元宮チアキではなく、“元”チアキ 作:元宮チアキ以外の誰か
「先生、お待ちしていました」
ゲヘナ自治区に到着した先生を出迎えたのは、元救急医学部出身であり、現在は風紀委員として活動する火宮チナツだった。
__時を3日前に戻す。
エイミとヒマリの2人と別れた先生は、その足でゲヘナへ向かった……わけではなく、まず心理学を専攻する生徒を訪ね、関連する資料をいくつも読み漁っていた。キヴォトスに来る前からその手の知識は一通り頭に入れていたが、「消えてしまいたい」と思っているかもしれない生徒と向き合うのは、彼にとってもほとんど初めての経験だった。
それに、自分のことを他人の心の中にずけずけと入り込んでしまうような人間だと理解しているが故に、慎重になるのだ。『消えてしまいたい』と思っているかもしれない生徒と向き合うのだから、対応を間違えればそれで一巻の終わりである。
念のため、ゲヘナの風紀委員である『火宮チナツ』に連絡を入れ、元宮チアキのことをさりげなく見守っておくように頼んでおいた。チナツならば、先生に対して協力的であるし、元救急医学部の生徒だ。万が一にも致命的な判断ミスをすることはないだろうという見込みだった。
こうして3日間、キヴォトス各地を回りながら対応を慎重に練った末、先生はようやくゲヘナへ足を踏み入れたのだった。
「ごめんね、チナツ。急に変なこと頼んじゃって」
「いえいえ、あくまで様子を見る程度のことでしたし。学内では特に不審な点は見られませんでした」
「そうか、ありがとう。また改めてお礼をするよ」
チナツは、この依頼を「エデン条約絡みの案件」だと捉えていた。実際、トリニティではクーデター未遂が起きたばかりだ。ゲヘナでも似たような動きがあってもおかしくはない。
それに最近、風紀委員長の空崎ヒナと、ゲヘナのトップである羽沼マコト、京極サツキの3人が、何かしら裏で動いている様子がある。特にヒナは、どこか真剣な表情で考え込むことが増え、アコに業務を任せて姿を消すことも多くなった。
きっと、ゲヘナ上層部では何かが起こっているのだろうとチナツは予想を立てている。風紀委員にして元救急医学部のチナツだからこそ、学内の雰囲気には人一倍敏感だった。
極秘事項で、そこにチアキが何らかの形で関与しているのだろう。先生に頼られたチナツは静かに張り切っていた。
「それにしても、どうして急にこんなことを……?」
先生は、一瞬考えこむような仕草を見せる。
「うーん、チナツは、チアキのことを見てて、どう思った?」
「どう、ですか?……そうですねぇ」
チナツはこの3日間で見かけたチアキの姿を思い返した。万魔殿の業務に携わったり、食堂で原稿に頭を抱えていたり__確かに忙しそうではあったが、不審な様子は見受けられなかった。
「いつも通り、元気そうでしたよ。……強いて言うなら、美食研究会を怖がっていたくらいですかね」
とはいえ、元宮チアキは「元気そうに見えて実は臆病」な一面がある。問題児揃いの美食研究会を苦手に思っても、不思議ではない。過去に不良の対応を押し付けられた際の様子からしても、戦闘はあまり得意ではないのだろう。彼女の素早い逃げ足も、そうした性格からくるものであるように思えた。
「……なら、いいんだ。どうも最近、彼女がいろいろ抱え込みすぎてるような気がしてさ。それが少し、気になってね」
「なるほど……」
確かに、とチナツも思った。チアキは、どこか自分を抑えているような雰囲気のある生徒だ。
おちゃらけた印象の万魔殿の中でも、彼女だけは常に一歩引いたところにいる。それでいて、週刊万魔殿を毎週欠かさず発行しているくらいには学園への愛着を持っているのだ。ただ、その執筆に必死になりすぎることもあった。
以前、倒れているところを見つけて保健室に運んだことがある。理由を聞けば「原稿の締切で徹夜した」とのこと。目の下の隈を見るに、一夜だけでは済んでいないだろう。
頑張りすぎじゃないかと思ったが、彼女曰く「落とすわけにはいかない」「待ってる人がいる」らしい。
まあ、彼女は少々不器用なのかもしれない。少しぐらい、他の万魔殿メンバーのように肩の力を抜いて気楽になっても許されるだろう。
もしかしたら、チアキが『何者かに利用されている』のかもしれない。
ふと、そんな仮説がチナツの頭をよぎった。
少し前のこと、チアキから不良の対処をイオリ、アコと共に押し付けられた時、『万魔殿の一員である元宮チアキを拉致すること』が彼女たちの目的だった。動機は万魔殿への恨み。
よくあることだと流していたが、改めて考えてみるとトリニティでクーデター未遂があってからのこれだ。それに、ヒナ委員長がマコト議長とつるむようになったのもその後から……
