元宮チアキではなく、“元”チアキ 作:元宮チアキ以外の誰か
「きゃあっ!」
突如として響いた爆発音と、それに伴う衝撃がヘリの機体を大きく揺らした。金属が悲鳴のような軋みを上げ、内部の照明が一瞬チカッと瞬く。重力が不規則に傾いたような感覚に、アコはバランスを崩し、体勢を保てず前のめりに倒れかけた。
咄嗟に先生が左手を伸ばし、その肩を抱き止める。
「……あ、ありがとうございます」
アコは頬をわずかに赤らめながらも、すぐに姿勢を正した。だが、先生はそれに目もくれず、視線を前方の窓へ向ける。些細な感情にかまっている場合ではない。
「……何事? 襲撃かしら」
ヒナが低い声で問いかける。対峙するように座る彼女の表情には、緊張と冷静が奇妙なバランスで宿っていた。
「ぜ、前方で爆発が……肉眼でも確認できる規模の……!」
操縦桿を握る情報部の生徒が、焦りを押し殺すように返答する。言葉通り、前方の地平線上には、黒煙が天に向かって立ち昇り、炎が渦を巻いているのがはっきりと見えた。距離があるにもかかわらず、その規模の大きさは疑いようがない。
「アコ、爆発の位置を特定して」
ヒナが迷いなく指示を飛ばす。アコは瞬時に真剣な表情へと切り替わり、手元の端末を操作し始めた。彼女の指先が液晶を走るたび、情報が次々と画面上に浮かび上がっていく。
──だが、ヒナと先生には既に察しがついていた。
このタイミングで爆発が起きる可能性が高い場所――それは、チアキが向かった先であり、最も危険が潜む場所。
本当にその場所なのかどうか確認するための手続き。それ以上でも、それ以下でもない。
「はい。現在燃え上がっているのは、この地点です」
アコがタブレットの画面をこちらに向ける。先生とヒナがそれを覗き込むと、やはりと言うべきか、地図上にはブラックマーケットの一角、サトカのアジトと思しき座標が赤く点滅していた。
──数十分前
先生とヒナは、サトカのアジトへ向かうため、緊急手配されたヘリに乗り込んでいた。地上を移動するという選択肢は最初からなかった。時間がない。空路を選ぶしかなかったのだ。
用意されたのは小型だが高機能のヘリ。操縦は情報部の生徒が担当してくれるという。
「マコト議長、あと一人乗れますが……」
ヘリの内部に乗り込んでいた情報部の生徒が、マコトの方へ振り返る。確かに、後部座席にもう一人は乗れそうだった。
「いや、私はミレニアムと連絡を取るためにここに残る」
マコトは落ち着いた口調で言い、タブレットを手にしたまま指示を飛ばし続けている。
「私も……情報の収集と統制に回る方がいいわよね」
サツキもまた残る意志を示す。地上でやるべきことがある。万が一に備えるなら、それが最適な判断だった。
「セナかチナツのどっちかは居た方が良いかもしれない。チアキが戦闘に巻き込まれているなら、回復役が必要だ」
「では、私が乗りますね」
不意に聞こえた声に、先生が振り返る。そこにいたのは、セナでもチナツでもなかった。
「……アコ?」
「こんにちは、先生。ところで、これからどちらへ向かうおつもりですか? 最近、委員長が裏で万魔殿と接触している様子は把握していましたが……まさか」
その目は穏やかでありながら、鋭く問い詰めようとしていた。だが、先生はその先を聞くまでもなく、ヘリの操縦士に向かって合図を送る。
「そのまま出して」
アコの話に割り込み、ヘリを飛ばすよう指示を出す。情報部の生徒がうなずき、扉が自動でロックされた。
ブレードが唸りを上げ、機体がゆっくりと地面を離れていく。
「ちょ、ちょっと先生!」
「アコ、今は一分一秒を争ってるの。説明は道中で済ませるから、一旦静かにして」
「……はい」
アコはしばらく不満げに先生を睨みつけていたが、次第に黙り込む。緊張の糸が徐々にヘリの中を張り詰めていく。
――とはいえ、先生はそれほど気にしていなかった。アコの能力は認めているし、彼女がいれば心強い。一応、回復ができるという点でも大きな戦力だ。
「チアキ書記官は……無事なのでしょうか?」
説明を聞き終えたアコが不安そうに呟く。
「まだはっきりとは。でも、それを確かめるために今は動いている」
「サツキ、チアキの様子は?」
ヒナは、爆発の状況を確認しようとチアキを観察していたはずの情報部の生徒の動向をサツキに訊ねた。
『今ちょうど連絡が入ったところよ。今、繋ぐわね』
通信が切り替わり、別の声がスピーカーから流れ始める。やはり現地は混乱しているのだろう。数度の爆発音と、瓦礫が崩れる音、そして逃げ惑う人々の声が聞こえてきた。
『まず第一に、私は無事です。そして、それなりに戦闘ができる協力者を1名確保しました。これからチアキ書記官の救出に向かいます』
「了解。爆発には気をつけて」
『はい。ただ、シャーレの名義を使って協力を得た代わりに、報酬を求められていまして……』
「いいよ。常識的な範囲なら、対価は払う」
『ありがとうございます。ヒナ委員長も、先生も……お気をつけて』
