元宮チアキではなく、“元”チアキ   作:元宮チアキ以外の誰か

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逃げているのではなく、見失っている

私自身、ブルーアーカイブという『コンテンツ』は好きだが、ブルーアーカイブという『ゲーム』はあまり好きではなかった。

 

故に、誰のスキルがどう強いのかなんてふわっとしか認識していない。

 

戦闘は基本的にオートに任せる。総力戦だとか対抗戦は、最低限の報酬だけ貰ってそれっきり。

 

チマチマと何かの作業の片手間にデイリーを済ませて、気に入った生徒を育てるだけの、盆栽の様な楽しみ方をしていたのだ。

 

それでいて、『コンテンツ』好きを謳っていながら、二次創作を積極的に漁るだとか、ニコニコ動画に生息するだなんてことはないし、シナリオに嫌気が差せば引退を考える。

 

そんな感じに数回の引退を挟みつつ何だかんだとだらだら続けていたのだ。私にとってのブルーアーカイブとは「なんか流行ってるからやってみたゲーム」の一つでしかない。青春を捧げるような情熱は、持ち合わせていなかった。

 

私は高尚なオタクでも何でもない。少し不満が溜まれば嫌気が差すような、我儘で、情けなくて、どこにでもいるような、ごくごく普通の先生()

 

そんな先生が就任してしまった世界線のキヴォトスは大変だろう。幸運なことに、この世界線を担当している先生は途中で飽きたり投げ出したりするような気配は全くない。

 

とすれば、今私はその『ツケ』を払わされているのだろうか。

 

──罰を受けている、と言ったほうが正しいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

走っていた。逃げていた。

 

すべてから目を背けたくて、ただ無心に足を動かしていた。

追いかけてきた情報部の生徒の気配は、もうとっくに感じない。

 

「はぁ、はぁ……」

 

気がつけば、ゲヘナ学園の校門をくぐっていた。夜の静けさに包まれた構内は、生徒の姿もなく、まるで時間が止まったかのようだった。

 

一人きりの空間。そこで響く自分の荒い呼吸だけが、現実を繋ぎ止めていた。

 

爆発の余波で破れた制服が、酷く惨めだった。

今の私そのままだ。ボロボロで、行き先もなく、ただここにいるだけの存在。

 

――なんで、学校に戻ってきたんだろう。家に帰ればいいのに。

 

けれど、こんな状態の私が正常な判断なんてできるはずもない。

 

気づけば、足はここに向かっていた。

 

逃げ場は、もうどこにもないのに。

 

万魔殿にも、シャーレにも、ミレニアムにも――全部、バレてる。

 

 

 

「あーっ、チアキ書記じゃないですか!」

 

背後から聞こえた明るい声。

 

「あ……」

 

そこにいたのは、メディア編集部の生徒。

毎週原稿を渡していた、彼女。

 

「その、もしかして……原稿、持ってきてくれたんですか?」

 

その問いかけで、私はハッとした。

 

そうだ、私は原稿を落としてしまったんだ。週刊万魔殿を、放り出してしまったんだ。

 

「ごめっ……ごめんなさい」

 

声が震え、膝が折れた。

地面に崩れ落ちる。

 

「ちょ、ちょっと! 顔を上げてください!」

「『私』が……書かなきゃいけないのに……」

 

顔が上げられない。

頭に手が乗った。

 

「書けなくて……こんなこと、許されないのに……」

 

地面に突っ伏して、情けなく喚く。

 

「大丈夫ですよ、読者の皆さんはちょっと休んだぐらいで怒りはしません」

 

そんな『元宮チアキ』の頭を、彼女は優しく撫でた。

 

「でもっ、でも、週刊万魔殿がないと、私は、元宮チアキは……」

「もちろん、私も怒ったりしませんよ。チアキちゃんが頑張ってたことは、よく知ってますから」

「なんとか……なんとか明日の朝には仕上げてくるので……!」

 

「もうっ!そういうところ!」

 

私の目の前に、彼女は指を立てた。

 

「えっ、でも……」

「でもじゃない!チアキちゃんは頑張りすぎなんですよ!」

 

……頑張りすぎ

 

「頑張りすぎぐらいじゃないと……」

「あーもう……仕方ないですね!週刊万魔殿はしばらくお休み!」

 

その言葉を、咀嚼して飲み込むのに数秒かかってしまった。

 

週刊万魔殿は『私』の全てであり、数少ない『私が元宮チアキでいるための手段』でもある。

 

「やめて……それだけは……!」

「だーめ!これはマコト議長とシャーレの先生による決定なので覆りませーん」

 

強く懇願しても、彼女は両手でバツを作って見せるだけ。聞く耳を持たない。

 

 

 

「チアキちゃんは、色々抱え込みすぎちゃったんですよ。だから今日はもう帰って、ゆっくり……きゃっ!」

「なんで……っ!」

 

気がつけば、私は彼女を押し倒してしまっていた。

 

「なんでなんでなんでなんで……っ!!」

 

どうして、みんなみんなそうやって『私』が『元宮チアキで居ること』を否定しようとしてくるんだ……!

