな」
アポテーカー副支部長はとある若人八名を脳裏に思い起こしつつ頷く。
「他の都市で登録した武芸者か」
「はい。それ相応に気難しい点はありますが、問題ありません。後者の一党に関しては私自身が三等級の昇級審査を行いました」
「君がか。所要時間は?」
「十分ほどですな」
「それほど達成率も高いというわけか」
オスヴァルトは唸った。
三等級の昇級審査は平均で40分ほどだ。10分で終わったということは、確認することもそうなかったという事実の裏返しでもある。
「は、今のところ二党とも達成率は八割を切っておりません」
アポテーカー副支部長はオスヴァルトと視線を合わせて肯定した。
ちなみに達成率は依頼人の評価などで非常に細かく変動する。最低限達成したからと言って十全に評価されるわけではない。
「ふむ。わかった。ではその二党に指名依頼を出したい」
「承知致しました。出立日はいつでしょう?」
「六月の末日だ」
「その二党が無理な場合はどうされますか?」
「そちらが信頼できると思う武芸者……――そうだな、最低でも六等級二十名ほどは欲しい」
六等級武芸者は一般的な兵士とほぼ同等程度の戦力と見做すのが通常だ。それが20名。
「第二希望案として登録しておきます。依頼料はどうされますか?」
「貴族家に連なっていたことなど
「それはまた豪気な……――いえそれほど、ということですな」
指名依頼専用票に金額を書き込みつつ、アポテーカー副支部長はオスヴァルトの義憤と親心のようなものを感じ取った。
「阿呆な子爵のせいで彼女の舞台にケチがつくなどあってはならん。芸術への冒涜だ」
「ふ、芸術都市領主の矜持ですな。必要事項はわかりました。明日呼び出しを行います」
アポテーカー副支部長がそう言うとオスヴァルトが深く頷いて立ち上がる。
サッと立ち上がったアポテーカー副支部長が扉を開けると、
「それでは……――頼むわねぇ」
と言って優美な足取りでオスヴァルトが去っていく。
オスヴァルトが階下へ降りていったのを確認したアポテーカー副支部長は、
「さて、次代の英雄候補に話を通すとしよう」
厳格な表情でそう呟くのだった。
* * *
翌日の昼。
呼び出された”鬼火”の一党と『紅蓮の疾風』は、おっかなびっくりといった様子でアポテーカー副支部長の呼び出しに赴くのだった。