__まさか、そういうことなのか?
学園を不器用ながらに愛しているからこそ、悪意ある第三者に付け入る隙を与えてしまったのかもしれない。「物事を大きくしたくない」性格が、相談すべきタイミングを逃させている可能性もある。
チナツ自身も、何でも一人で抱え込んでしまう傾向があるから、彼女の気持ちは分かる気がした。
万魔殿のメンバーとはどこか距離を置いているように見えるチアキ。そうした環境の中で、心を打ち明けられる相手がいないのかもしれない。
その点、チナツには先生がいる。向こうが無理にでもこじ開けてくるようなところはあるけれど、それが助けになることもあった。
だからこそ思う。チアキにも、そんなふうに心の中を自然に話せる「真に分かり合える仲間」が必要なのかもしれない。
「先生、この後はどんなご予定ですか? 今のところ私は空いていますけど……」
チナツは、浮かんだ思考を一旦脇に置き、訊ねる。
「チアキと、あと数人の生徒に話を聞くつもり。まずは万魔殿から回ろうと思ってる」
先生は手帳を取り出して確認し始めた。チナツも覗き込むが、内容は読み取れない。先生のことだから見られても簡単には読めないように書いてあるのだろう。
「一応、私も同行して構いませんか? ゲヘナ上層部の機密案件だと思っていたのですが……」
「え、ああうん。……ん? それって……」
先生は首を傾げ、まっすぐチナツの目を見つめた。いつも通り、何もかも見透かしているような、あの眼。
「ねぇチナツ、もしかして私たちの間には『認識』のズレがあるんじゃないのかい?」
「えっ?」
「私は 『ゲヘナ上層部』……まあ、万魔殿が何をやっているかなんて知らない」
それは、『真剣な話』をする時の眼差しだった。逆に言えば、それがない時は“適当に話している”サイン。
「そうだったんですね……。てっきり今回の件が、それと関係しているとばかり……」
「いや、関係ないとは言わないけど、そういう前提では頼んでないんだよ。チアキが気になっている、それだけ」
意外だった。先生は何もかも見抜いているような人だと思っていたから、ゲヘナ上層部の件も踏まえての依頼だと信じていた。
「なるほど……少し、張り切りすぎていたみたいですね」
チナツは、小さく息を吐く。
「まあ……チナツもなんとなく分かってるとは思うけど、チアキって少し不安定な子だと思うんだ」
「……ええ、そう思います」
「言い方は悪いけど、それが“エデン条約前”という不安定な時期と重なって、爆発しそうな感じがしてね」
先生と話しながら、二人はゲヘナ学園の中を歩く。すれ違う生徒たちに軽く挨拶を返しながら、やがて万魔殿の議長室にたどり着いた。
「……なるほどね」
先生が立ち止まる。チナツもその視線を追った。
『大事な会議中 立ち入り禁止』
ドアに貼られた張り紙が、そう告げている。
「忙しいみたいだね。じゃあ、別のところから回ろう」
「分かりました」
「まずは……メディア編集部かな」
そう言って先生は、くるりと向きを変え、足早に歩き出す。
──メディア編集部。
学園内のチラシや広報誌、展示物の印刷・出版を担う万魔殿傘下の組織。
チアキの『週刊万魔殿』も、ここから発行されているのだ。
ちょっとの間チアキの出番少なくなっちゃうけど許して