 

「チア……キちゃん?顔が……怖いよ……?」

「あ……」

 

そうだ。

『元宮チアキ』は、こんなことしない。

 

同級生を怖がらせるような生徒なんかじゃあ、ない。

 

 

ゆっくりと、押さえつけていた手を離す。

 

「チアキちゃん……」

「ごめん……!」

 

ちゃんと謝れただけ、さっきよりはマシだろう。

それでも、また逃げ出してしまった以上、どんぐりの背比べでしかないのかもしれない。

 

 

 

 

 

「ダメだダメだ……こんなんじゃ……!」

 

誰も居ない教室に駆け込み、隅でうずくまる。

脳裏に浮かぶのは、爆炎に包まれたビル、取り残されたエイミ、怯えた編集部のあの子……

 

何もかもが、私のせいなのだ。

 

「おえぇ……」

 

胃の中が世界ごとひっくり返ったような感覚とともに、吐いた。

 

 

 

 

 

 

「はぁっ……はぁっ…………」

 

私の吐瀉物で汚れてしまった床を震える手で掃除する。

隠さなければ、バレる前に。

 

重曹の匂いが、更に私を惨めにしていく。

 

「あぁ……あはぁ……」

 

もう、何も考えられない。

頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 

『私』の体が勝手に動いている感覚がある。

『私』が『チアキ』を汚した感覚がする。

『私』は、私は、私は、わたしは、ワタシは、わたシは、ワたシは……

 

「吐瀉物の掃除を素手で行うのはやめた方が良いですよ。使い捨て手袋を使用するのをおすすめします」

 

背後から、冷静な声がした。

 

「換気のために窓を開けてください。それとウイルス性の感染症による嘔吐でしたら重曹ではなく塩素系漂白剤を使いましょう」

 

氷室セナだった。救急医学部の、あの人。

手際よく掃除を進めていく。きっと慣れているのだろう。

 

「あ……いや、病気とかでは…………」

 

違う。

 

「なら、何があったのか話してください」

 

彼女が、私の手を握る。

 

「……大丈夫です。私も、マコト議長も、先生も……そして、週刊万魔殿の読者も……全員、あなたのことを心配していますよ」

 

セナのその言葉で、確信した。

そうか、全員にバレているのか。

 

私が『元宮チアキ』でないことに、全員気づいているんだ。

 

バレていないと思っていたのは、私だけで……

 

「話さなくてもいいんです。でも、その苦しい気持ちを少しでも、分けてくれるだけで」

「放っておいて……!」

「それはできません。私は――」

「きゃっ!」

 

私は彼女を突き飛ばし、また走った。

 

どうして。

どうしていつも、私は逃げてしまうのか……。

 

 

 

 

 

アパートの一室に戻った私は、ドアに鍵をかけ、カーテンを閉めた。光も音も人の気配も、すべてを締め出す。この部屋を、外界から切り離された小さな避難所に変えた。

 

そして、頭から布団をかぶり、まるで胎児のように丸くなる。

情けないとは自分でも思う。でも、そんなことを考える気力さえもう残っていない。

 

誰にも見られず、誰の記憶からも消えてしまいたかった。

だけど、それができるなら……とっくにそうしている。

 

布団の中で、ただじっと息を潜めていた。どれくらい時間が経っただろう。30分ほどか、もっとかもしれない。

 

──突然、扉を激しく叩く音が響いた。

 

「チアキ!私だ!開けろ!」

 

マコトの怒鳴り声。

 

『マコト、ちょっと……近所迷惑よ』

『うるさい!そんなこと言ってる場合か!』

 

ヒナもいる。

 

──来るのが早い。

 

やっぱり、最初から全部知っていたんだ。

 

『ヒナ!ドアを吹き飛ばせ!乗り込むぞ!』

『いや、それは……』

『早くしろ!』

 

──騒がしい。

 

本人は『元宮チアキ』を助けるつもりでいるのかもしれないが、『私』からしてみれば令状を持った警察がドアの前で怒鳴っているようなものでしかない。

 

『ねぇ、マコトちゃん、今日はもうそっとしておいてあげましょう?』

『…………』

『チアキちゃん、きっと今はいっぱいいっぱいなの。無理に踏み込んでも、余計に苦しめちゃうだけよ』

『……そうね。今、何を言っても、何をしても逆効果だと思うわ』

 

……逆効果。

それでも、そう言いながらも、彼女たちはまだ「私」に期待しているのだ。

 

『そのうち、落ち着いたら前みたいに元気なチアキちゃんが出てきてくれると思うから……ね?』

 

"前みたいに"

 

その『前』というのはいつの『私』を指しているのだろうか。そもそも、『私』のことなのだろうか。

 

『キッ……分かった。今日のところはこれぐらいで勘弁してやろう……だがな!』

 

マコトの声が、壁越しに突き刺さる。

 

『明日も来る……いや、もう一度会えるまで通い続けるからな!チアキ!』

 

ああ、頼むから来ないでくれ

 

──マコトも、明日も

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