「そちらこそ。チアキのこと、頼んだよ。また後で連絡を」
通信が途切れると同時に、先生は小さく息をついた。
空の奥にまだ見えぬ戦場が広がっている。その奥でチアキが、命の危機に晒されているかもしれない。
焦るな。呼吸を整えろ。
何もかもが悪い方向に転がりそうな予感がする。だが、こういう時こそ冷静さを保たなければならない。
明星ヒマリとの会話で、占いの類は信じていないと語った。しかし――
流れというものはある。
人の行動が感情によって動かされている以上、事態はいつか歪み、流れが淀む。
そして今まさに、世界の流れが変わり始めている。
目に見えぬ川のような時間のうねりの中で、先生はひとつ、確信を持っていた。
今は、明らかに流れが悪い。
それでも、逆流に抗うのが人間という存在だ。
沈まぬように、流されぬように。
進み続けるのだ──自分の足で。
――――
「ぐぇっ……」
元宮チアキは気がつけば地面に叩きつけられていた。状況を理解する前に、激しい熱風が頬を撫でる。
「熱っ!」
「ぐぅ……思いっきり蹴飛ばされた……背中痛い……」
隣には、同じく地面に叩きつけられたサトカが苦しそうな呻き声をあげていた。手足が拘束されていてまともな受け身が取れなかったのだろう。
いつの間にか、チアキとサトカはアジトの廃ビルから外に出ていたのだ。そのアジトは、激しい炎に包まれながら、轟音を立てながら崩壊していく。
どうやら、変装用のグッズは戦闘と爆発の影響で消し飛んでしまったらしい。
「……すいません、私の拘束解けませんか」
サトカがそう言いながらチアキの足下へと転がってくると、手首に付けられている拘束具を差し出してきた。
少し調べてみたが、外れる様子はない。そもそも拘束具なのだから、簡単に外れてはいけないのだが。
「……あ、えっと、電子ロック……みたいです、ね」
「……だよなぁ」
エイミなら外せるんじゃないかと思い、辺りを見回す。
――だが、どこにも彼女の姿はなかった。
「あ……」
崩れゆくアジトのビルを見上げる。中に、まだエイミが残っているのだろう。
「……逃げよう」
同じようにビルを見上げていたサトカが、名残惜しそうに言った。
彼女の表情に浮かんでいたのは、後悔というよりも、今まで積み上げてきたものがすべて燃え落ちていく、その現実に対する虚しさのように見えた。
――違う。すべては、自分のせいだ。
そうだ、エイミが燃え盛るビルの中に取り残されているのも、サトカのアジトが爆発したのも、自分のせいだ。
全部、『私』がいたからこうなってしまっているんだ。
「ねぇ、聞こえてるの?ここにいたら危ないから早く逃げないと……」
横でサトカが必死に自分を連れて逃げるよう懇願しているが、チアキの耳には届いていなかった。
「チアキ書記!ご無事ですかーっ!」
大声で、『私』の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
誰だ
一体誰が『こんな場所』で私を『チアキ書記』と呼ぶんだ
いや、私を『チアキ書記』と呼ぶのはゲヘナの……
「良かった……無事みたいですね、とにかく逃げましょう!」
近寄ってきたのは、見覚えしかない制服に身を包んだ生徒だった。彼女は、ホッとした表情でチアキの手を取る。
「え、あ、なんで……」
彼女は、『情報部』だ。サツキと一緒によく話しているのを目にする。
情報部というよりはリーダーであるサツキに心酔していると言った方が正しいが、しかし、『やることはちゃんとやる』生徒ではある。
ゲヘナ学園の諜報組織である『情報部』の生徒が、なんで、ここにいるのか。
「ほら行きましょう!一先ず安全な場所に……」
まさか、そういうことなのか。
マコトの対応が『いつも通り』に戻ったのも、『勘違いだと分かった』のではなく、『情報部が代わりに調べている』からなのでは。
そうだ、思い出した
──マコトは、『身内』を欺いてアリウスと手を組んでいたじゃないか
「おいッ!そこの
「えっ、ちょっ、なんでそんなにガチガチに拘束されてるのよ!」
「その辺は後で話す!今は外せないからとりあえず安全な場所にだな……」
サトカの声が、チアキを意識の底から引き戻す。
「もう、分かった分かった!とりあえず運べばいいのよね!?」
いや、正確には『美食研究会の赤司ジュンコ』の声だったかもしれない。
ジュンコが、サトカの腕を掴んで引っ張っていた。
「せっかくブラックマーケットに美味しいたい焼き屋さんがあるって聞いてバイト代片手に並んでたのに、食べる前に燃えカスになっちゃって……もう!この爆発の犯人は探し出してボコボコにしてやるんだから!」
ジュンコは、かなり怒っていた。その爆発を起こしたのが『私』であることなんて知らずに。
「ほら!さっさと逃げるわよ!」
ジュンコは、チアキを『被害者』だと思い込んでいる。なんでチアキがここに居るのかを知らないのだろう。
「何が起こってるのかよく分かってないけど
今、何と言った?
「私たちのことがちょっと苦手なのは分かってるけど、ずっとここに居ると危ないでしょ!」
──なんで、先生が、チアキがここに居ることを知っているんだ。
「そうですよチアキ書記、今はここから逃げることが先です!」
じゃあ、マコトも、先生も、最初から全部知っていて、この情報部の生徒は私を監視するためにここに居て……
呼吸が早くなる。
肺に酸素が行き届いていないような息苦しさがする。煙のせいではない。
バレていないと思っていたのは私だけで、マコトにも、先生にも、サトカにも、そしてミレニアムにも……
『私』が、元宮チアキが、『おかしい』ということを知られてしまったのだ。
違う。このままだと、もっと広がる。
早く、誤魔化さなくては。
広がる前に、早く誤魔化さなければ。
世界が、元宮チアキが『普通』であるように、修正しなければ――。
『無理でしょ、エイミにあんなことしておいて』
耳元で、幻聴が囁いた。
チアキは咄嗟に、情報部の生徒の手を振り払った。そして、逃げ出した。
「あっ、チアキ書記! 待ってください!」
背後から声が追ってくるが、足音は遅い。
『逃げ慣れている』元宮チアキに、そう簡単に追いつけるはずがなかった。
「ちょっ、2人とも逃げるのは良いけど手伝ってってば!……もおーっ、なんで私だけいっつもこうなるのよーっ!」
ジュンコの叫び声が、サトカを引きずりながら響いた。
以下、蛇足。
「そうだ!キミっ、ミレニアムに知り合いとかいないか!」
取り残されてしまったジュンコは、サトカからいきなりそんなことを訊ねられた。
「え、何?急に……居ないことは無いけど……」
「ミレニアムのエージェ……いや、お友達があのビルの中で取り残されているんだ!できれば生徒会長につなげるような人だと助かるんだけど……」
サトカは、あの爆炎の中に取り残されているエイミのことが気がかりだったのだ。立場上敵とはいえ、一応は『後輩』にあたるのだからこのまま放置するわけにもいかない。
──自分の作ったとっておきの薬品が効かないという興味深い体の生徒がこのまま消えてしまっては困る、という感情も無くはない。
「それなら大丈夫!……もしもしアカリ?」
ジュンコは『ミレニアムでそれなりの立場』にいる知り合いに心当たりがあった。しかし、直接の連絡手段は持っていないので、一旦アカリに連絡するしかない。
「えっとね、なんかミレニアムの生徒がピンチになってるみたいだからエイミに連絡を……」
「エイミ?」
アカリと話していると、再びサトカから訊ねられる。
「そうよ!セミナーの人だけどアカリの知り合いで、結構強いのよ!あれぐらい強かったら何とかなると思うわ!」
ジュンコからみた和泉元エイミという生徒は、自分と同い年であるにもかかわらず背が高くて、アカリと同じぐらい強くて、こないだおいしいミレニアムのお菓子を持ってきてくれた人、という認識だった。
シャーレの任務でアカリと一緒に活躍しているらしいから、こういう状況でもなんとかしてくれるに違いない。そう思わせるほどの『凄み』が彼女にはある。
「エイミ、ってのは、もしかしてピンク髪で体格が良くて、体温が高い……」
「ん?共通の知り合いだったの?」
会話したのはつい先日のお菓子を貰った時だけなのだが、アカリの友達であると思うと実質『同志』のようなものである。
「いや、あのビルの中に居るのがエイミで……」
「えぇっ!大丈夫なの!?」
「いや、分からん……」
まだ又聞き程度のことしか知らないが、『セミナー』で頑張っている生徒というのはアカリから聞いた。あれだけ強いのだから、万魔殿でいうイロハみたいな立場に違いない。つまり、エイミはあのビルに捕まっていた生徒を助けに来て、爆発に巻き込まれてしまった……ということだろう。
――それでも、こうやって『人質だけ』は『救出』しているんだからすごいなぁ
サトカのことを『ブラックマーケットの怪しい組織に攫われた可哀想なミレニアムの生徒』だと思い込んでいるジュンコは、本人の全く知らない形でエイミに尊敬の念を抱いていた。